2015年04月19日

当事者たちからのメールに

二人の発達障害の当事者からそれぞれにメールが届く。

1通目の人は、たぶん一人で過ごしている時間に思いついた事をそのままメールしたのだろう。
もう1通の人は、遠くから「○日に行きます」という連絡メール。

前の人は、思いつくままにメールしている事を知ったのは数ヶ月前。
それまでは、「なぜ突然このようなメールを送ってくるのか?」と悩み、その理由を探るべくあの手この手でやりとりしていた。
メールでやりとりを重ねると、プツンと話が途切れ答えが返ってこなかったり、話の途中なのに話題がコロッと変わる。
「問い詰めてしまったか?」「触れられたくないのか?」等と、心配になる。
なので、実際にあった時に「あのメールは何だの?」と聞けば、何も答えてくれなかったりするとますます不安になったりする。
でも、思いつくままにメールを打っていると知った時、
思いつきに「なぜ?」と言われたら戸惑うのも当然。
それ以降、「相手は今そんなことをひらめいたんだ」程度に読んで、必要なことだけ返信するようにしている。

もう一方は、初めて「今度行きます」と言わた時には、まだ本人のことをよく知らず「本当に一人で来れるのだろうか?」と心配した。
一人でどのように来て、どのように滞在するかを失礼のないように聞くも要領を得ず、助けを求めているのか一人で大丈夫と言っているのかメールから読み取れず、到着するまではやきもきした。
どのような事態になったとしても対応できるように、体制を整えたりもした。
又、到着した後もその後の宿や食事をどうするのかが解らず、宿泊場所をこちらに求めているのか?自分で何とかするつもりでいるのかが解らなかった。
なので、いろんな選択肢とその実現に向けて本人とやりとりしながら進めるも、単独でやれるのにおせっかいをかましているのかもしれない。いや、言えなくて困っているかもしれないと大いに戸惑った。
でも、何度かそのようなことが繰り返される内に、その人自身がその場で何とかするという事がわかったので、「いつでもどうぞ」等と気軽にこちらも応えられるようになった。

そんな二人からのメール。
初めの人から今日届いたメールは、
たぶん思いついた事をそのまま送っているという事を知りつつも、
私の癇に障るような内容だったので、受け流せなかった。
たぶん、そのメールは思いつきであり、その思いつきは世の中の価値観から出される言葉を何の咀嚼もなくただ「言葉」として使っているのだと思う。
「みんなが言っている事」を「自分も言ってみたい」ということなんだろう。
でも、本当にそう思って送ってきているのかもしれない。
私に対して重要な事だと思って意見しているのかもしれない。
その辺りがメールではよく解らない。
でも、その「みんな」の価値観がその人自身を縛り付けていると感じる私は、単純に受け流せない。
なので、「それってどういう意味?」「なぜ、あなたがそういうの?」とやりとりする。
何度かメールを交換しあうと、突然話題が変わり、やはり「これは思いついたことをただ送っただけ」と確認できたので、メールのやり取りはおしまい。

もう一人の人とは、
自分のペースで来れることは知りつつも、せっかく来るならゆっくりやり取りしたいと願う。
「◯日に行きます」というその日は、夜に予定が入っているためゆっくり対応できない。
事情を伝え「別の日にしてください。例えば△日とか◇日とかはどうですか?」と返信する。
果たしてやり取りできるか?
「では、△日に行きます」とあっさり変更。
あっさりだけどこれって凄いことだと思う。
でも、本当に△日に来るのかは解らない。
◯日に突然現れるかもしれない。
△日にこないかもしれない。
たぶん「言ってみただけ」ではないと思う。
だから余計にやきもきする。
やきもきしている私は、相手の事をみくびっているのかも知れないと自己嫌悪にもなる。
でも、実際どうなるのかわからないから、いろんなことを想定する。

四肢麻痺とか目が見えないとか耳が聞こえないと言った事は、
その事自体の困難さはある程度想像できる。
そのような状態で何を思うかについては、やりとりを重ねる内に見えてくるものもある。
〈全てではないけど)

でも、知的や発達の当事者たちが描いているものを想像するのは非常に難しい。
それは、本人たちの障害云々というのではなく、
その人が暮らしている環境や周囲との関係性等も深く関わっているから。
地元で、いつでもあってやりとりしていてもわからないことだらけ。
相手の世界を思い込んで対応し、数々の行き違いや失敗をした私。
いろんなことが想定される分、ますますややこしい。

それが、「対人相互作用の困難さ」というものなんだろうと思う。
しかし、
「相互作用」という点においては、二人と付き合いが長くなる中で、こちらも相手も双方にいろんなことがわかってくる。
決して当事者が劣っていてこちらが導く側にいるなんて思わない。
「相互」の関係が見えず戸惑っているだけの話。
その戸惑いをもって、やり取りする中で決して一方に押し付けてしまうのではなく、
いろんな事態に備えつつ、相手を見くびるでもなく、こちらの想定を押し付けるでもなく対応に努めていけば、たぶん今は見えていないことも見えてくるのだろうと思う。

現時点で見えている事は、決して十分ではない。
どちらかと言えば、相手に多大な負担を欠けていると思う。

でも、そんな不十分な私にメールを送ってくる二人。
懸命に自らを伝えようとし、なんとか次につないでくれる二人。

「相手の事が解る」と言うのは、現時点での話。
その中には「わかったつもり」もたくさん含まれていると思う。

でも、
付き合い続けることで見えてくるものはある。
気づきは常に後からやってくる。
それに付き合い続けてくれる二人に感謝しつつ、
この先互いの十分さ不十分さを出し合いながら、
やりとりが続いてくれることを願う。


posted by 岩ちゃん at 17:46| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする