2016年05月15日

「障害のある子のカルテ義務化」の恐ろしさ

今朝一番に目についた記事。
『障害ある子の「カルテ」義務化 小中高共通、学校が作成』
朝日新聞デジタル 5月15日(日)3時6分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160515-00000009-asahi-soci
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「障害のある子どもを小学校から高校まで一貫して支援し、進学や就労につなげるため、文部科学省は進学先にも引き継げる「個別カルテ(仮称)」を作るよう、各校に義務づける方針を固めた。通常学級に通う比較的軽い障害や発達障害の子どもも対象で、2020年度以降に導入する。」
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この記事を読んで恐ろしさがこみ上げてきた。
これまでだって、同様のことがされてきたし、
一旦事が起これば、遡って情報を収集できるほど、「障害児」についての情報はあちこちに蓄積され管理されている。
それを学校という場で一貫し「個別カルテ」と言う名の統一された書式で収集し続けると言うもの。
それを卒後の役に立てるというのだが・・・

最近、書き上げられないブログ記事が増えていて、「未公開」記事だらけ。
この記事を巡っても十分書ききれないと思う。
記事を読んで心臓バクバクの私。
取り急ぎ気持ちを落ち着かせるためにFBに書きなぐった。
でも、FBよりもブログの方が人の目につくので、
以下、FB上で書きなぐったものをそのまま載せて、いろいろコメントを頂きたい。
〈但し、コメントに対してどれほど反応できるかの自身はないのであしからず)

==以下FBをコピペ==
「自分が嫌と思うことは他人にやってはいけない」と教わってきた。
これが、私の「カルテ」我が子の「カルテ」で、そのカルテが小中高と引き継がれていくとしたらなんとも恐ろしい。
そして、卒業後この「カルテ」はどうなるのか?
様々な個人情報が蓄積された「カルテ」を卒業と同時に破棄するなんて思えない。
「個別カルテ」は、文科省から厚労省へ。すなわち、学校から行政に引き継がれ、「サービス等利用計画」の名の下で活用されることが容易に想像できる。
そしてこの「利用計画」。
本来は、本人が望む暮らしに対するサービスを提供するためのものなのに、
周囲を見渡せば、本人を管理する計画になってしまっている。
すなわち、
「個別カルテ」は、「個別支援教育」と言う名目で集められ、卒業後は「個別支援」と言う名目で、行政等が利用する事になる。
すなわち、
「カルテ」は、「カルテ」を使う側に必要なものであるから、「カルテ」を基にその人が地域で暮らすことが妥当か、入所施設が良いのか等々の判断材料にされてしまう。
「カルテ」を基に、成年後見制度利用を強制されるかもしれない。
現状、新規に障害者手帳や年金や諸制度を利用しようとする時、
「母子手帳」の情報を求められる。
出生時の状態や病気や◯歳児検診の結果等々の情報を求められる。
しかし、そのような状態にあっても母子手帳への記入が終わった後の暮らしに拠って当事者の状態や状況は大きく変化する。
なので、
私は母子手帳の提示を求められても、こちらが必要と思えない情報は、すっとぼけて伝えることはしない。
逆に、
幼い頃から付き合い続けてきた障害を持つ子ども達に対する情報は、私の頭の中にたくさん蓄積されている。
身体当事者以外の障害者が重度訪問介護を利用する際に求められるアセスメントは、長年付き合い続け蓄積された情報を基に私が書いている。
そこには、「当事者の一人暮らしを実現する」と言う明確な動機を基に、作成していく。
すなわち、
私の中にある「個別カルテ」も学校がこれから蓄積していこうとする「個別カルテ」も、それを使う側の意図によって真逆の状況を生み出すということになる。
本人が預かりしならないところで蓄積される情報を、あずかり知らない人たちが使っていくことはとても恐ろしい。
そして、
「個別カルテ」が障害を持つ子ども達に必要ともっともらしく言っているが、
障害児に限らず他の子どもたちに対しても、この先同様のことを行っていくように思う。
それは、
「高校生の政治活動を届出制に」などとサクって言えてしまう昨今の状況から見て取れる。
「障害児の支援教育」と言えば、障害児でない子どもたちには関係ないように思うだろうが、
現状の「支援教育」は、発達障害児の登場により、子ども達の状態を「スペクトラム」なるものとして、学校側に不都合のある子ども達は皆いつでも「障害児」として
位置づけられる。
個人と個人の関係の中に生まれる「障害」を、個人の症状としてのみ見て、周囲にとって「迷惑」か否かで判断していく。
その「迷惑」が、互いの関係の中に生まれるものではなく「学校」と言う統一された価値観にハマるかハマらないかで判断されていく〈判断されている)
「個別カルテ」は決して「障害児」のための「支援」教育ではない。
「個別」と称し子どもたちの関係を分断し、
「カルテ」として蓄積された個人情報を、卒業後までも使って、人を管理していく。
今朝、一発目に目にしたニュースの恐ろしさを感じ、胸がドキドキしている。
まとまりのなく書きなぐっているのは、描いた恐ろしさを少しでも和らげたいと思う私の状態の故。
もし、社会にとって不都合な人を「障害者」として置き換え、彼らを社会から排除する事が良いとするなら、その理由付けとしての「カルテ」が重要だと思う。
しかし、
もし、「障害者」ではなく一人の人格として、ともに歩むことともにこれからの社会を作るというならば、
個人に焦点を当てた「個別カルテ」なるものを作らせてはいけない。
そして、「個別カルテ」を作成する趣旨のみを見ていくならば、
作らなければならないのは「個別」の「カルテ」ではなく、
毎年新しく子ども達が入学し、毎年卒業と言う形で送り出して行く、学校が様々な子ども達とどのように接し、教師や学校はすべての子ども達を受け入れるために何をどのように取り組んでいるかと言う「学校カルテ」だと思う。
そして、
その「学校カルテ」は決して個人を診るものではなく、学校の取り組み方のカルテであり、子どもたちと関わる全ての人に開示できるものであり、開示する事でともに今の学校教育を考える機会にすべきと思う。
差別解消法が施行されてから、
世の中は解消の方向に進んでいこうとしている。
しかし、
成年後見制度利用促進法やこの「個別カルテ」と言う話は、
さも当事者たちの権利を護るように装いつつ、
実は、特定の誰かによって個々の当事者の暮らしを管理されていく〈管理できる状態に置く)ようで、とても解消の方向へ進もうとしているようには思えない。
==以上==
posted by 岩ちゃん at 11:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 個別カルテ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする