2016年05月25日

機会の平等/結果の平等 合理的配慮について

4月から施行された差別解消法。
合理的配慮についてあれこれ語られている。
既に誰かが語っているのかもしれないが、
昨日自立支援協議会内に設置された権利擁護部会の初会合。
合理的配慮にまつわる話が出されたので、自分なりの想いを書き留めておきたい。

10数年ほど前、地元では「障害児の公立高校進学」ブーム(?)が巻き起こり、
数年間毎年公立高校を受検する子ども達の支援を担っていた。

「意欲と希望のある子どもを受け止める事」とそれ以前からの地道な交渉の結果、
都教委は各高校に通達を出すという状態にあった。
しかし、
合否の裁量権が校長にある中で、定員内不合格を出す高校があり、受検に際しては願書を出す段階から合否の結果に至るまで、当該高校や都教委との交渉が繰り返されていた。

都教委としては、「措置の申請」という制度を設け障害のある子どもが受検する際には、
時間の延長や選択肢による問題や音読/代筆と言った、障害の故に他の子どもたちとの不利益が生じないよう個別の状況に応じて配慮がなされていた。
ただ、
その配慮も、高校側からすれば「不正に繋がるのでは?」と言う理由で、すんなりと通るものではなく願書提出の後、様々な形で協議が重ねられていた。(これが、単なる協議であれば、合理的調整として高評価を与えられるのだけど、実際は「交渉」と言う形でこちらが一方的に主張し学校側は応じるか否かと言うせめぎあいだった)

いくつもの高校とやり取りする中で、ある高校の校長が
「どうぞ受検してください」「措置の申請?存じています」
「受検に際して、必要な配慮は何でもおっしゃってください」ととても理解のある人に巡り会えた。

と思っていたら、
「うちの高校は、定員割れしたことがないので受検するのは勝手ですが、合格はできませんよ」と明言するのです。
また、
その翌年も、同様の校長がいました。
この校長は「受検する事は認めますが、受け入れることはできません」と言い続けていました。

先の校長に対しては、
「もし、定員割れしたなら受け止める」という事を約束させました。
その結果、
異例の定員割れ!「天は我々に味方した!!」
定員割れをした校長は、「青ざめた表情でいた(都教委職員の弁)」
青ざめつつも約束を守ってくれた。

しかし、
その翌年の校長は、定員を3人超えただけで例年なら全員合格なのに、
障害当事者1人を不合格にするため他の2人までも不合格にして、定員数を合格者数とした。

その経験が意味するものは、
受検の機会は、合理的配慮によって保障するも、
結果については、障害を理由に不合格とする。

すなわち、
対応要領等で窓口を訪れる障害者に対し様々な合理的配慮を行いつつも、
支給決定においては、公平性の下本人にとって必要となる支給を認めない。

対応要領は、合理的配慮の中のごく一部。
求める所は「障害を理由とする差別の解消」

エレベーターの設置等による段差の解消・大きな文字や簡易な文章の使用・手話通訳者の配置等々、
窓口に障害者が訪れて、様々な相談が容易にできるようになる事はとても大切な事。

しかし、
「にっこり笑って、すっぱり排除」という合理的配慮では意味がない。

差別解消は、障害ゆえに自らが望む暮らしができない状況に対し様々な手立てを行う事であり、
行政に義務が課せられている。

「親もとや施設や病院を出て、自らの暮らしを実現したい」という当事者。
その意味は、
障害の故に、
親と暮らさなければならない。
施設や病院でしか暮らせない状況があるから、それを望んでいる。

しかし、
行政の対応は、
「想いは受け止めるが、GHの空きがないので無理」
「想いは受け止めるが、ヘルパーの支給量は認められない」

そのような結果に対する平等
結果に対する合理的配慮がなければ、
機会の平等のみの合理的配慮は、
差別解消に向かうのではなく、
差別をひた隠すための配慮にしかならないように思う。

posted by 岩ちゃん at 17:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする