2016年03月31日

いよいよ障害者差別解消法が施行されるんだけど・・・

明日から障害者差別解消法が施行される。
長年取り組んでこられた方々の喜びはとても理解できる。
私もこの法律を道具として、これまで突破できなかった課題の解決に使っていきたいと思う。

でも・・・

その直前にあって、緊張と激しい落ち込みを抱く私。

緊張の方は、
「差別」というものが当事者の側から見てどのようなものなのかが解らない私。
長年、障害当事者たちと付き合い、当事者たちとともに「差別」というものを打開するために取り組んでもきた。
しかし、「課題解決」を目的に個々の当事者が抱く「差別」をとりあえず横に置き、「今、取り組まなければならない重要な課題」として展開してきた私でもある。
差別に優劣はないので、当事者からの求めに対し取り組んでいきたいと思う。
しかし、様々な課題が舞い込む私の状況下では、そのすべてに対応できず、鬱々とした思いになる。
それが、
明日から「取り組まないことも差別」と言われたら、どうしたものかと思って緊張する。

落ち込みの方は、
世の中が「差別解消」に向かうこと自体は素晴らしい事だと思う。
しかし、「差別である」事をまずは証明しなければ、「解消」の対象とならないような気がする。
周囲が差別として認めれば、改善しなければ法律違反になる。(とはいっても罰則がなかったりするのだけど)
しかし、差別と認められなければ、その当事者はますます孤立化していくように思う。

たとえば、今まさにやり取り中のケース。
精神科病院に保護入院しているAさんは、保護室での拘束を受けている。
その彼の退院に向けた取り組みをしている私。
Aさんは、決して「精神病」の領域にあるわけではなく(あったとしても間違っていると思うけど)、自閉症という症状を持ち、他者との相互関係を気づくことが困難な人。
60名もの入院患者と過ごすAさんは、他者のつらさを理解できないし、自分がどのようにみられているかを理解することも難しい。
想いのままにとった行動が集団生活という面からすると、維持できない状態になる。
維持できなければ制御されるのが精神科病棟の実際。
本人は、なぜ制御・抑制されうのかが理解できず、
結果、他者と同じ空間にいられず、暴れれば拘束という状態になる。
又、訳のわからぬ状況下でストレスをため込めば、水中毒に陥り、水を飲みすぎないように拘束される。

病院側は、彼の状態や状況を理解しても、病院という環境の中では拘束せざるを得ない。
看護師たちも非常に心苦しく思い、一日も早い退院を願っている。

しかし、
長年社会的入院を強いられてきた自閉症の彼が、退院して一人で暮らすことは非常に難しい。
よって、行政の支援を受けて退院を実現すればよいと考える私たちに対し、
行政は、「拘束状態にある人が、地域に出て暮らすという事は無理」と評する。
「退院する無理な人に制度を支給する必要はない」
「まずは、病院の側の拘束状態を解く取り組みが先」という。

障害の故に起こっている事柄という認識がない行政。
認識がなければ、解消するための合理的配慮(調整)の場にも臨まない。

確かに、
本人は暴言を吐く・人のものを盗む・時に暴力をふるう・GHの体験入所でボヤも出した。
その事象だけを取り上げれば、「拘束はやむなし」「そんな人は地域に置いておけない」と発想するのはありうる。
しかし、
それらが、自閉症という状態の中にある彼の認識の上に起こっているというのであれば、
本人の障害に対して配慮が必要である。
何をもって配慮していくのかという点では、
一日も早く退院を実現し、
地域で過ごす中で、支援をしつつやり取りを重ねる必要がある。

そんなケースを今目の当たりにして、
この差別解消法は有効に機能するのだろうか?と落ち込む。

「暴言を吐く・人のものを盗む・時に暴力をふるう」といった事象が、障害の故に起こっている事として誰かが証明し、そこに支援が関与することで収まっていくことを証明しなければ、何も解消されず、Aさんは病院という閉ざされた空間にこの先一生閉じ込められてしまう。

知的や自閉の当事者たちの場合、
「過度な合理的配慮」が必要になる状況は、その手前で何ら配慮がなされていなかった結果という事が多い。
気づかずやり取りしている時には何も配慮がなされず、目に見える形で表れてきた時に「過度な」と言われてしまっては、どうしろというのか?

そんなことを思いつつ、
障害者差別解消施行前日に開かれる会議に臨む。
posted by 岩ちゃん at 12:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする