2011年02月14日

ご近所付き合いも支援の内

3日目の本人は、未だ解放感に満ち溢れている様子。
今日私自身は、Oさんとのやり取りがなかったので、昨日大家さんから言われたことについて考える。

「昨日から入居しました」と連絡をした際に、大家さんからの苦言。
「ヘルパーさんの教育をちゃんとやってね!」
「他人に迷惑をかけて本人の支援をしてもみんながお宅の賛同者じゃないからね」と。

Oさんの前に利用した人が、かなり行動が激しくてご近所に多大な迷惑をかけたという点が苦言の一番にある。
その点、今回はそんなことはないのだが、しかし、当事者と周囲とに起こる出来事について止めようもない当事者の状態であっても、それを何とかカバーしていく付き合い方と言うのもあるように思う。

例えば、
「ゴミが散らかっていてもヘルパーさんは片づけないんだから」と言う大家さん。
「それはうちのゴミじゃありません」とヘルパーが答えたら・・・
確かに当事者が出したゴミではないにしても、「すみませんね〜」の一言も添えて片づけたり、そういわれる前に片づける、気に留めると言う事をヘルパーがしていれば、止めようもない状態についてもそれなりに見てくれるかもしれない。
それが「うちのゴミじゃありません」的対応だと、「それを言うなら」式にどんどん当事者の暮らしを大変な状態に追いやってしまう。

一人暮らしを営む障がい当事者の暮らしを周囲がどれだけ理解しているかと言えば、ほとんど知らない世界だと思う。
重度身体の人たちの自立生活が増えたからと言って世間はほとんど知らないし、まして重度知的当事者の一人暮らしなんて想像もしていないと思う。
それでも重度身体の人たちは、たぶん長年住み続けることで近隣の理解を得るだろう。
しかし、行動の激しい当事者なら年月が経てば経つほど、周囲はストレスをため込むと言う事もある。

昨今物騒な世の中になり、毎日違う人が出入りしている様子を見るだけで近隣は不審がるだろうし、まして本人が奇異に映る行動をしていたらますます近寄らなくなる。

重度身体の人は、それなりに自らが近所づきあいをするだろうが、
重度知的の人は、人との関係を遠ざけるという人もいる中で、自らが不審がられていると言う事も気づかない。

ならば、ヘルパーさんが当事者と近隣との橋渡しをするというのも重要な役割のように思う。
本人が周囲に受け入れられなくても、ヘルパーさんの存在を受け入れてくれる関係が生まれれば、その後当事者の存在も受け止めてもらえるように思う。

とは言っても、私自身もちゃんとできているわけではない。近隣の事も大事と思いつつどうしても当事者とのやり取りに必死になってしまう。
たくさん周囲に甘えているともいえるだろう。
でも、私自身の不十分さを感じる事で「ご近所付き合いも支援の内」として課題にしなければならないという発想が生まれる。

とっても難しいことだと思うしそんな余裕もないという状況ではあるが、
大家さんからの苦言は、どこにでも通じる話として「いかにも」と受け止め、対応に努めなければと思う。
posted by 岩ちゃん at 23:01| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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