2016年03月27日

何でもかんでも被後見人になってしまう仕組み

一人暮らしをしている軽度の知的当事者Gさんからの相談。
「銀行から説明に来るというので、手伝って欲しい」との事。
詳しく聞けば数年前に親御さんが亡くなり、相続問題が発生しているらしい。
まだ、時間に余裕がらしいのだが、
銀行からは「手続きをしないと遺産を受け取れなくなる」と言われたとのこと。

私自身のことで言えば、「遺産相続」なる経験もなければこれからする経験予定もない。
なので、その件に関する相談をされてもなんとも応えようがない。
ただ、
私は場合は、銀行からの説明を聞いて理解できると思う。
又、不明な点があれば行員に質問すれば良い。
銀行も企業という点では、こちらに不利になる手続きがあれば詳しい人に相談することもできる。

どれほどのものを相続するかによって状況は変わるかもしれないが、
解らない/判らない事は、人に聞くとか本で調べるとかできる私。

よって、
相談の主に対して思うことは、本人自身が理解できるように/判断できるように支援する事だと思う。

ただ、たぶん様々な手続きがあるだろうし、もし他の親族と揉めるような事になれば(電話の主にその辺りを聞けば可能性があると言う)、ここは第三者の登場を願ったほうが良いと思った。
そして、私は事が進み始めるまでの「橋渡しを支援とするようかな」と考えた。

その辺りのことを本人に伝えると、
既に権利擁護事業を使っているとのこと。
日々の金銭の管理は本人ができるので、大元の通帳管理は相談員が行っている。
本人は月にかかるお金を相談員から受け取り日々の生活費をやりくりしている。
又、余分にお金がかかるときにも相談はできるし、
その他サービス契約についても相談員に気軽に相談できている。
なので、この件について私が「第三者に入ってもらうようだね」と言えば、
すぐさま権利擁護事業所担当者の名前が出された。

でも、
今回の件について権利擁護事業ではどこまで担ってくれるのだろうか疑問が湧いた私。
なのでちょっと時間をもらい調べることにした。
すると案の定、
「遺産分割協議等、重要な財産管理や法律行為は対象外」とあり、
「権利擁護事業ではなく成年後見制度の利用が適切です」とネットに書かれてあった。

現状権利擁護事業を使っているGさん。「この件は相談員の業務外」とは言っても、ではどうすれば良いか困ってしまう。
なので、このような相談が「専門員」や「生活支援員」に会った場合、どのように対応するのか?
連続する本人の暮らしの中で降って湧いた事柄に対し、業務内と業務外の境目をどこに置いているのか?
又、他に委ねるとすればどういう対応をするのかを、最寄りの権利擁護事業窓口に問い合わせてみた。

「普段権利擁護事業の対象者となる程度の支援で十分暮らしが廻っている知的当事者」
「でも、非日常である財産を巡るやり取りは難しく人から相談が入った時に、専門員はどのように対応するのか?」と聞いてみた。

すると、
「法テラスやリーガルサポートセンターにつなげ、後見人が対応するようですね」という。
私も第三者が入って方が良いと考えていたので、それについては異論がなかった。

ただ、つなげるというその中身がわからなかったので、
私「こちらも第三者に入ってもらった方が良いと考えるが、つなぐと言っても本人はその存在がどういうものかを知らないし、どのような手続きをすれば良いのかも解らないと思うし、解ったとしても一人でその場を訪ねても対応できない場合もあると思うが、つなぐとはどういう形になるのか?」と聞いてみた。
すると、
「本人が求めるのであれば手続きに入るまでの対応はします」と言う。

さらに
「では、法テラスでもリーガルサポートでも、実際の利用手続きが済み、具体的な事柄に入っていった時、相手は本人に様々な情報を聞き、判断を求めていくこともあるかと思うが、先方は本人の事をよく知らないし、本人も何をどのように判断してよいか困ってしまう場合もある。そこは、専門員や生活支援員が常に同行(同席)し、本人が語りきれない理解しきれない事をサポートする必要があるとも思うがどこまで関わるのか?」と聞く私。
すると、
「私たちは、本人の了解を取った上で、こちらが持っている情報を提供するだけで、そこまで私たちが関わることはありません」という。

業務外であることは理解できるし、つないでくれるとも言うが、それだけで事がスムーズに進むと思わない私は、ちょっと不安になって
「先程、後見人の利用という言い方をしていたが、後見人制度の利用であれば、補助・補佐・後見という類型があるし、後見人(すなわち被後見人になる)申請の手続きということではないですよね」
すると、
「本人がどの類型になるかは私たちの判断ではなく、裁判所が決めることなので、その必要があるなら司法書士を使うとかになります」という。

いやいや、
「私がお訊ねしているのは、現状権利擁護事業を利用している知的の当事者が、非日常である財産相続の話で、第三者にどう関わってもらえるかと言う話」
「成年後見人制度を利用するのも一つの手だと思うが、その申請をすると、多くが被後見人にされてしまう」
「法テラスの人もリーガルセンターの人も司法書士も、本人と初めてやり取りする中で、自らの業務に徹してやり取りしたら、本人はその事を理解できず、相手は理解できない人として後見人の申請をするということなる可能性もあり、業務外の制度を利用する際に、日常付き合っている人たちが支援するというのが必要と思うがどうだろうか?」
と聞いてみた。

すると、
「どの類型になるかは、私たちが判断することではなく、裁判所が判断することになるので、私たちは司法書士等につなげるということになります」という。

重ねて私は「判断するのは裁判所ですが、どのような形で申し立てるのか?現状権利擁護事業を使っているという点では、被後見人相当ではない人だから、そのような情報についてや後見制度を利用するにあたっての本人理解やその判断に専門員が関わらなければ、あれよあれよと被後見人になってしまうかもしれませんよ。」
「そうなれば、これまで権利擁護事業として関わっていた当事者は被後見人になることで、利用対処から外れるということになるように思いますがいかがでしょうか?」

すると、
「私たちの取り組みとしてはそこまで想定していないので、そのような場合どう対応するかは、又改めて連絡します」と言う事で話が持ち越された。

う〜〜〜ん

決して権利擁護事業を担う人たちを職務怠慢とは思っていません。
自らの業務をきっちりと誠実に担っていると思います。
又、自分たちの業務外だから関係ありませんではなく、
法テラスやリーガルサポートや司法書士につなげるといいます。
決して無責任とも思っていません。
又、成年後見制度を利用すれば必ず被後見人にされてしまうというわけではありません。
きちんと判断してくれると思います。

でも、
どれほど自分たちの業務を誠実に担い、業務外のことに対してもつなげる事を担ったとしても、
引き受ける側はどうでしょうか?
軽度の知的当事者の故に、ある程度のやり取りはできます。
わかりやすく、丁寧に、本人が判断できるように努めてくれると思います。
お座なりの対応をするのではないか?という不信感を抱いているつもりは毛頭ありません。

しかし、
それぞれがそれぞれの業務内のことを真摯にこなしたとしても、
それを引き受けるのは本人です。
一つ一つの事柄については理解できても、すべてが出揃ったところでの判断が難しいかもしれません。
事が具体的になったところで、初めて本人の意ではないと気づくこともあり、修正をかけるという事も必要な場面もあったりします。

権利擁護事業所が本人の了解をとって情報提供する事柄は、
これまで関わってきた中での情報でしかなく、
新たな事柄に直面した当事者がどのような判断をするのかわかりません。
情報を受け取る側も初対面の人との関わりになるわけで、
一般的なやりとりしかできません。
その人固有の捉え方や考え方や判断の仕方が理解できていれば、
そこ理解する人が相手との橋渡しを支援とすれば、様々な事はスムーズに進みます。

でも、一般的な(それがたとえ簡易な言葉であったとしても)で相手とやり取りしても、
そこを外れてしまえば、「理解が困難な人」になってしまいます。
軽度の知的障害の故になまじっか言葉でのやり取りができるため、誤解を生んだまま事を勧めてしまうことがしばしばあります。

そして、「理解できない人」「判断できない人」であっても、一旦始めた手続きは止めることができず、
じっくり付き合う時間もない中で、手っ取り早く本人を被後見人にして、後は後見人と周囲とが手続きを進めていく。

100万円ぐらいの相続ならば、補助とか補佐と言う形で進行するかもしれませんが、
何千万円と言う相続ならば、その管理はより複雑になり、本人が担えないとなれば被後見人相当担ってしまうようにも思います。

「いやいや、後見人の申請には医師の診断書が必要だから、そこは本人を見て判断するだろう」と言う声もあります。
しかし、医師も又当事者の日常生活から切り離されたところで本人を診て意見書を書くわけで、
周囲がその手続を行えば、初対面の医師に対しフラットに意見を求めることは難しいと思います。
本人を診ずに書面だけで意見書を書く人もいるらしいですが、
軽度の当事者が実際に診察を受ければ大丈夫と思われます。
でも、その段階での当事者は「とにかく病院に行って医師の意見書をもらってください」と言われるままに行くわけで、カクカクシカジカなので、「補助とか補佐で大丈夫だと思います」などと言えず、
「解らない/判らない」「難しい」「めんどう」などと連発すれば、たちまち飛行犬相当になるのではないかと思ってしまいます。
それ故に、何らかの歯止めを普段当事者と関わる専門員は持つことも、つなげる内に入っていくように思います。

すなわち。
本人は連続した暮らしと自らの環境(普段付き合っている人たちも含めて)の中で事柄に対する判断基準も築いています。
しかし、今回のように非日常の課題については別の支援が必要だと思います。
ところが、
非日常に支援を得ようとする時、その手順に関わる人たちは、個別それぞれの業務を担っていて、
業務外のことは申し送ると言う形。又、送られてきた情報を元に判断する形。
そこには、本人の連続性は消え、自らの業務から本人を観る事になってしまう。
担い手達がどれほど真摯に自らの役を担ったとしても、人を分断して判断してしまっては、おかしな判断になると思ういます。

私の周囲にいる重度知的当事者たちは、被後見人ではありません。(私が関わる前に被後見人になっていた人がいます)
あの手この手を駆使して、本人の暮らしと権利を懸命に守っています。
今回のケースでも、単に第三者を入れた方が良いという判断があるだけです。
そして、私がそのつなぎを支援するならば、私自身が懇意にしている弁護士や司法書士と言った人々につなげると思います。
それは、懇意にしている人を紹介するというのは、単につなぐという事だけでなく、
手続きの進行過程で不明な点が出てくればいつでも両者から相談が受けられる。
必要ならば、一緒に考え判断する事もやりやすいと考えるからです。
又、両者が判断に悩めば、さらに本人をよく知る人を巻き込んで一緒に考える事もできます。

これが、初対面の当事者で本人を取り巻く人たちと繋がっていなければ、私だってそんな対応はできません。

でも、
そういう繋がりがない人たちやつながりがあったとしても「専門分野の人」に委ねてしまっては、
それぞれがそれぞれの業務内の役割を担う結果、思わぬ事態を生み出してしまうように思います。

想像するに、
被後見人になる人の周囲にいる人たちは、決して悪意があって判断しているわけではないと思います。
今目の前で起こっている事柄に対し、なんとか解決するために相談していく結果、
次々に現れる人のそれなりの意見を聞いて従っていく内に、気づけば被後見人になっている/被後見人しかないと思い込んでしまう状況があるように思います。

それはそれで、
その折々の判断としてありだと思います。

でも、
現状の被後見人は、一度被後見人になってしまうとそれを解除することは非常に困難です。
なぜなら、「判断能力がない」と言う事で被後見人になっているわけですから、
「私は被後見人を解除したい」と言ってもその判断を認めてもらえないからです。

一つの権利を守るために、その他の権利をすべて閉ざされていく状況を考えると、
現状の後見制度は恐ろしくて利用できません。

しかし、本人の権利が脅かされる事はあります。
今回のケースでいけば、第三者が入らないまま本人が親族とやり取りしたら、本人は訳がわからない内に不利益を被る可能性もあります。

よって、
まもなく国会を通そうとしている「成年後見制度推進法案」は、何も整備されていない中で被後見人にされてしまう状況を推進する法案であると認識し、通過を阻止する必要があると思います。

又、本当に成年後見制度が本人の権利を保障する制度であるならば、推進法案などと言うものがなくても、
どんどん利用されるように思います。
ただし、その場合には事柄の解決のために利用するとか期限を厳格に設けて利用するというものでなければ、
◯◯勧誘詐欺まがいの事になってしまうように思います。
posted by 岩ちゃん at 13:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 成年後見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

成年後見制度利用を推進するならば・・・

成年後見制度は、意思決定に困難さを抱える人たちの権利を護るためにあると聞く。

しかし本当に、必要とする人たちの権利擁護の手立てになっているのだろうか?は、非常に怪しくその趣旨を理解しつつも使うに使えないと思っている。
そして、使わずとも地域の中で自らの権利が保障され暮らしていける方法を様々な形で模索し続けている。

なので、
私が直接かかわる重度知的当事者たちのほとんどは、被後見相当であっても後見制度を使わず、
当事者の周囲にいる人たちと様々な形で協議し、本人の権利の保障と自らの暮らしを支援している。

でも、
知人の中には、様々な理由で被後見人となった人たちもいる。
例えば、
・後見人をつけなければ施設入所させられてしまう。
・親の財産相続を巡り不当な扱いをされる。
・事業所に囲い込まれ、本人の暮らしが脅かされている状況からの救出。
等。
(中には、私たちと出会う以前に被後見人となった人もいる)

本人の権利が脅かされる状況下で、後見人をつけて対処するという選択は否定しない。

ところが、
現状の制度では、一度被後見人になると一生被後見人として過ごす事になる。

例えば、
遺産相続をめぐる事柄で、後見人をつけざるを得ない事はあると思う。
事を解決するために必要となる後見人はありだと思う。
必要とするのは相続という「事を解決する」点にある。
しかし、「被後見人になる」事を選ぶと、
解決した後も被後見人として過ごす事になる。
その事によって本来必要ない事までも後見人に判断されてしまうことになってしまう。

成年後見制度利用推進法案が進められている。
最近、後見人の不正問題がしばしば取り上げられ、推進をわけもわからず後押しするように仕向けられているように感じる。(財産横領を巡っては、金額だけが報道されているが、実際の件数は何件何だろう?資産家であれば、億単位の不正もできる。しかし、生活保護受給者の場合、横領しようにも横領するお金が無かったりする。制度利用件数に対し、前者であれば件数は極端に減り、後者であれば極端に増える。単に金額で右往左往するのは、生活保護の不正受給を巡る話に乗っかり改悪を重ねてきた状況をなぞる事になるように思う)

そもそも成年後見制度の問題点は、
人を「被後見人」という形で規定してしまうところにあると思う。
「被後見人」=「意思決定できない人」に代わり、後見人が決める。
悪意のある人もいるかもしれないが、
本当に後見人となった者が、被後見人の意思をしっかりと汲み取り執行できるものかとも悩む。

不正が起こるのは、後見人の資質に委ねられている面があまりに多いからだと思う。
しかし、資質に委ねず書面やシステムを構築・強化すればするほど、
後見人は、無難な線で後見業務を担うしかない。
不正はなくなったとしても、本人は後見人が裁かれない範囲の中でしか暮らしていけなくなる。

後見制度は必要と思いつつ、現状の制度では使えないという立場。
だから成年後見制度を見直す必要があると考える。

市内後見のような考えもあれこれ模索する。

でも、
必要なのは「事柄を解決する」事になるならば、
個人を被後見人として一生縛るのではなく、
事柄を解決するために後見人を存在させるようにすれば良いように考える。

すなわち、
事柄限定で後見人をつけ、
事柄が解決されれば解任される仕組みが必要だと思う。
又は、
人の暮らしに関わる事なので、事柄のみに関わるだけでは解決が遠のくこともあるかもしれないので、
後見期間を設けるのはどうだろう?
例えば、
後見期間は最長3年間と決める。
3年経てば解任を前提にする。
但し、更新の必要性が明らかならば更新も可とする。

そうすれば、
事柄の解決のために後見人が第三者として関与できるし、
解決すべき事柄に、当事者と相手方双方が納得いく形を生み出せるだろう。
期限があれば、下手な不正はできない。
期限内にすべきことが明らかな分、取り組む事が明確になる。
期限内に事を終えるためには、当事者と日常的に関わる人たちとの連携が不可欠になる。
期限があれば、被後見人が亡くなるまで後見業務が続くという不安定さがなくなる。
期限が定まっていれば、期限後別の人の後見を担う事もでき、現在後見人の担い手が不足している状況も改善されるだろう。

そして、
制度を巡り解決しなければならない課題は他にもたくさんある。
しかし、
後見の期限が定まっていれば、とりあえずは利用する事もできる。
制度によって縛られる状況があるならば、制度利用を止めれば良い(自動的に終わる)ということになる。

なので、
あれこれ改善して欲しい事は山ほどあるが、
利用を推進するために制度や法律を変えるとすれば、
手っ取り早く、「後見期間を定める」という条文と「更新理由を明らかな場合に限り更新を可とする」という条文を入れてもらえれば、結構使える制度になるかもしれないと思う昨今です。
posted by 岩ちゃん at 13:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 成年後見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする