2016年04月08日

ここ最近の当事者の変化に

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者のお宅に、4月から新しい事業所の新しいヘルパーが介助に入った。
新しい人の登場を何の躊躇もなく受け入れ、
逆に、これまで滞っていたことがスムーズに運ぶようになってきた。
古くから彼と関わる私には超びっくり!!

彼は、かれこれ15年ほど一人暮らしをしている。
一人暮らしを始めたころは、とにもかくにも何をどのように支援して良いのかわからないほど、暴れまわっていた。
現在、一昨年から重度訪問介護を使い暮らしている。いわゆる強度行動障害を有する人。

こだわりが激しく、パターン化された枠を設けることが良いとされる自閉症の人たち。
いわゆる構造化という事なんだろうけど、
長年地域で育ってきた彼は、親元にいる間その構造化を自らが求め自らが解決していた。
どのように彼自身が構造化しているのかわからないが、何かを引き受けようとする時には必ず暴れていたし、
その何かが了解できた途端に落ち着き払うという繰り返し。
周囲は、ただただ彼が安全に暴れられることを見護るしかなかった。

でも、家族というベースがある中で、「落ち着くまで見護る」という事はある程度できたけど、
家族の下を離れ、一人暮らしを始めた途端、ベース作りも彼の課題となり、暮らしという様々な状況や事柄が襲ってくる中で、彼は自らの暮らしを縮小しつつ了解可能な構造化を行っていたように思う。

それでも、暮らしというものは常に応用問題の世界。
自分では何ともできない状況下で、行動は収まらず、
近所が本人の状態を受け入れられず、
何度も引っ越しを繰り返していた。

日々彼に関わるヘルパー達。
長い年月介助に入り続けていると、彼もヘルパーも個別のやり取りの中である程度の了解が取れてくる。
ある程度了解が取れれば、違った側面からやり取りし本人が了解している事が何かを知る余裕も生まれる。
でも、
昨今のヘルパー派遣事業所はどこも人手不足。
行動が激しい状態の彼と付き合い続けることが難しく、
何にものヘルパーが彼の暮らしの場を通り過ぎて行った。

そして、彼は常に新しくやってくる人に対し、一から関係性の構造化に努めていたように思う。

一方、ヘルパーの側はと言えば、
こだわりが激しく、本人に対して決まったパターンで関わる事に努めようとする。
カレールーひとつとっても、本人が決めている物を買ってくる。
彼の発する言葉をそのまま受けて、夜中だろうが早朝だろうが買い物に行く。
そうすれば、本人も要望が通ったと描き落ち着く。
彼のこだわりを見護り、彼が動き出すまで彼の儀式に付き合い続ける。
予定の派遣時間を過ぎても目的の場所に行けなければ、事業所がその責任をとって無償で関わり、
何とか時間通りに事が進む取り組みを模索し続けてきた。

今日の会議で、ここ最近の様子の変化について「なぜ、本人はここ最近関わりがスムーズになったのだろうか?」という話になった。

「行動障害」と称される状態が起こっている時には、必死にそれを改めようと支援者間で検討するが、「行動障害」と称される状態が改善されると、支援者たちは安堵し、一息つく。

そうではなく、「なぜ彼は落ち着いたのだろうか?」「その理由が判れば、落ち着かない時の対応に活かせるのではないか?」という問いがここ数年あり、
今日の会議でも、新しくやってきたヘルパーとの様子からその意味をあれこれ考えた。

すると、
ここ数年関わっているヘルパーが、
「自分たちは、あまりにも彼を自閉症の人という見方で接していたのではないだろうか?」という意見を出した。
「彼には彼のこだわりがあると決めつけて関わっていたが、実はそのこだわりは彼がヘルパーを見て作り上げていったものではないだろうか?」
「彼の依頼をそのままに了解するではなく、彼の依頼が実現不能と拒否するでもなく、やり取りすれば違った展開が生まれるのに、決めつけて関わってしまっていたのではないか?
「付き合いが長くなると、彼自身が相手とのなかで構造化したことを、解除する事は出来ないだけかも」
「介助者の側が思い描いきやり取りしてきた結果、理解はできても解除ができない」
「でも、理解しているから新しく入ったヘルパーとの関係の中で理解したことを実行に移しているのではないか」
等々あれこれ意見が出された。

どれも、納得いく話に思えた私。

当事者本人もこちらを見て暮らしているのに、こちらは当事者の事を決めつけ何とかしようと懸命に試みていたのではないだろうか?
そんなことを思い描くと、

自閉症の人に対する構造化の話というのは、いかに構造化していくかという視点に立てば、より専門性をもって本人と関わらなければならなくなる。
しかし、
そんな専門性を持っていないヘルパー達は、目の前にいる本人と向き合い続け、本人がいかに理解しているかを考え、その理解の上に、暮らしをどう回していくかを懸命に担ってきたように思う。

私自身も長年当事者たちと付き合い続けている中、決して専門性をもって彼らと付き合っているわけではない。
しかし、長年のかかわりの中で思い込んでいる事がたくさんあるように思う、

今日、日々関わるヘルパー達からの話を聞く中で、
当事者のこだわりの前に私自身がこだわっている事に気づかされた思いでいる。
そして、
当事者自身もヘルパーという存在が、自らの暮らしを規制する人ではなく、要望に応えてくれる人であり、思いを実現することに対し関わってくれる人であると了解しているように思う。
そして、実現するためのやり取りをしてよいという事が生まれているように思った。

これまで新しく入るヘルパーに対しては、彼の決まりごとを伝え、決まり事通りに事を進めるよう伝えていたかもしれない。
そうではなく、彼が理解している事を理解する事に努めるために、それぞれが思い描くことを出し合い、新しい人たちも古くから関わる人たちもそれぞれの視点から思い描くことを共有することで、日々の暮らしと支援が廻っていくように思えた。
posted by 岩ちゃん at 14:29| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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