2016年04月11日

いろいろ解っているんだろうなぁ〜

自閉症を伴う重度知的当事者宅へ重度訪問介護のヘルパーとして入る。
玄関を開けるといきなり、
「岩ちゃん!」と名前を呼ばれる。
私「はい。こんにちは」
彼「こんにちは」
私「こんにちは」
と挨拶を交わす。

「私⇒彼⇒私」という順に挨拶を交わすのは、彼と私のパターンなんだけど、
名前を呼ばれるのはそうそうない。
想像するに、
隔週入っている曜日なのだが、前回が週を間違えすっぽかしてしまった。
「今日は、間違いなく来たね」の意味だったかもしれない。

部屋にはいると台所の床に、何故か調理器具立てが置いてある。
「あれ?」と思いつつ、所定の場所に置く。
すると、
「ガシャガシャガシャ」と彼の部屋から食器がぶつかる音が聞こえてきて、
籠いっぱいに食器や鍋釜を積み上げ流し台の所に持ってきた。
「洗って」ということだと思い洗い始める。
どうやら、調理器具立てが床においてあったのは、
依頼するためのスイッチで、
それをそのままにしておけば依頼できず、
それを元の場所に戻せば、「良し!頼もう」ということだったかもしれない。

大量の洗い物が済んで、介助者ノートを読もうとすると、
お金を持って「買い物!」を依頼される。
「りょうかい!」とお金を預かり、彼と一緒にお店に向かう。
店内を何度もウロウロと回る彼。
買いたい物と金額とをあれこれ計算しているかも。
彼が言うがままに買い物かごに品物を入れる。
その中にあった、二つのお菓子。
最近当事者たちが集まる場に、「差し入れ」と言う事で持ってくる当事者がいる。
それと同じお菓子。
もしかしたら、他の商品も、どこかで見たものと同じものを買っているのかも。

買い物終了後一旦帰宅。
しばしマッタリと過ごす。

その後、用事があって出かけるのだが、出かけるタイミングはいつも私の方から声掛けしている。
声をかけるまでは「好きなように過ごして良い」と思っているらしく、物音一つ立てずに過ごしている。
(彼にとっては非常に珍しい状態)
所が、出かける時間が迫るとドタバタし始めた。
一旦部屋から出てきてホワイトボードを見て再び自室へ。
どうやら、ホワイトボードに書かれているお出かけの時間を見て、「まだ出かける時間でない」と理解した様子。
毎度、家を出る時間と到着時間を書いているのだが、
見ているのか見ていないのかわからなかった。
でも、前回すっぽかしてしまった事と今日のお出かけの時間が遅めだったことから、
彼自身が確認したのだと思う。
やはり、書いておいてよかったと改めて思う。

用事を済ませると再び買い物。
今日はとても絶好調だったからか、
次から次へと品物をかごに入れる。
買い物の終盤にさしかかり、
「これだとお金足りないけど・・・」とつぶやく私。
自分の段取りのままにならないとどれほど絶好調であってもパニックになる彼。
不足分は建て替えて後でもらうか?
でも、払ってもらえないと困るしなぁ〜などと思いつつ、
彼がどうするかと思えば、
じっとかごの中を見つめ、
「いらない!」と品物を間引いていく。
どこの店にあったかわからないから彼に聞けば、
一緒に元あった場所に向かい元に戻す。
そうして、会計を済ませてみれば、お釣り98円。
本当は100円になる予定だったのだが、買い物袋を忘れたために2円のビニール袋を購入したため。
その計算力が凄い!

そんなこんなで過ごした日中。

実は、いろんな事が解っている彼がいるんだと改めて思う。
そして、私は、彼が解っていることが解っていないという事がわかった。

日々地域という様々な人の中で暮らす彼。
いろんな事が常に一度に襲ってくる中で、懸命に過ごしているのだろう。
懸命に了解しようとしても次から次へと襲ってくる事柄に追いつかない。
それでも、長年地域の中で育ち地域の中で暮らす彼。
いろんな事を了解しているのだと思う。
そして、
今日は、たまたまかも知れないが彼の了解の中で過ごせたから終始ごきげんだったのだろう。
そして、そのごきげんさから、実はいろんな事が了解されているのだろうと想い描くことができた。

とは言っても・・・
なかなか彼が何を了解しているのかを了解できない。
暴れる彼を見るのはとてもつらいけど、
暴れている彼の方がもっと辛いのだろうと思う。

だからこそ、
私は、彼が理解しているものが理解できていない。
と言うところに立って、彼を理解することに努めていかなければと思った。
posted by 岩ちゃん at 19:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

ここ最近の当事者の変化に

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者のお宅に、4月から新しい事業所の新しいヘルパーが介助に入った。
新しい人の登場を何の躊躇もなく受け入れ、
逆に、これまで滞っていたことがスムーズに運ぶようになってきた。
古くから彼と関わる私には超びっくり!!

彼は、かれこれ15年ほど一人暮らしをしている。
一人暮らしを始めたころは、とにもかくにも何をどのように支援して良いのかわからないほど、暴れまわっていた。
現在、一昨年から重度訪問介護を使い暮らしている。いわゆる強度行動障害を有する人。

こだわりが激しく、パターン化された枠を設けることが良いとされる自閉症の人たち。
いわゆる構造化という事なんだろうけど、
長年地域で育ってきた彼は、親元にいる間その構造化を自らが求め自らが解決していた。
どのように彼自身が構造化しているのかわからないが、何かを引き受けようとする時には必ず暴れていたし、
その何かが了解できた途端に落ち着き払うという繰り返し。
周囲は、ただただ彼が安全に暴れられることを見護るしかなかった。

でも、家族というベースがある中で、「落ち着くまで見護る」という事はある程度できたけど、
家族の下を離れ、一人暮らしを始めた途端、ベース作りも彼の課題となり、暮らしという様々な状況や事柄が襲ってくる中で、彼は自らの暮らしを縮小しつつ了解可能な構造化を行っていたように思う。

それでも、暮らしというものは常に応用問題の世界。
自分では何ともできない状況下で、行動は収まらず、
近所が本人の状態を受け入れられず、
何度も引っ越しを繰り返していた。

日々彼に関わるヘルパー達。
長い年月介助に入り続けていると、彼もヘルパーも個別のやり取りの中である程度の了解が取れてくる。
ある程度了解が取れれば、違った側面からやり取りし本人が了解している事が何かを知る余裕も生まれる。
でも、
昨今のヘルパー派遣事業所はどこも人手不足。
行動が激しい状態の彼と付き合い続けることが難しく、
何にものヘルパーが彼の暮らしの場を通り過ぎて行った。

そして、彼は常に新しくやってくる人に対し、一から関係性の構造化に努めていたように思う。

一方、ヘルパーの側はと言えば、
こだわりが激しく、本人に対して決まったパターンで関わる事に努めようとする。
カレールーひとつとっても、本人が決めている物を買ってくる。
彼の発する言葉をそのまま受けて、夜中だろうが早朝だろうが買い物に行く。
そうすれば、本人も要望が通ったと描き落ち着く。
彼のこだわりを見護り、彼が動き出すまで彼の儀式に付き合い続ける。
予定の派遣時間を過ぎても目的の場所に行けなければ、事業所がその責任をとって無償で関わり、
何とか時間通りに事が進む取り組みを模索し続けてきた。

今日の会議で、ここ最近の様子の変化について「なぜ、本人はここ最近関わりがスムーズになったのだろうか?」という話になった。

「行動障害」と称される状態が起こっている時には、必死にそれを改めようと支援者間で検討するが、「行動障害」と称される状態が改善されると、支援者たちは安堵し、一息つく。

そうではなく、「なぜ彼は落ち着いたのだろうか?」「その理由が判れば、落ち着かない時の対応に活かせるのではないか?」という問いがここ数年あり、
今日の会議でも、新しくやってきたヘルパーとの様子からその意味をあれこれ考えた。

すると、
ここ数年関わっているヘルパーが、
「自分たちは、あまりにも彼を自閉症の人という見方で接していたのではないだろうか?」という意見を出した。
「彼には彼のこだわりがあると決めつけて関わっていたが、実はそのこだわりは彼がヘルパーを見て作り上げていったものではないだろうか?」
「彼の依頼をそのままに了解するではなく、彼の依頼が実現不能と拒否するでもなく、やり取りすれば違った展開が生まれるのに、決めつけて関わってしまっていたのではないか?
「付き合いが長くなると、彼自身が相手とのなかで構造化したことを、解除する事は出来ないだけかも」
「介助者の側が思い描いきやり取りしてきた結果、理解はできても解除ができない」
「でも、理解しているから新しく入ったヘルパーとの関係の中で理解したことを実行に移しているのではないか」
等々あれこれ意見が出された。

どれも、納得いく話に思えた私。

当事者本人もこちらを見て暮らしているのに、こちらは当事者の事を決めつけ何とかしようと懸命に試みていたのではないだろうか?
そんなことを思い描くと、

自閉症の人に対する構造化の話というのは、いかに構造化していくかという視点に立てば、より専門性をもって本人と関わらなければならなくなる。
しかし、
そんな専門性を持っていないヘルパー達は、目の前にいる本人と向き合い続け、本人がいかに理解しているかを考え、その理解の上に、暮らしをどう回していくかを懸命に担ってきたように思う。

私自身も長年当事者たちと付き合い続けている中、決して専門性をもって彼らと付き合っているわけではない。
しかし、長年のかかわりの中で思い込んでいる事がたくさんあるように思う、

今日、日々関わるヘルパー達からの話を聞く中で、
当事者のこだわりの前に私自身がこだわっている事に気づかされた思いでいる。
そして、
当事者自身もヘルパーという存在が、自らの暮らしを規制する人ではなく、要望に応えてくれる人であり、思いを実現することに対し関わってくれる人であると了解しているように思う。
そして、実現するためのやり取りをしてよいという事が生まれているように思った。

これまで新しく入るヘルパーに対しては、彼の決まりごとを伝え、決まり事通りに事を進めるよう伝えていたかもしれない。
そうではなく、彼が理解している事を理解する事に努めるために、それぞれが思い描くことを出し合い、新しい人たちも古くから関わる人たちもそれぞれの視点から思い描くことを共有することで、日々の暮らしと支援が廻っていくように思えた。
posted by 岩ちゃん at 14:29| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

差別解消法と合理的配慮

いよいよ始まった障害者差別解消法。
単なる法律の始まりではない。
ここに至るまでの障害当事者を取り巻く様々な歴史の上にこの法律が出来上がっていると思う。
その歴史を振り返り、ここに至るまでに展開されてきた中身を振り返ることで、まだまだ不十分である事柄の展開が見えてくるように思う。

例えばそれを「合理的配慮」絡みていくと、
入所施設に閉じ込められていた身体当事者の自立生活運動があった。
施設を出て街で暮らすようになると、街には様々な障壁があった。
それらは皆、実際地域で暮らす事で明らかになった、「本人の意思」と「社会」とのギャップが目に見える形で現れ、ギャップ事態が障害であると周囲の意識が変えられていった。

多くの身体当事者が、電車に乗りバスに乗る。
いろんなお店で買い物をする。
彼らの存在を抜きに作ってきた街故に起こる障壁。
それは、多くの当事者たちが街に出ることで、車いすを担がなければならない場面が増え、
拒否できないとなれば、担ぐ側の腰痛対策のためにスロープやエレベーターが求める結果に至る。
「電車に乗ります」といった本人の意思を拒否できない状況に至る歴史。
街の構造を変える方が周囲の者にとって楽と言う話。
正に、
差別解消法は、「拒否できない」ならば「エレベーターを設置したほうが楽」と言う中で、どうすれば双方にとって良いかを考えなされる事だと思う。

その始まりである「施設入所」
「施設入所があたりまえ」であった時代。
そこでは本人の意思に関わず、周囲の価値観と状況分析によって「入所施設の方が本人にとって良い」とされていた。
彼らの存在が邪魔とする人もいただろうが、それよりも本人の意思に関わらず周囲が描く「かわいそう」「なんとかしてあげたい」という(本人の意思に関わらない)肯定的な思いから入所施設が作られていったように思う。
そんな周囲の想いに対する、「自らの意思」を発し、「施設を出て街で暮らす」と言う歴史が、自立生活運動であったと思う。

ようするに、
「本人の意思ではなく周囲の意思」によって施設に入所されられていた人々が、
自らの意思を持ち施設を出て地域で暮らす。
街で暮らす中で作り上げてきたのがこの法律の一面だと思う。

では、重度知的当事者たちはどうだろうか?
知的当事者が家族と暮らす率は高い。
しかし、年齢とともに入所施設が増える。

それは、家族のもとで過ごせるならば家族と
家族のもとで過ごせなければ入所施設。
その狭間で「親亡き後」と言う発想のもと展開される。

それらは、入所施設であれ家族の下であれ、
すべての場面で「本人に意思がない」とされ、家族ないし施設が本人にとっての「良かれ」を思い取り組まれているように思う。

すなわち、「施設を出て地域で暮らす」事を求めた重度身体当事者の、その時代と何ら変わらず、周囲の意思で暮らす重度知的当事者たちが存在している。

「本人に意思がない」ではなく、「本人の意思が見えない(解らない/判らない)」と言うところに立ち、本人の権利保障として「施設」に入れざるを得ないというなら、
差別解消法における合理的配慮は、
まずもって本人の意思をいかに知るか、本人が選択できる状況をいかに作るかが、判断するための支援をいかに作る必要があるように思う。

私も含め「自らの意思」はどのように形成されうのだろうか?
自らの環境やその環境から考えたり、他者の環境やその中での考え等々を知ることで、様々な選択肢を得て、その中で選択し、実現に向けた取り組みの中で、様々な事を思考して築いていく。
それら全てを奪われた重度知的当事者の意思(家族や専門家の意思や解釈のみに委ねてきた意思)は、
今、目の前にある事柄のみをとって語られるものではなく、その人の歴史そのものを周囲と共有し明らかにしていくことが必要だと思う。

「フリガナをふる」「簡単な言葉で説明する」といった、
目の前の対応だけではないものを考える必要があると思う。

もし、今起こっている事柄の判断のための対応のみが「合理的配慮」とされてしまえば、
その取り組みを周囲が懸命にすればするほど、
「それでも明らかにならない本人の判断」は「判断できない人」とされる。
そして、「一番身近な人」と言う事で家族に判断を求める。
家族が判断できなければ後見人に判断を求める。

「判断能力がない」とされた人々。
じっくりと本人の判断を求めていくことができない中、
暮らしを止めるわけにもいかず、
目の前で起こる事柄に対する判断を行うために成年後見制度を必要としていく。

しかし、一旦被後見人になれば、「本人の意思/判断」=「後見人の意思/判断」になってしまう。

本人が自らの意思を持って判断するためには、
様々な経験や周囲の様子を知る必要がある。
入所施設や障害者施設等で、障害当事者ばかり集めてやり取りすれば、経験は奪われ周囲は皆障害者故にそれ以外の事を知らずに過ごす。
そんな中で判断を求められても判断できない。

それなのに、
促進法なるものを作り、成年後見制度を進めようとする人々は、
「本人の歴史(人生)」や「本人と関わる人たち」の存在をまったく無視し、今目の前に起こる事柄の判断に対しての評価で、後見人に丸投げできる体制を整えようとしている。

障害者差別解消法の裏で進められる成年後見制度利用促進法。
表面的には、知的当事者等の権利を保障するかのように語られている。
しかし、その実態は正に「合理的配慮」なるものを、後見人という人たちに丸投げする法律。
「市民後見人」という「専門性ではなくより市民に近い人達に後見を担ってもらう」というその「市民」は、正に障害当事者を社会から排除してきた人々であり、その人たちの発想によってなされるものの恐ろしさははかり知れない。

差別解消法における「合理的配慮」は、
まずもってその「配慮」を求める当事者の意思をいかに明らかにするかという点を考えぬかなければ始まっていかない。

このブログで成年後見制度に纏わる話をあれこれ書いてきた。
私の立場は、現状の成年後見制度はその理念とは真逆で、
一旦利用を始めるとどんどん本人の権利が奪われるため、
恐ろしくて使えないと言う立場。

なので、
成年後見制度を使わす、様々な取り組みを行い、重度知的当事者の暮らしを支援してきた。

差別解消法が始まった今、
成年後見制度を促進するのではなく、
成年後見制度を使わない(被後見人にしない)とすれば、「本人の意思がある」と言う前提が生まれ、
では、その意思を明らかにするための手立てをこうじるしかなく、
そういう人がより多く存在すれば、
「合理的配慮」の中身を様々な人と積み上げていくしかない。

現れる様々な障壁や不具合に対し、取り組むところに「合理的配慮」の意味があるのは、
正に、入所施設を出て街で暮らし始めた重度身体当事者たちの歴史にも重なり、
障害種別を超えたところでの「差別解消」や「合理的配慮」が生まれてくるように思う。
posted by 岩ちゃん at 12:06| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 差別解消法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする