2015年03月29日

「比べなくても、あなたの存在は大きい」というものの

「僕は103系に乗ったことがある」「妹と弟は乗ったことがない」というTさん。
103系とは、国鉄時代に作られた最後の通勤電車。
「昭和の終わり」を象徴する鉄道マニアにとってはそれなりに知られている電車。

彼がこの103系に「乗ったことがある」と言うのは大きな自慢で、
ガイヘル途中でも、すれ違う子ども達を捕まえては、
「あなたは乗ったことないよね」「僕は乗ったことあるよ!」と自慢気に話をするTさんです。

しかし、
この「乗った事ある自慢」何度も聞いているうちに少々鼻につく。
まして、20年も前に廃車になり、関東地方では走っていないので、
子どもならずとも、そのお母さんもまったく知らない車両。
興味がなければ、突然見ず知らずの人に声かけられ、
子どもが好きな電車の本を見せ嬉しそうに語るお兄さんに、
「ちょっとした楽しい出会い」と笑顔で答えてくれる人も、
どこか戸惑いがち。

私も同じ話を何度も聞かされると飽きてくるので、
「103系」から派生したいろんな話を振る。

「岩ちゃんは、101系にも乗ったよ」等と、彼が乗っていない電車の話をして、
乗っていない電車の話を見知らぬ人に振っても興味がない事を伝えようとする。
「子どもは、電車よりアンパンマンの方が好きみたいよ」等と、
相手の興味は別のところにある事を伝える。
「電車以外に興味のある話はないの?」と、
話題を変えようと試みもする。

でも、いつも「103系」の話に戻っていくので、こちらのネタもつきてしまう。

ならば、
「なぜ、103系なの?」と直球勝負で話を振る。
「乗った/乗らない」という択一の話よりも、
どのようにしたら質問に答えてもらえるか?
答えの表情から「なぜ彼は103系にこだわるのか?」を読み解く。
ただ、乗ったか乗らなかったかという答えを求められるよりも格段に楽しい。

そして、
明らかになったのは、
「103系に乗ったことのある人は昭和生まれの人」
「平成生まれの人は103系に乗ったことがない」という意味が明らかになる。

さらに、
「自分は昭和生まれで、妹と弟は平成生まれ」という事を具体的に示すのが103系に乗ったか乗っていないかという話だということが解る。

Tさんも私も103系の話にそういう意味があるということが意識化されると、
「昭和生まれ」「平成生まれ」という話が頻繁に始めるようになったTさん。

私は「元号」というものを普段使わないし、使いたいとも思わない。
まして、「昭和」という括りに込められた様々な想いや現実や自分の不甲斐なさも含め、まったくもってバランスを崩してしまう言葉なので、
「昭和」「昭和」と連呼し始めたTさんにだんだん苛つきもしてくる。

なので、懸命に「昭和生まれがどうしたのか?」と言うことを懸命に探る。
何か見いだせれば、話題はそちらに行くだろうから。

そして、
見えてきたことが、
妹や弟に対する自分の優位性。
幼い子どもや小中高校生たちに対する自らの優位性。

年齢という超えられない物を持って、他の人たちよりも自分が勝っている事を必死に彼は訴えていたということ。

年下の妹や弟が、自分よりいろんな事ができるようになっていく。
自分が行けなかった高校や大学に行くようになる。
就職する妹と自分。
自分にはない結婚・出産という話題。

兄として存在しながらも、歳を追うごとに「能力」という面で自分を追い抜いていく妹と弟。

それは、社会に出れば周囲は皆自分の事を「できない人」して扱う。
妹や弟だけの話ではない。

私たちは「若さ」を欲する。
「歳をとることを否定して、若い方を良しとする」
「若いわね〜」と言われれば喜び。
「老けてるわね〜」と言われれば相手が言えば怒る。

でも彼は、
「お兄さんとよばれるよりもおじさんの方が良い」
「早く年齢を重ねたい」
「僕が50歳の時、妹はまだ40才」「僕が60才なったら妹は50才」
と言う。

まさに、
自分の年齢だけは、あとからくる人には誰も超えられない。
そこまでの事が明らかになると、
なんとも切なくなる。

別に、誰かと比べて「すごい人」なんて思ったことはない。
誰かと比べることが何なの?と思う。

私の口から出る言葉は、
「昭和生まれだから凄いのではなく、あなた自身が凄いんだよ!」と、切なくなる自分の気持ちを抑えるように彼に伝える。
「そうだね。僕は凄いんだよね」と返し、しばらく103系の話も昭和の話もしなくなる。

そして、
「あなたの凄いところは・・・」とあれこれ語る私。

でも、
彼の凄さを語っているうちにふと気付いた。

「凄い」と言う言葉の意味。
私たちは何気に使うし、彼も何気に理解している。
自分を否定する言葉ではないとは理解している。
私もそのつもりで使っている。

でも、
観念的な言葉や感情的な言葉では理解し難い自閉症当事者。
「優しいよね」「積極的だよね」と言って見るも、
否定されているとは受け取らないけど、「だから何?」となるTさん。

103系は圧倒的に物理で来て具体的で現実的。

だから彼にはとても解りやすい。
周囲にも「乗った/乗ってない」と解りやすい。
だから、彼はそれを語り続ける。

親御さんにそのこと伝えると、
「家では褒めるようにしている」と言う。
確かにそれは大事だと思う。
でも、
それが「あなたの存在が凄い」と彼は受け取らない。

背が高いTさん。
「高いもところのものをとってもらえて助かる」と褒める家族。
でも、
高いところ物を取るのは自分だけではない。

「存在が凄い」と言葉ではいえる。
私は本当にそう思っている。

でも、
彼には、こちらの「想い」というものが具体的でない分届かない。

こちらの想いは届かなくても、
彼を否定する社会の言葉や出来事や人の存在は彼の周辺には溢れかえっている。

彼は、そんな中で今を生きている。
たぶん私には耐えられない。
でも、
彼は懸命に生きている。

それだけで凄いと思うけど、
そんなことは彼には理解できないかも。

なんとも悩ましい
posted by 岩ちゃん at 18:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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