2016年05月07日

知的当事者の親からの支援依頼と「意思決定支援」

「うちの子の支援を担って欲しい」と言う依頼が舞い込む。
その内容は、
「親も高齢になり、我が子のこの先の支援を準備していかなければ、本人の暮らしが行き詰まってしまう」というものでした。

これまで、両親をベースとして一人で何でもやれてきた軽度知的の当事者。
ベースがあるからこそ廻る暮らし。
「この先」親をベースとできなくなった時、支援を得ずしては当事者自身の能力だけでは暮らしが成り立たないと思う。

しかし、
本人はどのような支援を欲するのか?
どのような支援が必要なのか?
実際その支援を使う時に現れる本人はどうなのか?
ベースを失くすという事は、必要となる支援や不要な支援を自らが判断して使いこなせるのか?
等々。

これまで、「支援は必要ない」としてきた当事者や家族が「支援を使う」ということに目を向けた時、
そもそも重度の知的や行動障害を伴う当事者で、幼い頃から人の手を使い過ごしてきた当事者とは違う新たな面があるように思いました。

あれこれ自らが語れる当事者。
しかし、私に語る事柄と両親に語る事柄が必ずしも一致していない。
親または私が、必要とする情報を本人を介してやり取りしていくと、情報がこんがらがって、
親と私の間で様々な誤解が生じてしまう。(実際は、生じていることに互いが気づかない)

ベースに親がいることで、親から本人に対する無意識の声かけによってできていることも、その無意識の声かけがなければ、たちまち事が行き詰まってしまう事がある。
しかし、無意識故に声かけを失った時の本人がどう現れるかが見えない。

「当事者本人の意思」に基づく支援を担いたいと思う。
しかし、家族と暮らす本人は家族の意思に大きく影響されて暮らしている。
これまで家族関係が上手く行っている点を見れば、家族の影響は本人にとって友好な影響なんだと思う。
しかし、
その家族がないとなった時、「当事者本人の意思」はどう現れるのだろうか?
例えば、
家族が示す選択肢から選ぶと言う話。
家族が示す選択肢は、長年暮らしを伴にしてきた分、ある程度本人の指向に則したものであったり、
本人が選択可能となる選択肢の提案であったりする。
そして、
本人が決めた選択によって、支援者たちは支援を担う。

しかし、家族が示す選択肢が無くなれば、
選択肢を提供するところから事は始まる。
本人の指向が見えなければ、ありとあらゆる選択肢を提示しなければならないし、
選択肢が多すぎれば本人は選択できなかったりする。

家族のもとにいて、本人が決めているようで実は家族の意向が良くも悪くも反映されていて生活が成り立っている。
そのベースがないと言う前提でこの先の暮らしとその支援を組み立てていく時、
何をどのように考えれば良いか?
実は非常に難しい問題だと思う。

軽度の知的障害故に、現状特に困っていることはない。
「この先」を描く時に起こる漠然とした親の不安。
漠然とした不安は、正に無意識に家族として担っていることが何かに気づかず、極自然たやり取りの中で成り立っているが故に見ることができないものだと思う。

そうであるならば、
まずは、いかに親を介さず当事者本人とやり取りしてみる。
たちまち、
伝言が実際に伝わらないことに気づく。
親の要望ではなく、本人と相談し状況をまったく知らないヘルパーを使ってみる。
すると、実は必要なことが頼めず、ヘルパーを使うことの意味を見失う。
それでも、ヘルパーを使い続けていくと、親の想いとは違う本人の要望が見えてくる。
しかし、親の価値観と異なる要望に対し、親は「正しい使い方」と言う形で介入してくる。

あれこれ自分でできる軽度のち的当事者。
支援なんて必要ないように見える。
しかし、
自らの暮らしを自らの力のみで廻しているわけではなく、
親という自らの力をサポートしてくれる人を失う時に起こる不具合はある。
そこに意識があればまだしも、
当事者自身も親自身も、まして日常生活につきあっていない私も、
必要な支援が意識できていない。

そんな状況の中で見える結果から、
伝言が伝わらなければ、支援者と親とで連絡を取り合う。
必要とする支援について、親がヘルパーに指示を出し、結果を親に報告する。
親と本人との要望の違いが現れた時、親の意向に則して本人と接する。

そうすることで事柄は回っていく。
しかし、
支援の中心は親には変わりなく、
その親がいなくなった「この先」の支援を作る課題については、何も取り組めていない事になる。
(そうであったとしても関係は拡がるでしょうが・・・)

よって、
兎にも角にも親ではなく本人とやり取りすることを徹底してみる。
そこには様々な不具合が生じてくるし、支援する事で本人も家族もかえって大変な状況に陥ることもある。
それも含めて、本人とやり取りすることを徹底してみる。
不具合ばかりでは続いていかない。
不具合を解決するために、家族と情報を共有したり意見を交換しあったりする事は必要。
でも、それはあくまでも本人とのやり取りをしていくためのものであることを意識する。

必要なことが伝わらなかったり、
不要な出費がかさんだり、
時に、混乱が角になって行き詰まることもあるかもしれない。

それでもなお、当事者本人とやり取りしていく事を徹底してみる。

支援を使う責任を常に本人に帰し、
支援の側は親に責任を負わせるのではなく、自らの支援の責任を追求していく。

あれこれできる軽度の知的当事者の支援は、一見何ら問題ないように見える。
しかし、
そこには、見えない何かによって廻る本人の暮らしがあると思う。

それは正に「意思」という見えないものに対し「自らが決定していく」ことに対する支援の必要性が隠されているように思う。

親が関わることで明確になる「本人の意思」であるなら、
親が関わらないとした時、「本人の意思」が全く見えないと言う話になる。
逆に「本人の意思」が明らかであれば、さほどの支援は必要な人ということにもなる。

でも、
目に見えない「意思」というものに向き合う時、
実は様々な課題がそこにあるということに私たちは気づいていない。

昨今、
「意思決定支援」なるものの必要性が説かれる。
又、「意思決定支援ではなく支援された意思」が大事と言われる。

でも、
その実際は、
「意思決定支援」によって明らかにされた「意思」が、支援する側の範疇を超えるものであれば認められない。
「支援された意思決定」というが、そのあり方は実のところ何も見えていない。
どうすれば、「支援された意思決定」と呼べるのか解らない。

ただ、
親からの依頼を受け、
その依頼が、親の意向ではなく本人の意向として受け止め、
その依頼を本人と支援者とで解決していこうとする時、
様々な不具合の経験も含めて、
「支援された意思決定」なるものが明らかになっていくように思う。

それを「意思決定支援」なるものでくくってしまっては、
何ら悩むことなく、責任の所在は明らかになるかもしれないが、
本人は責任を取る側の範疇でしか暮らしていけなくなるように思う。

本人も、家族も、支援者も、
それぞれがそれぞれの立場で、自らの責任を負いつつ、
日々の関わりを積み重ねていきたいと思う。
逆に、本人との積み重ねなしに、「意思決定支援」なるものの枠付や「支援された意思決定」の手法は何ら意味が無いように思う。
posted by 岩ちゃん at 11:16| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

いろいろ解っているんだろうなぁ〜

自閉症を伴う重度知的当事者宅へ重度訪問介護のヘルパーとして入る。
玄関を開けるといきなり、
「岩ちゃん!」と名前を呼ばれる。
私「はい。こんにちは」
彼「こんにちは」
私「こんにちは」
と挨拶を交わす。

「私⇒彼⇒私」という順に挨拶を交わすのは、彼と私のパターンなんだけど、
名前を呼ばれるのはそうそうない。
想像するに、
隔週入っている曜日なのだが、前回が週を間違えすっぽかしてしまった。
「今日は、間違いなく来たね」の意味だったかもしれない。

部屋にはいると台所の床に、何故か調理器具立てが置いてある。
「あれ?」と思いつつ、所定の場所に置く。
すると、
「ガシャガシャガシャ」と彼の部屋から食器がぶつかる音が聞こえてきて、
籠いっぱいに食器や鍋釜を積み上げ流し台の所に持ってきた。
「洗って」ということだと思い洗い始める。
どうやら、調理器具立てが床においてあったのは、
依頼するためのスイッチで、
それをそのままにしておけば依頼できず、
それを元の場所に戻せば、「良し!頼もう」ということだったかもしれない。

大量の洗い物が済んで、介助者ノートを読もうとすると、
お金を持って「買い物!」を依頼される。
「りょうかい!」とお金を預かり、彼と一緒にお店に向かう。
店内を何度もウロウロと回る彼。
買いたい物と金額とをあれこれ計算しているかも。
彼が言うがままに買い物かごに品物を入れる。
その中にあった、二つのお菓子。
最近当事者たちが集まる場に、「差し入れ」と言う事で持ってくる当事者がいる。
それと同じお菓子。
もしかしたら、他の商品も、どこかで見たものと同じものを買っているのかも。

買い物終了後一旦帰宅。
しばしマッタリと過ごす。

その後、用事があって出かけるのだが、出かけるタイミングはいつも私の方から声掛けしている。
声をかけるまでは「好きなように過ごして良い」と思っているらしく、物音一つ立てずに過ごしている。
(彼にとっては非常に珍しい状態)
所が、出かける時間が迫るとドタバタし始めた。
一旦部屋から出てきてホワイトボードを見て再び自室へ。
どうやら、ホワイトボードに書かれているお出かけの時間を見て、「まだ出かける時間でない」と理解した様子。
毎度、家を出る時間と到着時間を書いているのだが、
見ているのか見ていないのかわからなかった。
でも、前回すっぽかしてしまった事と今日のお出かけの時間が遅めだったことから、
彼自身が確認したのだと思う。
やはり、書いておいてよかったと改めて思う。

用事を済ませると再び買い物。
今日はとても絶好調だったからか、
次から次へと品物をかごに入れる。
買い物の終盤にさしかかり、
「これだとお金足りないけど・・・」とつぶやく私。
自分の段取りのままにならないとどれほど絶好調であってもパニックになる彼。
不足分は建て替えて後でもらうか?
でも、払ってもらえないと困るしなぁ〜などと思いつつ、
彼がどうするかと思えば、
じっとかごの中を見つめ、
「いらない!」と品物を間引いていく。
どこの店にあったかわからないから彼に聞けば、
一緒に元あった場所に向かい元に戻す。
そうして、会計を済ませてみれば、お釣り98円。
本当は100円になる予定だったのだが、買い物袋を忘れたために2円のビニール袋を購入したため。
その計算力が凄い!

そんなこんなで過ごした日中。

実は、いろんな事が解っている彼がいるんだと改めて思う。
そして、私は、彼が解っていることが解っていないという事がわかった。

日々地域という様々な人の中で暮らす彼。
いろんな事が常に一度に襲ってくる中で、懸命に過ごしているのだろう。
懸命に了解しようとしても次から次へと襲ってくる事柄に追いつかない。
それでも、長年地域の中で育ち地域の中で暮らす彼。
いろんな事を了解しているのだと思う。
そして、
今日は、たまたまかも知れないが彼の了解の中で過ごせたから終始ごきげんだったのだろう。
そして、そのごきげんさから、実はいろんな事が了解されているのだろうと想い描くことができた。

とは言っても・・・
なかなか彼が何を了解しているのかを了解できない。
暴れる彼を見るのはとてもつらいけど、
暴れている彼の方がもっと辛いのだろうと思う。

だからこそ、
私は、彼が理解しているものが理解できていない。
と言うところに立って、彼を理解することに努めていかなければと思った。
posted by 岩ちゃん at 19:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

ここ最近の当事者の変化に

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者のお宅に、4月から新しい事業所の新しいヘルパーが介助に入った。
新しい人の登場を何の躊躇もなく受け入れ、
逆に、これまで滞っていたことがスムーズに運ぶようになってきた。
古くから彼と関わる私には超びっくり!!

彼は、かれこれ15年ほど一人暮らしをしている。
一人暮らしを始めたころは、とにもかくにも何をどのように支援して良いのかわからないほど、暴れまわっていた。
現在、一昨年から重度訪問介護を使い暮らしている。いわゆる強度行動障害を有する人。

こだわりが激しく、パターン化された枠を設けることが良いとされる自閉症の人たち。
いわゆる構造化という事なんだろうけど、
長年地域で育ってきた彼は、親元にいる間その構造化を自らが求め自らが解決していた。
どのように彼自身が構造化しているのかわからないが、何かを引き受けようとする時には必ず暴れていたし、
その何かが了解できた途端に落ち着き払うという繰り返し。
周囲は、ただただ彼が安全に暴れられることを見護るしかなかった。

でも、家族というベースがある中で、「落ち着くまで見護る」という事はある程度できたけど、
家族の下を離れ、一人暮らしを始めた途端、ベース作りも彼の課題となり、暮らしという様々な状況や事柄が襲ってくる中で、彼は自らの暮らしを縮小しつつ了解可能な構造化を行っていたように思う。

それでも、暮らしというものは常に応用問題の世界。
自分では何ともできない状況下で、行動は収まらず、
近所が本人の状態を受け入れられず、
何度も引っ越しを繰り返していた。

日々彼に関わるヘルパー達。
長い年月介助に入り続けていると、彼もヘルパーも個別のやり取りの中である程度の了解が取れてくる。
ある程度了解が取れれば、違った側面からやり取りし本人が了解している事が何かを知る余裕も生まれる。
でも、
昨今のヘルパー派遣事業所はどこも人手不足。
行動が激しい状態の彼と付き合い続けることが難しく、
何にものヘルパーが彼の暮らしの場を通り過ぎて行った。

そして、彼は常に新しくやってくる人に対し、一から関係性の構造化に努めていたように思う。

一方、ヘルパーの側はと言えば、
こだわりが激しく、本人に対して決まったパターンで関わる事に努めようとする。
カレールーひとつとっても、本人が決めている物を買ってくる。
彼の発する言葉をそのまま受けて、夜中だろうが早朝だろうが買い物に行く。
そうすれば、本人も要望が通ったと描き落ち着く。
彼のこだわりを見護り、彼が動き出すまで彼の儀式に付き合い続ける。
予定の派遣時間を過ぎても目的の場所に行けなければ、事業所がその責任をとって無償で関わり、
何とか時間通りに事が進む取り組みを模索し続けてきた。

今日の会議で、ここ最近の様子の変化について「なぜ、本人はここ最近関わりがスムーズになったのだろうか?」という話になった。

「行動障害」と称される状態が起こっている時には、必死にそれを改めようと支援者間で検討するが、「行動障害」と称される状態が改善されると、支援者たちは安堵し、一息つく。

そうではなく、「なぜ彼は落ち着いたのだろうか?」「その理由が判れば、落ち着かない時の対応に活かせるのではないか?」という問いがここ数年あり、
今日の会議でも、新しくやってきたヘルパーとの様子からその意味をあれこれ考えた。

すると、
ここ数年関わっているヘルパーが、
「自分たちは、あまりにも彼を自閉症の人という見方で接していたのではないだろうか?」という意見を出した。
「彼には彼のこだわりがあると決めつけて関わっていたが、実はそのこだわりは彼がヘルパーを見て作り上げていったものではないだろうか?」
「彼の依頼をそのままに了解するではなく、彼の依頼が実現不能と拒否するでもなく、やり取りすれば違った展開が生まれるのに、決めつけて関わってしまっていたのではないか?
「付き合いが長くなると、彼自身が相手とのなかで構造化したことを、解除する事は出来ないだけかも」
「介助者の側が思い描いきやり取りしてきた結果、理解はできても解除ができない」
「でも、理解しているから新しく入ったヘルパーとの関係の中で理解したことを実行に移しているのではないか」
等々あれこれ意見が出された。

どれも、納得いく話に思えた私。

当事者本人もこちらを見て暮らしているのに、こちらは当事者の事を決めつけ何とかしようと懸命に試みていたのではないだろうか?
そんなことを思い描くと、

自閉症の人に対する構造化の話というのは、いかに構造化していくかという視点に立てば、より専門性をもって本人と関わらなければならなくなる。
しかし、
そんな専門性を持っていないヘルパー達は、目の前にいる本人と向き合い続け、本人がいかに理解しているかを考え、その理解の上に、暮らしをどう回していくかを懸命に担ってきたように思う。

私自身も長年当事者たちと付き合い続けている中、決して専門性をもって彼らと付き合っているわけではない。
しかし、長年のかかわりの中で思い込んでいる事がたくさんあるように思う、

今日、日々関わるヘルパー達からの話を聞く中で、
当事者のこだわりの前に私自身がこだわっている事に気づかされた思いでいる。
そして、
当事者自身もヘルパーという存在が、自らの暮らしを規制する人ではなく、要望に応えてくれる人であり、思いを実現することに対し関わってくれる人であると了解しているように思う。
そして、実現するためのやり取りをしてよいという事が生まれているように思った。

これまで新しく入るヘルパーに対しては、彼の決まりごとを伝え、決まり事通りに事を進めるよう伝えていたかもしれない。
そうではなく、彼が理解している事を理解する事に努めるために、それぞれが思い描くことを出し合い、新しい人たちも古くから関わる人たちもそれぞれの視点から思い描くことを共有することで、日々の暮らしと支援が廻っていくように思えた。
posted by 岩ちゃん at 14:29| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月31日

いよいよ障害者差別解消法が施行されるんだけど・・・

明日から障害者差別解消法が施行される。
長年取り組んでこられた方々の喜びはとても理解できる。
私もこの法律を道具として、これまで突破できなかった課題の解決に使っていきたいと思う。

でも・・・

その直前にあって、緊張と激しい落ち込みを抱く私。

緊張の方は、
「差別」というものが当事者の側から見てどのようなものなのかが解らない私。
長年、障害当事者たちと付き合い、当事者たちとともに「差別」というものを打開するために取り組んでもきた。
しかし、「課題解決」を目的に個々の当事者が抱く「差別」をとりあえず横に置き、「今、取り組まなければならない重要な課題」として展開してきた私でもある。
差別に優劣はないので、当事者からの求めに対し取り組んでいきたいと思う。
しかし、様々な課題が舞い込む私の状況下では、そのすべてに対応できず、鬱々とした思いになる。
それが、
明日から「取り組まないことも差別」と言われたら、どうしたものかと思って緊張する。

落ち込みの方は、
世の中が「差別解消」に向かうこと自体は素晴らしい事だと思う。
しかし、「差別である」事をまずは証明しなければ、「解消」の対象とならないような気がする。
周囲が差別として認めれば、改善しなければ法律違反になる。(とはいっても罰則がなかったりするのだけど)
しかし、差別と認められなければ、その当事者はますます孤立化していくように思う。

たとえば、今まさにやり取り中のケース。
精神科病院に保護入院しているAさんは、保護室での拘束を受けている。
その彼の退院に向けた取り組みをしている私。
Aさんは、決して「精神病」の領域にあるわけではなく(あったとしても間違っていると思うけど)、自閉症という症状を持ち、他者との相互関係を気づくことが困難な人。
60名もの入院患者と過ごすAさんは、他者のつらさを理解できないし、自分がどのようにみられているかを理解することも難しい。
想いのままにとった行動が集団生活という面からすると、維持できない状態になる。
維持できなければ制御されるのが精神科病棟の実際。
本人は、なぜ制御・抑制されうのかが理解できず、
結果、他者と同じ空間にいられず、暴れれば拘束という状態になる。
又、訳のわからぬ状況下でストレスをため込めば、水中毒に陥り、水を飲みすぎないように拘束される。

病院側は、彼の状態や状況を理解しても、病院という環境の中では拘束せざるを得ない。
看護師たちも非常に心苦しく思い、一日も早い退院を願っている。

しかし、
長年社会的入院を強いられてきた自閉症の彼が、退院して一人で暮らすことは非常に難しい。
よって、行政の支援を受けて退院を実現すればよいと考える私たちに対し、
行政は、「拘束状態にある人が、地域に出て暮らすという事は無理」と評する。
「退院する無理な人に制度を支給する必要はない」
「まずは、病院の側の拘束状態を解く取り組みが先」という。

障害の故に起こっている事柄という認識がない行政。
認識がなければ、解消するための合理的配慮(調整)の場にも臨まない。

確かに、
本人は暴言を吐く・人のものを盗む・時に暴力をふるう・GHの体験入所でボヤも出した。
その事象だけを取り上げれば、「拘束はやむなし」「そんな人は地域に置いておけない」と発想するのはありうる。
しかし、
それらが、自閉症という状態の中にある彼の認識の上に起こっているというのであれば、
本人の障害に対して配慮が必要である。
何をもって配慮していくのかという点では、
一日も早く退院を実現し、
地域で過ごす中で、支援をしつつやり取りを重ねる必要がある。

そんなケースを今目の当たりにして、
この差別解消法は有効に機能するのだろうか?と落ち込む。

「暴言を吐く・人のものを盗む・時に暴力をふるう」といった事象が、障害の故に起こっている事として誰かが証明し、そこに支援が関与することで収まっていくことを証明しなければ、何も解消されず、Aさんは病院という閉ざされた空間にこの先一生閉じ込められてしまう。

知的や自閉の当事者たちの場合、
「過度な合理的配慮」が必要になる状況は、その手前で何ら配慮がなされていなかった結果という事が多い。
気づかずやり取りしている時には何も配慮がなされず、目に見える形で表れてきた時に「過度な」と言われてしまっては、どうしろというのか?

そんなことを思いつつ、
障害者差別解消施行前日に開かれる会議に臨む。
posted by 岩ちゃん at 12:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月30日

取り戻せない時間に

ここ最近、今日の日付が判らない日々が続いているのだが、
とうとう1週間日付がずれていた私。
隔週で入る予定の介助をすっぽかし、大きな穴を開けてしまった。
次に入る介助者から電話が入り気づくという始末。
その介助者に本人の様子を聞けば、「特に変わったことはありません」という。
24時間誰かが常に一緒の自閉症を伴う重度知的当事者。
介助者が来ない時間一人っきりの時間をマッタリ過ごしていたのかもと思いつつ、
空けてしまった介助の穴をあれこれ思いつつ、その次の介助に日がやってきた。

「特に変わったことはありません」と言っていた通り、
介助ノートには私が穴を空けてしまったことが書かれていない。
なので、一日置いて交代する私の前の介助者はそのことに気づいていなかった。

しかし。
私が訪問し、本人と挨拶を交わした瞬間から落ち着かなくなる当事者。
その理由に気づかない前の介助者に、先日介助の穴を空けてしまったことを説明する。
それほどに、穴を空けても普段通りに過ごしていた当事者。
その一方で、私が現れた途端にドタバタ暴れだす当事者。

これは明らかに、
穴を空けたことに対する私への反応だと感じた。

穴があったら入りたい。
でも、空けた穴は既に過ぎ去ってしまっている。

前の介助者が帰った後もしばらくドタバタ暴れる当事者。
私は、タイミングを見計らい本人に対して謝罪。
そして、空けた穴は取り戻せないが、挽回の段取りを本人に伝える。

すると、
途端に落ち着く当事者。
超ごきげんになる当事者。

そこから、
彼は、その日の介助者は私であったことを理解していて、
私がくるはずなのに、来なかった事実を認識していている彼を知る事となった。

誰が来ても変わりないように見える彼。
でも、しっかりと誰がその日にやってくるかを認識している彼を知る機会になった。

そして、
聞いているのか?理解しているのか?まったくわからない面はあったけど、
穴を空けてしまったことで、
彼は、彼自身の予定をきっちりと把握し、それに備えているということを知る私。
又、
自閉症の当事者は不測の事態に対応が難しいと言われる事への偏見。
重度の知的故に事が理解できず、自分では対処できないという偏見。
私が来ないという現実に対し、やり過ごし次の介助者とやり取りできる彼。
取り戻せない時間にこだわり続けるのではなく、
本人に伝わる形で伝えれば理解してもらえるという事。
取り戻せない時間にこだわり先に進めないのではなく、
取り戻せない時間に対してどうするのかが見えないだけで、
そこが明らかになれば先へと進めるという事。

たぶん、私がくるのを待っていてくれたから、空白の時間とくに変わったことが起こらなかったのだと思う。
(なので、待てるから介助は要らないにはならない)
結果、来なかったと言う事で次の介助者にシフトした彼。

万が一何かが予想もできないことが起こらなかったことに胸をなでおろす。
そのように対応してくれた彼に感謝する。

しかし、なんとも取り戻せない空けた介助の穴。
謝罪したからといって許されるものではないと思うし、
許してもらえたか否かはこちらにはわからない。
(たとえ許してもらえていたとしても、こちらが許してもらえたとするは大きな間違いだと思う)

その穴は取り戻せない。
だからこそ、
その穴を次にどう活かすかを考え、
今後の生活支援に活かさねばと思う。

訪問時の緊張感と謝罪後の安堵感。

事が伝わった後の彼は超ご機嫌で過ごしている。

謝罪とその後の対応について受け止めてもらえたことに深く感謝する。

だからこそ、
次に活かすためのあれこれを考え展開することが、
彼に応えていくことになると思うし、
それを持って我が身の反省としていきたい。
posted by 岩ちゃん at 10:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

Sさんの訃報

重度身体当事者のSさんの訃報が届く。

府中療育闘争後もう一つの形。入所施設内で暮らす当事者の自治権を獲得した入所施設で暮らしていたSさん。
昔私はSさんに、「入所施設は入所施設でしかない!」「でも、あなたが選んだなら」と入所施設はSさんの住まいとして、それ以外の場でいろいろと付き合ったり、その住まいを訪ねたりしていた。

Sさんが若いころは、施設職員を手足のごとくに使い、彼のみならず職員を引き連れ外出を頻繁に重ねていた。
その後10年ほどたったある日、施設を訪ねてみると自治権は未だ保障されていて、職員を手足のようには使っていたが、自治権獲得に動いた人たちは皆年老いて、遊びのために外出するよりも病院通いの方が多くなっていた。
限られた職員の数を前に、通院が優先され、他の人たちの外出は極端に減っていた。

「当事者の自治権!」と言っても「施設は施設」という事私の想いの方が正しかったと思った。
本人もそう言っていた。

だから私は、「そろそろ施設を出て暮らすのもいいのでは?」と聞けば、
「そんなエネルギーはないよ」という話になっていった。

そして、今回の訃報。
年末に体調を崩し、1月に亡くなられたとの事。

その訃報は彼の要望としてあったわけでも、職員が必要と思ったわけでもない。
たまたま私の会の会報をSさんに送っていたため、
職員からの第一声は「○○園の△△です。Sさんは退所されたので、今後の送付は不要です」だった。

私はてっきり、「いよいよ施設を出て町で暮らす」のかと思い。
明るく「それはそれは、どちらに移られたのでしょうか?」と聞いた。

すると、
「実は、1月に亡くなられて・・・」という形での訃報。
亡くなられて2か月が既に経つ今日。

「入所施設で亡くなられた場合はどちらに連絡するのですか?ご本人が関係していた方たちに連絡はしないのですが?」と聞けば、
「守秘義務もあり、親族がいれば親族に連絡を入れ、親族の方から関係者に連絡する」という。

私は、Sさんの親族を知らない。
たぶん、親族も私たちの関係を知らない。
その意味では、彼は親族の影響下を離れ、
地域にいる私たちと自らの意思でつながっていた。

しかし、
そんな彼と私たちの間にある関係も、
「守秘義務」の一言で連絡がされない。
Sさんに、たまたま会報を送っていたから連絡が入ったわけだが、
もし会報を送っていなければ、彼に関わった地域の人たちは誰も知らない中で、その存在を抹殺されていく。

私以上につながりの深い人達に連絡を入れる。
誰一人として、連絡を受けていない。

ある人は「入所施設だから、線香の一つも上げに行けないんだろうね」といった。

地域の人たちはSさんとのつながりはあっても、
Sさんの親族とのつながりはない。
なので、親族の住所を伺い訪ねていくというのもなかなか難しい。

せめて、亡くなる前に入院し治療にあたっていたときに連絡があれば、生前のSさんに会えただろうに。

いろんな思いを語ってもらえただろうに。

今は時すでに遅し。

私自身は亡くなった方の事よりも亡くなる前に作ってきた本人の関係の方が重要だと思っている。
だから、そのような関係があったのかを伺う事で、Sさんの意思を理解し、Sさんの想いを受け止め、次につながっていくことが残された者の役割だと思っている。

でも、
人知れず亡くなられたSさん。
何も引き継げないままにいなくなってしまった。

なんとも・・・・

入所施設は、やっぱりおかしいと思う。
posted by 岩ちゃん at 13:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月31日

常連になれば

昨日のガイヘル。
当事者Sさんが向かう後をついて行くと、噂に聞いていた大判焼きのお店があった。
彼は、ガイヘルを使いでかける際には、しばしばそこで3個〜5個の大判焼きを買っている。
評判のお店で、私も何度か大判焼きを買ったことはある。
でも、彼と一緒に行くときは何故かいつも閉まっていて、
彼と一緒に買ったのは初めてでした。

Sさん「クリーム(入大判焼き)3つください」
店主「クリーム3つね!」
当事者「・・・・」
店主「◯◯に行ってきたか?」
当事者「行って来たよ」
などと、普通に会話。
たぶん、前日の介助者と一緒に来た時に話した会話の続きだと思う。
そのやり取りがとても自然で、Sさんと店主のやり取りに私が入る隙がまったくなかった。

確かに、その日「◯◯」に彼と行って来た。
でも「◯◯」は、彼にとってはいわくつきの場であり、多くのトラウマを抱える場。
子どもの頃、両親と一緒にでかけ楽しい思い出がある場所。
又、一人で出かけていった場所でもある様子。
ところが、
何度もトラブルを起こすために、親御さんの同伴が条件とされ、
それでも、トラブルが起こると言う事で、
出入り禁止とされてしまった。
それでも、
数年経った後ガイヘルを使い出かけていったが、
やっぱり大パニックになってしまい、
彼にとっては、行きたくても行けない場になってしまった。

そんな彼が、
私とは行けるようになった。
彼とその場に行けるようになったことで、
行けなくなった原因もあれこれ見えてきた。
それは、単に彼の障害や状態や認識だけでなく、
そこを運営する職員の無理解がたぶんに影響していると思った。

確かに、当事者が大きなトラブルを起こせば、それを担う人たちも又トラウマとなって、
彼がやってくる事に恐怖するのは解る。
彼は彼なりに、
職員がいなくなれば、トラウマを持つ人もいなくなり、改めて「◯◯に行ける」と考えていた様子。
「40歳になったら行く」と当初言っていた彼が、
「35歳になったら」
「30歳になったら」と年齢をどんどん引き下げるようになり、
同様に行きたくても行けない場に少しずつ行けるようになる中で、
「ヘルパーがいればどこにでも行けると思うよ」と伝え続けて、
ようやく30歳を待たずして行けるようになっている。

当然、月日が経っているため彼を知る人は少ない。
昨日職員に聞いた話では、「支援学校の子ども達もよく利用してます」との事。
なので、Sさんのような存在はよく目にしている。
彼の過去を知らない職員は、落ち着いて楽しんでいるSさんに何の懸念も抱かず対応してくれる。
しかし、
古くからいる職員は、露骨に彼を嫌い、
時に、彼を知らない職員に対し「要注意人物」として情報を提供し、
それを聞いた職員が、一瞬に顔を曇らせる様子を何度も見てきた。

それでも、毎回なんてことなく楽しんで帰るSさんの様子から、
実際にトラブルを目にしていない職員たちは、一利用者として受け止めている。

そこに至るまでに、Sさんとは様々な関わりを担ってきた。
彼が持つ世界観がどこにあり、
彼の世界観と私たちの世界観のズレがトラブルになって現れるなら、
私の役割は、いかに互いの世界観の折り合いを見出すかという事。
などと、様々な場面で様々な事を考え、考えてみたことを試し、その結果から再び考えてみることを懸命に担ってきた。

そんなこんなで、
Sさんが「◯◯行って来た」と言うのは、
それ相当の積み重ねが、Sさんにも私にも又、親御さんやその他彼を取り巻く人たちの中にある。
「行けるようになるまでの時間」も相当かかっている。

でも、
そんな事には、まったくお構いなく、
自然な会話ができる大判焼きの店主とSさん。

2人の会話に私が入る隙が全く無い中で、会話する2人を見ていると、
実は、私が見てきた事柄や聞いてきた事柄の外に、店主とSさんが自然に存在し、
その自然な関わりがあったからこそ、数年経ってSさんはその場に行けるようになったと思った。

当事者たちの支援を日々担っていると、
どうしても「本人の意思」や「自己実現」等を基に支援者としての関わりを意識する。
本人の意思や本人が求めていることがどこまで正確にはわからない知的当事者たちとの関わりにおいては、
思い込みを排除し、自らの価値観を意識化し、様々な場面や人との関わりの中から当事者の想いを想定して、具体的な関わりを担っている。

しかし、それらは時に煮詰まりを生み出す。
袋小路に陥る。
自戒する余り、何も手がつけられなくなり、
相手を責めるか、自分の役を放棄するかと言う事態に陥る。

いろいろ考え担っていると見えてくるものも確かにある。
決して、そんな私の関わり方を手離そうとは思わない。

でも、
店主とSさんの「どうでも良い」他愛もない会話。
大判焼きを手にするまでの僅かな会話。

そんな、二人の関係が存在する事が、実はあれこれ考え当事者と関わる事以上に大切な存在、大切な関係に思えてきた。
それは、Sさんに対してとか店主に対してとかではなく、
真剣に関われば関わるほど煮詰まっていく私自身を救ってくれるありがたい関係に思えてきた。

品物やお釣りの受け渡しに時間がかかるSさん。
後ろに並ぶお客さんの事が気になり、私はSさんに「ちょっと横にずれて」と後ろに並ぶお客さんに気遣う。
すると、店主は
「いいんだよ。待たせておけば」と私を一喝。

自然な二人の会話にも感動していたが、
私を一喝するその店主のあり様は、どこか私が追い求めているものを完璧にこなしている瞬間に思えてさらなる感動を覚えた。

障害当事者が「地域で生きる」と言うのは、
「地域で生きている人たちと生きる」ということだと思う。
当事者個人が暮らすためにその個人を介助するという事はある。
それ以上に、
周囲との関係を介助するということでもある。
地域で暮らしていても、本人の意に関わらずドアツードアで様々な場に当事者を囲い込、
地域の人達から離して、本人のみの暮らしを保障事を追求するものではないと思う。

ホームヘルプは、どうしても家の中でのやり取りになってしまうため、当事者個人の支援になりがち。
でも、
ホームヘルプと対になるガイドヘルプは、外での支援という点で本人だけの楽しみや本人の安全のみを保障知るものではないと思う。
他人への危害や損害を与えないためだけにガイドヘルパーが存在していたら、とってもつまらない仕事だと思う。

しかし、
当事者を介し様々な人との出会いを生み出すなら、
既に、様々な出会いを持っている人として付き合うなら、
こんな楽しい仕事はないと思う。

いきなり様々な人との関係を作るなんて、誰にでもできるものではないと思う。
関係の橋渡しをするには、当事者を知り相手を知らなければならない。
道行く人たちの中で、それを作るのはとても難しい。

でも、
行きつけのお店。
常連さんとして受け止めてくれる場が、
福祉関係の場ではなく、
ごくごくあたりまえに私たちが利用している場であったなら。
介助者以上(介助者が知っているとうじしゃとはべつの)に当事者のことを知る人がいて、
その人たちとの繋がりを大切にし、そこから介助者が得られるものはとても大きいと思う。
又、当事者と先方とのやり取りもそこから介助者が学ぶものもたくさんある。

なので、
ガイドヘルパーを担う時、
単に本人の興味や要望に即し出かけて帰ってくるだけではなく、
そこに存在する人との関係を意識しつなげていくこと、
すなわち
行く先々に「常連さん」として受け止めてくれる場を作っていくことを意識すれば、
本人にとっても、その場の人たちにとっても、介助を担う人たちにとっても、この先新たに介助を担う人にとっても、有意義な事になるように思う。

少なくとも、
「待たせておけばいいんだよ」と一喝してくれた店主の存在は、
よくよく考えてみれば、私の支援の不十分さを深く反省しなければならない事だと思うが、
介助者であることの前に、私も一人の人間として、2人の自然な関係へと引き釣り込んでくれる、ありがたい言葉でもあると感じた。

そして、
常連として店主と会話する関係を築いてきたのは、私よりも前に彼の介助を担っていた介助者の存在があってこそ。

そこに私も混ぜてもらえた事を喜びとして深く刻んでおきたい。
posted by 岩ちゃん at 12:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

Eテレを見ての感想メモ

徴兵検査
障害者更生法
片輪者(横田弘)
学校が気づかせる障害者である自分
「脳性まひ者協会」青い芝
座敷牢
歴史を語る身体障害者
高度経済成長・所得倍増
重症心身障害児の親たち
親たちによる「重症心身障害児(者)を守る会」
「この子を残して死ねない」親
「役に立たない者には金は出せない」(厚労省)
「施設拡大」(水上勉)
心身障害児総合福祉=コロニー建設
「政治家としての愛情」「皆さんの声」⇒「重症児対策を重点施策とする=コロニー
コロニー=支援者とともに共同生活
国立コロニーのぞみの園へ500人入居
コロニーで安心して暮らす
「ホッとした」親の第一印象
コロニー=故郷との永遠の別れ
ねむの木:「この子らに力を持たせる」
靴磨きの子⇒施設建設/親身な宮城まり子
生徒たちの生き方に疑問⇒小田急線・車いす・観客(否乗客)⇒さよならCP=さらしもの
入所不足の故に親の子殺しが頻繁
「同じ人間なのに、かわいそう」
「我らは愛と正義を否定する」
「障害者って悪いの」
街に出ると露骨な差別
乗車拒否⇒(ハンディキャブの増加は、人々の目から障害者がいなくなる)
30台のバスの足止め⇒苦情を言う乗客
都立府中療育センター=基本病院(医療的ケア)
「普通の子どもとして良い悪いをちゃんと教えてくれた母」⇒「入所初日から不信感を募らせていく」(三井絹子)
病人でない人の対応
多摩強制移転断固阻止
1972年テント闘争
1974年6月テント闘争 合意
「1日でも自分の意思で生きたい」
「ギリギリの迷惑」
国際障害者年
ノーマライゼーション・許されるべきギリギリの迷惑・
脳性マヒ者等全身性障害者問題に関する報告(1982年)
所得保障=自立生活の絶対条件
「現実的に運動していかなきゃならないと思って」=「内実を作る運動」=障害基礎年金
自立生活センター
介助者の確保・地域で暮らせるためのプログラム
「外に出て存在を示す」
「街に出てきて人々の意識が変わった」
障害者支援費制度
「支援費制度の中身は上手くいっていたが、カネがない」⇒「義務的経費」⇒「障害者自立支援法」=法律の裏付け
1割負担=財務省の要求
1割負担=地域で暮らせない
最低限の支援にお金がかかることのおかしさ
自立支援法違憲訴訟 憲法25条違反
2010年和解成立?
低所得者の無料化
障害者の参画
障がい者制度改革推進会議
策定の実感
障害者権利条約批准
「他の者との平等」
法律や制度の整備
権利条約の理念
障害問題は、社会全体のあり方を見直す事
自分の意思に基づいて生きていきたい。=認め合っていきたい。
排除しあう社会はロボットしかいなくなる
みんな違ってていい
他者に無関心であってはいけない
コミュニケーションを取る
違う世界を持っている人に対する未知の世界を持つ人としてリスペクトすると面白くなる
「1秒先がどうなっているかはわからない事を皆が想像できれば世の中は変わる

※後半部分は、結構リアルタイムの部分もあり、その前の歴史を知る上で、なかなか良い番組だと思った。
そして、
重度知的当事者たちが街で暮らすという点においては、「さらしもの」という状況に留まり、
未だに「親亡き後」を求める状況が大多数。
そして、
時代は進んでいるのかと振り返れば、
「発達障害」というものが年々拡大し、
人を「障害者」という枠に入れた上で「支援する(してあげる)」状況が、
障害当事者たちの運動の歴史を踏まえずに拡大しているように思う。
先般、
国は「グループホームに住む軽度の知的障害者は一人暮らしへ」「重度の知的障害者はグループホームで」という方針を出したが、
グループホームにしても一人暮らしにしても、その人の暮らしの形態。
一概に「軽度/重度」などと言えない。
しかし、
本人が語らない分、支援者間においても、
「その人にとっての暮らしの形態は?」を議論するのではなく、
「知的障害者の地域生活の形態は?」と当事者をひとまとめにして、
「どちらの方が良いか?」という議論が横行しているようにも感じる。

重度身体当事者たちの並々ならぬ闘いの歴史。
その根底にあるものは、決して他の障害当事者たちとは違わないと思う。
だから、
私自身は身体当事者たちに多くのものを問われ、
身近にいた重度知的当事者たちの自立生活支援に関わっている。

しかし、
その現れ方や進んでいる方向は、
「どこかの時点で分かれて、別のあゆみになってしまったのかもしれない」と感じてしまう。

番組は良かったけど、
その実際はなんだかなぁ〜という感じ。
posted by 岩ちゃん at 09:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月13日

昨日のガイヘル

ここ数年、ガイヘルと言う形で付き合う当事者。
「強度行動障害」と称される彼は、当初自動車でなければ移動ができないほどであった。
それは、
周囲も彼が招く行動に対処できない面もあるが、
彼自身も、自らが起こした行動に対し臆病になり車以外の移動を躊躇していた。

1〜2年ほど、私もドライブガイヘルを担っていた(初めの初めはこれさえ危険が伴っていた)が、
先々のことを考えると、その状況はとてもイレギュラーなことであり、
車という閉ざされた空間を使い、いつの日か車以外の手立てでガイヘルできることをつぶやいていた。

ある日突然。
「今日は、電車に乗ろう!」と言う彼。
車で訪問した私は、突然の申し出に驚きつつ、
それは、こちらも望んでいたことなので、
「良し!乗ろう」とした。

初めて、彼と一緒に電車に乗った時、
過去にあったトラブルが再び起こらないように非常に緊張した。
彼も又、一大決心で臨んだ「電車」横にいる私が緊張すれば、彼はもっと緊張するだろうと、
懸命に私自身の緊張をごまかし彼とともに電車に乗った。

すると、
一つの決心が次を生み出す。
それ以降、彼は私がガイヘルを担当する際には、「電車に乗る」と決めたらしい。
「電車に再び乗れた」と言う喜びを表す彼。
それと同時に、「彼はなぜ過去トラブルになったのか?」と言う理由があれこれ見えてきた。
又、理由が見えれば単に不安から現れる緊張はどんどん溶けて、
「乗り鉄ガイヘル」などといえる程の余裕が双方に生まれた。

彼は、JRや私鉄や地下鉄を駆使して都心を駆けまわる。
どの路線のどの電車に乗りたいのか?
そこには何か規則性があるのか?
単に思いつきなのか?
と考えつつ、私自身は不慣れな都心の鉄道に、只々彼を見失わないように努めていた。

それがいつしか、
電車に乗るだけではなく、改札を出て目的のところへ行くようになった。
それまでも、ロングなガイヘルのために、お店に入って食事はとっていた。
しかし、
明らかに目的を持って改札を出る彼が現れた。
特定のファーストフード点やドリンク販売所や喫茶店。
特定の街の商店街や◯◯鉄道博物館等々。

乗り鉄に紛れて無意識であったらそれらの場に向かう彼の意図は見えなかっただろう。
しかし、
電車に乗っている間にいろいろ考えら得られる余裕が生まれてくると、
そもそも乗り鉄に興味のない私は、乗り鉄に興味のある彼に興味を抱き、電車に乗っている間に色々考えだした。
(電車に乗り出した当初は、ずっとおしゃべりしていたので考える余裕もなかったのだが)

一人で考えても答えは出ないので、毎回ガイヘルが終わった後に家族に報告しながら、その場所についてなにか思い当たることがないかと訊ねた。
さらに、他のヘルパーと情報を共有し彼の行動が意味するものを考えた。
その情報は、過去ガイヘル利用が崩壊した時代にも遡り、あれこれ収集する。

すると、そこに見えてきたのは、
改札を出て向かう先は、彼にとって何らかのいわくつきの場所。
すなわち、どれもこれもトラブルを招いた場所という共通項が見えてきた。
そして、
彼は、私と電車に乗れるようになった事から、
過去の出来事を清算するかのごとくに出かけていった。

この1年は、粗方清算が終わったようで、思い出したようにいわくつきの所に行くも、
(「良し、大丈夫だ。また来れる」というのを確認するにとどまっているように感じた)

この数年、
ロングなガイヘルの殆どを電車で過ごす日々が続いていたが、
最寄り駅の電車にはまだ乗れない彼。
彼にとっては、最大の難関なんだろうと思う。
なので、
車で自宅に迎えに行き、車を事務所の駐車場に停めて、事務所から近い駅から乗り鉄をスタートさせていた。

それが、前回のガイヘルの際、
「新しいヘルパーを見つけないと」と言う彼の意思が現れ、
それを実現するには、まず「車で迎えに行くことを止める」と言う提案をこちらからすることになった。
それについて、実感が伴っていたからかあっさり了承した彼。
でも、当日本当にそのように対応できるのか?と少々疑っていた。
でも、電車で彼の家に迎えば自ずと車はないので、「そうするしかない」と思っていた。

最寄りの駅からは未だ乗れない彼。
でも、「バスには乗れる」というので、最寄り駅から出ているバスに乗り、遠くの駅から電車に乗った。
彼が予定していたバスルートのバスは30分以上待つ。
別の駅ならすぐにバスが来る。という状況にあっさりと後者を選択。

このことから、彼は実感を伴い「今日は車を使わない」という事を了承していたことを確認する。

そして、
今日彼が行きたかった場所は・・・

なんと、一番初めに「清算」を済ませたいわくつきの喫茶店。
すでに、「清算済み」なのでここ最近はまったく立ち寄る気配がなかった場所。
それが、唐突に再び「今日の目的地」として上がり、本人のいうがままのルートでそこへと向かった。

滞在時間約10分。
レジのお姉さんに「また来ていいですか?」と聞き、
お姉さんや隣りにいたおばさんが「どうぞ、ぜひお越し下さい」と返され、
満面の笑み。

この様子から、彼は確認をしたかったのだろうと思った。
さらに、その場所が一番初めに「清算した場所」ということから、
今日の新たな取り組みに際し、原点(すなわち、ヘルパーを使えば再びくることができる)を確認したかったのだろうと思った。

店を出て、
「次はどこ行く?」と何気に聞いてみた。
普段の彼ならば、そこから都心に戻り乗り鉄を開始する。
また、私の予想ではあれこれ「清算した場所」に引き続き向かうのだろうと思った。

ところが、
「どうしようかな〜」という彼。
今日の目的地は「ここだけ」という雰囲気だったので、
「じゃあ〜、ここから先の電車に乗ってみない?」
と声をかける。
すると、すぐさま
「そうだね!そうしよう!」という。

その先とは、彼はまだ言ったことがない場所。
ただ、都心の電車はいろんなルートがあるので、名前だけは知っている場所だったからかもしれない。
あっさり了承され、新たな路線に乗る彼。

やはり、先ほどの喫茶店は一つには過去の私とのやり取りを確認する事が目的だったのだろう。
そして、
その確認は、単に過去を振り返るためではなく、
新たな方向へと向かうための確認であったのだろう。
新しい路線に乗るということはそれを象徴しているかのようで、
すごくワクワクした。

その後も、話には聞くが彼と一緒に乗ったことのない路線を乗りまくる。
途中下車しようとする彼に、「このまま乗っていると◯◯駅に着くよ」と提案すると、
「そうだね」とあっさり了承。
以前の彼は、何らかの目的があったルート選択をしていたのだろうが、今日の目的はすでに達成したから、こちらの提案にあっさり了承できたのだろうと感じた。

最後の最後。
やはり遠くの駅からバスに乗り最寄り駅まで向かう。
お母さんが駅まで迎えに来てくれているかを確認するも、
来ていないことを確認し(来て貰う約束もしていなかったので)
徒歩20分かけて自宅へと戻った。

帰宅途中、
「今日は、JRの◯◯線と△△線と☓☓先に乗ったね。地下鉄は、☆☆線と◇◇線だね」と、
今日は、いつもとは違うルートで過ごしたことを強調する彼。
さらに、
「◎◎線には乗らなかったね!」という彼。
◎◎線とは、最寄りの駅の路線。
今まで、私がその路線に乗ることを提案しても、一切取り合わなかった彼。
しかし、
自らがその路線を口に出したのには驚いた。

想像するに、
彼は、最寄りの駅から乗りたくないのではなく、
最寄りの駅からまだ乗れないのだろう。
「まだ」という気持ちがあるから、その路線名を口にだいたのだろう。

家族以外の人と出かける。
ドライブガイヘルから乗り鉄ガイヘルへ。
そして、
昨日は、車で迎えに行かなくても大丈夫という経験を積んだ。
それは、
新たなヘルパーを見つけ、自らの想いを実現するために必要なこととして思い描いている彼。

まだまだ、やりたくてもやれないことがたくさんあるだろう。
しかし、ヘルパーを使い自らの想いを実現している実感を積み重ね、
その先を見据えている彼を感じた一日でした。
posted by 岩ちゃん at 11:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月29日

「新しいヘルパーを見つけないとね」という当事者と

昨日、ガイヘルでお出かけしていた時の事。
唐突に「新しいヘルパーさんを見つけないとね」と言葉を発した当事者。
間髪入れず「そうだよね〜」と応える私。

彼は、現在「短期入所」という枠で月の殆どを入所施設で暮らしている。
月に数日親もとに帰ってくるのだが、戻っている日中の殆どは移動支援を使っている。
さらに移動支援をの利用に際しては、2人派遣が認められる。

行政も認める程の「強度行動障害」と評さられる彼。
親もとに戻れば、夜中中両親や家族を起こして話しまくり、対応を誤ればたちまち大パニックになる。
「短期入所」+「(二人派遣の)移動支援」というのは、
家族にとっては、「入所施設に入れたくない」しかし「現実は耐えられない」という状況でのギリギリの選択。
行政も、(財政面での判断は大きいが)親御さんたちの希望に応えている。

「短期入所」は、二つの施設が受け入れているのだが、移動支援の方はどこも担ってもらえない状況。
担っていた時期もあったらしいが、大騒動が続く中でさじを投げた。

そんな彼からの移動支援の依頼が知人の事業所に入ったのが数年前の事。
知人が引き受けた当初、本人は大騒動の経験から電車やバスに乗れず、かと言って徒歩で街を歩けば見知らぬ人とトラブルを招く状態。
二人派遣に加え車での移動も認められていた。

引き受けた知人は、その当初ひたすら彼とドライブに出かけ、リスクが少ない場所を見つけて車を降り、食事をとったり買い物をしたりと日中を過ごしていた。
淡々とした対応の知人に、彼も安心を得て車をおりた時のリスクはどんどん解消されていった。

知人からは常々状況を伺っていたが、市外の人故に私たちはガイヘルを担う事ができず、
知人と彼のやり取りを、側面から支援していた。

その後、当該市の移動支援ができることになり、
私が彼のガイヘルを担うことになった。
さらに、もう一人のうちのスタッフも担うことになり、
二つの移動支援事業書で、3人のヘルパーが彼のガイヘルを担うようになった。

二人派遣が認められる程の彼だが、人手不足故に二人はけんなんてできない状況。
でも、彼は妄想や幻覚があって暴れる人ではない。自閉症故に起こってしまう周囲との関係の混乱が、
大騒動へと発展していることは明らか。
なので、見知らぬ他者との関係をいかに築くかという事が最大のテーマであり、
そのために、3人のヘルパーは彼との関係をそれぞれの視点から懸命に築いてきた。

知人一人だけがガイヘルを担えるようになった状況は、一つ彼の暮らしが拓けたことだと思う。
しかし、その知人ができなくなればたちまち閉ざされてしまう当事者のガイヘル。
そこをなんとかしなければと思い続け、現在3人で担えるようになっている。
でも、それだけでもいづれ閉ざされてしまう可能性は拭えない。
なぜなら、この3人は日常的に支援をめぐりあれこれ語り合っている3人で、
様々な支援の現場を共有し、自閉症を伴う当事者たちとの関係づくりや当事者と周囲との関係づくりの大切さをよくよく知っているから。

現在、全く危なげなく彼とでかけられる。乗れなかった電車やバスにも楽しく乗って出かけられるようになっている。二人派遣が必要な人とは毛頭思えない。
親もとに戻っている期間、本人も家族も安心して過ごせるようになっている。
過去の出来事がまったく想像できない雰囲気は、
私たちが、担っている事が大きく影響していると思う。
しかし、何を担っているのか?私たちと彼の間にはどのような了解がなされているのか?
そこがまったく見えていない中で、
ただ「上手くいっている」「安定している」というだけで他の事業所に委ねると、
たちまち元の大騒動へとなっていくような気がする。

「うまくいっている/うまくいかない」と言うのは、単なる事象でしかないので、
その理由に無自覚でいると、見えない事柄の中で本人は、誤解して受け取ったり、混乱して対応ができなかったりする。

そう思うと、まだまだ私達は何も彼のことを理解できていない。
理解できていないと思えば、他者に委ねることに臆病にもなる。

でも、
私たちの臆病さから上手くいっている3人のみで担い続けても、いづれは担えなくなる。
(特に、一番当事者とのれん例の開きがある私は、いづれ一番に離脱することになる)

なので、私たち以外の人にも担ってもらえるように努めなければならないと思う。

そんなことを当初より思い続けてきた中で、
その想いが本人に通じたのか?
「新しいヘルパーを見つけないとね」という冒頭の彼の言葉になったのかもしれない。

とりあえず、
二人派遣は今も認められているので、
3人の誰かと一緒にガイヘルを担ってくれる事業所を探したいと思う。
言葉や書面では伝えきれない彼とのやり取りを、実際のガイヘルの場面で共有し、担い手を増やす取り組みを初めて行きたいと思う。

彼に対しては、「新しいヘルパーさんは、必ずしも車の運転ができるわけではないから、車を使わずに家から外出できるように次回お試ししよう」と提案して、了承を得ている。
(電車やバスに乗れるようになった彼だが、現状最寄り駅とその路線の電車が使えないため、車で迎えに行き、事務所に車を置いてから電車に乗っている)

一緒に彼のガイヘルを担ってれる事業所。
「強度行動障害」と称される人の移動支援のノウハウをともに考えてくれる事業所。
ぜひぜひ名乗りを上げて欲しい。
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posted by 岩ちゃん at 09:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする