2015年04月24日

当事者の伝え方・介助者の受け止め方

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者。
いつも同じズボンを履いているため、
職場から着替えるように言われる。
日々の介助を担う介助者達は、
ズボンを着替えてもらい、洗濯しようと当事者とやりとり。

ところがまったく着替えてくれない。
お気に入りなのは理解できるから、洗濯だけはさせてもらえるよう懸命に方法を考える。

もしかしたら、
着替えるズボンがないのかもしれない。
着替えるズボンがなければ着替えられないのは当然と描く。
これはしばしば起こることだが、
着れなくなったズボンを介助者は処分する。
その旨をノートに記し、次の介助者にズボンの購入を引き継ぐ。
ところがその後すぐに買いに行けると良いが、伝言したことが途切れて、それっきりになる場合がある。
一気に失くなるわけではないので、気づかぬまま時が過ぎ、着替える物がなくなっていて着替えられない。
本人が語れない分、介助者間で連絡をみつにする必要があるが、
気づいたなら、確実に買いにいける人に確認をしてもらい購入してもらう。

それでも、ズボンを履かない当事者。
(もしかしたら、着替えなかった期間が長くなってもとに戻すことが困難になったかもと想像する)

着替えるということに困難さを抱えているのではないかと考える。
そもそも着替えるという行為には、
ズボンを脱ぐ⇒脱いだものを置く⇒新しいズボンを選ぶ⇒ズボンを履くという流れと
洗濯する⇒乾かす⇒しまうという流れがあって、
後者は介助者が担うのだが、
その流れがどこか途切れてしまい着れなくなったのではないかと考える。
〈以前、タグがついていたことで切れなかったこともあった)

あれこれ考えるも着替えてもらえない。

その内、ズボンを洗濯に出さなくなった。
いよいよ先の「着替える」行程のどこかが断線したのではないかと考え、
各介助者から事細かに様子を聴く。
でも解らない。

その内に、洗濯をさせてもらえなくなった。
どうやら、「洗濯した物を着る」と言われると「着なければならない」と思うのか?
ズボンを洗濯に出さなくなった。

汚れて匂いが出てきたズボンを履き続ける当事者。
あの手この手で洗濯をさせてもらえるように努める。

ズボンがないから洗濯するズボンもないと思っていたら、
実は何着も買って、家のどこかにあるはずということになる。

家の中を探してみると、出てくる出てくる新しいズボン。
彼は、「洗濯をさせない」「されたくない」とズボンを隠しているのだと解釈し、
自閉症特有のこだわり故に、着替えない・洗濯させないと凝り固まっているのだろうとあれこれ考える。

まったく洗濯させてもらえない介助者。
一度に何本も着ていないズボンを出される介助者。
数あるズボンの中で何着かは着るが、
そのほとんどは手付かずで、洗濯だけをさせられる。

それが本人の流儀だから、とりあえずその流儀に従い、洗濯を続ける。
その内、何かをきっかけに、新しいズボンを切るだろうと根気強く付き合う。

さらに進んで、
まとめて出すことにも躊躇して、
数あるズボンを部屋の奥の方へ隠しだしてもらえなくなる。
懸命に、説得する介助者。
隠したズボンを見つけて洗濯する介助者との攻防が繰り広げられる。

それから数ヶ月・・・

ある日、介助に入っている新人ヘルパーが、
「もしかして、ズボンのサイズが小さくて切れないのではないだろうか?」という。

「まさか」と思ったけど、思い当たる節もある。
私とは一緒にズボンを買いに行き試着して購入するが、
他のヘルパーは、自宅にあるズボンのサイズを測り購入している。
(一緒に買いに行けないから)

最近、歳とともにお腹が出てきた当事者。
以前着ていたサイズのズボンが何本あっても着れないだろう。

その線からやり取りしてもらえるようヘルパーに頼む。
例えば、大きめのサイズの物を買って着てもらう。
例えば、着ている物と切れない物のサイズを本人の前で比べてみる。
例えば、「サイズが合わないと切れないよね」とかまをかけてやり取りして見る。

そこからどういうやりとりがあったかは私は知らない。

しかし、
「九分九里そうかもしれません」というヘルパーの報告。
そして、
なぜだかいつも以上にゴキゲンで現れた当事者。

「残り一里」
次の日の介助者が「たぶんそれが正解ですね」と言ってきた。

その段階で本人は、「小さいサイズのズボンを履かなくて良い」という事がわかった風。
「サイズの合ったズボンを買ってもらえる」というところまでは至っていない。

ただ、
「ズボンを履かない」ではなく「ズボンが履けない」ではまるで違う事がわかったのは大きな収穫。

逆に、
そのことに気づかないまま、
履こうとしない理由を懸命に考え、
履いてもらうことに頭をめぐらし、
懸命に彼とのやりとりに頑張る介助者たち。

そのことに気づかないまま、
洗濯させてもらえない理由を懸命に考え、
洗濯させてもらうことに頭をめぐらし、
懸命に彼とのやりとりに頑張る介助者たち。

私は私で、
長年の付き合いの中で、何らかの理由があることはよくよく知っているのだけど、
「着替えという一連の行程が断線した」とか、
「介助者の声のかけ方がまずくて、誤解を与えている」とか、
「彼流のこだわりだから見守るしかない」とか。

まったく頓珍漢な事を考えていた。

そして、彼は彼で、
「着替えない」「洗濯に出さない」「ズボンを隠す」といった行動を持って、
「このズボンは履けない」事を懸命に伝えようとしていた。

なんとも、彼に対し恥ずかしく「穴があったら入りたい」心境。
介助者の皆さんには、的はずれなことに付き合ってもらい、いろんなことを試してもらっていた。
彼が一旦パニックを起こすと大騒動になる中、慎重にかつ確実な線を懸命に探りつつ、私が想定したことの確認に努めてもらっていたことをあれこれ振り返る。

結局は「サイズが小さくて履けない」という事。

それを当事者は、
「着ない」「洗濯させない」という行動で示した。

そして、
介助者達は、示された行動からあれこれ考え対応してきたわけだが、
「もしや」と思う一ヘルパーの目。
それがあったから理解できたこと。

もし、専門性の観点ばかりで考えていたなら、
新人ヘルパーとして、ふと想ったことを口にすることはできなかっただろう。
でも、専門性ではなく本人と懸命に付き合うことを求め介助に入っている彼は、
自らの目線で、懸命に彼の暮らしを考える中で行き詰まりの理由を懸命に考えてくれた。
そして、出された一つの想定。

そして、
一つの想定であっても、
もしかしたらそうかもしれないと思うヘルパーたちがいて、
想い描いたことの中で本人とやり取りして確認していく。

私たちは、当事者に対し何も理解できていないともう。
どれほど専門性を重ねたとしても、
本人の日常の中で、本人の想いを知るということは専門性だけではわからない。
私はいわゆる専門性を持ち合わせいないが、
彼との長年の付き合いの中で描いた思い込みにどこか囚われていたと反省する。

そして、
懸命に伝えてきた当事者には対しては言えることではないと思うが、
懸命に伝えようとしていた事が伝わった時に生まれる、当事者と介助者との信頼関係がある。

伝えられない期間が長ければ長いほど、伝えることが困難であればあるほど、
伝わった時の安心感と受け止めてくれた人への安心感。

伝えればいつか伝わると想い描く当事者は、
一人暮らしを続けていく中で、
切れることなく懸命に伝えようとしている。
それは、私たちが想う以上の困難さであり、
その中で、懸命に生きている人だと改めて思う。

そして、
私たちは、そんな当事者と付き合っている事のありがたさを思い描きつつ、
異なる世界観を持つ当事者をほんの少しでも理解するためには、
様々な人の異なる視点で、当事者と懸命に向き合い、
支援者間の想いや情報に優劣をつけるのではなく、共有する。

そうすることで、当事者は私たちと付き合い続けてくれるのだろうと思った。

〈かなり、私の甘い見方で、本来ならば「なぜ、そんなことに気づかないのか!」と本人から糾弾されても仕方ないだろう。でも、それは次に繋げることで本人の責めに応えたいと思う)
posted by 岩ちゃん at 17:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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