2007年09月30日

ピープルファースト大会IN東京 第1回全国実行委員会報告

とは言っても、当事者が開く委員会。私が報告する役でもないので、やはりここは支援者として参加する私の想いを報告します。

日時:2007年9月30日(日)10:00〜17:00
場所:東京ファッションタウンビル 会議室
内容:実行委員の紹介・昨年のヒロシマ大会の反省
   東京大会に向けての話 等

 私としては、初めて参加する全国実行委員会。兎にも角にも、支援と言う立場で支援と言うものに関する課題が次から次へと見えてきて「このブログのねたはむこう1年充分にありすぎる」と言う感覚を持って帰ってきました。(この先会が進むにつれて一体どうなるのだろうかと言う不安と感激が入り混じっています)
そこで、私が感じた課題を挙げてみたいと思います。

課題:情報を共有する
 それぞれの背景が違い、支援の状況が違い、まして当事者個々人が思い描く事柄が違う全国の仲間が集まった時、会議と言う言葉のやり取りの場で、情報をいかに共有していくのか?
 普段付き合っている当事者の発言の場合、言葉足らずの部分や言葉の使い方が間違っていても、本人が言いたいことを理解できる。
 しかし、普段あったことの無い人の発言を聞いていると本人の想いとは逆の意味で捉えたり、誤解をして議論が違う方向に行ったりする。
 情報を共有することにおける支援とは何だろう?又そのための手法は何かあるのだろうか?

課題:当事者自身が議論するための支援
 いろいろ議論が白熱すれば、既に用意してきた発言ではなく、その場で考えなければならない事柄が生まれてくる。しかし、白熱した議論を理解し自らの想いを語ると言う事は非常に難しい。当事者自身が議論の流れについていく支援・当事者が議論の流れの中で自らの意見を発するための支援はどのようにすればよいか?
 
課題:本人の意思?支援者の意思?
 支援者は本人の意思に則して支援をする。しかし、本人の意思がどこにあるのかがなかなか見えない時がある。
 事柄が理解できない。考えるのに時間が必要。意見がまとまらない。そんなことは私にもたくさんある。が、当事者自身がどのような思いにいるのかが見えない場合でも会議が進行する場合、支援者が必死の当事者支援をしていても、当事者はどこか支援者の価値観や考え方捉え方を持って判断する事もある。
 それも当事者がその支援者を選んで使っているから本人の意思と言える場合もある。しかし、そうともいえない場合もある。
 このテーマは常についてまわる事だと思うが、待ったの聞かない会議と言う場面。悩みは尽きない。

課題:意見をまとめる事・決める事
 個々の自己選択・自己決定の保障を常に考えてはいるが、その個々が集まる会議の場。個々に出される意見を集約し、事柄を決めて行くということは非常に難しい。特定の当事者の意見に流される場合もあれば、充分理解していない中で結論を求められ、とりあえず手を上げるということもある。
 司会者や議長の意思も大きく関わってくるだろう。又、判断する時に当事者の皆さんが気付いていないこともある。
「当事者が気付いていない事は、支援者が教えて」と言われるが、その支援者も気付いていない事や支援者間での意見の違いがあったりもする。
 当事者自身が意見をまとめる事・決める事、それについてどのように支援していけばよいのだろうか?

課題:実現する事
 「がんばります」「やりたい」と言う当事者の積極性はとても素晴らしいと思う。しかし、その具体的な場面に関わりを持ち始めると、それをどのように実現するか?と言う過程も課題になる。
 私たちは、当事者よりもいろいろ知っていることがある分、「それは無理」「難しさを理解して言ってるの?」と言う想いも持つ。又、当事者がやりたいと言う事に付きあえる状況がなければ、支援者はどこか後ろ向きになってしまう。(当然私も含めて)
 支援者は、意識的にマイナス要因ばかり並べて、当事者自身があきらめることを仕向けようとすればできなくない。
又、そのことに無自覚でも支援者の顔に現れるものを、当事者が感じブレーキがかかると言う事もある。
 「当事者がやると言った事に支援者はまずはやる。」「それが実現できない事であるかどうかを考えない。」「万一実現できなかったと言う結果がでても当事者が引き受けられる支援をする。」
なんて言葉では言えるが、実際はそんなに単純では無いだろうし、様々な人が集まり決めて行くことを実現するための過程には様々な課題が潜んでいるように思う。

課題:「みんなでやる」と言うけれど…
 時に、みんなでやれない場面がある。それでもみんなでやれるように考えて行くことがみんなでやることにつながると思う。しかし、そう考えようとしても支援の不足・支援者の価値観の違いから参加できない多くの当事者がいる。
 目の前で会議を開いている人どうし、日々あっているものどうしなら、一緒に考える事ができても、目の前にいない人のことや日々の暮らしで会う機会の無い人たちの事を当事者自身が想像し議論する事は非常に難しい。
「やりたいなら来れば良い」と言う発言があってもこれない状況をどうするかについての議論にはなかなか行き着かない。
 そんな時は、当事者たちの意思を越え支援の側がいろいろ提案し、動き回る事も必要かと思うがその範囲がどこまで許されるのだろうか?

 その他もろもろ、当事者支援を日々考えている私でさえ、私個人としての様々な意見は持っていて、賛同できる当事者の意見もあれば、賛同できない意見もある。賛同できないから関わらないでは、当事者は支援者の賛同を得られることしか決められなくなってしまうので、賛同できないことに対しても支援しなければならないと思う。(でも現実は・・・)

今回は会議の内容と言うよりも、支援者として支援とは何かをいろいろ考えさせられた。全国から集まる当事者の意見をただ会議の場で聞くだけでなく、昼食時や休憩時、「あの発言の意味を教えてください」と積極的に個々の当事者に接しもした。
 
 会議に参加していたMさんが「今日は誰の介助?フリー?」と聞いてきた。長年この「業界」で活動していると知り合う当事者も多く、全国レベルの集まりとなると、普段なかなか会えない人とのやり取りもたくさん生まれます。そんな中で、特定個人の介助で参加しているとどうしても、私個人と介助と言う立場に挟まれるので、今回はフリーな立場で同席させてもらいました。
 フリーであるからこそ、会が始まる前から昼食時そして会が終わった後でもいろんな人と話を交わすことができ、私にとってはとても有意義な一日でした。
 そんな幸福な立場を得た私が思うに、
支援者が介助者と言う立場や実行委員のお役を持って参加する事でいろいろ学ぶ事がたくさんあります。
 でも、そこに集う当事者との出会いを求める目的をもって、個人で参加することは、普段とは違った風景画見えると思います。
 「今回は介助者ではないから」と参加しないのではなく、「介助者ではないから参加しました」と多くの支援者が当事者活動に関心を寄せる事を願っています。
 特定の個人や団体を離れ、介助や支援者と言う立場を離れ、個人として当事者活動の場に関わる事で様々な事柄を感じる事ができると思います。
 ぜひ一度、自由な立場で同席されてみてはいかがでしょうか?

 そして、先に挙げた課題やまだ見ぬ課題をともに担っていける人が数多く現れる事を期待しています。さらに、
「会議の後はぜひ2次会を!」と常々思っている。
私自身「呑みが好き」という事もあるが、お酒を飲んでクールダウンではなくても、会議を振り返ってのことや会議の場では語られなかった事柄を知るための場としては、ぜひぜひ「会議終了」→「解散」ではなく、支援者当事者交えての2次会の場があって欲しいものです。
posted by 岩ちゃん at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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