2015年04月27日

手話通訳や要約筆記は誰のため?

統一地方選:手話の訴え、聴覚障害持つ母当選…明石市議選」という毎日新聞のネット記事を読んだ。

「母当選」というところは余分だと思うが、
「耳が聞こえず、声も出ない議員は国政も含めて全国で初めてという」という状況を生み出せたことはとても喜ばしいこと。
ぜひぜひ任期いっぱい頑張って欲しいと願う。

でも、
全国初という事は、他の議員も彼女のような人とともに議場(それ以外でも)で議論する事が初めてという話しになる。

議員の中には、日頃から付き合いのある人もいるだろう。
又、福祉の充実を掲げて当選した人たちもいるだろう。
しかし、議場という特殊な場で生まれつ初体験は、今後数多く出てくると思う。

記事の中に、
「耳が聞こえず声も出ない議員は過去に例がなく、明石市議会事務局は本会議での手話通訳者や要約筆記者の配置を検討している。」と書かれている。
それは、最低限保障されるべきことだと思う。
最低限と言うのは、
生まれながらにして、「耳が聞こえす声も出せない」人たちの世界観は、私たちが単に耳栓をして音のない空間に身を置かれるのとは違い、音のない世界で暮らし続けることで生まれる私たちとはまったく異なる世界観をもっていて、「手話」という「言語」その物にも現れる私たちと異なる世界の人と同じ空間で議論を積み重ねるという事は、単に「手話通訳者」や「要約筆記者」を配置すれば済むという話ではないように思う。
その辺りのことも含めると、1対多数の中で彼女が活動し続けることの困難さは相当なものだと思う。
しかし、
一方で他の議員たちがその一人の存在を認めともに議会をつくろうとするならば、
単に彼女だけの困難さではなく、多数の議員にとっても困難な状況を皆さんが頑張って乗り越えていって欲しいと願う。

その最低限の「手話通訳者や要約筆記者の配置を検討」と議会事務今日は言う。
ぜひぜひ、事務局の皆さんにも頑張ってもらいたいところだ。
ただ、
その配置の必要性は、
議員となった彼女のためのものではないという認識に立って欲しい。

そもそも、
「通訳」というものは、お互いの言語が異なる者を繋ぐ役割を持っている。
「英語しか話せない人」と「日本語しか話せない人」の間に「英語と日本語が話せる人」いる人が通訳者。

その通訳者は、決して前者のためだけにいるのでもないし、後者のためだけにいるのではない。
双方をつなぐという役割を持って、双方に必要な人。

それと同様に
「手話通訳者」は、「手話で話をする人」と「手話で話ができない人」の間に立ち、
双方を繋ぐ役割の人。
よって双方に必要な人。

要約筆記についても、
もし、その人の存在がなければ、ともに議会を運営する他の議員は、音によって得られる情報について、
音によって得られない情報をその都度伝えていかなければならない。
そうでなければ、対等な議論ができない。
その都度彼女に伝わっているかの確認を取っていては非常に大変なことで、
要約筆記者の存在は、他の議員の手間を少しでも軽減するために不可欠な存在だと思う。

すなわち。
手話通訳者にしても、要約筆記者にしても、
「耳が聞こえない」「言葉が話せない」人のためだけにあるのではなく、
「耳が聞こえて、言葉を話せる」人のためにもある。

もし、議会事務局が彼女のためだけにあると考えたなら、
彼女のためだけに必要な予算と発想するだろう。
次回の選挙で同様の人がいなくなれば、予算削減で配置しなくなるだろう。
でも、全ての議員のために必要と発想すれば、
全ての人に必要な予算となる。
又、常に手話通訳者と要約筆記者がいる議場は、
耳が聞こえない人に取っての傍聴の機会を保障することにもなる。

さらに、
全ての人に必要なこととしてその経験を積み重ねて行く中で、
「通訳」を「支援」と置き換えたなら?
「支援」は障害当事者のためだけにあるのではなく、
様々な人とつながるためにあるものとなるように思う。

障害者世界では、とかく障害種別によって制度やサービスが異なり、
個々の障害に応じた専門性が語られる。
しかし、
「支援」が双方をつなぐものとして位置するならば、
何も障害種別で切り分けることではなく、
様々な人が存在するため事を保障するため、
全ての人にとって必要なものとして位置づけられていくように思う。

今回当選した彼女が、
どのような公約や想いを持って議員となったかは判らない。
もしかしたら、「聴覚障害者の権利」のみで展開するかもしれない。
もしかしたら、「他の障害については取り合わない」かもしれない。
(たぶんそんなことはないと思うけど)

彼女がどのような思いで議員となったかについては、
もっとどうしようもない議員が多数当選しているので現段階で問題にすることではないと思う。

今回のことを通じて押さえておきたいことは、
議会という場が、これまでとても面倒な人の存在が排除してきた歴史を想いつつ
その歴史に風穴を開けたという点で凄いと思う。
そして、開けた穴を維持し続ける彼女の困難さは容易に想像できる。

しかし、その困難さは双方向と言うものとし、
「手話通訳者」や「要約筆記者」等の配置が、
彼女に対する保障ではなく、
全ての議員に対する保障という発想で、
今後を展開して欲しいと願います。


 
posted by 岩ちゃん at 11:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月24日

当事者の伝え方・介助者の受け止め方

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者。
いつも同じズボンを履いているため、
職場から着替えるように言われる。
日々の介助を担う介助者達は、
ズボンを着替えてもらい、洗濯しようと当事者とやりとり。

ところがまったく着替えてくれない。
お気に入りなのは理解できるから、洗濯だけはさせてもらえるよう懸命に方法を考える。

もしかしたら、
着替えるズボンがないのかもしれない。
着替えるズボンがなければ着替えられないのは当然と描く。
これはしばしば起こることだが、
着れなくなったズボンを介助者は処分する。
その旨をノートに記し、次の介助者にズボンの購入を引き継ぐ。
ところがその後すぐに買いに行けると良いが、伝言したことが途切れて、それっきりになる場合がある。
一気に失くなるわけではないので、気づかぬまま時が過ぎ、着替える物がなくなっていて着替えられない。
本人が語れない分、介助者間で連絡をみつにする必要があるが、
気づいたなら、確実に買いにいける人に確認をしてもらい購入してもらう。

それでも、ズボンを履かない当事者。
(もしかしたら、着替えなかった期間が長くなってもとに戻すことが困難になったかもと想像する)

着替えるということに困難さを抱えているのではないかと考える。
そもそも着替えるという行為には、
ズボンを脱ぐ⇒脱いだものを置く⇒新しいズボンを選ぶ⇒ズボンを履くという流れと
洗濯する⇒乾かす⇒しまうという流れがあって、
後者は介助者が担うのだが、
その流れがどこか途切れてしまい着れなくなったのではないかと考える。
〈以前、タグがついていたことで切れなかったこともあった)

あれこれ考えるも着替えてもらえない。

その内、ズボンを洗濯に出さなくなった。
いよいよ先の「着替える」行程のどこかが断線したのではないかと考え、
各介助者から事細かに様子を聴く。
でも解らない。

その内に、洗濯をさせてもらえなくなった。
どうやら、「洗濯した物を着る」と言われると「着なければならない」と思うのか?
ズボンを洗濯に出さなくなった。

汚れて匂いが出てきたズボンを履き続ける当事者。
あの手この手で洗濯をさせてもらえるように努める。

ズボンがないから洗濯するズボンもないと思っていたら、
実は何着も買って、家のどこかにあるはずということになる。

家の中を探してみると、出てくる出てくる新しいズボン。
彼は、「洗濯をさせない」「されたくない」とズボンを隠しているのだと解釈し、
自閉症特有のこだわり故に、着替えない・洗濯させないと凝り固まっているのだろうとあれこれ考える。

まったく洗濯させてもらえない介助者。
一度に何本も着ていないズボンを出される介助者。
数あるズボンの中で何着かは着るが、
そのほとんどは手付かずで、洗濯だけをさせられる。

それが本人の流儀だから、とりあえずその流儀に従い、洗濯を続ける。
その内、何かをきっかけに、新しいズボンを切るだろうと根気強く付き合う。

さらに進んで、
まとめて出すことにも躊躇して、
数あるズボンを部屋の奥の方へ隠しだしてもらえなくなる。
懸命に、説得する介助者。
隠したズボンを見つけて洗濯する介助者との攻防が繰り広げられる。

それから数ヶ月・・・

ある日、介助に入っている新人ヘルパーが、
「もしかして、ズボンのサイズが小さくて切れないのではないだろうか?」という。

「まさか」と思ったけど、思い当たる節もある。
私とは一緒にズボンを買いに行き試着して購入するが、
他のヘルパーは、自宅にあるズボンのサイズを測り購入している。
(一緒に買いに行けないから)

最近、歳とともにお腹が出てきた当事者。
以前着ていたサイズのズボンが何本あっても着れないだろう。

その線からやり取りしてもらえるようヘルパーに頼む。
例えば、大きめのサイズの物を買って着てもらう。
例えば、着ている物と切れない物のサイズを本人の前で比べてみる。
例えば、「サイズが合わないと切れないよね」とかまをかけてやり取りして見る。

そこからどういうやりとりがあったかは私は知らない。

しかし、
「九分九里そうかもしれません」というヘルパーの報告。
そして、
なぜだかいつも以上にゴキゲンで現れた当事者。

「残り一里」
次の日の介助者が「たぶんそれが正解ですね」と言ってきた。

その段階で本人は、「小さいサイズのズボンを履かなくて良い」という事がわかった風。
「サイズの合ったズボンを買ってもらえる」というところまでは至っていない。

ただ、
「ズボンを履かない」ではなく「ズボンが履けない」ではまるで違う事がわかったのは大きな収穫。

逆に、
そのことに気づかないまま、
履こうとしない理由を懸命に考え、
履いてもらうことに頭をめぐらし、
懸命に彼とのやりとりに頑張る介助者たち。

そのことに気づかないまま、
洗濯させてもらえない理由を懸命に考え、
洗濯させてもらうことに頭をめぐらし、
懸命に彼とのやりとりに頑張る介助者たち。

私は私で、
長年の付き合いの中で、何らかの理由があることはよくよく知っているのだけど、
「着替えという一連の行程が断線した」とか、
「介助者の声のかけ方がまずくて、誤解を与えている」とか、
「彼流のこだわりだから見守るしかない」とか。

まったく頓珍漢な事を考えていた。

そして、彼は彼で、
「着替えない」「洗濯に出さない」「ズボンを隠す」といった行動を持って、
「このズボンは履けない」事を懸命に伝えようとしていた。

なんとも、彼に対し恥ずかしく「穴があったら入りたい」心境。
介助者の皆さんには、的はずれなことに付き合ってもらい、いろんなことを試してもらっていた。
彼が一旦パニックを起こすと大騒動になる中、慎重にかつ確実な線を懸命に探りつつ、私が想定したことの確認に努めてもらっていたことをあれこれ振り返る。

結局は「サイズが小さくて履けない」という事。

それを当事者は、
「着ない」「洗濯させない」という行動で示した。

そして、
介助者達は、示された行動からあれこれ考え対応してきたわけだが、
「もしや」と思う一ヘルパーの目。
それがあったから理解できたこと。

もし、専門性の観点ばかりで考えていたなら、
新人ヘルパーとして、ふと想ったことを口にすることはできなかっただろう。
でも、専門性ではなく本人と懸命に付き合うことを求め介助に入っている彼は、
自らの目線で、懸命に彼の暮らしを考える中で行き詰まりの理由を懸命に考えてくれた。
そして、出された一つの想定。

そして、
一つの想定であっても、
もしかしたらそうかもしれないと思うヘルパーたちがいて、
想い描いたことの中で本人とやり取りして確認していく。

私たちは、当事者に対し何も理解できていないともう。
どれほど専門性を重ねたとしても、
本人の日常の中で、本人の想いを知るということは専門性だけではわからない。
私はいわゆる専門性を持ち合わせいないが、
彼との長年の付き合いの中で描いた思い込みにどこか囚われていたと反省する。

そして、
懸命に伝えてきた当事者には対しては言えることではないと思うが、
懸命に伝えようとしていた事が伝わった時に生まれる、当事者と介助者との信頼関係がある。

伝えられない期間が長ければ長いほど、伝えることが困難であればあるほど、
伝わった時の安心感と受け止めてくれた人への安心感。

伝えればいつか伝わると想い描く当事者は、
一人暮らしを続けていく中で、
切れることなく懸命に伝えようとしている。
それは、私たちが想う以上の困難さであり、
その中で、懸命に生きている人だと改めて思う。

そして、
私たちは、そんな当事者と付き合っている事のありがたさを思い描きつつ、
異なる世界観を持つ当事者をほんの少しでも理解するためには、
様々な人の異なる視点で、当事者と懸命に向き合い、
支援者間の想いや情報に優劣をつけるのではなく、共有する。

そうすることで、当事者は私たちと付き合い続けてくれるのだろうと思った。

〈かなり、私の甘い見方で、本来ならば「なぜ、そんなことに気づかないのか!」と本人から糾弾されても仕方ないだろう。でも、それは次に繋げることで本人の責めに応えたいと思う)
posted by 岩ちゃん at 17:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月19日

当事者たちからのメールに

二人の発達障害の当事者からそれぞれにメールが届く。

1通目の人は、たぶん一人で過ごしている時間に思いついた事をそのままメールしたのだろう。
もう1通の人は、遠くから「○日に行きます」という連絡メール。

前の人は、思いつくままにメールしている事を知ったのは数ヶ月前。
それまでは、「なぜ突然このようなメールを送ってくるのか?」と悩み、その理由を探るべくあの手この手でやりとりしていた。
メールでやりとりを重ねると、プツンと話が途切れ答えが返ってこなかったり、話の途中なのに話題がコロッと変わる。
「問い詰めてしまったか?」「触れられたくないのか?」等と、心配になる。
なので、実際にあった時に「あのメールは何だの?」と聞けば、何も答えてくれなかったりするとますます不安になったりする。
でも、思いつくままにメールを打っていると知った時、
思いつきに「なぜ?」と言われたら戸惑うのも当然。
それ以降、「相手は今そんなことをひらめいたんだ」程度に読んで、必要なことだけ返信するようにしている。

もう一方は、初めて「今度行きます」と言わた時には、まだ本人のことをよく知らず「本当に一人で来れるのだろうか?」と心配した。
一人でどのように来て、どのように滞在するかを失礼のないように聞くも要領を得ず、助けを求めているのか一人で大丈夫と言っているのかメールから読み取れず、到着するまではやきもきした。
どのような事態になったとしても対応できるように、体制を整えたりもした。
又、到着した後もその後の宿や食事をどうするのかが解らず、宿泊場所をこちらに求めているのか?自分で何とかするつもりでいるのかが解らなかった。
なので、いろんな選択肢とその実現に向けて本人とやりとりしながら進めるも、単独でやれるのにおせっかいをかましているのかもしれない。いや、言えなくて困っているかもしれないと大いに戸惑った。
でも、何度かそのようなことが繰り返される内に、その人自身がその場で何とかするという事がわかったので、「いつでもどうぞ」等と気軽にこちらも応えられるようになった。

そんな二人からのメール。
初めの人から今日届いたメールは、
たぶん思いついた事をそのまま送っているという事を知りつつも、
私の癇に障るような内容だったので、受け流せなかった。
たぶん、そのメールは思いつきであり、その思いつきは世の中の価値観から出される言葉を何の咀嚼もなくただ「言葉」として使っているのだと思う。
「みんなが言っている事」を「自分も言ってみたい」ということなんだろう。
でも、本当にそう思って送ってきているのかもしれない。
私に対して重要な事だと思って意見しているのかもしれない。
その辺りがメールではよく解らない。
でも、その「みんな」の価値観がその人自身を縛り付けていると感じる私は、単純に受け流せない。
なので、「それってどういう意味?」「なぜ、あなたがそういうの?」とやりとりする。
何度かメールを交換しあうと、突然話題が変わり、やはり「これは思いついたことをただ送っただけ」と確認できたので、メールのやり取りはおしまい。

もう一人の人とは、
自分のペースで来れることは知りつつも、せっかく来るならゆっくりやり取りしたいと願う。
「◯日に行きます」というその日は、夜に予定が入っているためゆっくり対応できない。
事情を伝え「別の日にしてください。例えば△日とか◇日とかはどうですか?」と返信する。
果たしてやり取りできるか?
「では、△日に行きます」とあっさり変更。
あっさりだけどこれって凄いことだと思う。
でも、本当に△日に来るのかは解らない。
◯日に突然現れるかもしれない。
△日にこないかもしれない。
たぶん「言ってみただけ」ではないと思う。
だから余計にやきもきする。
やきもきしている私は、相手の事をみくびっているのかも知れないと自己嫌悪にもなる。
でも、実際どうなるのかわからないから、いろんなことを想定する。

四肢麻痺とか目が見えないとか耳が聞こえないと言った事は、
その事自体の困難さはある程度想像できる。
そのような状態で何を思うかについては、やりとりを重ねる内に見えてくるものもある。
〈全てではないけど)

でも、知的や発達の当事者たちが描いているものを想像するのは非常に難しい。
それは、本人たちの障害云々というのではなく、
その人が暮らしている環境や周囲との関係性等も深く関わっているから。
地元で、いつでもあってやりとりしていてもわからないことだらけ。
相手の世界を思い込んで対応し、数々の行き違いや失敗をした私。
いろんなことが想定される分、ますますややこしい。

それが、「対人相互作用の困難さ」というものなんだろうと思う。
しかし、
「相互作用」という点においては、二人と付き合いが長くなる中で、こちらも相手も双方にいろんなことがわかってくる。
決して当事者が劣っていてこちらが導く側にいるなんて思わない。
「相互」の関係が見えず戸惑っているだけの話。
その戸惑いをもって、やり取りする中で決して一方に押し付けてしまうのではなく、
いろんな事態に備えつつ、相手を見くびるでもなく、こちらの想定を押し付けるでもなく対応に努めていけば、たぶん今は見えていないことも見えてくるのだろうと思う。

現時点で見えている事は、決して十分ではない。
どちらかと言えば、相手に多大な負担を欠けていると思う。

でも、そんな不十分な私にメールを送ってくる二人。
懸命に自らを伝えようとし、なんとか次につないでくれる二人。

「相手の事が解る」と言うのは、現時点での話。
その中には「わかったつもり」もたくさん含まれていると思う。

でも、
付き合い続けることで見えてくるものはある。
気づきは常に後からやってくる。
それに付き合い続けてくれる二人に感謝しつつ、
この先互いの十分さ不十分さを出し合いながら、
やりとりが続いてくれることを願う。


posted by 岩ちゃん at 17:46| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月12日

支援による当事者の変化というけれど

私が日々付き合う当事者たちは、彼らの幼い頃から付き合い続けてきた人で、良きも悪しきも様々な場面や出来事を共有し続けてきた人たちである。
いわゆる「行動障害」と呼ばれる行動や言動も、過去の出来事や経験の共有から本人なりの表現であり、何が表現されているのかをなんとなく知ることができる。
又、なんとなく知ることができれば私と同様に幼い頃から付き合い続けてきた人たちとその意味を考えたり、又本人を知る軸のようなものがあるので、新たに関わり始めたヘルパー等の支援者とのやり取りにおいても、私だけでは気づかない面を気づかせてもらえる。

ところが近年、
活動が拡がるにつれ、幼い頃を知らない当事者たちと出会う機会が増えている。
目に映る行動や言動が意味するものが解らず、
彼らの想いを知るヒントさえ見いだせないまま、
兎にも角にも目の前の状態の中で、本人を支援する事に努めなければならない。

何ら専門性は持ち合わせていないが、
30年近く当事者たちと築いてきた私の経験は、
新たな人に対しても有効に働くことはたくさんある。
若いヘルパーさんたちよりもそれなりのとらえどころを持っているので、
私が関与すればそこそこ「うまく廻っている」状態も確かにあったりする。

でも、
本当のところ、
廻っているのではなく、支援という立場を利用して廻しているのかもしれない。
自らの想いを発しているのか?それとも私に気を使ってくれているのか?
その違いは長年付き合いのある当事者たちだとある程度感じる事はできるし、間違って捉えていても修正する術もあったりする。
しかし、おとなになった後に初めて出会う当事者には、それを察知する術もなければ修正する術もない。
又、私の知らないところで受けた社会からの責めをもって私を同様に見ているかもしれない。
逆に、「こいつは、これまでの人と違うぞ!」と見てくれているかもしれない。

いづれにしても、私にはそれを知る術がなく、
自らが行う「支援」というものが果たして本人にとって必要な支援になっているのだろうか?
という疑問は常に描いている。

そんな想いを常に抱きつつ、
大人になって以降に付き合い始め数年の月日が過ぎた当事者がいる。

初めて出会った時、彼の言動や行動の意味が解らず、
只々、私は彼の何処までを許容できるかを考えていた。
そして、許容できないならそれはなぜか?
どうすれば許容できるのか?
等と描き、ガイヘル等で一緒に出かける時かなりの緊張感をもって過ごしていた。

たぶん彼を理解するというよりもどこか彼をどのように理解しているかという私自身を理解するための関わりだったように思う。

そんな風に思う私が彼と付き合い続ける中、
この1年においては、ガイヘルで出かける度に変化している彼を感じている。
否、変化しているのではなく、出せなかったものが出せるようになったと感じる。

常に否定し続けられてきた彼。
それでも、懸命に自分自身を認めて欲しいと想い描く彼。
しかし、その想いは表現すればするほど否定されてしまう現実。
それでも諦めない彼がそこにいると感じた私。
そして、
叩かれても叩かれても訴え続けていた彼に気づいた時、
ようやく彼の「訴え」の内容を知る機会を得たように思う。

そんな私の想いが彼に理解された時、
「訴えなければ聞いてもらえない」から「語れば聞いてもらえる」「聞いてもらえたなら理解してもらえる」と変化し、
この変化が彼自身や周囲に余裕を与え、益々いろんな事を伝えてくれるようになったのだろうと想像している。

自らを語り始めた事の内容がある程度理解できるようになってきた時、
彼は、私を他の人と別の存在として認め、
「この人とならば」と思い描いたのだろう。
いろんな所に一緒に出かけられるようになった。

でもその出かけ先は、
以前トラブルに発展した場所と解ったのはその後の話。

曰くつきの場所であると知れば、
トラブルに発展した原因がどこにあったのかを一緒に考えるようになった。
その当初、彼にとってその場所に行くということは、自分が「トラブルの種」であることへ反省である一方で、「種にされてしまう」ことへの抵抗だったように思う。
その時の私の役割は、周囲との盾としてあったかもしれない。

盾の役割を果たす私に安心感を得た彼は、
盾の隙間から顔を出し、自らが前に立とうとする。

彼がトラブルの種だとは決して思わない私は、
盾の隙間から顔を出そうとする彼を全面に押し出し、
さらされる彼と周囲との関係の中で折り合いを見出そうと努めた。

トラブルに発展した場を何度も訪ねる中で、
彼は、相手に私を紹介するようになり、
私は、相手に「また来てください」と言わせる仕掛けを思考していた。

「また来てください」という言葉が彼のトラウマを解消するキーワードとなっていく。
トラウマを解消するために訪ねている彼は、
「また来てください」と相手が本当に思って言っていると感じたら、
その場に行くことはなくなった。
(次の場を訪ねた時、その実感があやふやに感じると再び行くことはあるけど)

先日のガイヘルの時、
この間毎回訪ねている場所にこの日も行くと思ったけど行かなかった。
その場所は彼にとって上位に位置するトラウマの場所。
行きたいけど行けなかった。
行ったらどうなるかが不安だった。
過去に挑戦したけどやっぱりダメだった場所。

その場所に私と行くようになり、
「また来てください」という言葉を受け取り、
今回は行かなかった。

これでまた一つ、彼のトラウマが解消されたのだろうと描いた私は、どこか悦になっていた。

でも、
そんな私の気分をぶち破る彼の話。

「僕は蒸気機関車に乗ったことがある」「運転席で写真を撮ってもらった」という一見自慢話に思える彼の唐突な話。

突然の話しだったけど、これまでの経験上何かあると思った私は、
「いつ」「誰と」「どのように」という具体的に話を質問していた。

そこに現れたのは・・・。

これまで彼は、自分の劣勢やトラブルの種として見られていることに対して、なんとか自分を取り戻そうとしていた。
しかし、「蒸気機関車の話」は彼の負の経験ではなく、
幼いころにお父さんや家族と一緒に出かけた楽しい想い出話であったことを知った。

「今度一緒に行こうよ」という彼の要望は、
これまでのトラウマ解消のためのガイヘルではなく、
自分にもある「良き想い出」を共有するための依頼だと感じた。

そう感じた時、
これまで私自身が担ってきた支援なるものが、
どこか彼の辛さを解消するためのものでしかなく、支援者として年上として「〜してあげる」ものでしなかったのではなったかと言葉に詰まった。

彼の中にあるそもそも持っているものに気づかず、
出てくる現象にのみ目を向け、
彼の中にあるものに行き着かない支援を私は担っていたと思った瞬間、
それを語り始めた彼を嬉しく思う反面、申し訳ない思いの方が膨らんでしまった。

「今度は、釣りにも行きたいね」ともいう彼。

それもまた、幼いころお父さんが何度も連れて行ってくれた場所。

もっともっと彼の中に、素敵な思い出があるのかもしれない。
もしかしたら数少ない想い出かもしれない。

でも、決して表面に現れるものだけの彼の存在。

「支援によって当事者が変化する」という話をよく耳にする。
「支援の結果としての本人」が語られ、
その「支援」について評価され、専門性が高められていくこともしばしばある。

でも、私はどれほど
表面に現れない彼と付き合っていたのだろうか?
相手を理解しないまま「支援」等と言う私自身が恥ずかしくなる。

そんな至らない私に付き合ってくれている彼がいると思うと、
彼の凄さをひしひしと感じる。

せめて、もっともっと学ばせてもらえるよう努めなければならないと思う。

別れ際、
「もっと長くやってね」とボソリとつぶやく彼。
その一言に、
彼の信頼を得ているという実感を抱く。
しかし、
一方で、
私だけでは、結局は再び誰にも理解されない世界へと引き釣り戻される現実がある。

なので、
「長くやれたらいいね。でも、あなたがあなたであるためには、いろんな人が関われるようにしたいね」と伝える私。
まだまだ、彼と一緒に出かけられるヘルパーは限られている。
私も含めこれまで支援を担ってきた人達がこの先も担い続けられるとは限らない。

その人たちによって今の彼の変化と言うか取り戻せた世界はあると思う。
しかし、この先その人達がいなくなった時に、再び以前の世界に戻されてしまってはならない。

まだまだ、見えていない当事者ではあるが、
無理解な支援者に付き合い続けてくれる彼を理解し、
この先を互いに築いていきたいと願う。

そして、
私たちが担う支援によって当事者が変化するという事が、
実は、私たちの手柄ではなく、
それまでの不十分さに気づかせてもらえる機会としていきたいと思った。
posted by 岩ちゃん at 13:58| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

「楽しくやってるよ〜」という当事者からの電話に

久しぶりに遠方で一人暮らしをしている当事者から電話があった。
何か伝えたい事があったのかなかったのかは不明。
でも、様子伺いの電話としては互いの近況を報告し合った。

私「最近どうよ?」
Kさん「楽しくやってるよ〜」

「一人暮らしを楽しんでいるなら何より」と言ってしまえばそれだけの事。

でも、
Kさんが一人暮らしを始めた頃は、
「自立生活、頑張ってるって、言って〜」と、懸命に一人暮らしをしている事を励まして欲しいという要望だった。
その度に「自立生活は頑張るもんではないよ」「頑張るのは介助者の方だよね」とKさんの要望をどこかずらす形で応えていた私。

今回も、「頑張ってるって言って〜」という言葉はある。
でもそれは、今取り組んでいる事柄についての話で、「自立生活」自体の話ではない。
なので、「それは凄いね〜。がんばってなぁ〜」と素直に応えた。

カラオケに行ったり、仕事に行ったり、買い物に行ったり。

それを楽しそうに語るKさん。

たぶん、日常は楽しい事ばかりではないだろうし、
今日はたまたま気分が良かっただけかもしれない。

「自立生活をしている」事がまだまだ障害当事者に対する話題になってしまう。
たぶん、障害当事者にとって「一人暮らし」は私たちが思う以上に過酷な状況かもしれない。

でも、
そこを知りつつ「頑張る」Kさんを励ますというを私はできない。

なぜなら、その苛酷さを押し付けているのは私たちだと思うから。

なので、
「楽しくやってるよ〜」と言われた時、本当にうれしく思った。
たぶん介助者も含めこの間いろんな事をともに経験していたのだろうと想像する。
その経験の積み重ねの表現が
「楽しくやってるよ〜」だと思う。

遠方故に、日常の関わりはまったくない。
でも、歳を重ねるごとに「自立生活」ではなく、
「自らのくらし」を伝えてくるKさんの存在をとてもうれしく想った。
posted by 岩ちゃん at 14:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする