2016年01月31日

常連になれば

昨日のガイヘル。
当事者Sさんが向かう後をついて行くと、噂に聞いていた大判焼きのお店があった。
彼は、ガイヘルを使いでかける際には、しばしばそこで3個〜5個の大判焼きを買っている。
評判のお店で、私も何度か大判焼きを買ったことはある。
でも、彼と一緒に行くときは何故かいつも閉まっていて、
彼と一緒に買ったのは初めてでした。

Sさん「クリーム(入大判焼き)3つください」
店主「クリーム3つね!」
当事者「・・・・」
店主「◯◯に行ってきたか?」
当事者「行って来たよ」
などと、普通に会話。
たぶん、前日の介助者と一緒に来た時に話した会話の続きだと思う。
そのやり取りがとても自然で、Sさんと店主のやり取りに私が入る隙がまったくなかった。

確かに、その日「◯◯」に彼と行って来た。
でも「◯◯」は、彼にとってはいわくつきの場であり、多くのトラウマを抱える場。
子どもの頃、両親と一緒にでかけ楽しい思い出がある場所。
又、一人で出かけていった場所でもある様子。
ところが、
何度もトラブルを起こすために、親御さんの同伴が条件とされ、
それでも、トラブルが起こると言う事で、
出入り禁止とされてしまった。
それでも、
数年経った後ガイヘルを使い出かけていったが、
やっぱり大パニックになってしまい、
彼にとっては、行きたくても行けない場になってしまった。

そんな彼が、
私とは行けるようになった。
彼とその場に行けるようになったことで、
行けなくなった原因もあれこれ見えてきた。
それは、単に彼の障害や状態や認識だけでなく、
そこを運営する職員の無理解がたぶんに影響していると思った。

確かに、当事者が大きなトラブルを起こせば、それを担う人たちも又トラウマとなって、
彼がやってくる事に恐怖するのは解る。
彼は彼なりに、
職員がいなくなれば、トラウマを持つ人もいなくなり、改めて「◯◯に行ける」と考えていた様子。
「40歳になったら行く」と当初言っていた彼が、
「35歳になったら」
「30歳になったら」と年齢をどんどん引き下げるようになり、
同様に行きたくても行けない場に少しずつ行けるようになる中で、
「ヘルパーがいればどこにでも行けると思うよ」と伝え続けて、
ようやく30歳を待たずして行けるようになっている。

当然、月日が経っているため彼を知る人は少ない。
昨日職員に聞いた話では、「支援学校の子ども達もよく利用してます」との事。
なので、Sさんのような存在はよく目にしている。
彼の過去を知らない職員は、落ち着いて楽しんでいるSさんに何の懸念も抱かず対応してくれる。
しかし、
古くからいる職員は、露骨に彼を嫌い、
時に、彼を知らない職員に対し「要注意人物」として情報を提供し、
それを聞いた職員が、一瞬に顔を曇らせる様子を何度も見てきた。

それでも、毎回なんてことなく楽しんで帰るSさんの様子から、
実際にトラブルを目にしていない職員たちは、一利用者として受け止めている。

そこに至るまでに、Sさんとは様々な関わりを担ってきた。
彼が持つ世界観がどこにあり、
彼の世界観と私たちの世界観のズレがトラブルになって現れるなら、
私の役割は、いかに互いの世界観の折り合いを見出すかという事。
などと、様々な場面で様々な事を考え、考えてみたことを試し、その結果から再び考えてみることを懸命に担ってきた。

そんなこんなで、
Sさんが「◯◯行って来た」と言うのは、
それ相当の積み重ねが、Sさんにも私にも又、親御さんやその他彼を取り巻く人たちの中にある。
「行けるようになるまでの時間」も相当かかっている。

でも、
そんな事には、まったくお構いなく、
自然な会話ができる大判焼きの店主とSさん。

2人の会話に私が入る隙が全く無い中で、会話する2人を見ていると、
実は、私が見てきた事柄や聞いてきた事柄の外に、店主とSさんが自然に存在し、
その自然な関わりがあったからこそ、数年経ってSさんはその場に行けるようになったと思った。

当事者たちの支援を日々担っていると、
どうしても「本人の意思」や「自己実現」等を基に支援者としての関わりを意識する。
本人の意思や本人が求めていることがどこまで正確にはわからない知的当事者たちとの関わりにおいては、
思い込みを排除し、自らの価値観を意識化し、様々な場面や人との関わりの中から当事者の想いを想定して、具体的な関わりを担っている。

しかし、それらは時に煮詰まりを生み出す。
袋小路に陥る。
自戒する余り、何も手がつけられなくなり、
相手を責めるか、自分の役を放棄するかと言う事態に陥る。

いろいろ考え担っていると見えてくるものも確かにある。
決して、そんな私の関わり方を手離そうとは思わない。

でも、
店主とSさんの「どうでも良い」他愛もない会話。
大判焼きを手にするまでの僅かな会話。

そんな、二人の関係が存在する事が、実はあれこれ考え当事者と関わる事以上に大切な存在、大切な関係に思えてきた。
それは、Sさんに対してとか店主に対してとかではなく、
真剣に関われば関わるほど煮詰まっていく私自身を救ってくれるありがたい関係に思えてきた。

品物やお釣りの受け渡しに時間がかかるSさん。
後ろに並ぶお客さんの事が気になり、私はSさんに「ちょっと横にずれて」と後ろに並ぶお客さんに気遣う。
すると、店主は
「いいんだよ。待たせておけば」と私を一喝。

自然な二人の会話にも感動していたが、
私を一喝するその店主のあり様は、どこか私が追い求めているものを完璧にこなしている瞬間に思えてさらなる感動を覚えた。

障害当事者が「地域で生きる」と言うのは、
「地域で生きている人たちと生きる」ということだと思う。
当事者個人が暮らすためにその個人を介助するという事はある。
それ以上に、
周囲との関係を介助するということでもある。
地域で暮らしていても、本人の意に関わらずドアツードアで様々な場に当事者を囲い込、
地域の人達から離して、本人のみの暮らしを保障事を追求するものではないと思う。

ホームヘルプは、どうしても家の中でのやり取りになってしまうため、当事者個人の支援になりがち。
でも、
ホームヘルプと対になるガイドヘルプは、外での支援という点で本人だけの楽しみや本人の安全のみを保障知るものではないと思う。
他人への危害や損害を与えないためだけにガイドヘルパーが存在していたら、とってもつまらない仕事だと思う。

しかし、
当事者を介し様々な人との出会いを生み出すなら、
既に、様々な出会いを持っている人として付き合うなら、
こんな楽しい仕事はないと思う。

いきなり様々な人との関係を作るなんて、誰にでもできるものではないと思う。
関係の橋渡しをするには、当事者を知り相手を知らなければならない。
道行く人たちの中で、それを作るのはとても難しい。

でも、
行きつけのお店。
常連さんとして受け止めてくれる場が、
福祉関係の場ではなく、
ごくごくあたりまえに私たちが利用している場であったなら。
介助者以上(介助者が知っているとうじしゃとはべつの)に当事者のことを知る人がいて、
その人たちとの繋がりを大切にし、そこから介助者が得られるものはとても大きいと思う。
又、当事者と先方とのやり取りもそこから介助者が学ぶものもたくさんある。

なので、
ガイドヘルパーを担う時、
単に本人の興味や要望に即し出かけて帰ってくるだけではなく、
そこに存在する人との関係を意識しつなげていくこと、
すなわち
行く先々に「常連さん」として受け止めてくれる場を作っていくことを意識すれば、
本人にとっても、その場の人たちにとっても、介助を担う人たちにとっても、この先新たに介助を担う人にとっても、有意義な事になるように思う。

少なくとも、
「待たせておけばいいんだよ」と一喝してくれた店主の存在は、
よくよく考えてみれば、私の支援の不十分さを深く反省しなければならない事だと思うが、
介助者であることの前に、私も一人の人間として、2人の自然な関係へと引き釣り込んでくれる、ありがたい言葉でもあると感じた。

そして、
常連として店主と会話する関係を築いてきたのは、私よりも前に彼の介助を担っていた介助者の存在があってこそ。

そこに私も混ぜてもらえた事を喜びとして深く刻んでおきたい。
posted by 岩ちゃん at 12:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

Eテレを見ての感想メモ

徴兵検査
障害者更生法
片輪者(横田弘)
学校が気づかせる障害者である自分
「脳性まひ者協会」青い芝
座敷牢
歴史を語る身体障害者
高度経済成長・所得倍増
重症心身障害児の親たち
親たちによる「重症心身障害児(者)を守る会」
「この子を残して死ねない」親
「役に立たない者には金は出せない」(厚労省)
「施設拡大」(水上勉)
心身障害児総合福祉=コロニー建設
「政治家としての愛情」「皆さんの声」⇒「重症児対策を重点施策とする=コロニー
コロニー=支援者とともに共同生活
国立コロニーのぞみの園へ500人入居
コロニーで安心して暮らす
「ホッとした」親の第一印象
コロニー=故郷との永遠の別れ
ねむの木:「この子らに力を持たせる」
靴磨きの子⇒施設建設/親身な宮城まり子
生徒たちの生き方に疑問⇒小田急線・車いす・観客(否乗客)⇒さよならCP=さらしもの
入所不足の故に親の子殺しが頻繁
「同じ人間なのに、かわいそう」
「我らは愛と正義を否定する」
「障害者って悪いの」
街に出ると露骨な差別
乗車拒否⇒(ハンディキャブの増加は、人々の目から障害者がいなくなる)
30台のバスの足止め⇒苦情を言う乗客
都立府中療育センター=基本病院(医療的ケア)
「普通の子どもとして良い悪いをちゃんと教えてくれた母」⇒「入所初日から不信感を募らせていく」(三井絹子)
病人でない人の対応
多摩強制移転断固阻止
1972年テント闘争
1974年6月テント闘争 合意
「1日でも自分の意思で生きたい」
「ギリギリの迷惑」
国際障害者年
ノーマライゼーション・許されるべきギリギリの迷惑・
脳性マヒ者等全身性障害者問題に関する報告(1982年)
所得保障=自立生活の絶対条件
「現実的に運動していかなきゃならないと思って」=「内実を作る運動」=障害基礎年金
自立生活センター
介助者の確保・地域で暮らせるためのプログラム
「外に出て存在を示す」
「街に出てきて人々の意識が変わった」
障害者支援費制度
「支援費制度の中身は上手くいっていたが、カネがない」⇒「義務的経費」⇒「障害者自立支援法」=法律の裏付け
1割負担=財務省の要求
1割負担=地域で暮らせない
最低限の支援にお金がかかることのおかしさ
自立支援法違憲訴訟 憲法25条違反
2010年和解成立?
低所得者の無料化
障害者の参画
障がい者制度改革推進会議
策定の実感
障害者権利条約批准
「他の者との平等」
法律や制度の整備
権利条約の理念
障害問題は、社会全体のあり方を見直す事
自分の意思に基づいて生きていきたい。=認め合っていきたい。
排除しあう社会はロボットしかいなくなる
みんな違ってていい
他者に無関心であってはいけない
コミュニケーションを取る
違う世界を持っている人に対する未知の世界を持つ人としてリスペクトすると面白くなる
「1秒先がどうなっているかはわからない事を皆が想像できれば世の中は変わる

※後半部分は、結構リアルタイムの部分もあり、その前の歴史を知る上で、なかなか良い番組だと思った。
そして、
重度知的当事者たちが街で暮らすという点においては、「さらしもの」という状況に留まり、
未だに「親亡き後」を求める状況が大多数。
そして、
時代は進んでいるのかと振り返れば、
「発達障害」というものが年々拡大し、
人を「障害者」という枠に入れた上で「支援する(してあげる)」状況が、
障害当事者たちの運動の歴史を踏まえずに拡大しているように思う。
先般、
国は「グループホームに住む軽度の知的障害者は一人暮らしへ」「重度の知的障害者はグループホームで」という方針を出したが、
グループホームにしても一人暮らしにしても、その人の暮らしの形態。
一概に「軽度/重度」などと言えない。
しかし、
本人が語らない分、支援者間においても、
「その人にとっての暮らしの形態は?」を議論するのではなく、
「知的障害者の地域生活の形態は?」と当事者をひとまとめにして、
「どちらの方が良いか?」という議論が横行しているようにも感じる。

重度身体当事者たちの並々ならぬ闘いの歴史。
その根底にあるものは、決して他の障害当事者たちとは違わないと思う。
だから、
私自身は身体当事者たちに多くのものを問われ、
身近にいた重度知的当事者たちの自立生活支援に関わっている。

しかし、
その現れ方や進んでいる方向は、
「どこかの時点で分かれて、別のあゆみになってしまったのかもしれない」と感じてしまう。

番組は良かったけど、
その実際はなんだかなぁ〜という感じ。
posted by 岩ちゃん at 09:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする