2018年01月25日

重度知的当事者の一人暮らしとその支援

先日、久しぶりに講演を引き受け1時間少し語らせてもらった。
短い時間の中では、全く持って語り切れず、集まった方々が各々の場で考えていただくとっかかりみたいなもので終わってしまったように思う。

その後、主催者から講演会のアンケート結果が参加者のコメントも含めて送られてきた。

それを読ませてもらうと、とっかかりみたいなものは提供できたのかなと一安心する。
それと同時に、
参加された皆さんの関心の高さと支援を担っていきたいと願う思いが伝ってきた。

講演会の中でも語ったが、
主催者の会に属する各種サービス事業所は、たしか40事業所を超えるぐらいと言っていた。(記憶が曖昧)
一事業所が一人の重度知的当事者の一人暮らしを支えれば、すぐさまその数の当事者たちの新たな暮らしが始まる。
一事業所につき一人では、重度知的当事者の場合一番最初に取り組んだ人の暮らしや支援があたりまえになってしまうので、最低でも3名の当事者の暮らしに関われば、すぐさま現状一人暮らしをしている重度知的当事者の数を超える。

私の場合は、制度もなければお金もない中で取り組んできた。
只々、想いだけで取り組んできた。
常に想い先行で、「できる/できない」ではなく「やるしかない」という気持ちで取り組んできた。

そこだけを見れば、重度知的当事者の一人暮らしを支援するというのは「相当の覚悟が必要」と映るかもしれない。
でも、
そうして取り組んできたことを振り返ってみれば、
「ないから必至だった」だけで、それから時代は進み「今あるものを活用すれば、そんなに難しい事ではない」と思っている。

ただ、
重度知的当事者の一人暮らしに関わったことがないという人にとって、
「0」に何をかけても「0」でしかなく、前へ進むことはできない。
経験したことがないゆえに、ほんのもう一歩が踏み出せない。
そんな印象をアンケート結果に載せられたコメントから感じた。

例えば、
重度知的当事者と一言で表しても、
本人の状態はもとより、
当事者が置かれている状況や周囲との関係や当該自治体等々はまるで違う。
行動障害と評される人の支援は非常に大変に感じているヘルパーも、
行動障害がないと評される人の支援の現場では「癒される〜」と関わり続けていることの意義を感じ取っている。
重度知的当事者と言えば、24時間の何らかの支援が必要と描くが、
そういう人もいるが、すべての重度知的当事者が24時間支援者とともに暮らしているわけでもない。
「知的当事者の地域生活はグループホームで」と決めつけられるのは全く許せないが、
複数の人と生活をシェアすることで自らの意思を他者に伝えることができる重度知的当事者もいる。
逆に、軽度であったとしても他者との関係づくりが苦手な人は、グループホームを利用することで様々な事柄を招き、自らの暮らしや周囲との関係を危うくする人もいる。

「重度知的当事者の一人暮らしの様子は?」と聞かれても、
「それぞれ」としか言いようがない。
「重度知的当事者の一人暮らしを具体的に支えるには?」と聞かれても、
「それぞれの暮らし」「それぞれの思い」があるので「支え方もそれぞれ」というしかない。

ただ、
「それぞれ」と言って終えていては、「0」は「0」のまま。
決して前には進めない。
なので、何かをかけるのではなく、何かを足す取り組みが必要なんだろうと思う。

私自身の過去を振り返れば、
「どうしようもない」と思った時には、必ず新たな出会いがあった。
たぶん、自分自身では解決できないから自分にはない発想や経験の持ち主を探し、
自らの取り組みに他者の取り組みを足す。
無いものは借りることもした。
借りたことで、自らの取り組みが進み、進んだことによって別の形で返してきた。
とにかく必至だったので、そんなことも考える間もなかったが、
弱小団体を主宰している私が、様々な人とつながっているのは、
折々に生まれる課題の解決に向け、様々な出会いを求め情報を求め、
とにもかくにも、目の前に存在する当事者とこの先もともにいたいと願い続けてきた結果だと思う。

時代が進む中、なかった制度が生まれた。
人の意識も少しずつ変化している。
大勢は変わらないかもしれないが、大勢ではない意識は少しずつ拡大しているように感じる。

そう考えれば、
今、関心を抱き自らの取り組みとして担おうとする人たちに対し、
私自身これまで無自覚に取り組んできた事を伝えていくことが必要なんだろうと思えてくる。

「どのようにすれば一人暮らしができますか?」「そういう支援をすれば一人暮らしができますか?」という質問には答えられないと思う。
「それぞれで取り組むしかない」「取り組み方は様々」と答えるしかできなかった。
それは、
どこか解答/正解を求められる感があったからで、
私自身も何も実現できず常に考えている最中なので、
解答や正解を求められても何も答えを持ち合わせていないから。
又、それぞれの暮らしにそれぞれの支援があると思っているので、
自分の経験を正解とされたり、自らの経験を一般化することに戸惑いつつ語っている。
なのに、「なるほど」とうなずかれたら、その瞬間自分が語ったことに疑問が生まれるから。

でも、時代が変わり、
自分の目の前に存在する当事者の事を何とか支えたいと思う人たちが増えてきている。
「自立生活なんて宇宙旅行と同じ」と思う親御さんが大半だったが、
「もしかしたらうちの子も可能性があるのでは・・・」と思う親御さんが増えてきた。

とは言え、未経験/未体験ゾーンに踏み込むことを互いに躊躇する人々。

ならば、
私が「もう無理かもしれない」と思い描いたときに、他の人たちに助けを求め、様々なヒントをもらい、自らの場で展開してきたように、
解答や正解やマニュアルやhow-toはないけど、
私自身がこれまで取り組んできたことを、一つのレシピとして自らの場で展開しようとする人たちに伝えるものがあるのかもしれないと思う。

自らが取り組むために出される疑問と、
どうすれば取り組めるかという疑問ではまるで違う。

今回、講演を引き受け短い時間内では一方的に語って終わった感があるが、
後にコメントとして出される疑問や不安は、どこか自らが取り組むために出されたものとして読んだ。

「〜すれば、〜となる」ではなく、
「〜してみたら、〜となった」というものを伝えていくことで、
「そうならば自分はこうしてみる」みたいな展開につながるようなものを伝える必要を感じた。

なんてことを思うのは、
この1〜2年、自らの暮らしの空間に終始していて、かなり煮詰まり感があったからだと思う。
余裕のなさが余裕のなさを拡大させていたこの間。
日常を一歩離れ他の人たちとやり取りすることで、再び自分の日常に戻り新たな発想や新たな取り組み方を考えるヒントをもらえたからなんだと思う。

近年、様々な相談やで木々とが舞い込み、
私一人では抱えきれない状況がどんどん拡大している。
逆に、私たちが取り組んできた事を反面教師として、
新たな展開として重度知的当事者の一人暮らしの支援を担う人たちとの出会いが生まれる。

これまで自分が担ってきたことをいかに他に語り伝えるか?
それは、決して正解ではなく、
語ったことがそれぞれの取り組みのヒントになり、
新たな展開として先へと進む。
先へと進んだ人たちから私自身未だ不十分に感じている課題の解決に活かす。
そんな繰り返しが生まれるとうれしいと思う。

そのために何をするか?
それが今年のテーマかもしれない。
posted by 岩ちゃん at 13:37| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月15日

「できてる支援」と「できない支援」の理由

「できてる支援」と「できていない支援」
できない理由については、しばしば検討される。
そして、できない支援者はできる支援者からあれこれ指摘される。
又、できる支援者はできない支援者を低く評価する。
一方、できている理由については、
支援者の側ができていると思い込んでいるかもしれない。
当事者を力で抑え込んでいるかもしれない。
できていると思い込んでいるにもかかわらず、
できている理由については、特に問題にされることなく現状維持とされたり、模範とされたりする。
又、できている支援者を高く評価し目標とするならまだしも、
その人の専門性や経験等によってできているものとし、その支援を「できている」支援者に任せ、他者の取り組みとしないということもある。

私たちは当事者に対し、
「できる/できない」ではないと言い、
能力主義を否定し、
「介助を使い暮らす」ということも「自立した生活」という。

当事者に対して能力を求めない。
誰にでも「自立生活はできる」と描く。
しかし、
そう描いている人たちの中で、知的当事者の介助の現場を見ていると、
当事者に対する能力は求めなくても、介助者間にある能力主義には無自覚のままでいる人が多い。

「できている支援」の理由を探っていけば、
できているつもりになっていたり、
力で押さえつけていたり、
長年の関りの中で「その人の関り方」と当事者の側が支援者個々の違いを理解し対応している場合などもある。
そこに気づかないまま「支援できている」と描けば、
当事者と支援者とは、一方的な関係の中でたまたまできているだけということが多いような気がする。
なので、人が代わればたちまちできなくなるというケースも多々ある。
又、ある日突然「虐待」という評価となる場合もあったりする。

なので、
できている理由を考えるということは、できない理由を考える以上に重要な取り組みだと思う。

しかし、
「できている」支援者の側から自分だけでは気づかない「できている理由」を周囲に求めれば、
どこか自慢と受け取られ相手にされない。又、できている人ができていない人に求めれば、できていない人のことを責めているようにも受け止められる。
逆に、
「できている」人の周囲が「できている」支援者に、その理由を共に検討することを求めれば、
批判として受け取られたりする。もしくはそれを受けるできてる支援者の側は、回答を提示することを求められていると受け取ったりする。
支援者間の互いの立場の違いや経験の違いや支援者間でやり取りする話し方等々がそれを阻害するということもあるだろう。

でもそれ以上に、
目に見える事象のみで、
できる事は良い事。
できない事は悪い事としてしまう状況があるように思う。

本来は、
できない事を懸命に考えるのと同様に、
できている事も懸命に考えなければならないと思うが、
それが許されない状況が、
当事者に対する能力は求めないが、支援者間では支援の能力をもって評価する状況がこのような状況を生み出しているのではないだろうかと思う。

そして、
できている(と思い込んでいる)理由を放置し続けた結果、
当事者が混乱し、行動障害なるものを招けば、
それ以前「できていた」支援者の努力や経験や専門性をもって、
当事者の行為はすべて当事者の能力や責任にされていく。

できない理由は、懸命に考え取り組んだ結果現われる当事者の様子から、
その努力は報われる。
一方、
できている理由はできない場面を見なければなかなか明らかにならない。
又、できていたことができなくなった時が考える機会と思うが、
実際は、できない事の対応に追われ考える間もないということもある。

できていることの理由を明らかにするということは、非常に難しいことかもしれない。
でも、
できていることにおいても理由があるということを常に意識し、他の支援者とともに考え続ける必要はあるように思う。

それは、
できなくなった時にその理由を想定する機会につながり、
できないという評価でその先を閉ざさず、
次につながる気がする。
posted by 岩ちゃん at 09:19| 東京 ☀| Comment(2) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

「しんけんにかんがえているんだよ〜〜!!」

自閉症の当事者から届く手紙。
最近、書きぶりが変わった印象を受ける。
その印象は、凄い怒りモードであったり、伝わらない苛立ちモードであったりと受ける。

「〇〇〇じゃねえんだよ〜〜!!」
「△△△って言ってんだよ〜〜!!」

解消されない思い。
その苛立ちの中で起こしてしまう事柄。
事柄によって自分だけが責められる。

「自分は真剣に考えて取り組んでいるのに理解されない」という思い。

そんな手紙を読みつつ本人に会いに行った。

手紙に書いたことを繰り返し読み上げる当事者。
そのトーンはどんどん高まり、
声が大きくなり、
周囲から制止される。

制止されてすぐに落ち着くも、
話を続けると再び声が大きくなり、
険しい顔つきでこちらに向かって語る。

「僕は真剣に考えているんだよ!!」
「なんで、それを受け止めてくれないんだ!!」

その表情から彼の悲痛さを感じる。

ところが、
話を進めていくうちにふと気づいたことは、
そういう表現方法をラジオのCMから学んだ様子。

「真剣差が声を大きくする」というのはしばしば起こる私たちの世界。
ところが彼は、
「声を大きくすれば真剣」と理解して、真剣さを表す単なる手法に過ぎない。

又、「○〇じゃねぇ〜んだよ〜」という言葉を聞けば、
相手を威嚇しているように受け取る私たち。
ところが彼は、
CMに出てくる
「○〇じゃねぇ〜んだよ〜!」というフレーズの後に出てくる、
「でも、忘れないでね!(優しいトーン)」と企業名を伝える。
企業名を「忘れない(印象付ける)」ための「○〇じゃねぇ〜んだよ〜」が、
その言葉を使えば、相手は忘れないだろうと思う。

ところが、
相手は彼の真剣さとは受け取れない。
大声は威嚇ととらえ、
相手に対して失礼な口ぶりとして聞く耳を閉ざす。

彼は彼で真剣に考えている。
真剣に考えたことを単に伝えたいだけ。
さらには、ともに考えて欲しいとさえ思っていると私は思う。

しかし、
彼の口ぶりや表情からはそうは思えない。
まして、
会って話ができたから、そういう彼の表現方法として何となく彼を理解する糸口を見つけられたが、
手紙の書きぶりだけでは、私の方に対し怒りを露わにしてて苦情を言っている風にしか読めない。

遠く離れた自閉症の当事者とのやり取り。

真剣に何を考えるかの以前に、
真剣に考え、真剣に相談したいという思いが、
その表現方法から誤解して受け取られる。

多分彼に限らず、
独自の受け止め方や解釈の方法で表現する発達障害の当事者たちは、
周囲に様々な誤解を与え、
周囲もそれが誤解であることに気づかないままやり取りを進めたり、止めたりしているのだろう。

そうして、「真剣に」誰かに相談しても、表現方法の間違いからその中身も間違って受け止められ、
互いに間違ったやり取りをしていることに気づかないまま、当事者のみが悪者にされる。
「真剣に」やり取りした結果自分だけが悪者にされるなら、
その「真剣さ」は、自分の中におさめ、
「真剣に」自分だけで考え、自分だけで実行していく。
そこには、間違った考えや間違った判断や間違った行為も生まれる。
何がどのように間違っているかは、周囲とのやり取りの中で身に着けていくものなのだろうが、
周囲とのやり取りができなければ一人で「真剣に」取り組むしかない。

そんなことを思いつつ、
でも、彼の中で何がどうなっているのかを理解するには一度や二度のやり取りでは解らない。
又、気づかないことは気づけないので、当事者と私とでやり取りしても見えてこない。
そういう状況にもかかわらず、互いに見えていないままことを進めようとすれば、
行き違いがますます拡大する。

故に、
「当事者を理解する」その前に、
「当事者が理解していることを理解する」ということが重要になってくるのだが、
これはなかなか難しい。
なぜなら、
「私が理解していることを理解する」ということさえ十分できず、
「常識」とか「あたりまえ」といった言葉でごまかし続けているから。

発達障害と言っても、
それは本人の障害ではなく、
関係の中に起こっている事柄だと思う。

起こっている事柄が何なのか?
そこを知るためには、
「当事者を理解する」ではなく、
「当事者が理解していることを理解する」
そして、
当事者に世の中の常識や決まりを理解してもらうように努める前に、
世の中の常識や決まりがどのように作られているのかを、
私たち自身が理解していかなければと思う。

なので、
「支援」などと偉そうに言っても、私自身何も始められていないのだろうと思った昨日のやり取り。
posted by 岩ちゃん at 09:11| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月26日

2017年もあとわずかとなって・・・

2017年も今週で終わり、2018年が始まる。
とはいうものの、バインダー式の手帳になって予定表を継ぎ足し継ぎ足ししている私にとっては、あまり年を越すという実感がなく、「今週⇒来週」という感じ。

今年の傾向を振り返ってみれば、
翌週・翌々週の予定はスカスカなのに、
今週・先週の(過ぎた予定)は目一杯入っているという怪。
それだけ予定が立たない事ばかりだったのだろうと思う。

普段「支援」「支援」と偉そうに言っているのだが、
日々トラブルを招く当事者たちと付き合っていると、
私自身、当事者の事を何も解らずやり取りしているのだろうと思う。

我が身の支援の不十分さが招いた当事者の行動。
その行動を見て当事者を否定的に対処する。
支援の「十分/不十分」を評価するのは、当事者ではなく支援の側。
自己評価であれ、他者や第三者であれ、「支援の評価」を当事者たちから受けるという事に慣れていない私たち。

時折、身体障害の当事者が介助者や支援者に対し負の評価をすれば、たちまち介助者や支援者たちは自己弁護に走ったり、評価する当事者を否定したりする。
又、事柄の中身ではなく「言い方」みたいなもので逆に当事者を評価する介助者や支援者たち。

これが、物言わぬ知的当事者であったならどうか?
言わないのではなく言えないだけなのだが、言わない故にますます支援者間で勝手な評価をもって支援を重ねている。
だから、様々な人とともに意識して支援を担わなければ、当事者に対しすべて「お手盛りの支援」「支援の側が必要とする支援」「療育という名の支援」「支援者の許容範囲での支援」等々になってしまう。
そして、
その評価に当事者が逆らえば、たちまち「行動障害」と評され、本人にしてみればたまったもんではないだろうと思う。

しかし、
どれほど支援にまつわるやり取りをしたところで、気づかない事には気づけない。
あたりまえと言えばあたりまえの事なのだが、気づけないまま支援は続く。
そして、
その支援を受けて当事者は暮らし続けている。

今日の朝介助の場面。
言葉を発する事ができない重度知的当事者宅に伺うと、
ドアが開くなり、しきりにうなじのところをかき上げるしぐさの家主。
「ハハァ〜ン。日曜日に散髪に行ったな!」と解った私は、
「ほぉ〜!散髪に行ったんだね」と彼の仕草に返答する。

挨拶がてらのやり取りを済ませて部屋に上がる私。
すると、テーブルの上に赤い蓋の容器が置いてあり中には薬が入っていた。
この容器は、彼が旅行や親もとに行く際に薬を入れていく物。
今週で仕事納め。そして、週末から親もとへ行く家主である事を知っていた私は、
「今日は、親もとに行く日じゃないよ!」
「しまっておいて」と声をかける。
すると彼は、素直に容器をいつもの場所にしまってくれた。

その後、朝の家事をこなし終わったところで発語のない彼と会話して出かけるまでの時間を調整する。

「そういえば、散髪は誰と行ったの?」と話を振る。
「うっ!」としか言わない彼の前で、介助ノートと散髪代のレシートを見比べ、
「あぁ〜〇〇さんと言ったのね!」と話す私。
「うっ!!」としか言わない家主。
「そういえば、今週末お父さんとお母さんのところに行くんだよね。行ったらビールとか飲むの?飲みすぎたりしない?飲みすぎるとうるさいって言われない?」
「そうか!親もとに行くから髪を切ったんだね!」
等々、散髪から話が始まり親もとでの過ごし方等について、こちらが想像しうる限りの話を語り、それに彼が相打ちを打つという会話が続く。
朝のひと時。今朝は彼も家事を手伝ってくれて、次から次へと指示を出してくれたので早くに終わり、約20分〜30分ぐらい出かけるまでの間おしゃべりしていたかも。

そして、彼と一緒に家を出てそれぞれの職場へと向かった。

その後、ふと朝の風景を思いおこし、
「もしかしたら、私は大きな勘違いをしていたかも」と思った。
「それは、結果的には問題なかったけど、ともすれば大きな問題になったかも」と思った。

皆さんは、
上記の私と家主のやり取りの中で何が勘違いかお気づきになっただろうか?

本人は「うっ!」とか「あっ!」とか「はぁ〜」と言った事しか言わず、
その答えは私にも解らないのだけど・・・

私は、
彼の予定を知っていたので「週末親元に行くから髪を切った」と言っていると気づいた。
でも、その前に彼は
・うなじをかきあげる。
・薬箱をテーブルに置く。
という二つの行為によって、それを私に伝えていたかもしれないという点。
それは、たとえ私が予定を知らなくても、この二つから言いたい事が導き出せるよう、彼は懸命にヒントを与えてくれていたという点。
しかし、「今日は行く日じゃないよ」と彼のヒントをヒントとして受け止めず、彼の「間違った行動」として受け止め、修正を迫ってしまった事。

結果的には、週末親もとに行くという事の話にはなっていたのだけど、
「その話がしたい」という彼の要望に応えてのやり取りではなく、
「私の方からの話題提供」的な状態に持って行ってのやり取りをしていたと思うと、
何とも恥ずかしく思う。

「薬箱をテーブルに出しておく」という不可解な家主の行動。
不可解に思ったのは私で、彼としては理解できない私に対し解り易くするために、
髪をかきあげるしぐさと薬箱を出しておく事で、会話の手助けをしていたとしたら・・・
合理的配慮を行っているのは家主であるにもかかわらず、
理解できない自分の能力を棚に上げ、
家主の方に修正を迫る私。

なんとも恥ずかしい。

でも、
そう言う事が常日頃からあるのだろうと思う。
彼とも30年以上の付き合いなのだが、それでもこの調子の私。
日々新しいヘルパーがやってくる中で、何も伝わっていかない状況下で懸命に暮らしている彼は、凄いと思うし、その凄さに甘えている私を感じる。

恥ずかしさをごまかすためにあれこれ書いている私。

本当に恥ずかしいと思う。

たぶん、他の当事者たちも支援者や介助者たちに対し懸命に思いを伝えようとしているのだろうけど、
それに気づかれないままに日々が過ぎているのだろう。

という事では、
来年は、せめて「常に私のためにヒントをくれている人」ぐらいには思い描いてやり取りを重ねさせてもらいたいと思う。続きを読む
posted by 岩ちゃん at 15:48| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

「地域移行支援」って何?

そもそも、地域で暮らす当事者たちが障害を理由に地域から奪われない取り組みを担ってきた私としては、
「地域移行」という発想がない。
地域で暮らし続けるために当事者が幼い頃から長い年月をかけ、様々な出来事を共有し、関係を築き、地域の人たちの理解をも求め担ってきた。

昨今、「地域で暮らすための支援」の実績が買われてなのか?
精神科病院から「患者さんの退院に際して関わって欲しい」という依頼が舞い込んでくる。

私自身が担っている取り組みの現状さえ常に危うい状況なのに、
全く見ず知らずの人の地域での暮らしを支援するなんて到底できないと思う。

でも、
そもそも精神科病院で暮らす必然がない人たちの存在を思えば、なんとかしたいと思う。
それは、
社会的入院を強いてきたのは私自身であり、私たちの社会が変わらなければ永遠に入院を強いられている人たちは社会に戻れなくなると思うから。
そして、
その状況を許してしまうという事は、
今地域で辛うじて暮らし続けている当事者たちが、
一旦事が大きくなれば、すぐさま精神科病院に「収容」されてしまうという危機感を抱いているから。

なので、
なんとか応えたいと思う。
でも、なんともできない状況。
それでも、とにかく患者さん本人に会って、
どのような支援があれば良いか、
どのような支援や人とつなげれば良いか、
と言った、
これまでの経験の提供と地域でのつながりを提供するぐらいならと思って出かけていく。

私にとって「支援」とは、
「支援」という以前に、その人との関係を築く事から始めなければ意味がないと思っている。
ただ、
築いた関係の上に、様々な人や関係機関とのつながりを築いていかなければ、関係性だけでは担いきれないと思っているので、
全ての人が、「本人との関係性の上に立って」などと求めるつもりはない。
明らかになった本人が必要とする支援を四の五の言わず、仕事として担ってくれる人や事業所の存在はとても重要に思う。

でも・・・

地域移行に際して集まった方々。
16人もの「肩書」のある人たちと会議を開いた時、
本人と日常的なつながりのあるのは病院関係者のみで、
他の人は、日常的に本人とのやり取りがない。

そんな中で開かれる退院(地域移行)を巡る話。

過去の状態・今ある本人の状態・将来のリスク回避。
やってみなければ判らないことだらけなのに、
なぜか、支援計画は決めないと進められない。
それぞれの役割を明確にし、
こぼれ落ちるリスクは誰の責任で回避するのか?という確認。
何か起こった時の連絡体制や連携の方法。

そして、
計画案に盛り込まれる本人の意思と努力。

そんな会議に同席していて思うことは大きく2つ。

一つ目は、
障害当事者が地域で暮らせなくなる状況は、
どれほどの支援があっても、本人並びに支援者が気づかない想定外のところで常に起こるという事。
(想定されていれば退院もさせないでしょうが・・・)
それを地震予知に喩えると、
どれほど研究や実績や統計が集められたとしても、
いつ、どこで、どういった自身がどれぐらいの規模で起こるのかは誰も予知できない。
予知できないのに膨大なお金を注込んできた我が国の方策と同じ。
そして、
予知できずに起こった大きな災害は「想定外」の一言で済ませ、
取り組んできた事の責任を問わない。
それを地域移行支援なぞれば、
何がどのようになっていくかが解らない中で、
懸命に支援計画を立て、
可能な限りのリスクを回避し、
本人の努力を求めていく。
専門家たちにより計画は、地域の人には訳が分からず、
ただただ地震速報のごとく「退院しました」「このアパートで暮らしています」
という形でただただ示されるだけ。
そして、
支援の隙間で起こった事は、本人の責任として再び入院という形になっても、
支援の責任は問われない。
「想定外だった」
「どうしようもなかった」となるか。
「医師をはじめとする病院関係者の退院の判断」を責任とするという話になる。

もう一つは、
本人の事を書面程度にしか知らない人たちが、退院後の支援計画に関わるという話。
先の話、想定外の事が起こっても本人との関係が既にあれば、リカバリーは容易だと思う。
でも、本人との関係がない中で起こる想定外は、更なる想定外を想定し、出来事がトラウマになってその先の事に委縮し、どんどん当事者との関係を閉ざすという悪循環を生み出す。

ならば、
病院にいる間から関係を築いていく(せめて本人に何度もあって知り合いになる)事が保障されていかないと、地域で支援を担う事業所は恐ろしくて関わり切れない。
又、地域で支援を担っていた事業所は、まかりなりにも地域で暮らす支援の取り組みを積み重ねている。
その積み重ねとつなげていくには、本人を理解し事業所側が持つ者とつなげていくことにあると思う。

ただ、事業を担う側は手弁当でそんな事をしない。
そこに何らかの手立てが必要だと思う。
でも、
関係者会議に参加するだけがせめてものという状況で、
ますます、紙面のみで本人を把握することになってしまう。

事が起こった時の解決をともに担うという経験がない中で、
いきなり引き受け、事が起これば引き受けた事業所の責任にされるのだら、
どこの事業所も引き受けなくなる。

それを象徴するのが、
「退院日」という大きな一日。

病院を一歩外に出れば地域での暮しのスタート。
当事者本人は、希望が叶い喜びの瞬間でもあるが、
長年病院で暮らしてきた故に不安の方が膨大にあったりする。
「病院⇒地域」という日の「⇒」の時間と状況は、
とても重要で、そこに地域の人(事業所)が関わる事で
移行というものが実現していくように思う。

ところが、
行政は、退院日に現れる「病院⇒地域」は、「病院」の管轄で地域で暮らすための制度は支給しないという。
そして行政は、「次の日から使えるよう努力します」と、さも自分たちが頑張ってやってあげるみたいな雰囲気を醸し出す。
でもこれは、地域の側からすればいきなり「地域」での支援になり、本人の暮らしの変化にはつきあえず、
何がどう変化しているかもわからないままに、「いきなり」支援に関わる事になる。
これは正に、
荷物の受け渡しと同様で、送り手は相手に渡すまで責任があり、渡した後は受け取り手の責任。
荷物を運ぶ道中は送り手の責任。みたいな感じ。

こんな事で「地域移行」はどんどん実現されていくのだろうか?
本来歓迎すべき事柄で、みんなで意気揚々と取り組める事柄だと思うのだが、
現実は決してそうではなく、誰がどのように責任をとるのかみたいな話ばかり。

そして、
誰か一人、とにもかくにも「何があっても責任をとる」というキーパーソンが現れると、
実は話はどんどん進んだりする。
地域で暮らしている人たちが自立生活を始めようとする時、長い年月をかけてキーパーソンとなる人が現れともに育っている。
しかし、
地域移行という新たな人と新たな場での暮らしにおいて、キーパーソンとなる人がいないのが現実。
キーパーソンがいなければ、引き受けてくれる「場」探しに終始するしかなくなる。

「専門家や事業所等の連携」という話を良く耳にするが、
その方向性は、
肩書のある人たちがつながって、リスクを回避するみたいな話ばかり。
リスクが回避できたなら、余暇等の楽しみ等も含め本人にとって有益と判断された物や場を提供するみたいな話ばかり。
暮しのプラスアルファの提供は、リスクが伴わない事が前提。
すなわち、当事者の暮らしが拡がればリスクも高まる。連携先も増えるので大変になる。
本人が一人でやれないなら提供もない。
すなわち、提供するカードは常に支援の側が持っていて、
当事者の側が自ら追い求めていくという支援ではなく、
支援の側から提供されたカードの中で選択を迫られる。
それでも選択できるカードがあるなら良いが、
あれこれ条件を付かられたり、選択という名での強制だあったりする。

こんなこと以外にもあれこれ見えた事柄があるのだけど・・・

過去、精神科病院の閉鎖病棟に友人として入る事が許されなかった時代。
親御さんの依頼があっても医師が許可しなければ認められなかった。
又、辛うじて認められ本人と面会した後、本人の状態が悪化(と病院側が判断)すると、
それがたまたま出会ったり、何かを訴えている状態であったとしても、二度と面会が許されなかった。
又、精神鑑定等で措置入院が決まると移送先の病院さえ教えられないという事もあった。、

そんな時代を思うと、
様々な不十分さがあったとしても、地域に戻そうとする病院関係者の取り組みは凄い事だと思う。

そして、
本来、地域で暮らす人なのに入院という名の収容状態にある人の退院を巡り、地域の人が関われる機会が生まれているというのは地域の側としては歓迎すべき状況だと思う。
精神当事者を囲い込んできたのは病院関係者だと思う。
でも、
その病院に入院させた/入院せざるをない状況を作ってきたのは私たちだと思う。

いろんな不十分さはあるにせよ、
病院側が門を開こうとするなら、
「地域でともに」という行政の側は、そこに応えて取り組み、市民を巻き込んでいく事が「地域移行支援事業」だと思う。

ところが、
ようやく門を開き始めた精神科病院に対し、
「余計な事をするな」という雰囲気を醸す行政。
「本人の意思というなら本人の責任」「それを認めた病院の責任」「勝手にやるんだから行政に頼るな」みたいな対応で、地域で暮らす制度をどのように活用するかという発想ではなく、いかに地域で暮らす制度を使わせないかという発想に立っている人々。

行政がそのような態度であれば、
制度を引き受ける事業所は応えようもない。
日々の暮らしに関わる事業所が応えなければ、
周囲にいる人たちはどう関わって良いかさえ分からず、福祉という名の専門家たちに任せるしかない。
必要となる支援が十分でない故に起こる不具合は、全て本人の責任とされる。
すなわち、支援の提供の有無に関わらず、本人自身の努力がなし得なければ、
再び「入院」という話になってしまう。

そして、退院に向けた支援会議であるはずなのに、
「病状が悪化した際再び入院する時の同意は、保佐人がしてもらえますよね」等と聞くしまつ。

怒りがこみ上げてくるも、怒れば怒るほど私自身が引き受けるしかなくなる。
私だって既に飽和状態にある。

でも、
本来、入院している人ではないと思うから、
なんとかしたいと思う。

本来「地域移行」は、歓迎すべき事柄だと思う。

でも、
世の中はまだまだ「人に迷惑をかける輩は収容しろ」という感覚。
「やるなら勝手にやれ」という感覚。

それは、まさにこれまで関わってきた当事者達に向けられる社会の目。
この状況を見過ごせば、いづれ私が関わっている当事者たちお同様にどこかへ収容されていく。

なんとも自分の力量のなさを痛感している。

でも、
世の中には、私以上に様々な知恵と力量を兼ね備えた人たちがいると思う。
ほんの少し発想を変えれば、無理なく地域移行が実現できるように思う。

その一つが、
入院中から関係を築いていくという事に思う。
病気や障害を知る事よりも、
その人自身を知る事に努め、
それぞれがそれぞれに得意な分野を出し合い、
その事を持って地域の人たちにつなげていく。

世の中の人たちは、出会った事がない故に精神障害当事者に不安を抱く。
何か起こるのではないかと防衛的になる。
事業所の人たちも、実は出会う機会が少なく、専門的な研修を受けただけで、予防的になる。
病院関係者は、病棟という限られた空間でのみ当事者たちとたくさんあっているが、社会と病院との接点を築くのはまだまだこれから。

「地域移行」の「地域」には、精神障害者に対し強い偏見を持っている人たちもいるが、地域で暮らす事があたりまえと描く人もいる。でもそういう人たちはいづれもごく少数だと思う。
大多数の人は、ただただ出会ったことがなく、訳が分からないまま話だけが先行し不安を募らせているだけに思う。
ならば、
いかに、大多数の単に不安を抱いているだけの人との接点を求め、不安の解消に努めていけば、なんてことなく地域で暮らす事ができるように思う。
それを「〇〇家」や「〇〇事業」や「〇〇相談」等々で囲い込んだ上で「地域移行」を実現しようとするから互いに無理が生じる。

うだうだ書いてしまった私。
ますますレアなケースばかりに遭遇し、その解決をあれこれ余裕のない中で一人考えていると、
ますます事柄の一つ一つを共有して話し合える人が減っていく感がある。
つながりを一番求めているはずなのに、要望ばかりが舞い込み、一人ではどうしようもないのに一人で考えてしまっている。

そもそも素人の私にも担える事がたくさんあるのだから、
私以上に力のある人たちが、ほんのちょっとでも興味を抱き、ほんのちょっとでも当事者と出会い、ほんの著って力を出してくれれば、世の中は凄く変わると思うのだが・・・



posted by 岩ちゃん at 13:16| 東京 ☔| Comment(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

「普通」って何?

身体に四肢麻痺がある。
目が見えない。
耳が聞こえない。
独特のこだわりがある。
奇妙な行動をとる。
等々。

「普通って何?」という問いを発するのは、、
世の中の大多数とは違う障害当事者自身が、
自分にとっての「あたりまえ」を訴える事だと思う。

人から憐れみを受けたり、過大な高評価される自身は、
あくまでも「これが普通」という事を訴える。

そして、
昨今、「発達障害」という概念が広まる中、
TVでは「発達障害とは何か?」みたいな番組が多々流されれるようになった。
それは、その当事者や家族からすれば、「それがその子/その人自身」である事を理解して欲しい。
又、私たちに理解できず受け入れ難い状況から少しでも脱却し、
その人にとっての「普通」を理解したいという世の変化で、
とても大切な事だと思う。

なので、
しばしば語られる「普通って何?」という問いかけは、
当事者個人をいかに理解するかという話。
「一人の人間」として「ごくあたりまえに受け止めて欲しい」という話なんだと思う。
それは、身体当事者達や言葉で語れる発達障害や精神障害の当事者達とその家族や支援者等の周囲にいる人たちによって語られる。
「普通」を疑い、
「普通」=「多数」という事でしかなく、
「個」の主体を大事にするならば、
「普通が普通でない」という話。
そして、「多様性」をより多くの人が理解するためのプロセスなんだろうと思う。

でも、
私はある面「普通は・・・」という言葉を良く使う。
「あたりまえに」という言葉も良く使うし、
自分の中で意識している。

例えば、
ヘルパーとして介助に入った時、
「普通、若者は休日出かけるよね」とか
「普通、外食よりも家で作って食べる方が良いよね」といった事を意識して介助に入る。
でも、この場合は「普通」は「私の場合は」という意味。
様々なヘルパーが当事者宅に現れそれぞれの「普通(=私の場合は)」をもって当事者の介助にあたるのは、
「一つの提案」としてとても重要な事だと思う。
身体障害当事者等、自ら介助者に頼み介助を使い過ごせる人とは違い、
重度知的当事者や発達障害や精神障害の人たちが何を求めているのか?という問いに対し、
様々なヘルパーや様々な人の「普通=私の場合」を提供し、
「あなたの普通/あなたの場合は?」を探り出す事が必要だと思う。
特に、
長年社会的入院を強いられてきた人たちや家族と専門的な関わりの人しかいない当事者たちの場合、
限られた選択肢しかない中で、自己選択を迫られても応えようがない。
「私の場合は」という「普通」を提供/提案して、その人にとっての「普通」を築く事もまた支援の内のように思う。

そんな事を先の話にあてはめてみると、
実はすごく悩ましい。
ある人は、「休日は、雨でも出かけがる」と言い
ある人は、「天気が良いのに家でゴロゴロしていました」と言う。
「そういう日もある」と解釈すれば良いのだけど、
それぞれ異なる「私の場合=普通」に合わせて付きあう当事者の存在を思うと、
何が「その人の普通」か判らない。
でも、そこは日々関わり続ける中で意識していく事を課題に置きつつ、
とりあえずは、一人暮らしという状態が維持できているのなら良しとして、
一旦横に置く。

このような「普通」=「私の場合」という意味での、
「普通」は、日常の中でしばしば現れるのだが、

もう一つ描くことは、
障害を理由として、「普通ではない状況に置かれる」「状況」を打開する時にしばしば「普通は」とか「あたりまえ」という言葉を使う。

例えば、
「普通、成人したら親元を離れて暮らすでしょ」
「普通、社会人なら仕事をするでしょ」
「普通、症状が回復すれば退院するでしょ」
「普通、一番近くの小学校に通うでしょ」
「普通、親が共働きなら学童クラブに入れるでしょ」
等々。

「普通」と言ってもそうでない人はいる。
親とずっと同居し、親が歳置いていくと親の面倒を見るという普通もある。
「働かざる者食うべからず」ではなく、職がなくて収入が得られなければ生活保護を取るという普通もある。
「一番近くの小学校」ではなく、エリート校と呼ばれる学校に通わせる親だっているでしょう。
「おじいちゃんやおばあちゃんと同居していたり、近所に友達が多くて学童クラブを必要としない家庭や子どももいると思う」

なので、ここでも「普通」が「そうでなければならない」という話として言いたいわけではない。

それよりも、
願っても叶わない状況。

普通は近くの小学校に通うのに、「障害の故に」遠くの特別支援学校へ行かされる。
普通、親は参観日と運動会と言った特別の日にしか来ないのに、「障害の故に」毎日付き沿いを求められる。
普通学級で長年過ごし、義務教育が終わろうとする時、他の子ども達の多くは公立高校に行くのに、
「障害の故に」特別支援学校高等部に行かされる。
社会人になり「働きたい」と思っても「障害の故に」就職が許されず、
就労継続支援等に行かされる。

重度知的当事者や行動障害のある障害当事者たちも、
普通に過ごしたい。
親は子どもの面倒を見れなくなれば、自立生活を促すのが普通。
ところが、入所施設を探し、GHを探し、本人自らの生活を促すのでは無なく、親の状況の解決のために子どもを何とかするという話。

すなわち、
私たちが「普通」と思っている事が「障害の故に」「普通」ではない状況に陥れられるという話。

そんな状況に抗するために「普通は・・・」という言葉や、「〜はあたりまえ」という言葉を使う。

「普通でない」という周囲の人たちの感覚に対するという点では、
先の話にも通じる事だと思う。

でも、
社会的な話と個人的な話をごちゃまぜにして「普通」を語る時、
何かが誤魔化されたり、何かがスルーされたり、何かが違う方向へ進むように思う。

例えば、
「移動支援を月40時間にしてください」と行政に訴えると、
「普通、そんなに遊びに行かないし、遊びにばっかり出かければ、日常の活動に支障をきたす」という。
そういう人も確かにいるし、そうでない人もいる。
そして、
そういう言い方をする行政職員に限って「移動支援は何に使うのですか?」としつこく聞いてくる。
そんな職員に「普通、出かけ先をあれこれ人にいう事はないし、全ての外出が予定通りという話でもないでしょ!」と返せば「税金だから言え」みたいに迫ってくる。
又、
私が「(私の場合の)普通、仕事帰りに一杯ひっかけていく事もあるのでその時間帯にガイヘルを使いたい」
と言えば、
「まっすぐ帰るのが普通でしょ」と言う。

そんな「普通」という言葉の使い分けが、
力のある側によってなされている。
それは、
単に行政という立場の人たちだけでなく、
障害当事者たちと比べて圧倒的に力のある私たちの側によって「普通」という言葉が使われる。

「みんなちがって、みんないい」という言葉はとても素敵な言葉だと思う。

でも、
何が「違い」何が「違っても良いのか?」
「みんな」の「みんな」は誰を指すのか?指さないのか?

昔、小学校へ交渉に出かけ、校長室に入ると。
「みんな仲良く」「〇〇小学校の子ども達」みたいな額に入った言葉が掲げられていた。
それを見て私は、
「すてきな言葉ですが、みんなの中に〇〇ちゃんは入らないんですか?」
「仲良くできる子ども達だけが、ここの小学校にいさせてもらっているという意味ですか?」等としばしば言っていた。

「普通」って何?

よく解らないけど、
少なくとも、
人を排除する事と真逆に位置する言葉であり、
大政翼賛みたいな言葉ではないと思う。
posted by 岩ちゃん at 14:50| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月15日

2014年の重度訪問介護の対象拡大についての確認

2014年。厚労省は、これまで重度身体当事者のみが対象となっていた重度訪問介護を、
下記の通りに改めた。

重度の肢体不自由者又は重度の知的障害若しくは精神障害により行動上著しい困難を有する者であって、常時介護を要する障害者
→ 障害支援区分4以上に該当し、次の(一)又は(二)のいずれかに該当する者
(一) 二肢以上に麻痺等がある者であって、障害支援区分の認定調査項目のうち「歩行」、「移乗」、「排尿」、「排便」のいずれもが「支援が不要」以外に認定されて
いる者
(二) 障害支援区分の認定調査項目のうち行動関連項目等(12項目)の合計点数が10点以上である者


最近、卒論のインタビューを受けたり、重度知的当事者の自立生活支援についての講演依頼を受ける機会が増えている。
又、対象拡大から3年が経つも今尚自立生活を営む重度知的当事者の数が増えていかない現実。
その中で、この重度訪問介護の拡大も含めた今後の展開について考えようとする人たちが増えている。
さらには、
やまゆり園を巡るやり取りにおいても、この重度訪問介護の対象拡大が様々期待も込めて注目されているように思う。

その事自体は歓迎するのだけど・・・

ただ、重度訪問介護の対象拡大と重度知的当事者の自立生活を巡る話や情報や呼びかけが流れてくる中でいつも気になっている事がある。

それは、
「2014年重度訪問介護の対象が重度の知的障害者にも拡大された」という話。

でも、
実際に拡大した対象は、「行動上著しい困難を有する」重度の知的障害者や精神障害者なのだ。

すなわち、
重度の知的障害者や精神障害者に拡大されたわけではない。
「障害支援区分の認定調査項目のうち行動関連項目等(12項目)の合計点数が10点以上である者」なのだ。

昨今「社会モデル」という言葉が巷で聞えるようになってきたが、
この認定調査項目の中にある「行動関連項目」なるもので明らかにされるものは、
本人の「問題行動」「行動障害」
それが、たとえ周囲との関係や置かれている環境や関わり方の不具合という周囲の課題であったとしても、
現れる本人の行動に拠って「判定」される。
逆に、それら周囲と本人との関係が充足し、本人が「行動障害」に至らなければ、重度訪問介護の対象にはならないという事。

そんな「個人モデル」「医療モデル」に拠って立つ、対象を拡大した重度訪問介護。

「重度訪問介護の対象が知的や精神初会社にも拡大されました」という認識では、
重度知的当事者や精神当事者の自立生活に対する支援や自立生活に至る様々な課題は見えてこないように思う。

例えば、厚労省は精神科病院にいる当事者達に対し、入院中から重度訪問介護や行動援護が使えるようになるという。
しかし、入院中の精神障害の当事者たちで利用できるのは「行動上著しく困難を有する者」のみ。
そういう人が重度訪問介護を使い退院していくという事を医師や病院関係者は認めるだろうか?
逆に、落ち着いた生活をしていて、地域移行支援事業を使い退院を目指す人は、「行動上著しく困難を有していない者」なので、重度訪問介護は使えない。
厚労省は、さも地域移行を推進しているかのように思うが、実際は使いたくても使えない制度になっている。

又、
地域で暮らす重度知的当事者たちが重度訪問介護を使い自立生活を始めようとする。
すると、
相談支援事業所によるアセスメントや利用計画案の作成が必須となっている。
重度身体当事者たちが重度訪問介護の利用申請を行う時、専門家によるアセスメントを求められることはない。又、セルフプランが認められている。
しかし、
重度知的当事者には求めてくるアセスメントや利用計画案は、まさに「行動上著しく困難な者」だからだと思う。

その他、
行動援護事業者の活用やそもそも「問題行動」「行動障害って?」という疑問。
さらには、行動障害支援課程という新たに新設された重度訪問介護従事者研修内容の問題点。

そのように様々な課題があるにもかかわらず、
「重度知的障害者にも拡大された」と言われると、実際の事柄が見えてこないように思う。
そして、見えてこないままに不安だけが募り、重度知的当事者の自立生活が進まないというに終わるように思う。

重度身体障害当事者たちによって築かれてきた重度訪問介護。
私は、東京都の事業として行っていた「脳性まひ者等介護人派遣事業」を巡る交渉の頃から重度訪問介護という名称に至るまでをリアルに見てきた。
重度身体障害当事者たちは、ある面制度の支給が行われれば、実際に使いながら自らの暮らしに適した制度やその利用の仕方に組み替えてきた。
しかし、
重度知的当事者や精神の当事者は「行動障害」なるものを対象とする事で、「社会で生きていけるのか否か」を判定される。
そして、対象となったらなったで、別の方向から自立生活は無理と言ってくる行政や相談支援事業所があったりする。

そんな様々な状況も含め、
まずは、どう対象が拡大されたのかをきちんととらえる必要がある。

決して、「常時介護を必要とする重度の知的障害者や精神障害者」にも対象が拡大されたのではない。
どちらかと言えば、
「行動上著しい困難を有する者」にも対象が拡大されたという方が正しい捉え方だと思う。

そこをしっかりとらえた上で、
「重度訪問介護が、常時介護を必要とする重度知的障害者等に拡大された」と言える状況を生み出したい。

2014年の改正から3年後の見直しについて、
厚労省が委託した団体から「重度訪問介護を使わず一人暮らしをしている重度知的障害者の実態調査」を受けた。
こちらにお鉢が回ってきたのは、行動障害等を伴わない重度知的障害者が自立生活をしている実態を把握していないから」というもの。
調査しようにもその上な状態状況にある人を国が把握できていないから。

重度訪問介護の対象を
「常時介護を必要とする重度知的障害者」として欲しいから引き受けたのだが、
結局は、見直しの議論の遡上にも上らない状況。

なので、
願いとして「重度の知的障害者等に対象が拡大された」というのはありだけど、
願いは願いで、実際ではない/今後の課題として認識をもって発信して欲しい。
posted by 岩ちゃん at 14:48| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする