2010年03月20日

いいよ・いいよという当事者

知的当事者のヘルパー派遣をコーディネートするのは非常に難しい。
それは、言葉を発しないとかいわゆる「問題行動」があるというだけではない。

 軽度の知的当事者は、言葉でいろいろやりとりできるし、ヘルパーを派遣した評価を本人から伺うこともできる。本人の置かれている状況を受け止め信頼関係を築き、その分事業所の置かれている状況にも理解を示してくれることもある。

 今日のガイヘルの依頼は9時〜17時。しかし、ヘルパーの手配ができず9時〜16時の派遣にしてもらった。
 先々週同じ依頼を受けた時、16時にはすでに「移動」自体は終わっていて、その日のやりとりをめぐってお茶にしていた。
 本人の目的としては16時までで十分だとも思ったので、
本人に「今回は申し訳ないけど16時までに自宅ではなく〇〇駅前で終了で良いでしょうか?」とお願いした。

 すると、「16時?いいよ・いいよ」と即決の返答をもらった。
私はその返答に了解を得たと安心したのだが、実はそうではなかった。

 その日の様子やその後の様子、又さかのぼって本人とやり取りしていた時の様子を知るにつれ、
「いいよ、いいよ」は「仕方がない・我慢するしかない」であったり、「次回はどうなるのだろうか?」という不安を抱かせた様子。

 軽度の知的障害ゆえに、いろんなことを考えられる。こちらに気を使ってもくれる。しかし、いろいろ考え思いついたことを整理して考えられないと、思いついたことがたくさんあればある程不安になったりする。

 「いいよ・いいよ」とこちらの状況に了解してくれる当事者。

 しかし、それは決して言葉通りではない想いがたくさんあることを決して忘れてはいけないと思った。
posted by 岩ちゃん at 20:52| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「いいよ、いいよ」
そのあとに、必ず「でも、本当に?」ということが
必要なんでしょうね。

そして、「でも、本当に?」というのは、
当事者に向けられる「疑い」ではなく、
私たちの支援に向けられる、
「本当にその支援でいいの?」という
私たち自身に向けられる「疑い」なのだと思います。

その「疑い」を当事者に向けると、
「そうじゃなかったんだ」というときに
「振り回された感」が生じてしまう。
その「疑い」を自分自身にむければ、
「予測の事態」と対処も行える、のでは・・・
と思います。
Posted by どりーむ at 2010年03月21日 11:01
コメントありがとうございます。
そうなんですよね。常に支援する側の自戒がなければ、当事者の想いはどこかに追いやられてしまうんですよね。

「予測の事態」そう思いつつも、どこかつい忘れてしまう私自身です。
Posted by 岩ちゃん at 2010年03月22日 12:35
>「いいよ、いいよ」は「仕方がない・我慢するしかない」

利用者の側から確かめること、それも継続して、それも、「かけた言葉」や「かけられた言葉」から、当たり前のことですがあらためて考えさせられました。
Posted by 又佐 at 2010年03月23日 08:41
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