2007年09月05日

地域で暮らす当事者支援は難しい

入所施設にいる知的当事者の日々の生活と言うものは大よそ決まっており、日々の出来事も日々の出会いも入所施設という枠内に収められている。
 入所施設の職員が当事者支援と呼べる事をどこまでやっているかは別にして、施設内での支援と言うものは、当然ながら個々の状態に則した支援になり、良く言って同じ施設内の当事者や職員と言う決まった人との関係性のみの支援を担えばよい。

 しかし、地域で暮らす知的当事者においては、単にその人だけの支援を行えばよいというものではなく、その人も含めた様々な関係性をも含めた当事者支援を行わなければならない。

 「関係性を含めた」と言うのは簡単なのだが、たこの木周辺の知的当事者が持つ関係性の広さはとてつもなく広い。
 作業所・職場関係やGH・ヘルパーといった日常支援に関わるところでの関係性もあるが、当事者が参加している会やその人が好んで出かける○○センター。はては、近所の八百屋さんや魚屋さん・コンビニのバイト定員に至るまで様々な関係性があり、そのあまりに広い関係性故に本人は混乱もすれば、安心もする。
支援の側もその関係性の広さ故に、本人の暮らしを把握できない事もあれば、逆に様々な面から本人の想いに近づくこともできる。

 入所施設と違い地域で暮らす当事者を支援すると言う事は、本人の状態以上に当事者自身が関わる関係性を支援することの方が多いように思う。

 たこの木周辺の当事者の皆さんは、本当に広い世界をお持ちだが、それでも長年地元の当事者と関わっているとそれなりの関係性も見えてくるし、その影響を本人がどのように受け止め日々暮らしているかも、ある程度(本人とやり取りするきっかけ程度)見えてくる。
 
 しかし、ここ最近三多摩地区を中心に開かれているガイヘル当事者会やピープルファースト実行委員会のように他の地域の当事者、普段やり取りの無い当事者も含め、日々付き合いのある当事者を支援しようとするとさらに、当事者の関係性は広がり支援する側としても収拾のつかないことにもなるような気もする。

 しかし、収集がつかないからといって支援する側は当事者の世界をせばめることがあってはならないと思う。
 知的当事者と言うひとくくりの人がいるわけではなく、専門家が障害の内容別に人を分ける事はできても支援する当事者一人一人は、個々様々な想いや考えや経験を持っている。時に認識の障害やコミュニケーションの障害ゆえに誤解を生み、当事者間・当事者と支援者との関係性をぐちゃぐちゃにする事もあるかも知れない。
 それは、本人の能力と言うよりも本人の状態に加え関係性も含めた支援のあり方が不十分であるからだと思いたい。

 私自身も含め人間誰しも面倒な事はやりたくない。だから本人が混乱しないよう、支援の側が予防線を張って支援することもある。
 しかし、本人の混乱にも付き合いながら地域で生きる当事者の支援にあたっていきたい。
混乱するという事は新たな出会いや世界を広げる入り口として、そこから先の支援と言うものを考えたいと願う。

 とは言うものの、
それは自らが目指す方向であって、日々はそんなことを言ってられなかったり、面倒に感じている私いる。
 
 今日も、私自身は当事者の想いを受けてその具体化に向けた支援をやっているつもりでいたのだが、当事者のペースや関係性をどこか横へやっていたために、かえって当事者を混乱させてしまいました。

まだまだ反省の日々です。
posted by 岩ちゃん at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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