2015年09月11日

成年後見制度利用を推進するならば・・・

成年後見制度は、意思決定に困難さを抱える人たちの権利を護るためにあると聞く。

しかし本当に、必要とする人たちの権利擁護の手立てになっているのだろうか?は、非常に怪しくその趣旨を理解しつつも使うに使えないと思っている。
そして、使わずとも地域の中で自らの権利が保障され暮らしていける方法を様々な形で模索し続けている。

なので、
私が直接かかわる重度知的当事者たちのほとんどは、被後見相当であっても後見制度を使わず、
当事者の周囲にいる人たちと様々な形で協議し、本人の権利の保障と自らの暮らしを支援している。

でも、
知人の中には、様々な理由で被後見人となった人たちもいる。
例えば、
・後見人をつけなければ施設入所させられてしまう。
・親の財産相続を巡り不当な扱いをされる。
・事業所に囲い込まれ、本人の暮らしが脅かされている状況からの救出。
等。
(中には、私たちと出会う以前に被後見人となった人もいる)

本人の権利が脅かされる状況下で、後見人をつけて対処するという選択は否定しない。

ところが、
現状の制度では、一度被後見人になると一生被後見人として過ごす事になる。

例えば、
遺産相続をめぐる事柄で、後見人をつけざるを得ない事はあると思う。
事を解決するために必要となる後見人はありだと思う。
必要とするのは相続という「事を解決する」点にある。
しかし、「被後見人になる」事を選ぶと、
解決した後も被後見人として過ごす事になる。
その事によって本来必要ない事までも後見人に判断されてしまうことになってしまう。

成年後見制度利用推進法案が進められている。
最近、後見人の不正問題がしばしば取り上げられ、推進をわけもわからず後押しするように仕向けられているように感じる。(財産横領を巡っては、金額だけが報道されているが、実際の件数は何件何だろう?資産家であれば、億単位の不正もできる。しかし、生活保護受給者の場合、横領しようにも横領するお金が無かったりする。制度利用件数に対し、前者であれば件数は極端に減り、後者であれば極端に増える。単に金額で右往左往するのは、生活保護の不正受給を巡る話に乗っかり改悪を重ねてきた状況をなぞる事になるように思う)

そもそも成年後見制度の問題点は、
人を「被後見人」という形で規定してしまうところにあると思う。
「被後見人」=「意思決定できない人」に代わり、後見人が決める。
悪意のある人もいるかもしれないが、
本当に後見人となった者が、被後見人の意思をしっかりと汲み取り執行できるものかとも悩む。

不正が起こるのは、後見人の資質に委ねられている面があまりに多いからだと思う。
しかし、資質に委ねず書面やシステムを構築・強化すればするほど、
後見人は、無難な線で後見業務を担うしかない。
不正はなくなったとしても、本人は後見人が裁かれない範囲の中でしか暮らしていけなくなる。

後見制度は必要と思いつつ、現状の制度では使えないという立場。
だから成年後見制度を見直す必要があると考える。

市内後見のような考えもあれこれ模索する。

でも、
必要なのは「事柄を解決する」事になるならば、
個人を被後見人として一生縛るのではなく、
事柄を解決するために後見人を存在させるようにすれば良いように考える。

すなわち、
事柄限定で後見人をつけ、
事柄が解決されれば解任される仕組みが必要だと思う。
又は、
人の暮らしに関わる事なので、事柄のみに関わるだけでは解決が遠のくこともあるかもしれないので、
後見期間を設けるのはどうだろう?
例えば、
後見期間は最長3年間と決める。
3年経てば解任を前提にする。
但し、更新の必要性が明らかならば更新も可とする。

そうすれば、
事柄の解決のために後見人が第三者として関与できるし、
解決すべき事柄に、当事者と相手方双方が納得いく形を生み出せるだろう。
期限があれば、下手な不正はできない。
期限内にすべきことが明らかな分、取り組む事が明確になる。
期限内に事を終えるためには、当事者と日常的に関わる人たちとの連携が不可欠になる。
期限があれば、被後見人が亡くなるまで後見業務が続くという不安定さがなくなる。
期限が定まっていれば、期限後別の人の後見を担う事もでき、現在後見人の担い手が不足している状況も改善されるだろう。

そして、
制度を巡り解決しなければならない課題は他にもたくさんある。
しかし、
後見の期限が定まっていれば、とりあえずは利用する事もできる。
制度によって縛られる状況があるならば、制度利用を止めれば良い(自動的に終わる)ということになる。

なので、
あれこれ改善して欲しい事は山ほどあるが、
利用を推進するために制度や法律を変えるとすれば、
手っ取り早く、「後見期間を定める」という条文と「更新理由を明らかな場合に限り更新を可とする」という条文を入れてもらえれば、結構使える制度になるかもしれないと思う昨今です。
posted by 岩ちゃん at 13:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 成年後見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月04日

パニックルーム

人混みが苦手な自閉症を伴う重度知的当事者。
人がたくさんいる所に寄らなければ良いと思うが、
何か一旦事が起こったところにこだわり、あえて人ごみに立ち寄る。
又、暮らしの上で立ち寄る必然があるため避けようがなかったりする。

そんな彼のガイヘル。
夕方の買い物客でごった返すスーパーに彼は立ち寄る。
人混みが苦手な理由はたぶん2つ。
一つは、人に触れてしまう(触れられてしまう)事。
もう一つは、人の視線。

彼は、大きな奇声をあげて自分の存在を周囲に知らしめ、
人が自分を避けてくれる事で、人に触れることなく目的の場所に辿りつく。
しかし、
それは同時に、人の視線を集めることになる。
彼に対する偏見や悪意がなくても、人は大きな奇声を耳にすれば、その方向を見てしまう。
大部分の人は不思議なものを見るように彼を見る。
でも、中には悪意に満ちた視線を投げかける人もいる。
時折、「うるさい!」と声をかけられたりすると、
自分が奇声を発した事とは言え、周囲の支線にパニックになる。

私は、ひたすらそんな彼に離される事なく後をついていく。
奇声は発するも「大したことではない」という表情を懸命に作り、
彼と私とは繋がっている事を周囲に知らしめつつ一緒に歩く事に努める。

そんな彼がある日突然、
トイレに駆け込んだ。
そして、トイレ内にある扉を思いっきり閉める音とともに、これまで以上の奇声が聞こえてきた。
そして、すっきりした顔で出てくる。
その日、それを何度か繰り返す場面を見て気づいた事は、

避けようもない人混みにおいて、唯一一人になれる空間がトイレの個室。
耐えきれない自分自身をその中で一旦解消して出てくる彼。

何度目かの時、
彼と同時ぐらいに女性が女性トイレに入って行った。
その瞬間に起こった奇声とトイレを閉める音。
その女性は慌ててトイレを出てきた。
その手前で彼を待っていた私は彼女に、
「驚きましたよね〜」と声をかけた。
「びっくりしたわよ〜」という彼女に、
「当然ですよね。」と同意した上で、
「今入って行った彼は、人混みが苦手でトイレに入り気持ちを落ち着けているんですよ」
「それでもびっくりしますよね」と説明した。

すると彼女は、
「そうなの〜。でも、びっくりしたわよ」と安堵と緊張がごちゃまぜの表情を見せた。
そして、
トイレから平然と出てきた彼を見て、
「そういう事なのね」と言い、
「では」と言って私は彼の後をついてその場を離れた。

再び、店内で彼女とすれ違う時。落ち着いた彼を見て何とはなしにすれ違った。

そんな様子を見ると、
トイレが彼にとってのパニックルーム。
私たちにとって人混みは人ごみでしかないけど、
彼にとってはその人混みがパニック要因。
それを回避するためにトイレに駆け込む。

知的当事者にとっての合理的配慮とは何か?
という疑問を持つ私。
人と人との関係の中に起こっている事として考えれば、
スロープやエレベーターを作るという配慮だけではどうしようもないと思っている。
「関わり方マニュアル」を作ってみても、相手があっての話なのでそれもしっくりいかない。

でも、
もし、スーパーや駅や映画館等人がごった返す場所に、一時避難できる場所が設置されたとしたら。
トイレという手もありだけど、すでに先に使っている人と遭遇すれば、彼にとっては安心できる場にはならず、帰ってパニックを増幅させてしまう。
だからこそ、
一時避難できる囲われた場所を設置してもらえると、自閉症と伴う人たちはかなり安心して社会に進出していけるように思った。
posted by 岩ちゃん at 06:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする