2017年08月29日

地域移行を実現するために移動支援を使わせて!!

昨今、精神科病院から「地域移行支援事業に協力して欲しい」という依頼が増えている。
過去、強制的に入院させられた当事者に面会に行くと、出入り禁止にされた事がしばしばあったので、
病院からの依頼は隔世の感がある。

とは言え私は、精神病や精神障害と言うものに詳しくない。
又、精神障害の当事者に対する支援の専門性も持ち合わせていない。
でも、
目の前に存在する人たちと付き合い続け、
当事者たちの自らの暮らしや想いや願いに耳を傾け、
お互いがこの社会の中でごくごくあたりまえに暮らせない現実を課題とし、
課題解決のために様々な取り組みを、
ひたすら積み重ねてきただけ。

そんな経験によって、
少なくとも精神科病院や精神障害の当事者達への偏見は少ないと思う。
それ故に専門的見地よりも、目の前に現れる「その人」といかにやり取りするかという点では長けているとは思う。

昨今社会的入院を強いられている人たちを地域に戻す動きがある面進んでいる。
地域移行支援事業というものが生まれ、
福祉計画においても地域移行者数を計画に盛り込んでいる。

しかし、
その動きを見ていると、私のような素人が入り込むような隙はない。
PSナンチャラにOTとかPTとか何の事だか聞いてもすぐに忘れるような肩書の人たちが、
寄ってたかって「地域移行を実現するために」と喧々諤々とやっている。
その果ては、病院内にGHを立てたり、病棟をGHにして地域移行を果たしたという数値だけをたたき出す動きもある。

「精神病」という何らかの「病」はあるのかもしれない。
「病」に対する「治療」は、医師や病院の範囲かもしれない。
でも、
そういう「病」をもって暮らしているのは「その人自身」であり、
「その人自身」は、「その人だけ」で暮らすわけではない。
「専門性に囲まれて暮らす」というわけでもない。

「地域移行」という「地域」には様々な人がいて様々な場があって、様々な人の関わりの中で暮らすという事になる。

でも、
様々な人や場は、「精神障害者」とであった事がない人がほとんど。
出会ったとしても、身内だけで、その身内で抱え込まなければならない社会の状況下で、辛く大変な想いしか抱けない人が多いように思う。

だから今、
「地域移行」を実現するには、地域移行支援事業者が懸命に病院以外の場を探す事に努めている。
そしてその場というのは、通過型GHであったり、訪問看護事業所であったり、精神障害に詳しい居宅介護事業所や精神障碍者を対象とした日中活動の場になってしまう。
しかも、とことん当事者本人と付き合い本人の意向を聞きだし、本人の意向に沿った暮らしをともに構築していくなんて余裕はない。
一方当事者の方も、「退院できる」となれば懸命に病院内にいる人たちの願いに応えようとする。
閉ざされた空間の中であっても、「できるようになる」「やってはいけない事はやらなくなる」事にエネルギーを注ぐ。
紹介された場や紹介された人を拒否すれば、次はないから懸命に相手に合わせることになる。

そして、
相手に合わせられるようになれば「退院」=「地域移行達成」となるのだが、
相手に合わせた暮らしばかりを強いられていては、当事者自らの暮らしは成り立たない。
辛くなって再び入院すれば、「時期尚早」とみられ次の挑戦まで再び長い入院生活を強いられる。
本人も自身を失くす。

そんな事あれこれ思っていたら、
「入院中の重度訪問介護並びに行動援護の利用を認める」という厚労省の通達が届いた。

「これは画期的な事だ!」と一瞬喜んだのだが・・・

長年重度身体当事者たちによって築かれてきた重度訪問介護は、「常時介護を必要とする重度身体障害者」となっている。
これが2014年から重度の「知的障害」や「精神障害」のもので常時介護を必要とする者にも認められた。
なので、これを活用すればと思うところだが・・・

重度の知的や精神当事者に対象が広がったのではなく、「行動障害を有し」「常時介護を必要とする者」に対象が広がっただけ。
我が市では、これまで家事援助や身体介護や移動支援といったものを組み合わせ一人暮らしをしてきた人たちにとっては、ありがたい対象拡大なのだが、
これが精神科病院に入院中の人の場合はどうだろうか?

「行動障害を有する者」に対し医師は退院に向けたやり取りを始めるだろうか?
決して退院させないだろう。
今「地域移行」と称し退院を目指す人たちは、症状が安定していて、服薬管理もある程度できて、コミュニケーションもそこそことれて、意思がはっきりしている人たち。
そういう言う人たちには、重度訪問介護や行動援護は支給決定されない。

結局は、
話は戻って、相談支援員が移行先を見つけてきた所に何はともあれ当事者が了承していくしか地域移行は実現できない。
意識ある相談支援員も、一人にかかりっきりにはなれないのでそうせざるを得ない。

で、
ここでぜひとも実現して欲しいのが、
「入院中から移動支援を使えるようにする」という事。

入院中から移動支援が使えるようになれば、
移動支援を使えば、
・外の世界に触れる事ができる。⇒モチベーションが高まる
・自らが求める場を探しに行ける。⇒自分で実際みてから決められる
・移動支援を使い様々な体験ができる⇒長期入院による浦島太郎からの脱出
病院内にいる間にあれこれシュミレーションしても実際の暮らしと違う場合が多い。
シュミレーションと実際とが違っても、退院してしまうとあれもこれも一度に解決しなければ暮らしが廻っていかない。
入院中にヘルパーと街を歩き、様々なプレイバックをする事で、いきなりの大混乱を避けられるのは単純に考えても解る話。
日中活動の場も実際に何度か体験してみて気に入れば決めれば良いし、気に入らなければ他の場所を探せばよい。
生活に必要なものをヘルパーと一緒に準備する事もできるだろうから、退院後いきなりあれもこれもしなければならないという事が避けられる。

そんな事を当事者の側に立って考えると有効に思えてくる。

でも、それ以上に有効に思うのは、
受け入れる側が本人と緩やかに出あえるという事。
数回面会しただけで、受け入れの可否を考えなければならない状況。
本人の混乱状態に懸命につきあえれば良いけど、ある面完璧な当事者であるなら受け入れても良いと考える場は多い。
そして、いざ退院した後大混乱の下失敗すれば、次の受け入れに躊躇するのは必至。

「何度でもやり取りして、お互いを知った上で決めてもらって構わない」となれば、かなり受け入れのハードルが下がる。
又、何度もやり取りすれば初対面や言葉の上だけでは見えないものも見える。
又、退院前から信頼関係を築いておけば、退院後はいろいろ課題はあっても一緒に解決を図れる。
今の状況は、信頼関係よりも専門性ばかりが目につき、当事者の行動や思考を分析して対処するような状況。
移動支援を使い「習うより慣れろ」的な関係が築けたなら、実はなんてことないやり取りが始まる。

という点から見れば、
実は当事者本人よりも受け入れる側が移動支援を利用する事で受け入れが容易になるように思う。

そして、
移動支援の事業所は・・・
精神科病院で暮らす様々な当事者に出会う機会が生まれる。
いざとなれば、病院にお任せもできる安心感の中で当事者たちと出会える。
出会ってみればなんてことない人の方が多いけど、
閉鎖病棟の中まで入り込む機会はそうそうない故に、様々な偏見や憶測の方が膨らんでいる。
それを払しょくするには「習うより慣れろ」なんだと思う。
そして、
一人暮らしを始めたりすれば、そこに居宅介護のヘルパーも派遣できる。
いきなり「派遣してもらえますか?」と相談支援員に依頼されるよりも、
入院中からやり取りしていれば「その人ならば大丈夫」という事もあると思う。

普段地域で暮らす障害当事者たちとやり取りしていると、
移動支援は、当事者と社会をつなぐ役割だと思う。
単に当事者の余暇につきあうだけでなく、
そこで出会う人たちとのつながりを求めていく事で互いの世界を拡げていく仕事だと思えてくる。

それを、精神科病院で暮らす人たちにあてはめて見れば、
正に、病院と社会をつなぐ役割を果たすのが移動支援なんだろうと思えてくる。

という事で、
移動支援が入院中から認められたなら、
いろんな可能性が拡がる。

それは、行政においてもしかり。
いきなり見知らぬ人(紙ベースでしか知らない人)を支援するのはとても大変な事で時間とお金がかかる。
でも安心感をもってやり取りできるなら、さほど多くの時間とお金は必要なくなる。
万が一失敗したら、それをカバーするための費用は極端に膨らむ。
出も徐々に社会に出てくる状況があれば、失敗のリスクは下がり、
その事によって支援を必要としない部分も増えるだろう。

という事で、
地域移行を実現するために移動支援を使わせて!
と、声を大きくしたい!!
posted by 岩ちゃん at 17:55| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

無くて七癖有って四十八癖

【意味】人は誰しも多かれ少なかれ癖があるということ。

癖というものは、自分ではなかなか気づかない。
人に言われて気づくことが多い。
それが人に評価される癖ならうれしいけど、
恥ずかしい癖だったり、周囲に嫌われる癖を指摘されると、
懸命に修正を図ったりする。でも、身についた癖はなかなか取れずに悩んだりする。

そんな「癖」というか自分では気づかない振る舞いについて。

自閉症の人は、事細かな点に気づくと言われている。
ならば、支援者や介助者の事細かな「癖」にも気づいていると想像する。
そして、支援者や介助者自身は気づかないままに当事者と向き合っている。
そのため、
何となく上手くいく人となんとも上手くいかない人の違いが、
実は支援者や介助者の側には気づかない振る舞いに当事者の側のみが気づき、それをみて当事者が判断しているのかもしれないと描いてみた。

でも、
自分の癖ってなかなか解らないので、
他の支援者や介助者が当事者とやり取りしている姿を見て、
自分が当事者とのやり取りしている時と比べてみる。
すると、ちょっとした違いが当事者にとって判り易かったり、判り難かったりする事に気づく機会もあるかもしれない。
posted by 岩ちゃん at 11:38| 東京 ☀| Comment(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする