2016年03月25日

Sさんの訃報

重度身体当事者のSさんの訃報が届く。

府中療育闘争後もう一つの形。入所施設内で暮らす当事者の自治権を獲得した入所施設で暮らしていたSさん。
昔私はSさんに、「入所施設は入所施設でしかない!」「でも、あなたが選んだなら」と入所施設はSさんの住まいとして、それ以外の場でいろいろと付き合ったり、その住まいを訪ねたりしていた。

Sさんが若いころは、施設職員を手足のごとくに使い、彼のみならず職員を引き連れ外出を頻繁に重ねていた。
その後10年ほどたったある日、施設を訪ねてみると自治権は未だ保障されていて、職員を手足のようには使っていたが、自治権獲得に動いた人たちは皆年老いて、遊びのために外出するよりも病院通いの方が多くなっていた。
限られた職員の数を前に、通院が優先され、他の人たちの外出は極端に減っていた。

「当事者の自治権!」と言っても「施設は施設」という事私の想いの方が正しかったと思った。
本人もそう言っていた。

だから私は、「そろそろ施設を出て暮らすのもいいのでは?」と聞けば、
「そんなエネルギーはないよ」という話になっていった。

そして、今回の訃報。
年末に体調を崩し、1月に亡くなられたとの事。

その訃報は彼の要望としてあったわけでも、職員が必要と思ったわけでもない。
たまたま私の会の会報をSさんに送っていたため、
職員からの第一声は「○○園の△△です。Sさんは退所されたので、今後の送付は不要です」だった。

私はてっきり、「いよいよ施設を出て町で暮らす」のかと思い。
明るく「それはそれは、どちらに移られたのでしょうか?」と聞いた。

すると、
「実は、1月に亡くなられて・・・」という形での訃報。
亡くなられて2か月が既に経つ今日。

「入所施設で亡くなられた場合はどちらに連絡するのですか?ご本人が関係していた方たちに連絡はしないのですが?」と聞けば、
「守秘義務もあり、親族がいれば親族に連絡を入れ、親族の方から関係者に連絡する」という。

私は、Sさんの親族を知らない。
たぶん、親族も私たちの関係を知らない。
その意味では、彼は親族の影響下を離れ、
地域にいる私たちと自らの意思でつながっていた。

しかし、
そんな彼と私たちの間にある関係も、
「守秘義務」の一言で連絡がされない。
Sさんに、たまたま会報を送っていたから連絡が入ったわけだが、
もし会報を送っていなければ、彼に関わった地域の人たちは誰も知らない中で、その存在を抹殺されていく。

私以上につながりの深い人達に連絡を入れる。
誰一人として、連絡を受けていない。

ある人は「入所施設だから、線香の一つも上げに行けないんだろうね」といった。

地域の人たちはSさんとのつながりはあっても、
Sさんの親族とのつながりはない。
なので、親族の住所を伺い訪ねていくというのもなかなか難しい。

せめて、亡くなる前に入院し治療にあたっていたときに連絡があれば、生前のSさんに会えただろうに。

いろんな思いを語ってもらえただろうに。

今は時すでに遅し。

私自身は亡くなった方の事よりも亡くなる前に作ってきた本人の関係の方が重要だと思っている。
だから、そのような関係があったのかを伺う事で、Sさんの意思を理解し、Sさんの想いを受け止め、次につながっていくことが残された者の役割だと思っている。

でも、
人知れず亡くなられたSさん。
何も引き継げないままにいなくなってしまった。

なんとも・・・・

入所施設は、やっぱりおかしいと思う。
posted by 岩ちゃん at 13:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月31日

常連になれば

昨日のガイヘル。
当事者Sさんが向かう後をついて行くと、噂に聞いていた大判焼きのお店があった。
彼は、ガイヘルを使いでかける際には、しばしばそこで3個〜5個の大判焼きを買っている。
評判のお店で、私も何度か大判焼きを買ったことはある。
でも、彼と一緒に行くときは何故かいつも閉まっていて、
彼と一緒に買ったのは初めてでした。

Sさん「クリーム(入大判焼き)3つください」
店主「クリーム3つね!」
当事者「・・・・」
店主「◯◯に行ってきたか?」
当事者「行って来たよ」
などと、普通に会話。
たぶん、前日の介助者と一緒に来た時に話した会話の続きだと思う。
そのやり取りがとても自然で、Sさんと店主のやり取りに私が入る隙がまったくなかった。

確かに、その日「◯◯」に彼と行って来た。
でも「◯◯」は、彼にとってはいわくつきの場であり、多くのトラウマを抱える場。
子どもの頃、両親と一緒にでかけ楽しい思い出がある場所。
又、一人で出かけていった場所でもある様子。
ところが、
何度もトラブルを起こすために、親御さんの同伴が条件とされ、
それでも、トラブルが起こると言う事で、
出入り禁止とされてしまった。
それでも、
数年経った後ガイヘルを使い出かけていったが、
やっぱり大パニックになってしまい、
彼にとっては、行きたくても行けない場になってしまった。

そんな彼が、
私とは行けるようになった。
彼とその場に行けるようになったことで、
行けなくなった原因もあれこれ見えてきた。
それは、単に彼の障害や状態や認識だけでなく、
そこを運営する職員の無理解がたぶんに影響していると思った。

確かに、当事者が大きなトラブルを起こせば、それを担う人たちも又トラウマとなって、
彼がやってくる事に恐怖するのは解る。
彼は彼なりに、
職員がいなくなれば、トラウマを持つ人もいなくなり、改めて「◯◯に行ける」と考えていた様子。
「40歳になったら行く」と当初言っていた彼が、
「35歳になったら」
「30歳になったら」と年齢をどんどん引き下げるようになり、
同様に行きたくても行けない場に少しずつ行けるようになる中で、
「ヘルパーがいればどこにでも行けると思うよ」と伝え続けて、
ようやく30歳を待たずして行けるようになっている。

当然、月日が経っているため彼を知る人は少ない。
昨日職員に聞いた話では、「支援学校の子ども達もよく利用してます」との事。
なので、Sさんのような存在はよく目にしている。
彼の過去を知らない職員は、落ち着いて楽しんでいるSさんに何の懸念も抱かず対応してくれる。
しかし、
古くからいる職員は、露骨に彼を嫌い、
時に、彼を知らない職員に対し「要注意人物」として情報を提供し、
それを聞いた職員が、一瞬に顔を曇らせる様子を何度も見てきた。

それでも、毎回なんてことなく楽しんで帰るSさんの様子から、
実際にトラブルを目にしていない職員たちは、一利用者として受け止めている。

そこに至るまでに、Sさんとは様々な関わりを担ってきた。
彼が持つ世界観がどこにあり、
彼の世界観と私たちの世界観のズレがトラブルになって現れるなら、
私の役割は、いかに互いの世界観の折り合いを見出すかという事。
などと、様々な場面で様々な事を考え、考えてみたことを試し、その結果から再び考えてみることを懸命に担ってきた。

そんなこんなで、
Sさんが「◯◯行って来た」と言うのは、
それ相当の積み重ねが、Sさんにも私にも又、親御さんやその他彼を取り巻く人たちの中にある。
「行けるようになるまでの時間」も相当かかっている。

でも、
そんな事には、まったくお構いなく、
自然な会話ができる大判焼きの店主とSさん。

2人の会話に私が入る隙が全く無い中で、会話する2人を見ていると、
実は、私が見てきた事柄や聞いてきた事柄の外に、店主とSさんが自然に存在し、
その自然な関わりがあったからこそ、数年経ってSさんはその場に行けるようになったと思った。

当事者たちの支援を日々担っていると、
どうしても「本人の意思」や「自己実現」等を基に支援者としての関わりを意識する。
本人の意思や本人が求めていることがどこまで正確にはわからない知的当事者たちとの関わりにおいては、
思い込みを排除し、自らの価値観を意識化し、様々な場面や人との関わりの中から当事者の想いを想定して、具体的な関わりを担っている。

しかし、それらは時に煮詰まりを生み出す。
袋小路に陥る。
自戒する余り、何も手がつけられなくなり、
相手を責めるか、自分の役を放棄するかと言う事態に陥る。

いろいろ考え担っていると見えてくるものも確かにある。
決して、そんな私の関わり方を手離そうとは思わない。

でも、
店主とSさんの「どうでも良い」他愛もない会話。
大判焼きを手にするまでの僅かな会話。

そんな、二人の関係が存在する事が、実はあれこれ考え当事者と関わる事以上に大切な存在、大切な関係に思えてきた。
それは、Sさんに対してとか店主に対してとかではなく、
真剣に関われば関わるほど煮詰まっていく私自身を救ってくれるありがたい関係に思えてきた。

品物やお釣りの受け渡しに時間がかかるSさん。
後ろに並ぶお客さんの事が気になり、私はSさんに「ちょっと横にずれて」と後ろに並ぶお客さんに気遣う。
すると、店主は
「いいんだよ。待たせておけば」と私を一喝。

自然な二人の会話にも感動していたが、
私を一喝するその店主のあり様は、どこか私が追い求めているものを完璧にこなしている瞬間に思えてさらなる感動を覚えた。

障害当事者が「地域で生きる」と言うのは、
「地域で生きている人たちと生きる」ということだと思う。
当事者個人が暮らすためにその個人を介助するという事はある。
それ以上に、
周囲との関係を介助するということでもある。
地域で暮らしていても、本人の意に関わらずドアツードアで様々な場に当事者を囲い込、
地域の人達から離して、本人のみの暮らしを保障事を追求するものではないと思う。

ホームヘルプは、どうしても家の中でのやり取りになってしまうため、当事者個人の支援になりがち。
でも、
ホームヘルプと対になるガイドヘルプは、外での支援という点で本人だけの楽しみや本人の安全のみを保障知るものではないと思う。
他人への危害や損害を与えないためだけにガイドヘルパーが存在していたら、とってもつまらない仕事だと思う。

しかし、
当事者を介し様々な人との出会いを生み出すなら、
既に、様々な出会いを持っている人として付き合うなら、
こんな楽しい仕事はないと思う。

いきなり様々な人との関係を作るなんて、誰にでもできるものではないと思う。
関係の橋渡しをするには、当事者を知り相手を知らなければならない。
道行く人たちの中で、それを作るのはとても難しい。

でも、
行きつけのお店。
常連さんとして受け止めてくれる場が、
福祉関係の場ではなく、
ごくごくあたりまえに私たちが利用している場であったなら。
介助者以上(介助者が知っているとうじしゃとはべつの)に当事者のことを知る人がいて、
その人たちとの繋がりを大切にし、そこから介助者が得られるものはとても大きいと思う。
又、当事者と先方とのやり取りもそこから介助者が学ぶものもたくさんある。

なので、
ガイドヘルパーを担う時、
単に本人の興味や要望に即し出かけて帰ってくるだけではなく、
そこに存在する人との関係を意識しつなげていくこと、
すなわち
行く先々に「常連さん」として受け止めてくれる場を作っていくことを意識すれば、
本人にとっても、その場の人たちにとっても、介助を担う人たちにとっても、この先新たに介助を担う人にとっても、有意義な事になるように思う。

少なくとも、
「待たせておけばいいんだよ」と一喝してくれた店主の存在は、
よくよく考えてみれば、私の支援の不十分さを深く反省しなければならない事だと思うが、
介助者であることの前に、私も一人の人間として、2人の自然な関係へと引き釣り込んでくれる、ありがたい言葉でもあると感じた。

そして、
常連として店主と会話する関係を築いてきたのは、私よりも前に彼の介助を担っていた介助者の存在があってこそ。

そこに私も混ぜてもらえた事を喜びとして深く刻んでおきたい。
posted by 岩ちゃん at 12:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

Eテレを見ての感想メモ

徴兵検査
障害者更生法
片輪者(横田弘)
学校が気づかせる障害者である自分
「脳性まひ者協会」青い芝
座敷牢
歴史を語る身体障害者
高度経済成長・所得倍増
重症心身障害児の親たち
親たちによる「重症心身障害児(者)を守る会」
「この子を残して死ねない」親
「役に立たない者には金は出せない」(厚労省)
「施設拡大」(水上勉)
心身障害児総合福祉=コロニー建設
「政治家としての愛情」「皆さんの声」⇒「重症児対策を重点施策とする=コロニー
コロニー=支援者とともに共同生活
国立コロニーのぞみの園へ500人入居
コロニーで安心して暮らす
「ホッとした」親の第一印象
コロニー=故郷との永遠の別れ
ねむの木:「この子らに力を持たせる」
靴磨きの子⇒施設建設/親身な宮城まり子
生徒たちの生き方に疑問⇒小田急線・車いす・観客(否乗客)⇒さよならCP=さらしもの
入所不足の故に親の子殺しが頻繁
「同じ人間なのに、かわいそう」
「我らは愛と正義を否定する」
「障害者って悪いの」
街に出ると露骨な差別
乗車拒否⇒(ハンディキャブの増加は、人々の目から障害者がいなくなる)
30台のバスの足止め⇒苦情を言う乗客
都立府中療育センター=基本病院(医療的ケア)
「普通の子どもとして良い悪いをちゃんと教えてくれた母」⇒「入所初日から不信感を募らせていく」(三井絹子)
病人でない人の対応
多摩強制移転断固阻止
1972年テント闘争
1974年6月テント闘争 合意
「1日でも自分の意思で生きたい」
「ギリギリの迷惑」
国際障害者年
ノーマライゼーション・許されるべきギリギリの迷惑・
脳性マヒ者等全身性障害者問題に関する報告(1982年)
所得保障=自立生活の絶対条件
「現実的に運動していかなきゃならないと思って」=「内実を作る運動」=障害基礎年金
自立生活センター
介助者の確保・地域で暮らせるためのプログラム
「外に出て存在を示す」
「街に出てきて人々の意識が変わった」
障害者支援費制度
「支援費制度の中身は上手くいっていたが、カネがない」⇒「義務的経費」⇒「障害者自立支援法」=法律の裏付け
1割負担=財務省の要求
1割負担=地域で暮らせない
最低限の支援にお金がかかることのおかしさ
自立支援法違憲訴訟 憲法25条違反
2010年和解成立?
低所得者の無料化
障害者の参画
障がい者制度改革推進会議
策定の実感
障害者権利条約批准
「他の者との平等」
法律や制度の整備
権利条約の理念
障害問題は、社会全体のあり方を見直す事
自分の意思に基づいて生きていきたい。=認め合っていきたい。
排除しあう社会はロボットしかいなくなる
みんな違ってていい
他者に無関心であってはいけない
コミュニケーションを取る
違う世界を持っている人に対する未知の世界を持つ人としてリスペクトすると面白くなる
「1秒先がどうなっているかはわからない事を皆が想像できれば世の中は変わる

※後半部分は、結構リアルタイムの部分もあり、その前の歴史を知る上で、なかなか良い番組だと思った。
そして、
重度知的当事者たちが街で暮らすという点においては、「さらしもの」という状況に留まり、
未だに「親亡き後」を求める状況が大多数。
そして、
時代は進んでいるのかと振り返れば、
「発達障害」というものが年々拡大し、
人を「障害者」という枠に入れた上で「支援する(してあげる)」状況が、
障害当事者たちの運動の歴史を踏まえずに拡大しているように思う。
先般、
国は「グループホームに住む軽度の知的障害者は一人暮らしへ」「重度の知的障害者はグループホームで」という方針を出したが、
グループホームにしても一人暮らしにしても、その人の暮らしの形態。
一概に「軽度/重度」などと言えない。
しかし、
本人が語らない分、支援者間においても、
「その人にとっての暮らしの形態は?」を議論するのではなく、
「知的障害者の地域生活の形態は?」と当事者をひとまとめにして、
「どちらの方が良いか?」という議論が横行しているようにも感じる。

重度身体当事者たちの並々ならぬ闘いの歴史。
その根底にあるものは、決して他の障害当事者たちとは違わないと思う。
だから、
私自身は身体当事者たちに多くのものを問われ、
身近にいた重度知的当事者たちの自立生活支援に関わっている。

しかし、
その現れ方や進んでいる方向は、
「どこかの時点で分かれて、別のあゆみになってしまったのかもしれない」と感じてしまう。

番組は良かったけど、
その実際はなんだかなぁ〜という感じ。
posted by 岩ちゃん at 09:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月13日

昨日のガイヘル

ここ数年、ガイヘルと言う形で付き合う当事者。
「強度行動障害」と称される彼は、当初自動車でなければ移動ができないほどであった。
それは、
周囲も彼が招く行動に対処できない面もあるが、
彼自身も、自らが起こした行動に対し臆病になり車以外の移動を躊躇していた。

1〜2年ほど、私もドライブガイヘルを担っていた(初めの初めはこれさえ危険が伴っていた)が、
先々のことを考えると、その状況はとてもイレギュラーなことであり、
車という閉ざされた空間を使い、いつの日か車以外の手立てでガイヘルできることをつぶやいていた。

ある日突然。
「今日は、電車に乗ろう!」と言う彼。
車で訪問した私は、突然の申し出に驚きつつ、
それは、こちらも望んでいたことなので、
「良し!乗ろう」とした。

初めて、彼と一緒に電車に乗った時、
過去にあったトラブルが再び起こらないように非常に緊張した。
彼も又、一大決心で臨んだ「電車」横にいる私が緊張すれば、彼はもっと緊張するだろうと、
懸命に私自身の緊張をごまかし彼とともに電車に乗った。

すると、
一つの決心が次を生み出す。
それ以降、彼は私がガイヘルを担当する際には、「電車に乗る」と決めたらしい。
「電車に再び乗れた」と言う喜びを表す彼。
それと同時に、「彼はなぜ過去トラブルになったのか?」と言う理由があれこれ見えてきた。
又、理由が見えれば単に不安から現れる緊張はどんどん溶けて、
「乗り鉄ガイヘル」などといえる程の余裕が双方に生まれた。

彼は、JRや私鉄や地下鉄を駆使して都心を駆けまわる。
どの路線のどの電車に乗りたいのか?
そこには何か規則性があるのか?
単に思いつきなのか?
と考えつつ、私自身は不慣れな都心の鉄道に、只々彼を見失わないように努めていた。

それがいつしか、
電車に乗るだけではなく、改札を出て目的のところへ行くようになった。
それまでも、ロングなガイヘルのために、お店に入って食事はとっていた。
しかし、
明らかに目的を持って改札を出る彼が現れた。
特定のファーストフード点やドリンク販売所や喫茶店。
特定の街の商店街や◯◯鉄道博物館等々。

乗り鉄に紛れて無意識であったらそれらの場に向かう彼の意図は見えなかっただろう。
しかし、
電車に乗っている間にいろいろ考えら得られる余裕が生まれてくると、
そもそも乗り鉄に興味のない私は、乗り鉄に興味のある彼に興味を抱き、電車に乗っている間に色々考えだした。
(電車に乗り出した当初は、ずっとおしゃべりしていたので考える余裕もなかったのだが)

一人で考えても答えは出ないので、毎回ガイヘルが終わった後に家族に報告しながら、その場所についてなにか思い当たることがないかと訊ねた。
さらに、他のヘルパーと情報を共有し彼の行動が意味するものを考えた。
その情報は、過去ガイヘル利用が崩壊した時代にも遡り、あれこれ収集する。

すると、そこに見えてきたのは、
改札を出て向かう先は、彼にとって何らかのいわくつきの場所。
すなわち、どれもこれもトラブルを招いた場所という共通項が見えてきた。
そして、
彼は、私と電車に乗れるようになった事から、
過去の出来事を清算するかのごとくに出かけていった。

この1年は、粗方清算が終わったようで、思い出したようにいわくつきの所に行くも、
(「良し、大丈夫だ。また来れる」というのを確認するにとどまっているように感じた)

この数年、
ロングなガイヘルの殆どを電車で過ごす日々が続いていたが、
最寄り駅の電車にはまだ乗れない彼。
彼にとっては、最大の難関なんだろうと思う。
なので、
車で自宅に迎えに行き、車を事務所の駐車場に停めて、事務所から近い駅から乗り鉄をスタートさせていた。

それが、前回のガイヘルの際、
「新しいヘルパーを見つけないと」と言う彼の意思が現れ、
それを実現するには、まず「車で迎えに行くことを止める」と言う提案をこちらからすることになった。
それについて、実感が伴っていたからかあっさり了承した彼。
でも、当日本当にそのように対応できるのか?と少々疑っていた。
でも、電車で彼の家に迎えば自ずと車はないので、「そうするしかない」と思っていた。

最寄りの駅からは未だ乗れない彼。
でも、「バスには乗れる」というので、最寄り駅から出ているバスに乗り、遠くの駅から電車に乗った。
彼が予定していたバスルートのバスは30分以上待つ。
別の駅ならすぐにバスが来る。という状況にあっさりと後者を選択。

このことから、彼は実感を伴い「今日は車を使わない」という事を了承していたことを確認する。

そして、
今日彼が行きたかった場所は・・・

なんと、一番初めに「清算」を済ませたいわくつきの喫茶店。
すでに、「清算済み」なのでここ最近はまったく立ち寄る気配がなかった場所。
それが、唐突に再び「今日の目的地」として上がり、本人のいうがままのルートでそこへと向かった。

滞在時間約10分。
レジのお姉さんに「また来ていいですか?」と聞き、
お姉さんや隣りにいたおばさんが「どうぞ、ぜひお越し下さい」と返され、
満面の笑み。

この様子から、彼は確認をしたかったのだろうと思った。
さらに、その場所が一番初めに「清算した場所」ということから、
今日の新たな取り組みに際し、原点(すなわち、ヘルパーを使えば再びくることができる)を確認したかったのだろうと思った。

店を出て、
「次はどこ行く?」と何気に聞いてみた。
普段の彼ならば、そこから都心に戻り乗り鉄を開始する。
また、私の予想ではあれこれ「清算した場所」に引き続き向かうのだろうと思った。

ところが、
「どうしようかな〜」という彼。
今日の目的地は「ここだけ」という雰囲気だったので、
「じゃあ〜、ここから先の電車に乗ってみない?」
と声をかける。
すると、すぐさま
「そうだね!そうしよう!」という。

その先とは、彼はまだ言ったことがない場所。
ただ、都心の電車はいろんなルートがあるので、名前だけは知っている場所だったからかもしれない。
あっさり了承され、新たな路線に乗る彼。

やはり、先ほどの喫茶店は一つには過去の私とのやり取りを確認する事が目的だったのだろう。
そして、
その確認は、単に過去を振り返るためではなく、
新たな方向へと向かうための確認であったのだろう。
新しい路線に乗るということはそれを象徴しているかのようで、
すごくワクワクした。

その後も、話には聞くが彼と一緒に乗ったことのない路線を乗りまくる。
途中下車しようとする彼に、「このまま乗っていると◯◯駅に着くよ」と提案すると、
「そうだね」とあっさり了承。
以前の彼は、何らかの目的があったルート選択をしていたのだろうが、今日の目的はすでに達成したから、こちらの提案にあっさり了承できたのだろうと感じた。

最後の最後。
やはり遠くの駅からバスに乗り最寄り駅まで向かう。
お母さんが駅まで迎えに来てくれているかを確認するも、
来ていないことを確認し(来て貰う約束もしていなかったので)
徒歩20分かけて自宅へと戻った。

帰宅途中、
「今日は、JRの◯◯線と△△線と☓☓先に乗ったね。地下鉄は、☆☆線と◇◇線だね」と、
今日は、いつもとは違うルートで過ごしたことを強調する彼。
さらに、
「◎◎線には乗らなかったね!」という彼。
◎◎線とは、最寄りの駅の路線。
今まで、私がその路線に乗ることを提案しても、一切取り合わなかった彼。
しかし、
自らがその路線を口に出したのには驚いた。

想像するに、
彼は、最寄りの駅から乗りたくないのではなく、
最寄りの駅からまだ乗れないのだろう。
「まだ」という気持ちがあるから、その路線名を口にだいたのだろう。

家族以外の人と出かける。
ドライブガイヘルから乗り鉄ガイヘルへ。
そして、
昨日は、車で迎えに行かなくても大丈夫という経験を積んだ。
それは、
新たなヘルパーを見つけ、自らの想いを実現するために必要なこととして思い描いている彼。

まだまだ、やりたくてもやれないことがたくさんあるだろう。
しかし、ヘルパーを使い自らの想いを実現している実感を積み重ね、
その先を見据えている彼を感じた一日でした。
posted by 岩ちゃん at 11:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月29日

「新しいヘルパーを見つけないとね」という当事者と

昨日、ガイヘルでお出かけしていた時の事。
唐突に「新しいヘルパーさんを見つけないとね」と言葉を発した当事者。
間髪入れず「そうだよね〜」と応える私。

彼は、現在「短期入所」という枠で月の殆どを入所施設で暮らしている。
月に数日親もとに帰ってくるのだが、戻っている日中の殆どは移動支援を使っている。
さらに移動支援をの利用に際しては、2人派遣が認められる。

行政も認める程の「強度行動障害」と評さられる彼。
親もとに戻れば、夜中中両親や家族を起こして話しまくり、対応を誤ればたちまち大パニックになる。
「短期入所」+「(二人派遣の)移動支援」というのは、
家族にとっては、「入所施設に入れたくない」しかし「現実は耐えられない」という状況でのギリギリの選択。
行政も、(財政面での判断は大きいが)親御さんたちの希望に応えている。

「短期入所」は、二つの施設が受け入れているのだが、移動支援の方はどこも担ってもらえない状況。
担っていた時期もあったらしいが、大騒動が続く中でさじを投げた。

そんな彼からの移動支援の依頼が知人の事業所に入ったのが数年前の事。
知人が引き受けた当初、本人は大騒動の経験から電車やバスに乗れず、かと言って徒歩で街を歩けば見知らぬ人とトラブルを招く状態。
二人派遣に加え車での移動も認められていた。

引き受けた知人は、その当初ひたすら彼とドライブに出かけ、リスクが少ない場所を見つけて車を降り、食事をとったり買い物をしたりと日中を過ごしていた。
淡々とした対応の知人に、彼も安心を得て車をおりた時のリスクはどんどん解消されていった。

知人からは常々状況を伺っていたが、市外の人故に私たちはガイヘルを担う事ができず、
知人と彼のやり取りを、側面から支援していた。

その後、当該市の移動支援ができることになり、
私が彼のガイヘルを担うことになった。
さらに、もう一人のうちのスタッフも担うことになり、
二つの移動支援事業書で、3人のヘルパーが彼のガイヘルを担うようになった。

二人派遣が認められる程の彼だが、人手不足故に二人はけんなんてできない状況。
でも、彼は妄想や幻覚があって暴れる人ではない。自閉症故に起こってしまう周囲との関係の混乱が、
大騒動へと発展していることは明らか。
なので、見知らぬ他者との関係をいかに築くかという事が最大のテーマであり、
そのために、3人のヘルパーは彼との関係をそれぞれの視点から懸命に築いてきた。

知人一人だけがガイヘルを担えるようになった状況は、一つ彼の暮らしが拓けたことだと思う。
しかし、その知人ができなくなればたちまち閉ざされてしまう当事者のガイヘル。
そこをなんとかしなければと思い続け、現在3人で担えるようになっている。
でも、それだけでもいづれ閉ざされてしまう可能性は拭えない。
なぜなら、この3人は日常的に支援をめぐりあれこれ語り合っている3人で、
様々な支援の現場を共有し、自閉症を伴う当事者たちとの関係づくりや当事者と周囲との関係づくりの大切さをよくよく知っているから。

現在、全く危なげなく彼とでかけられる。乗れなかった電車やバスにも楽しく乗って出かけられるようになっている。二人派遣が必要な人とは毛頭思えない。
親もとに戻っている期間、本人も家族も安心して過ごせるようになっている。
過去の出来事がまったく想像できない雰囲気は、
私たちが、担っている事が大きく影響していると思う。
しかし、何を担っているのか?私たちと彼の間にはどのような了解がなされているのか?
そこがまったく見えていない中で、
ただ「上手くいっている」「安定している」というだけで他の事業所に委ねると、
たちまち元の大騒動へとなっていくような気がする。

「うまくいっている/うまくいかない」と言うのは、単なる事象でしかないので、
その理由に無自覚でいると、見えない事柄の中で本人は、誤解して受け取ったり、混乱して対応ができなかったりする。

そう思うと、まだまだ私達は何も彼のことを理解できていない。
理解できていないと思えば、他者に委ねることに臆病にもなる。

でも、
私たちの臆病さから上手くいっている3人のみで担い続けても、いづれは担えなくなる。
(特に、一番当事者とのれん例の開きがある私は、いづれ一番に離脱することになる)

なので、私たち以外の人にも担ってもらえるように努めなければならないと思う。

そんなことを当初より思い続けてきた中で、
その想いが本人に通じたのか?
「新しいヘルパーを見つけないとね」という冒頭の彼の言葉になったのかもしれない。

とりあえず、
二人派遣は今も認められているので、
3人の誰かと一緒にガイヘルを担ってくれる事業所を探したいと思う。
言葉や書面では伝えきれない彼とのやり取りを、実際のガイヘルの場面で共有し、担い手を増やす取り組みを初めて行きたいと思う。

彼に対しては、「新しいヘルパーさんは、必ずしも車の運転ができるわけではないから、車を使わずに家から外出できるように次回お試ししよう」と提案して、了承を得ている。
(電車やバスに乗れるようになった彼だが、現状最寄り駅とその路線の電車が使えないため、車で迎えに行き、事務所に車を置いてから電車に乗っている)

一緒に彼のガイヘルを担ってれる事業所。
「強度行動障害」と称される人の移動支援のノウハウをともに考えてくれる事業所。
ぜひぜひ名乗りを上げて欲しい。
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posted by 岩ちゃん at 09:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月26日

緊急!生活保護・家賃の更新料を出さないって本当!? その2

こちらは、どのような状態にあったとしても当事者自身が地域の中で自らが暮らしていく場を確保したい。
「家賃や更新料をもっとたくさん出せ」というのではなく、
兎にも角にも、「本人が安心して暮らせる住居」の確保を求めている。

なので、
「見つけられるならいつでも転宅についての本人の支援を担いましょう」
「それが叶わないとなればどうするんですか!?」と切り替えした。

すると・・・
「今言ったのは、原則でして・・・」という行政職員

こちらが訴えなければ「原則を外れる事」は言わないつもりでいる雰囲気がありあり。
そこにかなりカチンときた思いをのみ込みつつ、
「原則でして・・・」に続く言葉を聞く。

「原則はそうですが、今の住居から転宅できないという事を、医師の診断書をもってこちら(行政側)が了解できるならば、今のまま住み続ける事はできますし、上限はあるにせよ更新料を支給する事もできます」との事。

「なぜ、それを初めから言わないのか!」と怒りたくなったが、詳細を伺う。

・書式を定めているわけではないが、医師に診断書を書いてもらう。
・診断書を行政の嘱託医に見てもらい、参考意見を聴く。
・嘱託医の意見や診断書の内容や過去の記録を参考に福祉事務所内で協議する。
・所長判断として支給を認める。

という事。

診断書作成についての費用は本人負担という事らしい。
その点も食って掛かりたいところはある。

こちらが言わなければ、原則通りで進めようとする行政の態度は許せない。

が、
とりあえず、
今のところに住み続ける事ができるという事が解り、
良かったことにする。

(怒りは収まらないけど・・・)

※皆さんの地域の状況を教えていただけるとありがたいです。
posted by 岩ちゃん at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

緊急!生活保護・家賃の更新料を出さないって本当!?

本日生活保護課から、
「現在住んでいるアパートは、家賃の上限を超えています」
「超えた家賃については生活扶助費の方から負担していただいている事を承知しているので、今後も済み続ける事は可能です」
「但し、制度が変ったため上限を超える家賃の所にお住まいの方については、更新の際に発生する更新料は今後支給できなくなるのでご承知おきください」
「更新料が必要という事であれば、転宅してください」という連絡が入った。

「現状の住まいでは更新料が出せない!?」
「それって、実質転宅しろって事でしょ!?」
「それが無理だという事は、行政も知っているでしょう!?」
「はい、そうですかとは言えないし、どうすんですか〜!」と返した。

彼は、
自閉症を伴う知的当事者で、
過去一人暮らしをしていた。
支援の不十分さ故だが、彼自身が起こしたことによってアパートを追い出される事になり、
保護入院を強いられた。
1ヶ月で何とか退院を果たし地域に戻るものの、
住居が見つからず、自立体験室で仮住まいする事数ヶ月。
起こした事柄が地域の不動産業者に回状のごとくに流れ、
彼の名を出すとたちまちどこも取り合ってもらえない状況。
それでも何とか見つけたのが今の住まい。

24時間何らかの形で傍に人がいる生活。
自宅では、ヘルパーが毎日寝泊りするので、どうしても二部屋の確保が必要。
生活音等のために、古いアパートでは暮らす事が難しく、
必然的に生活保護の家賃基準を大幅に超えていく。

本来は、衣食等に使うお金を削り上限を超えた家賃分を支払い、カツカツの暮らしをしている。
カツカツの生活費ゆえに、ストレスを溜めこみ暴れて物を壊せばさらにその始末にお金がかかる。
普段許されているお金の使い方ができなくなり、ますますカツカツの暮らしになっている。

それでも、
介助者たちは何とか頑張り彼を支える。
少ないお金をいかに使うか?
それが、本人が実感をもって有意義な使い方であると思わなければ、たちまち物が壊れてしまう。
でも、介助者が臆病に当事者と関われば、それまたお金が少ない事に意識が廻り、有意義に使うというやり取りができなくなってしまう。

そんな現場の苦労なんて、まったく意識せず、
「制度改正によって、更新料は払えません」
「更新料が必要というなら、上限額の所に引っ越してください」
なんて、気軽に言わないでもらいたい。

とは言うものの、
決まってしまった事は、どうしようもない。
今のところに住み続けるしかないが、更新料が入らないとなれば済み続けられないのは確実。
こちらは、家賃や更新料が欲しいわけではなく、住まいが欲しい。
だから、
「更新料が出せないって、実質転宅しろって事でしょ!
転宅しろというなら、転宅できるアパートをそちらの責任で見つけて下さい」

「見つけられるならいつでも転宅についての本人の支援を担いましょう」
「それが叶わないとなればどうするんですか!?」と訴えた。

すると・・・

(つづく)
posted by 岩ちゃん at 12:16| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

悩ましいのは・・・

言葉を発する事ができない重度知的当事者の一人暮らしの場面。
「イエス/ノー」で応えてもらったり、
選択肢を並べて選んでもらったり、
とりあえずやってみてからの反応を見て本人の意思を図ったりと、
現場の介助者たちは懸命に、本人の意思を読み取り介助しようとしている。

ところが、
「イエス/ノー」にしても、選択肢を並べるにしても、とりあえずやってみるにしても、
介助者の側にないものは提示できない。

人の暮らしは様々。
例えば、
親もとにいた時には、魚系中心の食卓だったのが、
一人暮らしを始めた途端に肉系中心の食卓になる。
最近の若いヘルパーさんたちは、魚料理が苦手らしく、手っ取り早い肉系料理を作る。
本人は肉が嫌いでければ出された料理をおいしく食べる。
時に、嫌いなものが出てくれば拒否をする場面もあったりすると、
「この人は自分の食べたいものを選んでいる」と映るが、
肉系料理をおいしく食べるという事と魚料理が食べたいということとはつながらない。

結局は、
介助者が提示するものの中でしか選択が許されないという面がある。

でも、
実は親もとにいた時、「魚ばっかり出てきて嫌だった。一人暮らしを初めて肉料理がいっぱい出てくるので嬉しい」と思っているかもしれない。

個々の介助者にない選択肢は、
様々な介助者が関わり、様々な場面の本人の様子を見聞きすることである程度拡がる。
しかし、
それを本人が選択しているのか否かの判断はどこまでいっても闇の中。

ある人の時には、
朝から盛々ご飯を食べる。
しかし、
別の人の時には非常に少食。

どちらも当事者本人には変わりない。
しかし、
その違いを探っていけば、
作る介助者の料理の腕前や味付けの好みによって違うということもある。
前の夜の食事の量によって変わるということもある。(毎週決まった曜日の決まった時間に決まった人が介助として入っている場合)
介助者がたくさん出すからたくさん食べる。
介助者がちょっとしか出さないからちょっとしか食べない。
その他いろんな理由があって、
本人の様子も変わる。

さらに、
人の様子なんて日々変わるので、常に一律に介助者と関わっているわけでもない。
その日の気分というのもあるので、あれこれ明確なことは言えない。

非常に悩ましい本人の意思決定という朝。
posted by 岩ちゃん at 07:55| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月17日

身体的虐待とネグレクト

重度知的当事者と言っても、個々の当事者は当然ながら様々。
「行動障害」を伴い片時も目を離せられない人もいれば、
声かけしなければ行動しないという人もいる。
又、慎重に事を運ぶ人もいれば、とりあえずやってみた後に考えるという人もいる。

そんな人達の一人暮らしの場面。

ヘルパーと二人っきりでやり取りしている場面は、当事者自身が語らなければ密室状態となり、
そこで何が起こっているかは、ヘルパーと当事者を信頼するしかないという状況であったりする。

それは、
ともすれば入所施設と同じ状態。
ヘルパーからの報告を信じるしかない。
逆に疑い出せば限がなかったりする。

そんな中で起こる虐待。

「行動障害」を伴う人の場合、その手前に様々な支援の不十分さがあったとしても、
目の前で起こる事柄をヘルパーは懸命に止めなければならない事があったりする。
本人の命にかかわることもあれば、第三者に危害が加わるということもある。
なので、そんな状態になった時、懸命に本人を静止する。
しかし、「行動障害」が本人の一つの表現であったとしたら・・・
何を表現しているのかを意識が及ばないと、
静止するヘルパーの行為は、後に身体的虐待へとつながっていく。
「本人がそんな状態に・・・」という目に見える事柄を理由に、
目には映らない(見えない)本人の意思が「それでもある」とはなかなか意識できず、
力を持って当事者を押さえつける。

「本人に意思がある」という事を絶対条件において支援を担うということは、
頭で理解できても、その現場においては、様々な形で力による制御がまかり通り、
それが常態化することで「身体的虐待」が極当然のようになってしまう。

人は、何かが足りなくて虐待するのではなく、
そもそも、人は弱者を虐待する。

そんな考えて当事者と付き合っていると、
虐待してしまう私自身をいかに他の力を借りて、制御するかを考える。

身体的に相手を制御してしまった私自身をさらけ出し、
その手前にある「本人の意思」と「私自身の見立て」とのズレを、
他者との関係の中で検証し、次の聞かい次の機会へと活かすことを考える。
又、
自分自身の支援の不十分さを当事者に詫びつつ、
関わり続けられる方法を見出そうとする事で許しを請う。

身体的虐待は、たとえ密室状態であったとしてもやってしまった私自身が存在し、
地域の中で様々な関係が当事者の周囲にあれば、いづれ白昼のものとなり、
一緒に考えていくしかないという流れがあったりする。

ところが、
非常に厄介なのは、
虐待の一つに位置づけられている
「ネグレクト」という話。

介助者が声をかけなければ行動しない重度知的当事者の場合。
彼らも又、何も考えずに介助者の指示を待っているわけではない。
様々な意味があって、事象としては「声をかければ行動する」ということ。
例えば、
自らが動くと「叱られた」という経験が数多くある。
いろいろやりたいことはあるがどこから初めて良いか解らない。
介助者に気を使いすぎ、介助者のことが理解できないから動けない。
等々。

只々、じっと動かない重度知的当事者。

介助者ノートを見ると、
「今日は休日。仕事の疲れからか、出かけようとせず眠そうだったので、昼寝を勧めたら、一眠りしました」とあったりする。
たしかにそんな日もあると思う。
しかし、
休日の度に
「今日は眠そうでした」
「元気がなく家で過ごしました」
「本人の要望を待っていたら結局一日自宅で過ごしました」
等々。
「のんびりと過ごす休日」が現れたりする。

しかし、
「最近の介助者は、目新しいことを提案してくれないからつまらない」
「提案を待っているのに提案してくれないから、結局家で過ごすしかなかった」
などと本人が描いていたら?

親もとで過ごしていれば、休日ガイドヘルパーを使う時、
なんやかんやと親からの指示があったり、「外出」という前提があるのでヘルパーは当事者に対してあれこれ提案を考えてくる。

これが、一人暮らしをしている人の場合、
誰も、何も、指示してくれない。
当事者とヘルパーとで考えなければならないのだが、

先ほどの「行動障害」を伴う当事者のように、常に目が離せられないという状態ではない分、
目を話すことが、実は「ネグレクト」という「介助放棄」状態に陥っている場合があったりする。

それでも暮らしは廻っているので、
そのような状態になった時、
介助者は自らがそのような状態を招いていることに気づかない。
又、「元気がない」というように本人の状態を理由にできてしまうし、
「暴行の跡」というように目にわ見えない状態に、
周囲もその理由が間違っているかもという疑問は抱かないし、
疑問を抱くには、
毎度現れる休日を比較して報告を聞き、検証しなければ見えてこなかったりする。

そんなことを思うと、
実は心的虐待よりもネグレクトという介助放棄による虐待の方がより深刻で、
表面化しにくい状況のように思う。

そして、
重度の知的当事者たちも、
「とりあえず廻っている」と思われていることに耐えられなくなる時があたったりする。
満を持し行動に移った時、
周囲は、「行動障害」と称しその「行動」を制御すれば、
ネグレクトという虐待を受けている上に、その抵抗としての抵抗としての表現も否定される。

そんなことを考えつつ、
いづれも虐待は虐待。

何を虐待とするかは、一人で考えても見えてこない。

だからこそ、
自らの介助のあり方を意識し、
自らの介助をオープンにし、
他者の目と他者の想いを互いに共有し合いながら、
その先の介助を考えなければならないと思う。


posted by 岩ちゃん at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月12日

伝える/伝わる

私達と異なる世界観を持ちつつ私達の世界観の中で生きている知的や発達の当事者たち。
彼らと日々やり取りしていると、
「伝える」ことと「伝わる」ことの間に大きな開きがあることを思い知らされている。

こちらは相手に解りやすく伝える。
相手はそれに応えて「はい」と了解する。
しかし、
その「はい」が「了解」の「はい」ではなく、
「聞きました」ぐらいの意でしかなく、
「聞きました。(でも、よく解りません)」の(  )部分が言えず、
言葉になった部分だけを私たちは受け取りその先を対応している場面がたくさんあるように思う。

こちらが伝えた事と相手に伝わったこととの違いはなかなか理解できない。
なので、伝わっていなかったという後々の結果も糧に、
個々の当事者とやり取りを重ね、
その差異を意識し、
懸命に「わかりやすさ」を追究する。

言葉だけでなく文字にして伝える。
漢字にふりがなを振る。
絵や写真を使い説明する。
事前に予行演習をして混乱をなくす。
当事者をよく知る介助者を手配する。
相手に通じる言葉を考える。
等々。
本人に伝えるための努力を懸命に担う。

それでも「伝える」ことと「伝わった」ことは違う場合がある。

「伝える」ことと「伝わる」ことは違うという前提を持って日々やり取りしているのだが、
「伝える」努力を懸命に担えば担うほど、
「伝わっていなかった」という現実に遭遇すると、
「あれだけ懸命に伝えたのに、あなたもその時わかりましたといったのに」と
「伝える」側の責任ではなく相手の責任にしてしまう。

「解りやすく伝える」というのは支援の側の責任。
しかし、
本人が「はい」といった瞬間に支援者の責任は消え、
後は全て本人の責任となってしまう。

それは、
支援者が「伝える」努力を懸命に担えば担うほど、
「伝わっていなかった」時の当事者の責任が大きくなる。

「伝える」と「伝わる」というのは本来相互作用であるから、
その結果においては、相互に責任が生じるものだと思う。
しかし、その責任は前半は支援者で後半は当事者が負うというような区分担っているように思う。

支援の側の責任は「伝える」という行為から「伝わったか」という確認、そしてその実際の全域に渡り存在するものだと思う。
当事者の側も同様に「伝えられた」事柄に対し、解るまでしつこく聞くとか安易に「はい」と言わないと言った事から、相手の意図と違っていたらそこから一緒に考えようとする責任とかがあるように思う。
(ただ、当事者の側の責任と言っても、それを奪ってきた私達の側の責任があると思うが)

「伝える」「伝わる」そして、その実際。

全てに渡り全てに責任を負うということであれば、
実は
「解りやすく伝える」ことだけに懸命になりすぎると、
最後までたどり着けず、結果当事者の側を責める事になるように思う。

決して「解りやすく伝える」という事を放棄するという話ではない。
ただ、懸命に「解りやすく伝える」ことのみに頭を回し続けていると、
本当に「伝わっているか?」という疑問に意識はいかず、
又結果「伝わっていなかった」時に起こる不具合にどう対処するかという次なる展開へは進めず、
当事者の側のみを責めてしまったり、当事者の能力のせいにしてしまい、
支援者のエネルギーを、次なる相互の関係につなげるに至らないように思う。
そうなると、次の「伝える」という場面での「解りやすく伝える」という行為も、
「どうせわからないなら」となってしまうように思う。

支援者と一言で表しても様々なので、どこにエネルギーをかけるかも人それぞれ。
何が良いか悪いかではないと思う。

「解りやすく伝えること」に懸命になる人がいても良い。
「伝わったか」を検証する事に力を注ぐ人がいても良い。
「結果」から次の場面での伝え方を考えるということを強く意識する人がいても良い。

逆に一人の支援者がオールマイティーにこなせるとは思わない。
こなしているように見える場面もあるが、
それは、固有の関係の中で成立しているだけで、
全ての人に当てはまるものではないと思っている。

あくまでも私の場合だが、
長年当事者たちと付き合っていると、
私が意図したことが相手に伝わっていないという場面を何度も遭遇してきた。
懸命に伝えようとすればするほど、伝わらなかった時のショックは大きく、
自分自身を責め、相手を責めてしまうことがしばしばあった。
又、自分自身を責めるということはとてもつらいので、その割合は相手を責める方へと傾いてしまうということにも気づいた。

なので、
あくまでも私の場合だが、
「解りやすく伝える」事に努力するよりも、
相手に「どう伝わっているか」を意識する。
「どう伝わっているか」に関心を持てば、
現れる結果に対し、その場の対処も柔軟さが増す。
「それでは伝わっていなかったか」と私自身を振り返る機会になり、
次の「伝える」ことにおいて「今回の不具合を次に活かす」ということに関心にもつながる。

「解りやすく伝える」ことの努力よりも
「伝わったか否か」を理解/意識することに努力する。

限られた空間の限られた時とは違い、
生活という日常における「伝える」「伝わる」を考える時、
そこにある大きな開きを常に意識し続けるための、
私としては結果からやり取りしている。

そんな私だけど、
「解りやすく伝える」というアイデアは非常に乏しい。
だから、「解りやすく伝える」事に懸命になる人の存在はとてもありがたい。

自分の取り組みが「必ず伝わる」という努力を重ねることは大切だと思う。

だから、「伝える」「伝わる」ということの大きな開きを互いに意識して、
その間を埋める努力は、様々な人との連続性の中で積み重ねていきたいと願う。
posted by 岩ちゃん at 00:00| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする