2015年05月27日

介助を使って暮らす

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者のお宅に介助者として入る。
24時間何らかの形で介助/支援者がいて成り立つ彼の暮らしの一場面。

泊まり介助者との引き継ぎ。
前の介助者は交代直前に食事作りを頼まれたらしく、
私は作りかけの調理も引き継いだ。
前の介助者が帰り、あらかた出来上がっていた食事の仕上げをする私。
出来上がったので家主に伝える。
台所にやってきた家主は、
「入れるの!!」「お皿!」という。
普段盛り付けは家主自身がやっていたように記憶しているが、
言われるままに進め、盛りつけたものの確認をとる。
依頼通り事が完成したのだろう。
盛りつけた食事をすぐさま自室に持って行って食べ始めた。

いつもの場面ではやらない介助ではあるが、
依頼された事に応える私。
なんてことない風景だと思う。

一人暮らしを始めて10年が過ぎた当事者。
介助者を使い自らの暮らしを作っている。
そんな場面でしかない。

しかし・・・
こんな状況になるまでに10年以上かかっている。

なぜなら、自閉症を伴う重度知的当事者にとって、
事を他人に頼む事の難しさ故に、
大パニックを頻繁に起こしていた彼。

自立生活を始めた当初、私は頻繁に介助に入っていたので今朝の風景は、「普段通り」と思える。
しかし、他の人に介助の場面を委ねるにつれ、彼の側には新たに表れる人に対し、
「依頼する」という事が生まれてくる。
言葉できちんと説明できれば良いが、
相手に伝わるように依頼できず、
依頼できないゆえにストレスが溜まる。
溜まったストレス故に、余裕を無くしますます伝わるように依頼できない。

依頼できなければ依頼しないという時期もあった。
何でもかんでも自分でやる。でも、できない事も何とかやろうとすればストレスが溜まる。

「できない事はヘルパーに頼めば良いよ」と言っても、
「頼む」という事ができない彼。

そんな彼が、ここ数年変化してきた。

10年前。
(彼にとっては)突然現れる人がヘルパーという人であると認識するのに必死だった。
そこから始まり、
ヘルパーは家事をやってくれる人と認識し、
自分の暮らしのためにやっていると認識し、
自分の要望を聞いてくれる人と認識し、
伝わればやってくれる人と認識する。

頼む事柄とやる人とがセットで存在していた彼。
やってくれる人が帰る前にやってもらわないとと必死になる彼。
でも、食べたい時間ではないので頼みたくない。
でも、今頼んでおかないと次の人はやってくれる人ではない。

頼む事とそれをやる人とがセットになって依頼できるようになってきた。
定期的にやってくるヘルパーに対し、
セットとなっている人の所ではまとめていろんな事を頼めるようになってきた。
しかし、ヘルパーなんだから誰に頼んでも良いとはならず、
頼めないヘルパーの時は頼まず、ご飯も食べず、頼めるヘルパーが現れる時まで待つ。
という事も彼の中にあると思う。

そんな事を日々繰り返しつつ、一人暮らしが10年過ぎる。

そして、
今朝のサクサクこなしている状況。
そこだけを取り上げればなんてことない出来事だけど、
私にとってはまったくの奇跡に思える。

そして、彼が歩んできたその軌跡をたどれば、
私たちが当然と思うことが彼らの世界観の中では決して当然ではないという事に気づく。
又、異なる世界観を持ちつつ私たち多数の側の世界観の中で彼は必至に自らの暮らしを組み立ててきた凄い人に想えてくる。

「介助を使って生きる」という事。

使って生きるのは私ではなく彼の側であり、
「介助を使って生きる」という事が、
彼の世界観の中でなされなければ、

「生きる」という事にはならないと思った。

又、
そうなるために私たちはまだまだ何も取り組めていない。
取り組めていない中で、彼の側が懸命に生きる中で築いてきたものであると感じる。
posted by 岩ちゃん at 12:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする