2015年11月20日

悩ましいのは・・・

言葉を発する事ができない重度知的当事者の一人暮らしの場面。
「イエス/ノー」で応えてもらったり、
選択肢を並べて選んでもらったり、
とりあえずやってみてからの反応を見て本人の意思を図ったりと、
現場の介助者たちは懸命に、本人の意思を読み取り介助しようとしている。

ところが、
「イエス/ノー」にしても、選択肢を並べるにしても、とりあえずやってみるにしても、
介助者の側にないものは提示できない。

人の暮らしは様々。
例えば、
親もとにいた時には、魚系中心の食卓だったのが、
一人暮らしを始めた途端に肉系中心の食卓になる。
最近の若いヘルパーさんたちは、魚料理が苦手らしく、手っ取り早い肉系料理を作る。
本人は肉が嫌いでければ出された料理をおいしく食べる。
時に、嫌いなものが出てくれば拒否をする場面もあったりすると、
「この人は自分の食べたいものを選んでいる」と映るが、
肉系料理をおいしく食べるという事と魚料理が食べたいということとはつながらない。

結局は、
介助者が提示するものの中でしか選択が許されないという面がある。

でも、
実は親もとにいた時、「魚ばっかり出てきて嫌だった。一人暮らしを初めて肉料理がいっぱい出てくるので嬉しい」と思っているかもしれない。

個々の介助者にない選択肢は、
様々な介助者が関わり、様々な場面の本人の様子を見聞きすることである程度拡がる。
しかし、
それを本人が選択しているのか否かの判断はどこまでいっても闇の中。

ある人の時には、
朝から盛々ご飯を食べる。
しかし、
別の人の時には非常に少食。

どちらも当事者本人には変わりない。
しかし、
その違いを探っていけば、
作る介助者の料理の腕前や味付けの好みによって違うということもある。
前の夜の食事の量によって変わるということもある。(毎週決まった曜日の決まった時間に決まった人が介助として入っている場合)
介助者がたくさん出すからたくさん食べる。
介助者がちょっとしか出さないからちょっとしか食べない。
その他いろんな理由があって、
本人の様子も変わる。

さらに、
人の様子なんて日々変わるので、常に一律に介助者と関わっているわけでもない。
その日の気分というのもあるので、あれこれ明確なことは言えない。

非常に悩ましい本人の意思決定という朝。
posted by 岩ちゃん at 07:55| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする