2014年09月20日

「障害者だから許される」わけではない

触法障害者を巡る話でよく耳にするのは、
「障害者だからと言って罪を許されるというのはおかしい」と言う声。
実は、私自身もそう思っている。
それは、「障害者だから」とした時に人を障害者と非障害者に分けてしまうから。
「同じ人間。罪を犯せば、罪を償う・刑に服すのは当然」と私も思う。

では、
「おかしい」とする人たちは、障害の有無に関わらず罪を犯し刑を終え社会に復帰した人に対してどのように接しているのだろうか?
「前科者」というレッテルを貼り、「危険人物」「要注意人物」として「扱い」「遠ざけ」ているのではないだろうか?
そもそも、刑に服し出所してきた人と出会う確率はほとんどない。
又、刑に服た事を隠し通す(そうせらるを得ない)人たちは、自らの過去を語れないし、
その結果、服役と言う経験を持っていたとしても私たちは知らないままにつきあっているかもしれない。

それは、一旦罪を犯してしまった人が一生背負っていく事とするならば、
そこも障がいの有無で分ける事はせず、
罪を犯してしまった人は、私たちの場から遠ざけられ関わる事を拒否され、一人で一生罪を背負って行くのだろう。

しかし、
地域で暮らす障害者たちは、自らの力のみで暮らす事は障害のない人以上に厳しい。
障害の故に支援が必要。
支援を使って地域で暮らすという事が巷で言われるようになってきた。
自らが招いた罪は確かにあると思う。
しかし、それ以上に「害」あるものとして罪を犯す前も、刑に服し地域に戻ってきた後も社会から一方的に負わされているものが想像以上にあると思う。
その事に対して支援と言うものが必要なのだろうと思う。

ここ数年私は「触法障害者」と呼ばれる人たちを巡るのやり取りが増えている。
その中でいつも思うことは、
「障害者」だから関わっているのではなく、
「障害」というものを「者」に対し私たちが一方的に負わせている事。
その事によって起こる触法行為について、
私たちの側の問題や課題を見出し取り組まなければならないと思っている。

私自身は知人が罪を犯した事に始まり、
その直後からその罪について関わる事になった。
現在、刑が確定し刑に服している。
その人は、公判に至る中で「自閉性障害」と言う障害がある事が明らかになった。
又、長年「その人をその人」として付き合ってきた私だが、
その人が描く世界観や価値観が実は私たちとはまるで違うところにあることを知る。
しかし、その事に気づかないまま私たちの世界観や価値観の中で、その人と過ごしていた事を知る。
何も理解しないままの付き合いは、結果私たちのあずかり知らないところで事が起きてしまった。

事の真相が明らかになる中で、その人に対し「悪いものは悪い」「罪を犯せば罰せられる」「自らの行為を反省しろ」と想い描き口にもする。
しかし、世界観や価値観が私たちとは違っているとして改めてこれまでの事を振り返ると、
「悪いもの」とは?
何をもって罰せられているか?
本人にとっての反省とは?
それらはあくまでもこちら側が描くものでしかない事に気づく。
その中には、多数の側に道理がある場合も多い。
しかし、その道理を互いに共有することなく、共有しないまま表層で付き合っていたように思う。

互いの違いが解らないまま過ごしてきた関係。
互いの違いを解らないまま刑を終えたとしても、この社会では再び同じ過ちを犯す可能性は高い。

違いが解らないのは、決してその人だけではない。
私たち自身もその人との違いを解っていない。

しかし、
大多数の側に位置する私たちは問われず、
少数の側に位置するその人のみが問われる。

私の関わりのきっかけはその人すなわち「者」ではあるが、
課題としなければならない事は「者」ではなく「障害」という事。
そして、
「障害」が双方の間に存在しているはずなのに、一方的に相手に負わせてしまっている事を問わなければならないと思っている。

でも、
加害者がいれば被害者が存在する。
何時私も被害者になったらと考える。
「あなたが被害者ならそんな風には言えない」と言う声もある。
確かにそうだと思う。

実際被害に会われた方から言われれば、
何も言えない。

しかし、
私と同様被害者でも加害者でもない者が語る時、
それはどこか被害者の側に立って事を考えようとしない方便に聞こえる。

加害者となった当事者の側に立つのは、
被害者の側に立つ、被害者の感情を利用している人たちが多いと思うからこそ、
加害者の側にいるだけ。

弁護士が被害者の側に立つ場合も加害者の側に立つ場合もあるのと同様、
被害/加害の当事者でない私たちは、
そこにある様々な問題や課題をどちらの立場からであっても問い担い続けていくものだと思う。

それは、単に当事者の事ではなく、
私たちの社会に対しそれぞれが追い求めていくものなのだろうと思う。

とは言っても、
実際その渦中にいれば何をどのように捉え向き合い担えば良いか見えない。

だからこそ、
遠くから近くから様々な人とともに考えていきたいと願っている。


posted by 岩ちゃん at 14:40| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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