2015年02月24日

いつかきた道へ

「障害児者は非国民」「非国民を産み育てる親や兄弟姉妹も非国民」
「天皇の赤子でもない者は、国家の一大事においては施設へ隔離」
そんな時代があったと聞くが、
今まさにその時代へと突き進んでいるように感じる。

「基本的人権が保障されている我が国がそんなことを考えるわけがない」
というが、保障の大元となる憲法が危うい。
「障害者権利条約を批准したのだから諸外国が許さない」と言っても、
先の戦争では、諸外国の声を無視して戦争へと突き進んだ。

「差別解消法」ができたけど、
「差別と区別は違う」と詭弁を駆使して、
個々の当事者の権利保障という名の下、「普通学級」と「支援学校」とに子ども達を分けていく。
この世の生きづらさを想うと「施設入所が本人にとって最善」という声がまことしやかに聞こえてくる。

権利といえば、
「ヘイトスピーチを垂れ流す側にも表現の自由/言論の自由がある」と
奪われたものを取り戻すための権利が、
何でも好き勝手にできることが権利として語られ、
事柄をごちゃまぜにして、
真に守るべきものを見えなくしていく。
そして、
それを後押しする国家。

話を元に戻すと、
障害当事者や家族やその人達と関わる人たちが長い年月をかけて築いてきたものが、
日に日に壊されていく感。
制度がなかった時代/金がなかった時代においては、とにかく想いを熱くして闘ってきた。
なので、金がなくてもいろんな事ができると思う。
しかし、
制度がある程度整い始めた後から関わるものは、
熱い想いで関わるわけではなく、
金の切れ目が縁の切れ目。

そう!
今、障害当事者の自立生活支援の現場を担う人たちは、
それなりにお金をもらって暮らせている。
でも、そのお金がなくなったら。
その額が年々減らされたら。
どれだけの人が残るのだろうか?

「障害者が地域で自立することには大賛成」
しかし、
「支援の担い手がいなければ、入所施設しかないだろう」

「長期入院なんてとんでもないと思う」
「支援の器がなければ、入院している方が本人にとって楽」

そんな声が聞こえてきそう。

嫌な夢を見た。でも、ゆめとは思えない昨今」で書いたけど、
「徴兵制には反対だけど、食うためには仕方ない」と自衛隊に入隊する若者がいる。

それと同様に、
「地域で暮らしたいけど、支援がなければ遠く離れた地域のGHで暮らすのも仕方がない」

当事者たちは支援の人材不足による入所や入院生活へ。

金のない時代は、訴える相手は行政であった。
それができたのはまかりなりにも平和が保たれていたから。

これが戦時下になれば、
当事者は非国民。
支援者も非国民となる。

戦争という国家の一大事に、個人の介助保障などは認められない。
それを行政ではなく、同じ地域の住民から言われたなら・・・
それでも戦う相手は国家や行政と思っていても、
日々の暮らしの場面では、地域住民の目と闘わなければならない。

あと2つ3つ角を曲がれば、
「いつかきた道」へと舞い戻る。
その道を歩んだ経験のない私たちは、
「同じ道」とは気づかないまま歩み続けるだろう。

否、
「いつかきた道」をすでに歩み始めていて、
気づいていないだけかも。

そして、
気づいた時には焼け野原と化しているだろう。

火の粉が上がった時、
自分はこの場で何をどのように取り組めるか?
取り組もうとするのだろうか?

一目散に逃げるだけではないだろうか?

日々不安は募るばかり。
posted by 岩ちゃん at 07:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月22日

木の芽時の当事者の変調に・・・

毎年、3月の声が聞こえてくるとわけも分からず落ち着かなくなる当事者が増える。

普段、余裕で出来ていることができなくなったり、
突然大声で叫んだり暴れたり。
こだわりの行動が激しくなる人もいる。
普段はなんてことない事柄が、
何かをきっかけとしてどんどん悪い方向へと進んでいく。

本人に聞いても応えてもらえない重度知的当事者の人たち。
応えてもらえる人でも、なんと応えてよいかわからないワサワサ感。
多くを語る人も、辻褄が合わない語りが増えて、
周囲を混乱させる。

自らの中に起こる訳の分からない感情を懸命に何とかしようとしていると感じるも、
その行動は、周囲にとっては大迷惑と捉えられる。

自分でもわけがわからない状態に、
周囲を遠ざけたり、
逆に多弁になったり、
自らの内面に起こっていることの対処をそれなりに収めようとするも結果は逆の方向へと進み、
事態は悪化。

抑えられない感情によって招いたことを責められると、
ますます「問題行動」へと発展する。
長年、当事者たちの自立生活に付き合っていると、
これらのことが、単に季節的なものであると思えてくる。

すなわち、「木の芽時」という話。

当事者たちだけでなく、
私たちの中にもあるわさわさするもの。
そして、
この季節が過ぎればなんてことないものとして思えてくる。

なので、
起こる事柄にとらわれす、
ひたすらやり過ごすことに努め、
私の側は私の側として淡々と振る舞う。

キーワードは、
 「やり過ごす」

起こっている事を何とかしようと努力すればするほど、
本人を混乱へと導き、事柄が大きくなるので、
毎年やってくるこの時季は、ひたすら事柄に動じないで
「やりすごす」
当事者の状態と向きあえば向き合うほど、
自体は悪化するので、
本人が安心してこの時季をやり過ごせるように、
私たちの側も、
やり過ごす。
やり過ごせるように、
この時季限定で多めに見るとか、
新たな事をやりとししないよう努めてきた。

「木の芽時」にあるワサワサ感。
春になり木の芽が出ることで何らかの化学物質が出てきて、
それ故に人をワサワサさせるという話を聞く。
昨今の花粉症などはその最たるもので、
ワサワサ以上につらいものにしている。

自然界の状態がそうさせているならば、
やり過ごす事を支援するということもありだと思う。

でも、
本当にそれだけだろうか?
と思いだしたのがここ数年。

「本人がやり過ごせるように支援する」というのであれば、
「やり過ごせない人」への対応ということになる。

本当にそれだけだろうか?

私たちの中にもあるワサワサ感。
そこから生まれる余裕の無さを、
当事者に被せてしまっているのではないかと振り返る。

そして、
この時季は、
年度かわりの時期と重なる。

「別れと出会い」の季節と言えば美しいかもしれないが、
「人がいなくなる」「新たな人が現れる」事を了解するのに時間を要する当事者たち。
また、
人の変化は、様々な体制の変化が生まれる。
また、
年度を締める作業と新たな年度に向けた作業とが、
普段の月にはないものとして現れる。

私たちは、
普段と変わらない暮らしをしているようで、
実は普段と違う暮らしや作業等を行っている。

日々余裕なくいると、
普段にない事柄は、様々なストレスを生む。時間も取られる。
その中で、
いつもと同じように当事者とやりとりできない。
自分はできていたとしても、
誰か一人でもできていないと、
全体としてできていることにならない。
そして、
私たちにとってはほんの些細な事柄でも、
当事者にとっては、まったく違う世界に放り込まれた事態になり、
混乱し、普段と違う状態へ陥っていく。

そう考えていくと、
木の芽時の生理的な面は、誰しも同じく引き受けやり過ごすしかないことかもしれないが、
そこから生まれる状況や年度変わりという時期的なものから生まれる変化を、
私達自身が意識していないとそのつけは当事者が負うことになってしまう。

だからといって、
「普段通りに付き合う」ということはできない。
なぜなら、
私たちが思う以上に、
当事者たちはその違いに気づくから。
その違いの大きさや複雑さを私たち以上に受け止めるから。
決して「普段通りに」とはいかないと思う。

ならば、
当事者が落ち着かない理由をあれこれ相手の側に求める事をせずに、
「木の芽時」という一時季の事として
「やり過ごす」という事を描きつつ、
この時季と普段とは何が違うのかを意識し、
普段それなりに廻っている事柄について、
なぜ廻っているのかを知る時季にするという手が良いのではないかと思う。

例えば、
「担当が代わったから」という違いを見る時、
「その人担当者と新しい担当者とは何が違うのか?」を見る。
「グループが代わった」という違いを見る時、
「普段は誰とでも接することができている人」の変化から、
「なぜ誰とでも接することができているように見えているのか」を考えてみる。

自閉症の当事者に対して、
「統一した支援」の必要性が語られるが、
実は、
「統一した支援」などというものは、人が関わるため絶対にできないと思う。
もし出来ているとしたら、
「統一された枠内に当事者を置く」でしかないと思う。

そう思いつつ、
百歩譲って、「統一された支援」があるとしたら、
それが、本人にとってどのようなものなのかを、
この時季に確認してみるのもありかと思う。
posted by 岩ちゃん at 15:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

相手にとって私の立場は?

重度知的当事者のHさん。
平場で出会う人に対しては、その人がヘルパーとして関わっても「相手の名前」で呼ぶ。
ところが、ヘルパーという仕事で関わった人を「ヘルパーさん」という。
自立生活の場に複数の居宅介護/移動支援事業所が入っているので、
最近は「ヘルパーさん」ではなく「事業所名〈略称)」でヘルパーを呼んだりしている。

各事業所複数のヘルパーが派遣されているため、誰の話をしているかがわからないため、
名前で読んでもらおうとあれこれやりとりするも、
名前では呼ばない。
一方、以前から付き合いのある人も介助の場面においては「同じくヘルパーさん」と言ってもなかなか了解してくれない。

私は、彼が幼い頃から関わっているので名前で呼ぶのが当然なんだけど、
彼が他者に私を紹介する時、
名前で紹介するときもあれば、「ヘルパーさんです」と紹介するときもある。

そういうことから見て、
彼には何らかの基準を持って人を分けている事が伺える。
〈ちなみに、ヘルパー以外の人たちに対しては皆名前で呼んでいる/呼ぼうとしている)

自立生活を始める前、
当然のごとく名前で呼び合っている仲。
ただ、自立生活を始めた時、そういう間柄だけでなく、
職務として関わる人たちが現われ、
誰も彼もが友人のごとくに付き合っていては、
本人がつかれるだろうと、
私は、場面場面において「私」であり「ヘルパー」であることを伝えてきた。

「今日はヘルパーだから」
「今日はヘルパーじゃないから」

これまで彼の前に現れる人たちは、
彼と「仲良く」なりたい人たちばかり。
自立生活を始めて以降は、そういう人たちばかりでは生活は廻っていかない。
だから、
「ヘルパーは仕事で来ている」事を強調してきた。

見ず知らずの人や不仲な人が暮らしの場に現れるよりも、
お互いが気心知れて、気さくに気兼ねなく暮らしの場に存在する方が何かと楽だと思う。

よって、
時折「あなたと私は友だちだよね!」というヘルパーを見かける。

でも、
そういう人に限って、ヘルパーの職を離れると付き合いもなくなる。
残された当事者は、ヘルパーが交代したのではなく、
「友を失った」と落ち込む。

なので、
早々に「親しくなる」のではなく、まずは利用者と担い手という形から入って、
信頼関係を築いていく必要がある。

でも、
当事者は、これまで「友人」としてしか人が登場しなかったためにその区別がない。
区別がない中での「親しさ」は、当事者のみに負わせることになってしまう。

よって、
名前で呼ぶ人とヘルパーさんと呼ぶ人が彼の中に存在することを願ってきたし、
その区別ができているなら凄いことだと思う。

区別され、
「ヘルパーさん」と呼ばれる人たちが、自分の名前で読んでくれる日を求め関わり続けるなら、
それは凄いことだと思う。

でも、
私ヲタ者に対して、ヘルパーさんと紹介したり名前で紹介する彼。
彼は私のことをどう想っているのだろうか?

私は彼とこの先どのような関係を築けば良いのか?

少なくとも、
日常の暮らしを廻す場面で人がいれば、私は用なし。
廻らず困ったときには、馴れ馴れしく声をかけてくる彼。

それはそれで、
「まっ良いか!」とも思うけど・・・
posted by 岩ちゃん at 13:13| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする