2016年03月25日

Sさんの訃報

重度身体当事者のSさんの訃報が届く。

府中療育闘争後もう一つの形。入所施設内で暮らす当事者の自治権を獲得した入所施設で暮らしていたSさん。
昔私はSさんに、「入所施設は入所施設でしかない!」「でも、あなたが選んだなら」と入所施設はSさんの住まいとして、それ以外の場でいろいろと付き合ったり、その住まいを訪ねたりしていた。

Sさんが若いころは、施設職員を手足のごとくに使い、彼のみならず職員を引き連れ外出を頻繁に重ねていた。
その後10年ほどたったある日、施設を訪ねてみると自治権は未だ保障されていて、職員を手足のようには使っていたが、自治権獲得に動いた人たちは皆年老いて、遊びのために外出するよりも病院通いの方が多くなっていた。
限られた職員の数を前に、通院が優先され、他の人たちの外出は極端に減っていた。

「当事者の自治権!」と言っても「施設は施設」という事私の想いの方が正しかったと思った。
本人もそう言っていた。

だから私は、「そろそろ施設を出て暮らすのもいいのでは?」と聞けば、
「そんなエネルギーはないよ」という話になっていった。

そして、今回の訃報。
年末に体調を崩し、1月に亡くなられたとの事。

その訃報は彼の要望としてあったわけでも、職員が必要と思ったわけでもない。
たまたま私の会の会報をSさんに送っていたため、
職員からの第一声は「○○園の△△です。Sさんは退所されたので、今後の送付は不要です」だった。

私はてっきり、「いよいよ施設を出て町で暮らす」のかと思い。
明るく「それはそれは、どちらに移られたのでしょうか?」と聞いた。

すると、
「実は、1月に亡くなられて・・・」という形での訃報。
亡くなられて2か月が既に経つ今日。

「入所施設で亡くなられた場合はどちらに連絡するのですか?ご本人が関係していた方たちに連絡はしないのですが?」と聞けば、
「守秘義務もあり、親族がいれば親族に連絡を入れ、親族の方から関係者に連絡する」という。

私は、Sさんの親族を知らない。
たぶん、親族も私たちの関係を知らない。
その意味では、彼は親族の影響下を離れ、
地域にいる私たちと自らの意思でつながっていた。

しかし、
そんな彼と私たちの間にある関係も、
「守秘義務」の一言で連絡がされない。
Sさんに、たまたま会報を送っていたから連絡が入ったわけだが、
もし会報を送っていなければ、彼に関わった地域の人たちは誰も知らない中で、その存在を抹殺されていく。

私以上につながりの深い人達に連絡を入れる。
誰一人として、連絡を受けていない。

ある人は「入所施設だから、線香の一つも上げに行けないんだろうね」といった。

地域の人たちはSさんとのつながりはあっても、
Sさんの親族とのつながりはない。
なので、親族の住所を伺い訪ねていくというのもなかなか難しい。

せめて、亡くなる前に入院し治療にあたっていたときに連絡があれば、生前のSさんに会えただろうに。

いろんな思いを語ってもらえただろうに。

今は時すでに遅し。

私自身は亡くなった方の事よりも亡くなる前に作ってきた本人の関係の方が重要だと思っている。
だから、そのような関係があったのかを伺う事で、Sさんの意思を理解し、Sさんの想いを受け止め、次につながっていくことが残された者の役割だと思っている。

でも、
人知れず亡くなられたSさん。
何も引き継げないままにいなくなってしまった。

なんとも・・・・

入所施設は、やっぱりおかしいと思う。
posted by 岩ちゃん at 13:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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