2017年09月15日

2014年の重度訪問介護の対象拡大についての確認

2014年。厚労省は、これまで重度身体当事者のみが対象となっていた重度訪問介護を、
下記の通りに改めた。

重度の肢体不自由者又は重度の知的障害若しくは精神障害により行動上著しい困難を有する者であって、常時介護を要する障害者
→ 障害支援区分4以上に該当し、次の(一)又は(二)のいずれかに該当する者
(一) 二肢以上に麻痺等がある者であって、障害支援区分の認定調査項目のうち「歩行」、「移乗」、「排尿」、「排便」のいずれもが「支援が不要」以外に認定されて
いる者
(二) 障害支援区分の認定調査項目のうち行動関連項目等(12項目)の合計点数が10点以上である者


最近、卒論のインタビューを受けたり、重度知的当事者の自立生活支援についての講演依頼を受ける機会が増えている。
又、対象拡大から3年が経つも今尚自立生活を営む重度知的当事者の数が増えていかない現実。
その中で、この重度訪問介護の拡大も含めた今後の展開について考えようとする人たちが増えている。
さらには、
やまゆり園を巡るやり取りにおいても、この重度訪問介護の対象拡大が様々期待も込めて注目されているように思う。

その事自体は歓迎するのだけど・・・

ただ、重度訪問介護の対象拡大と重度知的当事者の自立生活を巡る話や情報や呼びかけが流れてくる中でいつも気になっている事がある。

それは、
「2014年重度訪問介護の対象が重度の知的障害者にも拡大された」という話。

でも、
実際に拡大した対象は、「行動上著しい困難を有する」重度の知的障害者や精神障害者なのだ。

すなわち、
重度の知的障害者や精神障害者に拡大されたわけではない。
「障害支援区分の認定調査項目のうち行動関連項目等(12項目)の合計点数が10点以上である者」なのだ。

昨今「社会モデル」という言葉が巷で聞えるようになってきたが、
この認定調査項目の中にある「行動関連項目」なるもので明らかにされるものは、
本人の「問題行動」「行動障害」
それが、たとえ周囲との関係や置かれている環境や関わり方の不具合という周囲の課題であったとしても、
現れる本人の行動に拠って「判定」される。
逆に、それら周囲と本人との関係が充足し、本人が「行動障害」に至らなければ、重度訪問介護の対象にはならないという事。

そんな「個人モデル」「医療モデル」に拠って立つ、対象を拡大した重度訪問介護。

「重度訪問介護の対象が知的や精神初会社にも拡大されました」という認識では、
重度知的当事者や精神当事者の自立生活に対する支援や自立生活に至る様々な課題は見えてこないように思う。

例えば、厚労省は精神科病院にいる当事者達に対し、入院中から重度訪問介護や行動援護が使えるようになるという。
しかし、入院中の精神障害の当事者たちで利用できるのは「行動上著しく困難を有する者」のみ。
そういう人が重度訪問介護を使い退院していくという事を医師や病院関係者は認めるだろうか?
逆に、落ち着いた生活をしていて、地域移行支援事業を使い退院を目指す人は、「行動上著しく困難を有していない者」なので、重度訪問介護は使えない。
厚労省は、さも地域移行を推進しているかのように思うが、実際は使いたくても使えない制度になっている。

又、
地域で暮らす重度知的当事者たちが重度訪問介護を使い自立生活を始めようとする。
すると、
相談支援事業所によるアセスメントや利用計画案の作成が必須となっている。
重度身体当事者たちが重度訪問介護の利用申請を行う時、専門家によるアセスメントを求められることはない。又、セルフプランが認められている。
しかし、
重度知的当事者には求めてくるアセスメントや利用計画案は、まさに「行動上著しく困難な者」だからだと思う。

その他、
行動援護事業者の活用やそもそも「問題行動」「行動障害って?」という疑問。
さらには、行動障害支援課程という新たに新設された重度訪問介護従事者研修内容の問題点。

そのように様々な課題があるにもかかわらず、
「重度知的障害者にも拡大された」と言われると、実際の事柄が見えてこないように思う。
そして、見えてこないままに不安だけが募り、重度知的当事者の自立生活が進まないというに終わるように思う。

重度身体障害当事者たちによって築かれてきた重度訪問介護。
私は、東京都の事業として行っていた「脳性まひ者等介護人派遣事業」を巡る交渉の頃から重度訪問介護という名称に至るまでをリアルに見てきた。
重度身体障害当事者たちは、ある面制度の支給が行われれば、実際に使いながら自らの暮らしに適した制度やその利用の仕方に組み替えてきた。
しかし、
重度知的当事者や精神の当事者は「行動障害」なるものを対象とする事で、「社会で生きていけるのか否か」を判定される。
そして、対象となったらなったで、別の方向から自立生活は無理と言ってくる行政や相談支援事業所があったりする。

そんな様々な状況も含め、
まずは、どう対象が拡大されたのかをきちんととらえる必要がある。

決して、「常時介護を必要とする重度の知的障害者や精神障害者」にも対象が拡大されたのではない。
どちらかと言えば、
「行動上著しい困難を有する者」にも対象が拡大されたという方が正しい捉え方だと思う。

そこをしっかりとらえた上で、
「重度訪問介護が、常時介護を必要とする重度知的障害者等に拡大された」と言える状況を生み出したい。

2014年の改正から3年後の見直しについて、
厚労省が委託した団体から「重度訪問介護を使わず一人暮らしをしている重度知的障害者の実態調査」を受けた。
こちらにお鉢が回ってきたのは、行動障害等を伴わない重度知的障害者が自立生活をしている実態を把握していないから」というもの。
調査しようにもその上な状態状況にある人を国が把握できていないから。

重度訪問介護の対象を
「常時介護を必要とする重度知的障害者」として欲しいから引き受けたのだが、
結局は、見直しの議論の遡上にも上らない状況。

なので、
願いとして「重度の知的障害者等に対象が拡大された」というのはありだけど、
願いは願いで、実際ではない/今後の課題として認識をもって発信して欲しい。
posted by 岩ちゃん at 14:48| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

相手との関係で変わる日本語に

日本語には、相手との関係が含まれている。
目上の者に対しては、尊敬語や謙譲語や丁寧語を使う。
目下の者に対しては、横柄な言葉使いをしたりする。
立場が同じ者に対する言葉もある。
そして、
敬語なるものが警語として、相手と自分の立場を推し量ったりする。

この「相手との関係」を認識する事に困難さを抱える自閉症や発達障害の当事者が言葉を発する時、相手との関係性が含まれる日本語は、様々な摩擦を生む原因になっているように思う。

重度の知的障害を伴い、発語がない場合はまだしも、
軽度の知的障害を伴う人にとっての言葉は、自らに語りかけられた言葉をもって学習し、
自らが得た言葉を発すると、時に目上の人に対し失礼な・横柄な人に映ってしまう。

又、中度の知的障害を伴う人は、常に周囲から蔑まれたり横柄な言葉づかいで対応をされ続ける中で得た言葉をそのまま他者に語る事で、当事者の存在を理解しようとする者であっても、感情を逆なでする事になる。

ところが、当の本人は自分の発する言葉を相手がどう受け止めているかを知る由もない。
ごくごくあたりまえに使う。
決して相手を蔑んだり横柄な態度をとっているわけではないが、自分が学んだ言葉を相手との関係を考えずに発するため、当事者の真意が見えなくなっていく。

私が当事者たちと話をする時、
「私は〜」とは言わす、
「自分の名前」に「さん」をつけて「〇〇さん(私)は〜」と語りかける。

その理由の一つは、
「私」という人称代名詞は、いったい誰の事を話しているか理解し難いのであえて代名詞を使わない。
もう一つの理由は、
「〇〇(私)は〜」とした時、相手から「〇〇は」と返ってきて、呼び捨てにされる事で起こる感情を回避するため。

初めっから自分の名前に「さん」を付けて相手とやり取りしていれば、いらぬ感情が生まれないから。

これは、名前に限らず様々な会話の中に含まれているので、慣れていないととてもややこしいし、感情を逆なでされると冷静に本人の意図や意思が聞き取れなくなる。

そして、聞き取れないままに「言葉」に感情がこもっていると解釈して聞くことにより、ますます両者がズレた想いになっていくように思う。

そんな事をあれこれ考えて当事者たちと付き合うも、
私自身相手の言葉づかいに「イラ」っとする事はある。
「何であんたにそこまで言われなければならないの!!」という感情を抱く。
その感情を相手にぶつけても、相手は自らが得た言葉をもって語っているだけだから、
何のことを言われているのか解らない。

「自閉所や発達障害の言語学」なるものがあれば良いなぁ〜と思う。
私たちと異なる言葉の獲得や使い方をもっとうまく整理できれば良いと思う。

そんな学問があるかどうか知らないけど、
相手から受けた言葉によって私自身に起こる感情。
起こってしまうのだからある面仕方ないのだが、

そういう感情が起こった時、
彼らが発する言葉は、私たちが彼らに発している言葉から学び取り使っているのだと思えば、
彼らが発する言葉は、私たちが彼らをどう見ているのか?彼らはどう見られてきたのかを知る手立てになる。

彼等の発する言葉の中に、立場性ではなく、私は彼をどう見てきたのか?彼はこの社会の中でどう見られてきたのか?という経験に対する疑問が含まれているとすれば、
私の中に湧き上がる感情もほんの少し、違う方向へ目を向ける事ができるのではないだろうかと思う昨今。
posted by 岩ちゃん at 12:40| 東京 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする