2015年10月04日

本人中心から課題中心へ

重度身体当事者たちの自立生活運動。
「本人中心の介助/介護」を勝ち取ってきた。
親や教師等を中心に担われてきた就学運動。
「障害の有無によって子ども達を分けない」事に取り組んできた。

私は、
自立生活運動と就学運動とは同一線上にあるものと思ってきた。
しかし、
意外にそうではなく反目しあう場面があり、
どこか別物として、共闘を組むということはなかなかあり得ない。

何故か?
単純に見れば、
自立生活運動は「障害当事者本人による運動」であり、
就学運動は「障害児の親たち」の運動として置くならば、
後者は本人の運動ではないため同一線上とは言えなくなる。

それで、
私はなぜ同一線上にあるといえるのか?
それは、
私自身が「障害当事者」ではないし、「障害児の親」でもない中で今日まで様々な取り組みを担ってきたからだと思う。
障害の有無にかかわらず、子ども達の関係づくりが活動の中心であった時。
その先にある自立生活(親もとを離れ当たり前に暮らす)ことは一つの目標であった。
逆に、子どもたちが大人になり、実際親もとを離れ自らの暮らしを営むようになったら、
日常生活の支援に関わる私は、いま大人となった人たちの人生の連続性と継続性を意識し、
就学運動を担ってきたからこそ見える様々なことがあると感じている。
又、30年前「子どもたちの将来を思うと」と教育委員会や学校側から言われることに対し、
同じく「子ども達の将来を思い」と切り返してきた。
しかし、そこにはまだ見ぬ将来があり、ひたすら信じて取り組むしかなかった。
でも今は、かなりの確信を持って信じてよかったと思っている。
さらには、当時学校や教育委員会と戦うしかなかった事が、
新たな視点で将来にとって必要となる取り組みもあれこれ考えられるようになった。
(とは言っても、学校や教育委員会は耳を貸さないけど)

そこで考えるに、
「当事者中心」という言い方は私もしてきた。
「当事者中心に」といった時の、「私の主体って何?」とも悩んできた。
「結局私は私でしかない」と開き直ったことも。

でも、
この「本人中心」という言い方。
世の中誰一人として単独で暮らしているわけではない。
介助/支援と言った人たちだけが関係者というわけではなく、
地域にいる様々な人とのつながりや関わりがあってこその地域生活である。

しかし、
社会の側は、「障害者」と呼ばれる人たちと関わりたくない。
「自分も同じ立場になることもある」という目に見える身体機能面での同一視は広がっているように思うが、それは、どこまでいっても健常者社会の許容量の拡大でしかなく、
許容量の外・想定外の事柄については、排除が拡大されているように思う。

「本人中心」という時、
どこか「私達健常者に迷惑がかからないならどうぞご勝手に」となっている現実を感じる時がある。
昔と比べれば格段に進んでいるように見えても、
一旦健常者社会が迷惑と判断したらたちまち切られていく。

果たしてそんな「本人中心」で良いのだろうかとも思う。

あれこれ考えてきた私だけど、
「本人中心」という時の自分の立場の拠って立つところの無さ。

それでもここまでやり取りしてきたことを振り返れば、
どうも、
「本人中心」というよりも目の前に起こっている「課題中心」という発想で取り組んできたからのように思う。
輪の中心に重度知的当事者や急性期の精神当事者を置くと、
たちまち私達の価値観が大きく作用し、関わる人たちのコンセンサスを得るところからはじめなければならず、待ってくれない支援。拠って立つところがない故に支援の場を去る人。
長年取り組んできた者や障害児の親や障害の専門家たちに逆らえない、
新人や障害児の親でない人や一般人たち。

そんなこともあれこれ見てきた中で、
そろそろ「本人中心」という表現を止め、
「輪」の中心に「課題」を置く「課題中心」の取り組みという発想が必要かと思う。

課題とは何か?
私の場合は「障害の有無に関わらず、誰もが地域で当間に過ごす」という想いに対し、それを阻害される事柄が課題だと思っている。(なので、障害に関わるありとあらゆる事柄が課題となってしまっている)

例えば、
普通学級に入学するという課題。
普通学級に通い続けるという課題。
子ども達の放課後という課題。
進学や就職といった課題。
人生の選択と言った課題。
親もとを離れて地域で暮らすという課題。
その他あれやこれや。

その時々に現れる「課題」を当事者自身もその親も周囲の人達も同一円の線上に位置して、
ともに課題を解決していく。

障害当事者も特別な人ではなく、
「課題」解決に向けた一メンバーとして位置すれば、
その場から排除するわけにはいかない。
又、
排除せずに検討検証する方法が課題となる場合もあるだろう。
それでも、一メンバーとして存在し続ければ、自ずと課題の解決も見えてくるように思う。




posted by 岩ちゃん at 13:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする