2017年03月25日

連続性の中での自己決定

以前、彼女と2泊3日の旅行に出かけた時のこと。
海辺の民宿で格安の宿。
格安故にあまり料理には期待を持っていなかったけど、宿屋の主人は漁師さんで自分の船も所有しているので、
その日に取れた地魚で料理を作ってくれるとのこと。
1日目の夕食。
それはそれは豪勢なメニュー。
刺し身に焼き魚に天ぷらに煮付け等々。
地の魚をふんだんに使った料理の数々。
「この値段で、この料理」「追加料金を取られるのでは?」と心配するほどの魚料理に大満足した。
2日目の朝食。
大きな干物と魚の内蔵で作った見知らぬ料理等々。
これまた、朝から何杯もご飯をおかわりするほど豪勢な料理に大満足。
2日目の昼食。
朝からたくさん食べたのでちょっと控えめに、
でも漁師町故に、変わった名前の料理名が目に入り昼も魚系料理を食べる。
2日目の夕食。
昨夜とはちょっとメニューは変わったけど、基本魚料理。
魚料理は大好きなのでこれまた大満足。
3日目の朝食もしかり。
そして、3日目の昼食はこの場を去ることを惜しみ、
普段食することのない魚料理を求めウロウロ。
魚で作ったファーストフードを食す。

大満足の3日間。
そして、帰路についた時、家に帰ってから夕食を作るのも億劫だからと、
旅の最後の外食先を探しつつ車を走らせた。

彼女と「何食べようか?」と相談しながら車を走らせる。
そして、入ったお店は・・・
「焼肉屋」

3日で6食魚料理。
魚料理は好きだし、変わった魚料理も食べることができて大満足。
そもそも、それがお目当てで海辺の宿を選んだし、
格安でこれほどまで魚を堪能できたので言うことは何もない。

でも、
6食も十分なほどに魚料理が続けばさすがに飽きる。
決して魚料理が嫌いになったわけではない。
(逆に新たなメニューが加わり、自宅でどう再現するかと言う話も盛り上がる)
なので、単に魚料理が続いたから飽きただけ。
魚料理よりも肉料理の方が好きということでもなく、
どちらも好きなんだけど、
魚料理が続けば、次は肉料理と言う感じ。

「自己選択」「自己実現」を十分に果たせた旅行で、
自らが選択したことに間違いはない。

でも、
たとえ大好きなことでも、それが続けば飽きる。
そればかりだと嫌になるかもしれない。

重度知的当事者たちの自己選択・自己決定・自己実現の支援を担う時、
そもそも本人たちの想いがどこにあるかが解らないので、その解明から懸命に担う。
本当のところは判らないけど、日々やり取りしていると本人の好みがなんとなく解ってくるし、
本人の要望と思って取り組んできたことが、
実はそもそも違っていたという事を実現した後に気づくということもある。

なので、ひとたび確信めいた本人の思いを知るとその実現に向けて懸命に支援を担うということもある。

でも、
そればっかりだと「本人は飽きる」ということだってあるだろう。
「単に続いたから飽きただけ」なのに、「飽きた」状態を見て飽きたことを「本人はそもそも望んでいない」と周囲が認識すると、再び欲しても誰も支援しないということが起こってしまう。

「自己選択・自己決定・自己実現の支援」と言うも、
その中身については、まだまだ何も解っていない支援の側にいる私。
という事を、ふと思い描いた。
posted by 岩ちゃん at 12:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月27日

「障害者である前に一人の人間」と言えても・・・

やまゆり園の事件は、私たちに様々なことを問いかけている。
その問の答えを未だ見いだせずにいる私。

長年地域に存在する障害児や障害者たちと、
暮らしと言う面から様々な事柄を取り組んできた私としては、
「起こるべくして起こった」と思うし
「そうならないように取り組んできたつもりだが、間に合わなかった」とも思う。
又、
一度に多くの方が亡くなり、傷ついた事件ではあるが、
障害当事者たちから見れば、これまでも同様のこと数々あったとも思う。
それはただ、私達には見えないだけの話で、
事柄の大きさゆえに、否応なしに目にし耳にしただけとも思う。

最近、このことを目の当たりにした職員たちのPTSDが認められ、
労災申請が承認されたと言うニュースが流れてきた。
それは、まったくもって当然の事だと思う。
そして、それと同様にその場にいた入所者たちも多くのPTSDに罹って当然だと思う。
(障害当事者たちは、その日の出来事だけでなく、その後の職員の様子や態度が理解できず、様々な混乱を健常者以上に抱いているようにも思う)

「一人の人間として、あの悲惨な出来事が起こった場で生活する事は無理」と、
建て替えではなく、これを機に地域で暮らすことを求める人たちがいる。
「我が子を思えば、入所施設で暮らすしかない」「早急な建て替えを」と訴える人々。

前者は、後者を「障害者の人権を無視している」と否定し、
後者は、前者を「実際の暮らしを知らず理想に過ぎない」と否定する。

「一人の人間として」地域の中で、「あたりまえに暮らす」と言う事を、
どのような形であれ障害当事者たちと関わった人ならば思い描くだろうと思う。
その一方で、
「あたりまえでない暮らし」
すなわち、介護が必要。静止が必要。自分を傷つける人/他人を傷つける人を前に対応を迫れる。

「自立」とは、何でもかんでも自力でするのではなく、
「介護を使って暮らす」という事も「自立」であるということをしばしば耳にするようになった。
東京パラリンピックを前に、「がんばる障害者」の中に「介助を使い暮らす」事も含まれるようになってきた。それに伴い、必要とする支援があれば「後は、他の人達と変わりない一人の人間だ」という声が、
年々通りやすくなっているように感じる。

ただ、
それは、費用対効果という天秤が常にあり、
多くの費用がかかるならば、効率よく施設に入れた方が良いとすぐになってしまう。

やまゆり園の話は、
本人が語れない(語らない)分、理想と理想の空中戦のように思えてならない。
かくいう私は、今直ぐ現場に飛んで当事者たちとやり取りするだけの力量がないため、
今、この課題に直接取り組んでいる人たちを思えば、戦いもせず空中を漂っているだけかもしれない。

でも、
私は、私の足がついている場でこの事件を思いつつ、自らの場の中でやり取りし続けるしかないと思っている。

そんな私が思うことは、
今でこそ、私自身が担ってきた重度知的当事者の自立生活支援について、一定の評価を受けるようになったが、過去このような空中戦を何度も経験してきた。

すなわち、
将来という目には見えないものに対し、
「地域でともに生きる」事を信じ、
「地域で共に生きるなんて理想」とする人たちに、「我が子ではなく、一人の人として」私たちを信用し委ねてもらえるように努めてきた。

決して、全てが上手く言ったとはいえない。
信じてもらえず、我が子を施設に入れた親御さん達がいる。
中には、泣きながら「入れてしまった」と報告する親御さんもいた。

そのたびに、自分の力量の無さを悔い、どうすれば良いのか?と悩み続けながらやり取りしてきた。

ここ2週間ばかり脇腹に痛みがあり、腫れているようにも思うが気をつけていれば、我が身の暮らしはなんとかなっていた。
でも、痛みが取れそうにないから整形外科を受診すると、先週、肋骨にヒビが入っている事がわかった。
「ひねる力が加わると良くならない」とコルセットが巻かれた。
言われるまでもなく、ひねりを加えれば痛い。
その原因が判って一安心したのだが・・・

コルセットを巻いて、今朝行動障害を伴う自閉症の当事者たち宅に向かう。
私自身生活に支障ない程度の痛みであり、
彼が落ち着いていればなんてことない介助。

ところが、今朝は落ち着きがなく大暴れ。
「ほっといて!」という当事者だけど、
室内にある物がどんどん壊される状態。
彼の言動がそのまま彼の要望を表しているとは思わないし、
何かに混乱してのことだとも思う。
ただ、
その手前で、どんどん事が大きくなっていくことを止めなければ、
本来一緒に考えなければならないであろう事柄と向き合えない。
普段なら、とりあえず行動を止めるための力技も使うが、
今日はそうは行かない。

まだ、室内で自分の物を壊すだけなら良いが、どんどんエスカレートして私を引っ張り出す。
それは、さすがにつかもうとする手を避ける。
すると、ますます落ち着かなくなる当事者。
自室であれば、それはそれで本人と私との間のことでやり取りできるが、
この状態で外に出れば、第三者を巻き込むのは必至。
巻き込む姿をただただ横にいて見守るというわけにも行かない。

「私の都合」と何度も謝りつつ、
私の前に入っていた介助者に戻ってきてもらい、彼の介助を交代してもらった。

本来は、私と前の介助者と本人とでやり取りを重ねたいところだが、
介助者二人に本人一人。
それはそれで、又違った受け止められ方もするので、後のことを介助者に委ね帰ってきた。

何が何でも担い続ける事を追い求めてきた私としては、
怪我をしているとは言え、担い続けられなかった事にショックを抱いている。

しかし一方で、
私の状態と当事者の状態を知り、介助を交代してくれた人の存在はとても大きくありがたい。

大暴れしているその場面。
これが家族が全てになっていたなら、
そして、これが日々続いていく状態であれば、
家族として入所施設を選択すると言うのも解らなくはない。

でも一方で、
何ら解決されてはいないが、介助を交代してくれる人の存在は、
入所施設を選ばなくても、とりあえず暮らしが続いていく。
暮らしが続いていけば、今の状況を次の段階で変える機会に繋がる。

入所施設の是非。
建て替えか地域か。
制度のあるなし。

いろんな想いと現実が錯綜する中で、
未だ、私はやまゆり園の事を何を軸に語れるのだろうか?取り組めるのだろうか?と悶々としている。

ただ、言えることは、
「目の前に存在しなければ、私は考えないだろう」という点。

やまゆり園の事が気になるのは、同じく入所施設に入れられ日常空間の中で出会えなくなった人達がいるからであって、関わった当事者たちが皆地域で暮らし続けていたら、この件はまったく他人事になっていたと思う。

これを機に、施設から地域へと言うのは、ありなのかもしれない。
「一人の人間として」と言うのは間違いではない。
存在を否定するものに対して声を挙げなければならないと思う。
否定された者のためではなく、否定してしまっている(見えない場に送り込んできた)私自身を否定する必要があるとも思う。
それは、他者を否定することが我が身も否定されるという実感があるから。

そんな事を思いつつも、
まだ何も見えていない私。

たぶん、
今回の事件をスタートにした語りが、どこかそれ以前を見えなくしているように感じているからかもしれない。

施設に入れざるを得なかった現実。
それを許してきた現実。

家族が「しかたがない」と思う気持ち。
周囲が「しかたがない」と思う気持ち。
どちらも「しかたがない」と思うも、その中身はまるで違うと思うのだが、
そこに何もコミットしないまま過ごせる現実。

今朝の出来事から、悶々と考えている。

悶々と考えながら、介助を代わってもらった時間にこのブログを書いている。

そして、午後から別の自閉症を伴う重度知的当事者の介助に入る。
現時点でその人の代わりを担える人はいない。(暮らしの介助事態は誰かに代わってもらえるだろうが、私と当事者とでやっていることを担える人がいないという意)

今朝と同じ状況になればなったで、なんとかするしかないのだが、
決して私一人で一人の当事者を支えているわけではなく、
当事者自身も自らの暮らしを築き、様々な人が当事者と関わり合っている。

理想を追い求めているが、
その一方で、現実と向き合い続けている。
そして、
その現実は、一人ではないという実感の中にあり、
互いの関係性の中で続いているもの。

「障害」が本人を規定するものではなく、
「互いの関係の中で起こっているもの」であれば、
「障害があっても一人の人間」と言う表現は違うように思う。
「障害があっても」と言った瞬間に、起こる事柄は全て「障害者」の側に追わせることになり、
全てを相手に追わせた上で、私たちは何をするかになってしまう。

そうではなく、
関係の中で起こっている事柄であれば、
ともに解決する道を追い求めなければと思う。

私は、ともに解決を図る事を追い求める中に、何らかの解答が生まれるように感じている。
posted by 岩ちゃん at 10:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月22日

マイペースな当事者を前に

コンビニに入ろうとする自閉症を伴う知的当事者を見かける。
こちらは用事があって急いでいる。
相手はこちらに気づいていないし、
彼に声掛けすれば、挨拶一つでもやり取りに時間がかかる。

「別に挨拶したからどうってことないだろう。急ぎの用事を優先しろ」と悪魔がつぶやく。
「あなたと彼の仲はそんなもんなの?これが障害当事者でなかったらどうする?声をかけるでしょ?声をかけるべき!」と天使がつぶやく。

悪魔と天使のつぶやきに耳を傾けるのはめんどうなぐらいのせっかちな私は、
そんなつぶやきが聞こえると、とにかく当事者と関わる方を選ぶ。

案の定、
「こんにちは」の挨拶一つでは済まされず、
相手はあれこれ語りだす。
その語りは、今日の気分や自分の状況やこれからの事を私に懸命に伝えようとしていると理解できる。
なので、
それも含めて相手の挨拶と思い耳を傾けるのだが、「時間がない」と話の半分も聞いていない。
私が話の半分も聞いていないと察知されれば、さらに語りかけてくる当事者。
さらに輪をかけ話しかけてくる。

そんな時、
「障害者だからといって全てを受け止めるという事はおかしい」という思いになる。
他の人に対しても「今日は急いでいるので失礼して先を急ぎます」という事はある。
なので、
「ごめんね!急いでいるから、またね」と言って話を終えて先を急ぐ。

ところが、
ちょっとした会話の中で、私と彼は同じ方向に向かうという事を知る。
彼が私に「(コンビニで買い物するから)待ってて」と言われれば、
「先を急ぐから待てない」とも言えない。

「解った。待ってるよ」と答える私。

し・か・し!!
「相手が急いでいる」という事をその言葉だけでは理解できない彼。
外から彼の様子をうかがいながら待つ私。
彼は多分、
昼食のお弁当を買うために入ったのだろうが、
お弁当の棚には真っ直ぐ行かず、店内の端の方から遠回りして行く。
それが自閉症故のこだわりとは理解できる。
さらに、
こちらは急いでいると言っているのに、いつものペースでゆっくりと店内を歩く。
さらに、お弁当の店の前辺りでじっくり品定め。

「確かに、私は待つ」と言いました。
「でも、急いでいる」とも言いました。
「早くして」とも言ったかもしれません。

私たちの世界では、相手にそう言われら、
「時間がかかるけど良い?」とか
「先に行ってもらっていいよ」とか
「(時間節約のため)一緒に探してくれる」とか言って、
相手の状況をお互いに測りつつ、折り合いを考えつつ、対応する。

なので、
こちらの思いに何も答えず、「待ってて」の一言で自分の要望(ペース)だけを貫き通す彼に、
苛ついてくる私。
声かかけなければ良かったとか、
「待って」と言われてもさっさと行けば良かった等と後悔する私。

こちらの思いなんてお構いなしに、自分のペースを貫く彼を前に、
イライラ度はマックスになる。
彼の態度は「障害された面」と知っていると、
彼との距離間をいかに生み出すかなどとも考えるが、答えが見えないのでイライラ度はさらに増す。

「時間がない」という自分の都合と
「相手を気にしない」という彼との折り合いが、
他になかったのか等とも考える。

店に飛び込んでいって「早くして!」とも言いたくなるが、
それを言ったら、ここまで待った事は全てなしになり、
「急かされた」という感覚だけが彼に残るだろうとも思う。

悠然と店を出て来る彼。
イライラ度MAX状態の私。

でも、
ふと思い描いたことは・・・

「世の中みんなが彼のペースだったら、私もこんなにイライラしないだろうなぁ〜」という事。

「効率よく」とか
「相手の気持を解れ」とか
「事を解決する方法」と言った事なんかを相手に求めず、
彼のペースに合わせてのんびりと待てば良い。

遅れていった先の人もそれを許してくれるなら、
集まったところでのんびりと始めれば良い。

「人にはそれぞれ自分のペースというものがある」という事は言える。
しかし、
誰かと一緒に何かをする時、
それぞれのペースに対しどこか折り合いを見出さなければならない。

あくまでも互いのペースの折り合いを、互いに見出す関係であれば良いのだが、
実は、障害当事者たちのペースは世の中のペースにより否定されている。
もしくは、
世の中のペースの許容範囲であれば許されるが、許容範囲を超えるとたちまち否定される。

「早くして欲しい」と言うのは私の願いだけど
「早くして!」と言い切ってしまうと、それは彼と私の折り合いを見出すのではなく、
「私のペースに従いなさい」と言っているに等しいと思う。

どちらかと言えば、せっかちな私。
彼のペーストはどこか対局にある。

だからこそ、
彼のペースに付き合うとき、
私の中に生まれるイライラ感は、私の余裕の無さとして置き換える。
そして、
どれほど置き換えてもせっかちな私は、彼のペースには従えない。
だからと言って、彼を私のペースに従えるというのも違うだろう。

結果、
私は上記に書いた事を頭の中で考えながら彼を待っている。
それが私と彼の折り合ったことかもと描く。
そして、
結論としては、
単なる時間というペースの話ではなく
「彼のようなペースで生きられたら良いなぁ〜と彼の存在を羨ましく思う私の存在」なる、
全く違う話に落ち着く。
posted by 岩ちゃん at 11:06| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

街が変わる。人が変わる。追いつけない地域での関係。

対人相互作用に困難さを抱える人々。
彼らは、人との関係や置かれている環境によって「障害」と評される部分が大きく変化する。
それは、私たちの側から見ても同様で、関わりのある人に対する思いと関わりのない人に対する思いとはまるで違い、同じ行動や言動であっても、平然と受け止められることもあれば、緊張感を持ってやり取りする事もあれば、そもそも排除の対象としてしまう場合もあったりする。

「障害の有無に関わらず」
「地域で学び/地域で育つ」事を願い、追い求めてきた私。
今日では、「自立生活」という表現をもってその人の暮らしを支援し続けている。

弱小の会が少なくはない重度知的当事者や行動障害を伴う当事者たちの「自立生活」をまかりなりにも維持しているのは、制度が潤沢に保障されているというよりも、制度外の様々な関わりがたくさんあるから事だと思う。

当事者の暮らしを制度のみで支援しようとすれば、
たちまち人手不足に陥るし、
制度では対応できない課題に、誰も対処しなければ、
たちまち当事者の暮らしは脅かされ、
地域で住めなくなってしまう。

時折聞かれて困る質問に、
「重度知的当事者の一人暮らしを支えるために連携している機関はどこですか?」がある。
相手が想定する答えは、
行政や相談支援事業所やサービス提供事業所。
医療や発達障碍者支援センター等の専門機関だと思う。
確かに、そういう立場の人たちとの連携がないわけではない。
時に相談したり相談されたりする場合もある。

しかし、
一番の連携先は「機関」等とは呼べない、
地域のお店であったり、最寄の駅の駅員であったり、
建具屋さんやガラス屋さんや不動産屋さんであったりする。
駅ビルや公共機関の警備員と電話番号を交換したこともある。
行きつけの呑み屋やファミレスやコンビニ等々。
人が暮らす上で関わりのあるところと遠くから近くからつながっている。

又、公民館やボランティアセンター等でつながった人のつながりも大きい。
時折「〇〇さん(時に、多分おたくの関係の人と思うけども含む)が△△で大騒ぎしていたよ」という情報も入ってくる。

そんな人たちの存在があるからこそ、弱小の団体であっても少なくはない人の自立生活の支援を辛うじて担えているように思う。(当然ながら24時間の支援を必要とする人たちの支援のベースは居宅介護事業所等にお願いしている)

そんな、街の中で関係の凸凹がありながらも様々な経験を互いが持つことで暮らしが廻っている。

ところが、
街の様相が変われば、同線も変わる。
個人経営の店が少なくなり、バイトの人たちが店を仕切るようになると、
関わる人もどんどん変わる。

すべてを理解して受け止めているわけではないだろうが、
辛うじて受け止めてもらえている状況も、
人が変わればたちまち対応が変わり、
その変化に追い付かない当事者たちは、いかに対応して良いか戸惑い、
それが行動障害と評される形になって現れると、
たちまち地域から奪われてしまう。
辛うじてそのような事態になってもまだ本人を知る人たちがいるので、
出来事に対し少し立ち止まって一緒に考えてもらうこともできる。
しかし、
この先、さらに人が変わっていった時、果たして・・・
という不安がよぎる。

久しぶりに立ち寄ったコンビニ。
まだまだ知っている人たちはそれなりにいるのだけど、
知らない人が増えてきた。
私を普通のお客として、マニュアル通りに接する人が増えてきた。
「初めまして、今後もよろしく」とやり取りできる場合もあるけど、
どんどん人が代わると、
それは単なる社交辞令と化してしまう。

「行きつけのお店」なるものがどんどん違うお店に変わっていく。
あとに開店したお店が、私にとって必要な店ならば日参してでも関係をつなげたくなるが、
まったく興味のない店だと近寄りもしない。

街が変わる。人が変わる。
そのスピードに追い付けない。

そんなことを思う中、
今日、広い駐車場のあるお店に車を停め、買い物から車に戻ると、
10年近く前にお店をたたんだ酒屋の店主とそのお連れ合いに遭遇。
お互いに驚き近況を報告。
そして、お連れ合い曰く「みなさん元気にやってるの?」と。

皆さんとは、一人暮らしをしている重度知的当事者の事であったり、
毎週開かれていた会のイベントの後のひとときに立ち寄っていた当事者たちであったり、
夜な夜なお酒の買い足しにやってきた運動家のおじさん達のこと。

お店をたたむ頃、私はお酒を買いに行く機会が減っていて、気づけば閉店。その後の消息が不明になっていた。

それでも、ばったり出会ったその一瞬で過去へとタイムスリップ。
しばしの立ち話。

決して古き良き時代にという話ではないけど、
なぜ、そんな関係が作れたのか?
なぜ、今は作れないのか?(作った関係が他所で活かされていたなら幸いだけで)

そんなことを思った。

posted by 岩ちゃん at 18:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月29日

癇に障る言葉に

他人から言われると「癇に障る」と言う言葉があったりする。
その言葉に対し、
時には激高するときもあれば、
黙って飲み込むこともある。
又、こちらの態度によって、
相手はその言葉をその人の前では二度と口にしないとか、
相手の態度を見て、相手のいないところで話を膨らませたりする場合もあったりする。

相手に対してその言葉が悪いとか良いとかはさておき、
大概は発した言葉によって現れる事柄から、言葉を控えたり、そう言う言葉を吐く人を遠ざけたりする。

ところが、
これが支援をになっている自閉症当事者から言われる場面は、
相手が言葉を控えることがなく、やり取りすればするほど激しく繰り返される。
相手との距離を取ろうと思っても、担わなければならない他者に委ねられない状況下では、距離を取るともできない。

結果、
「癇に障る言葉」を繰り返し履き続ける当事者と
「癇に障る言葉」を繰り返し聞かされる支援者との関係が生まれる。

周囲にいる者は、繰り返し吐かれる言葉を嫌い、
なんとか止めさせようとする。
その言葉を使ってはいけないことを懸命に指導したりする。
親しい関係に懸命に飲み込む人もいるが、
やまないその言葉が、自分にではなく他者に向けられた時のことを思い描き、
自分はある程度耐えられても、相手を思えばなんとか止めさせようとする。

なぜ、当事者が繰り返し吐く言葉によって辛さが増すのか?
なぜ、飲み込んだり指導したりと言う一方向の関係になってしまうのだろうか?

たぶん、
私たちの世界観では、言葉と言葉が持つ意味を持って聴いているからだと思う。
「聞く」ではなく「聴く」という事。

「なぜ、そんな言葉を吐くのか?」
「その言葉によってどういう事態を招くのか?」
「相手の感情/私の感情」等々
言葉が持つ力によって様々な想いを抱く。

ところが、
自閉症の人の場合は違った世界観の中で言葉を発しているように思う。

「発する言葉」に意味があるのではなく、
「発した時に現れた状況」の再現であったり、
「耳に残った言葉(音)」を持って相手との関わりを求めていたり、
「相手の許容量を測る術」だったり。

言葉自体に意味がなく、その言葉を発した時の状況の方に重きがあるように思う。

でも、
それは「あるように思う」だけで実際のところはわからない。
又、普段は私たちの世界観の中でやりとりできている分、
どの言葉が「言葉(音)には意味がなく」どの言葉には「意味を理解して語って」いるのかの区別がつかない。

それ故に「癇に障る言葉」を失くすことに周囲は終始することになる。

周囲が描くその感覚や感情自体はとても理解できる。
私は、ある程度意識して入る分(意識しても間違うけど)、「意味を伴わない言葉」に対しては、その言葉を発する背景の方に意識を持っていく。

でも、これが毎日の出来事だとそんな余裕はない。
「また言っている」と思ってみたり
「解ったからもう止めて!」と言ったりもする。

了解不能な「言葉」を前に冷静ではいられない。

でも、
これが日常の付き合いがないとか、初対面の当事者に対してはどうだろうか?
その人に対するイライラの蓄積はない。
その人のこの先の支援を担うという立場にもない。
ただただ、その場その時に出会うその相手とのやり取りで終られる関係であったなら?

いきなり初対面で「癇に障る言葉を吐く当事者」
久しぶりにあったのに「癇に障る言葉を吐く当事者」

そんな当事者に出会う時、大概は傍に日常関わっている支援者がいたりする。
日常関わっている支援者はこれまでの蓄積の中で、相手にも気遣い「癇に障る言葉」を吐く事に制限をかける。
また、弁解する事もあるかもしれない。
謝罪することもあるかもしれない。

でも、
普段付き合いのない私は、多少のことは余裕で受け止められる。
その当事者と別れた後の支援にはコミットすることはなかったりする。

だったら、
「その言葉自体に意味がない」という事も含めて当事者の言葉を聞いてみるというのはどうだろうか?

「癇に障る言葉」を吐く当事者に、
「それってどういう意味で使っているの?」
「いつその言葉を知ったの?」
「その言葉は、あなたが考えたの?それとも誰かが言っていたの?」
「その言葉を言うと心地よい?」
「どんな時に使うの?」等々、

相手の言葉ではなく、その言葉を吐く相手を理解する手立てとしてみる。

その多くは、明確に答えてもらえない。
でも、そもそもその言葉を聞くと「癇に障る」ので、
こちらからそういった質問をしている時間分は、少なくともその言葉を聞かずに済むし、
口に出して相手に聞くことで、こちらはこちらでその意味を考える機会になる。

しばしばみかけるのは、傍にいる支援者が当事者を静止する姿を見て、
「それは良くないことで、懸命に支援を担っている人の苦労を少しでも和らげてあげるために、支援者と同様の振る舞いをする」というもの。

すなわち、傍にいる支援者と同様に、静止したり指導したりする。

当事者から見れば、日々の暮らしの中にいる人に言われるのと、初対面や久しぶりに合う人に言われるのとでは意味が違うと思うが、同じように対応されればそれが当然の事となり、
本来本人が求めていることが見えないままに、事がどんどん進んだり拡大したりするように思う。

「癇に障る言葉」を発する相手その人を理解しようと努めるというのは、
日常の付き合いがないからこそできることだと思う。
その人の背景や関係性がその言葉から見えてくると、
実は「癇に障る言葉」を発する必要がなくなったりする場合がある。
それは、普段つきあいがある分思い込んで付き合っていた者とは違う視点でやり取りすることで、
時に、「それが言いたかった」とか「ようやく理解してもらえた」という機会を、
初対面の人や久しぶりの人から当事者はえるのではないだろうかと思う。

でも、
時にその執拗さを増幅される場合もあり、
増幅したままの当事者とその後を引き受ける支援者たちを思うと、
申し訳なく思う時もある。

その辺り、出会ってやり取りした後の状況をあえて聞かないと見えてこないため、
当事者とのやり取りに躊躇が生まれるのも確か。

実際には、うまくいくこともあればうまくいかないこともある。

でも、
少なくとも
私たちの世界観では「言葉には意味がある」という共通理解がありが、
自閉症の当事者たちの世界観では「言葉を発する背景に意味がある」という場合もあることを意識し、
様々な出会いの中で当事者たちと関わると、違った景色が見えてくるように思う。
posted by 岩ちゃん at 12:16| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月15日

差別と戦う?差別している自分と戦う?

差別されていると気づいた当事者たちが声を上げる。
差別解消法は、長年声を上げてきた人たちの一つの果実だと思う。

当事者たちの声を聞いて、私は当事者たちを差別していると気がつく。
そして、私はそこに差別があると気づいて、差別されている当事者たちとともに声をあげる。

「私は当事者とともに声を上げます。差別と戦います」というのは、
差別されている当事者たちが上げる声に対する支援にはなるが、差別している我が身には何も起こらない。
否、当事者たちとともに声をあげている事に高揚するかもしれない。
「やってる感」「戦っている感」は深まっていくかもしれない。

でも、
差別している我が身はどこへ?
一緒に声をあげる事が免罪符になってしまうような気がする。
それ故に、「差別している側」に立ち差別しているわが身のこととして捉え、「差別している私」とこの社会を問う必要を思うが、それって非常に苦しい。
いつでも問うことを辞められる誘惑がつきまとう。
当事者のためであって私のためではない。
私自身が差別をやめたからといって、
大多数の私の側が変わらなければ、
差別されている人たちに対する差別はなくならない。
知的当事者たちに対する差別は、実は差別している側の解釈でどうにでもなってしまう。
許容範囲を増やすことはできるが、根本的な事が見え始めると、辛くてやっていけない。

なくならない差別に対し、当事者たちは戦い続ける苦しさを持つ。
生死をかける気構えを持って取り組む人もいる。
そこそこの妥協点で収まる人もいるだろう。
それらは、どれも自らの実感や自らの決断の中で行われる。

しかし、
差別している我が身においては、
差別していると言う実感を抱くこと自体難しい。
実感を抱けば苦しい。
ではどうすれば良いのかと自らの主体をかけ方にさえ悩み続ける。

差別されている側は自らの実感に基づくことができる。
しかし、
差別している側は、自らが実感を抱くだけでは何も解決できない。

とは言うものの、
差別していると言う実感を抱くことからはじめなければと思っている。
そして、そう思い始めてすでに35年程経っている。

何も変わらない現実。
ますます差別しなければ我が身が危うくなってしまう現実。

そこに抗するのも息切れしている我が身を想う。
posted by 岩ちゃん at 18:02| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月13日

退院の日に

十年以上精神科病院に入院していたNさんが今日退院した。
2年程退院に向けた支援を担ってきた私は、病院での最後の面会をした。

彼は、精神病ではなく自閉症と言う状態の人。
思春期の頃、家族との関係がいきづまり入院することになった。
よって、精神科に入院していても何ら治療を必要とする人ではない。
ただただ、退院しても地域で暮らす場がないために長年入院を強いられていた。

そんな彼との病院での最後の面会。

私の方は彼の退院を祝すために出向いたのだが、
彼が私を見つけてすぐさま口にしたのは、
「今日の昼ごはんは・・・」
「体重が◯キロになった」
と言ういつもと変わらない話。

私の側からすれば、
長年の病院生活を終えて、あと1時間でシャバに出られる喜びでいっぱいだろうと想像していたので、
普段とまったく変わらない会話に拍子抜けする。

新しい場での暮らしについてあれこれ尋ねるもその件については話が展開されない。

それよりも、昨日のスポーと番組の話や仕事している看護師の話や今晩の夕食(新しいGHでの初めての食事)の件と、これまた普段とは変わらない話ばかり。

「まぁ〜これも今日が最後か・・・」と思い、「うんうん」と頷きながら彼の話を聞き、
時折「新しい場所では・・・?」と話を振るも、まったく興味を示さない。

自閉症故にこだわりか?
はたまた、まだ見ぬ暮らしを想像する事が苦手だからか?

そんなことも考えつつ、時折彼の話に絡めてこれからのことを聞いてみるが、
ほとんど応えてもらえず約30分ほど彼の話を一方的に聞いていた。

あれこれと彼の話に耳を傾けつつ、凝りもせずこれからの暮らしについての話題を投げかける私。

予定の時刻まであと10分と迫った時、
そわそわし始めた彼。
明らかに早く向かえの人たちが来ないかとキョロキョロし始める。

そこで、
私「あと数分で退院だけど今の心境は?」と再度聞いてみる。
彼「嬉しい」
私「やっぱり嬉しいよね」
彼「でも、不安」とボソリ。

これまでの彼は、「大丈夫」「上手くやらなきゃね」「二度と病院に入らないよう、気をつけなければ」等々と言っていたのだが、
「でも、不安」と言う一言。

これまた「やっぱりそうだよね」と思った私。
でも、彼の一言はとても実感のこもった言葉であり、
ようやく口にできた言葉のように思えた。

とても気さくで、
とても多弁な彼。

他愛もない話を繰り返す彼。
時に相手のことなどお構いなしに話しまくる彼。

それを自閉症人のこだわりと捉える事もできるかもしれない。
まだ見ぬ将来については意識が行かないとも思えてくる。

でもそうではなく、

「でも、不安」と言う一言を発するために、
新たな一言を発するためには、
いつも通りの話をたくさんたくさんして、
その一つ一つを相手と了解し合ったその先に、
この言葉がようやく語れるのだろうと思った。

「今日が最後」と言う前提で、ただただ彼の言葉を懸命に聞いていた私。
その前提がなければ、日々様々な事柄がある中で、いちいち聞いてられないと言う場面のほうが多いと思う。

「いつもの話ね」と勝手に端折ったり
「その話は聞いたよ」と話を中断してしまう私。

可能な限り耳を傾けようと思っても、
じっくり話を聞く時間がないのが正直な状況。

「でも、不安」と言う言葉は、
ずっと思っていたことかもしれない。
もしかしたら、今日に至ってようやく言葉になったのかもしれない。

その実際はわからない。
でも、
「いつも同じ話をする人」であっても、
決して彼の内面は「いつも同じ」ではないと思う。

「退院」と言う一大イベントの日。
私の世界では、
これまでお世話になった人たちに挨拶を交わし、
いろいろ思い出話をして、
これからの希望を語り、
周囲から祝福を受けて、
送り出される/送り出す感動の日。
10年以上必要でないのに入院していたんだから、
その感動も半端無く膨れ上がる。

しかし、
彼の世界では、
いつもと変わらない事の積み重ねの上に、今日ほんの少しの変化を積み上げたのだと思う。

私の方は、様々な状況をこれまで経験し何かと比較し、当然の事の積み重ねの上に成り立つもの。
彼の方は、日々の一つ一つの上に、さらに一つと言う感じかもしれない。

漠然としたものと個々の積み重ねたもの。

「退院の日」どちらが普通とかどちらがあたりまえとかではない。

私と彼との間には捉え方の違いがたくさんあると思う。

捉え方の違いはたくさんあっても、
この2年間積み重ねてきた互いの関係によって、
今日の日があると、
ありきたりの感動ではない感動を覚えた今日の午後でした。
posted by 岩ちゃん at 17:34| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

機会の平等/結果の平等 合理的配慮について

4月から施行された差別解消法。
合理的配慮についてあれこれ語られている。
既に誰かが語っているのかもしれないが、
昨日自立支援協議会内に設置された権利擁護部会の初会合。
合理的配慮にまつわる話が出されたので、自分なりの想いを書き留めておきたい。

10数年ほど前、地元では「障害児の公立高校進学」ブーム(?)が巻き起こり、
数年間毎年公立高校を受検する子ども達の支援を担っていた。

「意欲と希望のある子どもを受け止める事」とそれ以前からの地道な交渉の結果、
都教委は各高校に通達を出すという状態にあった。
しかし、
合否の裁量権が校長にある中で、定員内不合格を出す高校があり、受検に際しては願書を出す段階から合否の結果に至るまで、当該高校や都教委との交渉が繰り返されていた。

都教委としては、「措置の申請」という制度を設け障害のある子どもが受検する際には、
時間の延長や選択肢による問題や音読/代筆と言った、障害の故に他の子どもたちとの不利益が生じないよう個別の状況に応じて配慮がなされていた。
ただ、
その配慮も、高校側からすれば「不正に繋がるのでは?」と言う理由で、すんなりと通るものではなく願書提出の後、様々な形で協議が重ねられていた。(これが、単なる協議であれば、合理的調整として高評価を与えられるのだけど、実際は「交渉」と言う形でこちらが一方的に主張し学校側は応じるか否かと言うせめぎあいだった)

いくつもの高校とやり取りする中で、ある高校の校長が
「どうぞ受検してください」「措置の申請?存じています」
「受検に際して、必要な配慮は何でもおっしゃってください」ととても理解のある人に巡り会えた。

と思っていたら、
「うちの高校は、定員割れしたことがないので受検するのは勝手ですが、合格はできませんよ」と明言するのです。
また、
その翌年も、同様の校長がいました。
この校長は「受検する事は認めますが、受け入れることはできません」と言い続けていました。

先の校長に対しては、
「もし、定員割れしたなら受け止める」という事を約束させました。
その結果、
異例の定員割れ!「天は我々に味方した!!」
定員割れをした校長は、「青ざめた表情でいた(都教委職員の弁)」
青ざめつつも約束を守ってくれた。

しかし、
その翌年の校長は、定員を3人超えただけで例年なら全員合格なのに、
障害当事者1人を不合格にするため他の2人までも不合格にして、定員数を合格者数とした。

その経験が意味するものは、
受検の機会は、合理的配慮によって保障するも、
結果については、障害を理由に不合格とする。

すなわち、
対応要領等で窓口を訪れる障害者に対し様々な合理的配慮を行いつつも、
支給決定においては、公平性の下本人にとって必要となる支給を認めない。

対応要領は、合理的配慮の中のごく一部。
求める所は「障害を理由とする差別の解消」

エレベーターの設置等による段差の解消・大きな文字や簡易な文章の使用・手話通訳者の配置等々、
窓口に障害者が訪れて、様々な相談が容易にできるようになる事はとても大切な事。

しかし、
「にっこり笑って、すっぱり排除」という合理的配慮では意味がない。

差別解消は、障害ゆえに自らが望む暮らしができない状況に対し様々な手立てを行う事であり、
行政に義務が課せられている。

「親もとや施設や病院を出て、自らの暮らしを実現したい」という当事者。
その意味は、
障害の故に、
親と暮らさなければならない。
施設や病院でしか暮らせない状況があるから、それを望んでいる。

しかし、
行政の対応は、
「想いは受け止めるが、GHの空きがないので無理」
「想いは受け止めるが、ヘルパーの支給量は認められない」

そのような結果に対する平等
結果に対する合理的配慮がなければ、
機会の平等のみの合理的配慮は、
差別解消に向かうのではなく、
差別をひた隠すための配慮にしかならないように思う。

posted by 岩ちゃん at 17:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月22日

「自分の事だから何でも聞いて」と支援者は言うけど・・・

GHを見学に行く予定の当事者。
これまでは、いかに受け入れてもらうかという対応だったが、
希望すれば受け入れ可能となった段階では、
逆にGHを選択するための情報集めが必要になる。
なので、
私も含め周囲にいる支援者たちは当事者に対して「いろいろ質問してね」という。

でも・・・

「いろいろ」という意味も「質問する」という意味も実感が伴わない当事者。
いざ質問しようにも何を聞いて良いかわからない。
なので、「聞いてみたい事を考えよう」という機会を持った。

「何でも聞いて」と言われても答えられない原因の一つには、
何度も受け入れを断られ続けてきたため、
「質問したら断られるのでは?」と臆病になっている点が見えてきた。
(不用意な質問は墓穴を掘るという事は私たちにもあって当然のこと)
GHに入居したいと願っても、
「今度、断られたら」と思うと気軽に質問はできない。
相手の言うがままに形だけ承諾し何も聞けず。
いざ入居してみたら、
本人にとっての想定外の事がたくさんあり、
もしかしたら収拾がつかなくなってGHでの暮らしが成り立たなく場合もあるかもしれない。
それを防ぐためにも事前にあれこれ聞いて納得のいく入居が必要だと思うのだが・・・

「断られたら一人暮らしという選択もあるから、安心して聞いてみて」と、
まずは質問できる安心感を持ってもらう。
すると、あれこれ聞いてみたい事が出てくる当事者。
初め、10も聞く事がなかった当事者が、
20〜30あれこれ出してくる。
同じような質問も中には含まれるけど、
まずは、質問しても良いという事を大事にする。

不安を解消しつつ、さらに自らの暮らしの希望を聞く。
すると、彼の想定は今の暮らしのまま。
新たな場に移れば当然違った環境や関係の中で、新たな暮らしが始まっていく。
今の暮らしがそのまま続くという感覚でいれば、
あえて聞くまでもない。
「聞けない」ではなく「聞く必要がない」状態。

でも実際は、まるで違った環境や関係が始まる。
その点については、なかなか想像ができない当事者。
なので、
当事者が描いている暮らしというものを聞き、
私自身の暮らしを伝える中で生まれる差異を明らかにし、
「あなたと私と違うから、GHではどうなっているか聞いてみないとね!」という形でさらに質問事項を増やす。

初め10もなかった質問が、いつの間にか50近くになっていた。
「考えれば出てくるもんだね〜!」と彼を持ち上げる。
「目標を100にするか〜!」と冗談っぽく話す私。
「えぇ〜〜。そんなにないよ〜」という当事者。
でも、
その表情はどこか嬉しそうで、既にやり取りを開始してから1時間は過ぎていたが、
彼のモチベーションはどんどん高まっていた。

モチベーションは高まりつつも、詰めてやり取りしていたので時折集中力が欠ける。
言い訳がましくその場を離れウロウロする当事者を見て、
気持ちをリフレッシュしているのだろうと。何度も席を離れては戻る彼のペースに合わせやり取りを続けた。

結果、2時間ものやり取りの中で70もの「聞きたい事」が出された。
「無理だよ!」と言っていた彼だが、時間の都合でそこまでにしようと提案すると、
「100まで頑張りたい」と言っていた。
でも、時間がないので70という切でやり取りを終えるための説得をした私。

その中身はと言えば、
他愛もない質問も沢山ある。
繰り返しの質問もある。
主語が変わっただけで同じ質問という事もある。

自らの暮らしについて自らが聞くというのはとても大切で私たちにとってはあたりまえの事。
それは、当事者にとってもあたりまえで、支援があればいろんなことを質問できるという話。

70もの「聞きたいこと」を出してきた当事者。
中には、かなり鋭い質問やその質問をあえてしなければならない本人の状況も見える。
私ならどう答えるだろうかと考える。
中には、私自身不問にしたいものもあった。
でも一つを不問にすればすべてが不問になるのだろうと思う。

今回は、私以外の人たちと一緒にGHを見学するという事だったので、
当事者に対して第三者として「聞きたい事」を書き起こすことに徹した。
当事者が挙げる問いをひたすら書き起こしただけの私。
なので、私自身が彼から問われることもなければ、私の答えは出さなくて良い状況なので助かったと思った。

「良い支援?〈生活書院)」の中で末永氏は
「当事者に聞いてはいけない」という。
逆に私は「当事者はもっと聞いて良い」という事を思う。
でも彼とのやり取りをしていて、
私たちは私たち自身に対し「当事者から聞かれたくない」オーラを常に出しているんだと改めて思った。

私自身も不問にしたい当事者からの問い。
一問一答で私自身に問われていたとしたら、
「そんなこと聞かなくても・・・」の一言で、その次の質問はもう出てこないだろう。
「その質問は、既に聞いたよ/答えたよ」と言えば、
何をその前に聞いたか覚えていない当事者は、
その後聞いた質問が、まだ聞いていない質問かどうかと悩み、
結果何も聞けなくなってしまう。

「自分の事だから何でも聞いて」と支援者は言うけど・・・
聞かない事は関心がない事では決してない。
聞きたくても聞けない何かが当事者の側にある。
それを今回少し感じる事ができた。
そして、まだまだ当事者の事を理解していない私は、
私自身が応えられる範囲のみでの質問を求めているのだと思う。
すなわち、
「何でも聞いて」と言いつつ
「そんなことを聞くなよ」という判断を、
私の側が常に持っているという事。

それは、とても無自覚/無意識に起こっていると思う。
無自覚/無意識に起こるものを自覚して意識的に考えて、
当事者と向き合えというのは不可能。
ならば、
私自身は無自覚/無意識であっても、
立場が違う人・考えが違う人・利害のある人ない人等々
私以外の人が当事者とともに私に対して聞きたい事を出す支援を行ったら。

当事者の新たな一面を見ることになるだろう。
私自身の無自覚/無意識な事柄に気づく機会が生まれるだろう。
聞かれたことに支援者それぞれが回答することで、
当事者のみならず、関わる支援者の意識も見えてくるだろうし、
その意識の中で当事者は暮らしているという事も意識できる。

様々な立場や意見で当事者に向き合うと「当事者が混乱する」としばしばいわれる。
しかし、
このような取り組みを行う事で、支援者は私も含め、自分の無自覚さや無意識に担っている事が問われることになり、答えようのない問いに「支援者が混乱する」という事だとも思った当事者とのやり取りでした。

posted by 岩ちゃん at 12:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月12日

障害児の放課後デイサービスにあれこれ思う

昨今の放課後デイサービスの乱立に危惧する私。
否、乱立と言うよりそもそも放課後デイサービスが必要とされ、整備され、学校側から勧められる状況自体が問題だと思う。
すなわち、
学校では、支援学級や支援学校という形で子ども達が分けられ、
放課後では、放課後デイサービスに送迎付きで直行し、その道すがらも含め子ども達の時間を分けられる。
「障害児」を持つ家族が楽をして何が悪い?
いわゆる一般の家庭以上に様々な支援を必要とする状況下で、たかだか放課後の数時間を楽したからといって、デイサービスから帰ってきた後の暮らしは家族に全部押し付けている状況。
煮詰まる状況に、ちょっとだけ周囲の目に止まる形で楽をしたからといって、見えない部分での大変さに周囲はほとんど気づいていない。
そんな事を思うと、
親以外の関係を作ることの大切さを思う。
ただ、
その作り方が、障害児のみを集めて取り組むという事がおかしい。
「素人職員」の話が出てくるが、
障害児ばかりが集まる場の中で、「専門性」を身に着けて関わる事にどれほどのメリットが有るというのだろうか?
放課後デイサービスを学習塾として捉えれば、個人が身に付けることに対する専門性はあっても良いと思う。その専門性を見極め選べば良いと思う。
しかし、
「圧倒的に不足している」「乱立している」という状況は、学習塾という「個人が何かを身につける場」としてだけあるわけではないだろう。
社会に住む人達は皆「障害児」に対して「素人」だと思う。
「親」であっても、「素人」だと思う。
社会一般の人と親は、どちらも「素人」だと思うが、
その違いは、関わらなくても済む状況にないかあるかの違いでしかないと思う。
すなわち、とにかく目の前の状況をなんとかしなければならない親たちは、様々なところに相談したり、人に頼ったり、情報を収集し活用し、実際面でも自らの内面においても懸命に担って日々を廻していると思う。
殆どの親は、ある日突然現れた我が子に対して真摯に向き合うだけで、生まれる前から「専門性」をもって子育てしているわけではない。
日々の積み重ねの中で「専門性」を身に着けていると思うし、
一般化された「専門性」を身につけられず、その「専門性」が実は悩みの種でもある事も含め、日々悩みつつ格闘し続け自分を卑下し続ける親たちもたくさんいる。
それでも、生活を回す状況。
だから、
放課後デイサービスを担う人たちに専門性を求めるのではなく、
親と同じようにはいかないまでも、とことん目の前にいる子ども達と付き合い続ける事が重要だと思う。
そして、
「練習台」というが、
それは子ども達にとっても、自らのことを理解してもらいえないこの社会にあって、周囲の人達との付き合いを練習する場でもあったりする。
子どもも大人もとことん人と付き合うことにおいて互いが「練習台」となり、様々な経験を積み重ねていくことは大切だと思う。
確かに、
送迎付きで、ひたすら親に対しておべんちゃらを言い、実際の中身は放ったらかしという放課後デイサービスもある。
本来そのような場は淘汰されていくと思うが、不足する状況の中では、それでも良いから利用したいと思う親たちがいたりするので話はややこしい。

もし、
専門性を欲するのであれば、いかに地域という様々な人が行き交う場に子ども達を戻していくかということに力を注ぐ事が必要だと思う。
放課後デイサービスに行くことで、本人が抱える困難さや本人が想い描くことを明らかにし、関わり方やその実現に向けた支援を明らかにするための関わりが必要だと思う。
そして、それを「障害児放課後デイサービス」として児童である間ずっと利用するのではなく、一日も早く一般の学童クラブや児童館の利用等につなげ、デイサービスの利用を終了したり、後方支援に徹する状況を生み出すという専門性が必要と思う。
または、障害児のみを対象とせず、地域の子ども達も常に参加できる場にすることで学校生活において奪われている出会いや関わりを取り戻すための専門性というのはありかもしれない。

しかし、
今の放課後デイサービスの対象は、あくまでも「障害児」であり、地域の子ども達との交流を求めることは許されない。(様々な制約がある)
厚労省が指向している事(厚労省に求められている事)は、「支援」という心地よい言葉に隠れ、子ども達を選別するための場でしかないと思う。
否、子ども達の日常である学校がそもそも「障害の有無」によって文科省が子ども達を選別している事で、それを補完するサービスを厚労省は目指している。
すなわち、
分けることを当然とし、分けた結果起こる不具合を補完する構図は、
子ども達が大人になった後においてもやはり、分けれれて当然で、分けた結果起こる不具合をサービスの対象者として補完する。その事で「障害者は一生この社会にとって特別な人」として「扱われる」事になる。

「個別の対応が必要」と子どもたちに向き合いつつ、
成人した子ども達の行く末は、生活介護やグループホームといった集団での対応があたりまえにされている。

放課後デイサービスが乱立する中で、
この記事のような批判はしばしば聞こえてくるようになった。

しかし、
この記事の視点で展開すれば、
子ども達はますます分けて関わる方向へと進むように思う。

世の中少子化で子どもの数が減っている。
という事は、
これまでに作られた児童館や学童クラブという場を利用する子どもの数も減っている。
児童館や学童クラブには、子どもの数が減った分の余力があるはず。
そんな中、あえて放課後デイサービスを充実させていくという話ではなく、利用する子どもの数が減った児童館や学童クラブをどのように活用していくか?
誰にとっても利用可能な状況をいかに作っていくかが重要に思う。

posted by 岩ちゃん at 09:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする