2016年06月13日

退院の日に

十年以上精神科病院に入院していたNさんが今日退院した。
2年程退院に向けた支援を担ってきた私は、病院での最後の面会をした。

彼は、精神病ではなく自閉症と言う状態の人。
思春期の頃、家族との関係がいきづまり入院することになった。
よって、精神科に入院していても何ら治療を必要とする人ではない。
ただただ、退院しても地域で暮らす場がないために長年入院を強いられていた。

そんな彼との病院での最後の面会。

私の方は彼の退院を祝すために出向いたのだが、
彼が私を見つけてすぐさま口にしたのは、
「今日の昼ごはんは・・・」
「体重が◯キロになった」
と言ういつもと変わらない話。

私の側からすれば、
長年の病院生活を終えて、あと1時間でシャバに出られる喜びでいっぱいだろうと想像していたので、
普段とまったく変わらない会話に拍子抜けする。

新しい場での暮らしについてあれこれ尋ねるもその件については話が展開されない。

それよりも、昨日のスポーと番組の話や仕事している看護師の話や今晩の夕食(新しいGHでの初めての食事)の件と、これまた普段とは変わらない話ばかり。

「まぁ〜これも今日が最後か・・・」と思い、「うんうん」と頷きながら彼の話を聞き、
時折「新しい場所では・・・?」と話を振るも、まったく興味を示さない。

自閉症故にこだわりか?
はたまた、まだ見ぬ暮らしを想像する事が苦手だからか?

そんなことも考えつつ、時折彼の話に絡めてこれからのことを聞いてみるが、
ほとんど応えてもらえず約30分ほど彼の話を一方的に聞いていた。

あれこれと彼の話に耳を傾けつつ、凝りもせずこれからの暮らしについての話題を投げかける私。

予定の時刻まであと10分と迫った時、
そわそわし始めた彼。
明らかに早く向かえの人たちが来ないかとキョロキョロし始める。

そこで、
私「あと数分で退院だけど今の心境は?」と再度聞いてみる。
彼「嬉しい」
私「やっぱり嬉しいよね」
彼「でも、不安」とボソリ。

これまでの彼は、「大丈夫」「上手くやらなきゃね」「二度と病院に入らないよう、気をつけなければ」等々と言っていたのだが、
「でも、不安」と言う一言。

これまた「やっぱりそうだよね」と思った私。
でも、彼の一言はとても実感のこもった言葉であり、
ようやく口にできた言葉のように思えた。

とても気さくで、
とても多弁な彼。

他愛もない話を繰り返す彼。
時に相手のことなどお構いなしに話しまくる彼。

それを自閉症人のこだわりと捉える事もできるかもしれない。
まだ見ぬ将来については意識が行かないとも思えてくる。

でもそうではなく、

「でも、不安」と言う一言を発するために、
新たな一言を発するためには、
いつも通りの話をたくさんたくさんして、
その一つ一つを相手と了解し合ったその先に、
この言葉がようやく語れるのだろうと思った。

「今日が最後」と言う前提で、ただただ彼の言葉を懸命に聞いていた私。
その前提がなければ、日々様々な事柄がある中で、いちいち聞いてられないと言う場面のほうが多いと思う。

「いつもの話ね」と勝手に端折ったり
「その話は聞いたよ」と話を中断してしまう私。

可能な限り耳を傾けようと思っても、
じっくり話を聞く時間がないのが正直な状況。

「でも、不安」と言う言葉は、
ずっと思っていたことかもしれない。
もしかしたら、今日に至ってようやく言葉になったのかもしれない。

その実際はわからない。
でも、
「いつも同じ話をする人」であっても、
決して彼の内面は「いつも同じ」ではないと思う。

「退院」と言う一大イベントの日。
私の世界では、
これまでお世話になった人たちに挨拶を交わし、
いろいろ思い出話をして、
これからの希望を語り、
周囲から祝福を受けて、
送り出される/送り出す感動の日。
10年以上必要でないのに入院していたんだから、
その感動も半端無く膨れ上がる。

しかし、
彼の世界では、
いつもと変わらない事の積み重ねの上に、今日ほんの少しの変化を積み上げたのだと思う。

私の方は、様々な状況をこれまで経験し何かと比較し、当然の事の積み重ねの上に成り立つもの。
彼の方は、日々の一つ一つの上に、さらに一つと言う感じかもしれない。

漠然としたものと個々の積み重ねたもの。

「退院の日」どちらが普通とかどちらがあたりまえとかではない。

私と彼との間には捉え方の違いがたくさんあると思う。

捉え方の違いはたくさんあっても、
この2年間積み重ねてきた互いの関係によって、
今日の日があると、
ありきたりの感動ではない感動を覚えた今日の午後でした。
posted by 岩ちゃん at 17:34| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お疲れさまです。
…おふたりとも。

年単位、10年単位のことは、言葉になんかできないですよね。

30年前に岩ちゃんに会っていてよかったと、いま思います。今日のブログに、私は30年分の岩ちゃんのことばを感じています。

Posted by yo at 2016年06月14日 07:41
ありがとうございます。
私も、YOさんとの出会いを深く感謝しています。

長い年月の取り組みになっていますが、結局は日々の積み重ねなんですよね。
それを、時折年単位で意識するだけ。
丸めて理解できるものではないですね。

彼の語りは、解ってしまう(解ったことにしてしまう)私に対し、「ちゃんと一から聞いて」と言っているように感じます。

それに応えたくても応える余裕がない私。
せめて、私だけでなくみんなでシェアできればと願い取り組んでいかねばと思うしだいです。
Posted by 岩ちゃん at 2016年06月14日 12:37
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