2017年09月06日

相手との関係で変わる日本語に

日本語には、相手との関係が含まれている。
目上の者に対しては、尊敬語や謙譲語や丁寧語を使う。
目下の者に対しては、横柄な言葉使いをしたりする。
立場が同じ者に対する言葉もある。
そして、
敬語なるものが警語として、相手と自分の立場を推し量ったりする。

この「相手との関係」を認識する事に困難さを抱える自閉症や発達障害の当事者が言葉を発する時、相手との関係性が含まれる日本語は、様々な摩擦を生む原因になっているように思う。

重度の知的障害を伴い、発語がない場合はまだしも、
軽度の知的障害を伴う人にとっての言葉は、自らに語りかけられた言葉をもって学習し、
自らが得た言葉を発すると、時に目上の人に対し失礼な・横柄な人に映ってしまう。

又、中度の知的障害を伴う人は、常に周囲から蔑まれたり横柄な言葉づかいで対応をされ続ける中で得た言葉をそのまま他者に語る事で、当事者の存在を理解しようとする者であっても、感情を逆なでする事になる。

ところが、当の本人は自分の発する言葉を相手がどう受け止めているかを知る由もない。
ごくごくあたりまえに使う。
決して相手を蔑んだり横柄な態度をとっているわけではないが、自分が学んだ言葉を相手との関係を考えずに発するため、当事者の真意が見えなくなっていく。

私が当事者たちと話をする時、
「私は〜」とは言わす、
「自分の名前」に「さん」をつけて「〇〇さん(私)は〜」と語りかける。

その理由の一つは、
「私」という人称代名詞は、いったい誰の事を話しているか理解し難いのであえて代名詞を使わない。
もう一つの理由は、
「〇〇(私)は〜」とした時、相手から「〇〇は」と返ってきて、呼び捨てにされる事で起こる感情を回避するため。

初めっから自分の名前に「さん」を付けて相手とやり取りしていれば、いらぬ感情が生まれないから。

これは、名前に限らず様々な会話の中に含まれているので、慣れていないととてもややこしいし、感情を逆なでされると冷静に本人の意図や意思が聞き取れなくなる。

そして、聞き取れないままに「言葉」に感情がこもっていると解釈して聞くことにより、ますます両者がズレた想いになっていくように思う。

そんな事をあれこれ考えて当事者たちと付き合うも、
私自身相手の言葉づかいに「イラ」っとする事はある。
「何であんたにそこまで言われなければならないの!!」という感情を抱く。
その感情を相手にぶつけても、相手は自らが得た言葉をもって語っているだけだから、
何のことを言われているのか解らない。

「自閉所や発達障害の言語学」なるものがあれば良いなぁ〜と思う。
私たちと異なる言葉の獲得や使い方をもっとうまく整理できれば良いと思う。

そんな学問があるかどうか知らないけど、
相手から受けた言葉によって私自身に起こる感情。
起こってしまうのだからある面仕方ないのだが、

そういう感情が起こった時、
彼らが発する言葉は、私たちが彼らに発している言葉から学び取り使っているのだと思えば、
彼らが発する言葉は、私たちが彼らをどう見ているのか?彼らはどう見られてきたのかを知る手立てになる。

彼等の発する言葉の中に、立場性ではなく、私は彼をどう見てきたのか?彼はこの社会の中でどう見られてきたのか?という経験に対する疑問が含まれているとすれば、
私の中に湧き上がる感情もほんの少し、違う方向へ目を向ける事ができるのではないだろうかと思う昨今。
posted by 岩ちゃん at 12:40| 東京 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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