2015年07月24日

日本版FGCって何?

先日のFGC(ファミリーグループ・カンファレンス)の研修会と自らの現場との間であれこれ考えている。
4日も現場を離れた分、現場に戻った途端に次から次へと課題が舞い込んでいる。
そして、舞い込む課題の一つ一つを解決する上で、FGCの必要性を感じてもいる。

研修会の中で、
FGCは、課題をグループ(輪)の中心に起き、課題を解決するための具体的な方法を見出すと言っていた。
オランダのFGCは、「専門性によって決められるのではなく、状況を解決するために関わりのある人達の中で検討し具体的な策を見出す」と理解した。

でも、
それが日本版FGCを考える時、果たしてそれで良いのだろうかと思う。
「専門性に依拠しない」と言うのは良く解る。
専門性というのは「◯◯士や◯◯師が考える解決方法ではなく、又行政等による強制でもない」というのはその通りだと思う。
「ファミリー」とか「グループ」という言い方は誤解を招くのでどうかと思うが、
「当事者の日常生活空間にいる人々」と理解すればそれなりに納得できる。
又「グループ」=「輪」の中心に「当事者」を置きたがるが、
「当事者」ではなく、日常の中で起こっている「事柄」であるなら、
その関係は何も「当事者」だけの問題ではないはず。
なので、当事者も他の人たちも「輪」の線状にいて、それぞれの立場から事柄に向き合うという考えで理解でる。
さらに、
「カンファレンス(=会議)」というものは、
どこか「課題」を解決するために開かれるという印象を抱く。
でも、
「課題はなくても」又「課題が解決した後でも」開かれるものならばどうだろうか?
すなわち、
日常的な「集い」「よりあい」的なものも含めていけば良いと思う。
なぜなら、地域で人々が暮らすという事は、様々な事柄が横断的に存在していて、「問題となる事」と「その解決」というのは、特定の誰か/特定の何かということではなく、様々な場面で起こっており、地域という中にある出会いや関係も含めて解決されていくと思う。

そう考えていくと、
実は「カンファレンス」ではなく「ネットワーク」なのではないだろうかと思えてくる。

FGCに対する一番の疑問は、
「問題を解決する」「解決のための具体的な方法」というものをどのように捉えるかという点。
日本で言うところの「ファミリー」=「家族」の存在は、
障害当事者にとっては、
「親こそが最大の敵」という状況があったり、
意識ある親御さんは、
「親が最大の支援者」と言う。
そして、最大の課題が
「親亡き後」という言い方がまことしやかに語られる。

それらは、普段重度知的当事者たちと付き合っていると、
どれも間違いではないと思う一方で、どれも間違いと思う。

なぜなら、誰が誰に対して思っているかという点に置いて、
そう想う状況が問題であり、それぞれが思うこと自体は間違いではないと思うから。
すなわち、どれも重度知的当事者本人の弁ではないという事。

それならば、
それぞれの考えをもって「輪」を形成する事が重要になると思う。

ところが、
日本の社会は、「輪」を維持するために「それを壊す者」を排除して成り立たせてきた。
又は、輪の中に存在できるように改める事を求めてきた。

そんな「輪」に抵抗し、都会を出たり核家族化していく状況も理解できる。
でも、輪を離れ自分の能力だけで展開できる人は良いが、
そうでない人たち特に、日常的に何らかの形で支援が必要な人たちにとっては、
自らが「輪」に抵抗したり「輪」を離れたりする事ができず、
結果、「家族(血縁)」によって対応する事になる。

「個人をもって輪」をつくる西欧の考え方と
「輪を維持するための個人」という日本では、
「輪」の一文字はまったく違う意味を持つ。

よって、
日本版FGCは、この「輪」をどのように作るのか?どのような「輪」にするのか?重要になってくるように思う。

つづく・・・
 (たぶん)
posted by 岩ちゃん at 14:13| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月08日

サービス等利用計画と相談支援事業と支給決定

サービス等利用計画の作成が義務となり、私の周辺で自立生活を営む知的当事者たちは特定相談支援事業所に計画の作成を依頼している。

これまでは、行政交渉と担当職員とのやり取りの中で、当事者の暮らしに必要な支給量を確保してきた。
重度と呼ばれる人たちが多い中で、それなりの支給量を確保してきたが、当事者とともに支給量の話し合いの望む
支援の側はサービスを担う側でもある。
行政は、交渉の中で「必要な量を支給します」とは言いつつも、
それは「行政が必要と認めたもの」でしかなく、
ある程度の支援量は確保できたものの、それ以上に支援の側が必要とするものはなかなか認めようとしなかった。
さらに、
支援を担ってきた側が事業所としてサービスを担うようになると、構造的に「事業所のお手盛り」状態となり、支給量を巡ってはこう着状態にあった。

そこに来てのサービス等利用計画の作成。
これまで直接行政とやり取りしてきた事を、特定相談支援事業所に対して伝え、第三者の判断として計画案を行政に提出するようにした。

行政に対しても相談支援事業所に対しても、こちらは同じことを伝えるが、第三者が立てた計画という事で、行政はそれを否定する根拠を示さなければならなくなった。

そのため、これまで突破できなかった支給量の壁が、軒並みサクッと突破できたという結果を生み出している。
(とは言っても、行政の裏も表も知っている私は計画段階であれこれ画策した計画にしている)

今回やり取りした重度の知的当事者は、
短時間の居宅介護や移動支援や日中活動を組み合わせて自らの暮らしを成り立たせている。

相談支援員と現状の支援と希望する支援を巡りやり取りした結果、
これまで支給されていた時間数もサービスの枠も上方修正され、
支給量が決定された。
(本来、必要としている時間であっても事業所の都合で派遣が受けられない分も、支給量として認められた。これは、実際利用できない/されていない支給は認めないという行政もある中、結果的に余してしまう時間が、事業所不足や人材不足を表すものになるため大切だと思う)

これで一安心と思い、実際支給決定通知を受け取って気づいた。

「居宅家事援助 160時間/月 1回あたり4.5時間」

時間数はOKなんだけど、この「1回あたり4.5時間」という数字。
その根拠は、
計画案の週間プランに書かれた、
家事援助の派遣時間のMAXの時間を表している事に気づいた。

通常はそれでも良い。
しかし、
例えば病気になった時。
予定外の支援が必要になった時。
4.5時間と派遣時間を決められてしまっては、
本人の暮らしは派遣時間に縛られてしまう。

私の周辺では、この週間プランと言うものは月の派遣時間数を積算するものでしかなく、実際の派遣時間はその人の暮らしに委ねるという事が了解されている。
ところが、1回あたりの時間数を決められてしまうと、突然必要となる長時間の介助に対応できない。

直接行政とやり取りしてきた時は、
この「1回あたり」の数字を、6時間とか12時間とか24時間という形で出させてきた。

今回の当事者もこれまで「1回あたり6時間」としていた。

しかし、計画を立てる段でそのような話は全く出されていない。
私もこの間重度訪問介護での支給を巡るやり取りに終始してきた感があるので忘れていた。

届いた通知に初めて気づいた。
すぐさま相談支援事業所を通じ変更申請を行った。

その申請は認められると思う。

ただこの件から思うのは、
サービス等利用計画は、本人の想いを実現していくために立てられるもの。
ところが、様々な場面でそれを阻害する仕組みが隠されている。
そのため、利用計画によって当事者の暮らしが縛られてしまう。

知的当事者たちの自立生活の実態を知らない相談支援事業所。
利用計画通りに派遣しようとする事業所。
机上のやり取りで決定していく行政。

いづれも当事者が暮らす事を支援するために存在していると思うが、
それぞれが気づかないまま、当事者の暮らしが制度やサービスによって縛られる。

「1回あたりの派遣時間」という枠組み。
本来は必要のないものと思う。
でも、それを設けられている状況に、
改めて、当事者にとっての支援を意識的に指向しなければと思った。
posted by 岩ちゃん at 12:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月22日

訪問時、ベルを鳴らす/鳴らさない?

「どうでもよいことかもしれませんが、介助交代の時ってベルを鳴らさない方が良いですかね〜?」と、
私と交代のヘルパーさんが尋ねてきた。

確かに、「どうでもよい事かもしれない」
人の家を訪ねた時は、ベルを鳴らすのは当然だろう。
鍵が開いているからと言って、こっそり入ることは良くない。
田舎の見知った関係ならば別かもしないが、
長年、介助に入っていてもあくまでも他人の家。
礼儀としてベルは鳴らすものだろう。

私は、そのヘルパーさんに「なぜ、そのようなことを聞くのか?」と尋ねてみた。
すると彼は、
「先日介助交代の際、次のヘルパーさんんがベルを鳴らさず入ってきたので驚いたんですよ」
と言う。
彼は、自らが入る介助の枠は定期的なのだが、その前後のヘルパーさんは事業所の都合もあるが、意識的に違う人を入れている枠。彼としては、必然的に様々なヘルパーさんと接することになる。
すると、
訪ねてきた時、ベルを鳴らす人と鳴らさない人がいて、
自分は、鳴らす派だけど、鳴らさない派の人がいる事に気づいたらしい。

「では、あなたが介助交代で訪ねてきた時、ベルを鳴らすのは何故?」と聞いた。
すると、
「ベルを鳴らさないと不用心だし、本人も驚くと思うので」という。

確かに。
それは当然の理由だと思う。

「では、鳴らさない派の人の理由を聞いてみた?」と聞けば、
「それは聞いていない」と言う。

彼にとっては、「どうでもよい事かもしれないが」と言う思いがあるからか?
サクッとそれぞれのヘルパーさんに理由を聞けない様子。
でも、私は「決してどうでもよい事ではなく、そこに、自立生活をしている当事者の支援が何かを意識する機会があるから、ぜひ聞いて欲しい」といった。

ヘルパー派遣と言っても、様々な形がある。
たぶん、週に何度か、日に何度か、短時間の介助に入るヘルパーさんの現場ならば、訪問時ベルを鳴らすというのは当然のように思う。
なぜなら、
当事者にとってはヘルパーという他人がいない時間からヘルパーという他人がいる時間へと切り替わる合図だから。

でも、
24時間介助を使い暮らしている重度障害者たちの場合は、常に介助者がいる状態。
介助交代は、ヘルパーが訪ねてくるというよりもヘルパー側の都合で立てられた(そればかりでもないだろうけど)交代時間になると次の人が訪ねてくる。
そこへ、やってくるヘルパーが毎度ベルを鳴らしていたら・・・
それは、当事者にとって他人が入る時間の知らせではなく、ヘルパー間の交代の合図と化す。

常にヘルパーが存在する暮らしをしている当事者のその交代のタイミングは、
もしかしたら、
寝ているという事もあるだろう。
トイレに入っているということもあるだろう。
入浴中や食事中という事もあるだろう。
TV番組に夢中という事もあるだろう。
休日の朝、ゆっくり寝たいと思っている時に、ベルがなれば基本家主である本人が対応しなければならない(ヘルパーなのか?訪問者なのかが判らず、ヘルパーに任せる人も多い)

自らの暮らしをベルによって分断されてしまう。

でも、実際のところは交代時間がある程度決まっているので、次の介助者に依頼することを決めていたり、前の介助者にやってもらうことをやってから終えてもらったりと段取りしている場面もあったりする。
例えば、
いつも夜から朝にかけて入るヘルパーさんには専ら家事や入浴といった家の中でのことを頼み、
翌日介助交代でやって来たヘルパーとはいつもお出かけしているなら、
ベルは、お出かけの合図となり本人のモードもベルとともに切り替わるということもある。

でも、出かけなければならない場面ではそれはとてもありがたい話なので、ベルを鳴らす方が双方にとって良いと思う。
ところが、休日で出かけても出かけなくても良い状況の場合は?
時には、のんびり家で過ごしたいと思うかもしれない。今日はテンション高めで出かける気満々かもしれない。のんびり過ごすつもりで前の日遅くまで起きていたとしたら、いつもの交代時間に寝ているという事もある。でも、ベルがなれば起こされる。
出かける気満々であってもうっかり寝過ごすということもある。ヘルパーがベルを鳴らすことで、飛び起きて慌てて出かける準備をすることもある。

実は、
「ヘルパーがベルを鳴らす/鳴らさない」という話は、
24時間介助を使い暮らす障害当事者にとっては、当事者自らの暮らしの連続性をいかに意識し、折々の状況をどのように考えるかという重要な機会だと思う。

これが、重度身体当事者の場合は、本人に聞けば良い。
そうすれば、時間や曜日でその仕訳を伝えてくれるかもしれない。
人によって変えるかもしれない。
事前に次のヘルパーに「今日は・・・」と連絡をいれるかもしれない。
今いるヘルパーに「ベルを鳴らさず入ってきて」と張り紙をさせることもできる。

でも、
重度知的当事者の場合は?
そこまで指示できる人はいない。
その人の状態や状況によって、ある程度周囲で対応を決めることはできるかもしれない。
しかし、その日その時の当事者の状態は判らない。

寝ているところを起こしては悪いと思うし、起きてもらった方が良いとも思う。
前の介助者とバトル中に私が現れたら、家主はバトルを収める事と私への対応が同時に起こり、ますますパニックになる場合もある。そんな時は、シラッとドアを開けバトルが片付くまで知らん顔をしていた方が良い時もある。でも、ベルが鳴ることでリセットされる場合もあったりする。

「訪問時、ベルを鳴らす/鳴らさない?」と言う問に対して私の答えは、
「鳴らした方が良い時もあれば、鳴らさない方が良い時もある」でしかない。

でも、
実際に訪ね、ドアを開けてみなければどちらが良いかは判らない。
なので、
私の対応は、「鳴らしてみる時もあれば、鳴らしてみない時もある」になる。

そして、
先のヘルパーさんに聞いてみた。
「いろんなヘルパーさんと交代する機会がある中で、それぞれのヘルパーさんがどのように対応しているか聞いてみた?」と。
すると、彼は
「鳴らす人もいれば鳴らさない人もいます」と言う。
では、「それぞれのヘルパーさんの鳴らす/鳴らさない理由は聞いてみた?」と言えば
「それは聞いていない」と言う。「ならばぜひ聞いて欲しい」と伝えた。

それは、
「鳴らす人/鳴らさない人」の統計をとるということではなく、
「鳴らす理由/鳴らさない理由」がとても肝心だと思う。
ヘルパーさん一人ひとりが想い描く事を知り、自らの対応を知り、そしてそこに現れる当事者を知る。

連続した当事者の暮らしにおいて、私たちは断続的に介助/支援を担っている。
個々の当事者たちは、
人が代わることで大変な想いをしている場合もあるだろう。
人が変わるからこそ楽に過ごせる場面もあるだろう。

そんな、当事者の暮らしに自分たちはどのように関与しているのか?
「訪問時、ベルを鳴らす/鳴らさない」と言う事柄は、
そんなことをちょっと考える良い機会かもしれないと思った。
ちょっとした機会だけれども、そこには支援にまつわる様々な事柄を意識する機会になるように思う。

追記
話をしていく中でふと想ったことは、
交代のためにやってきたヘルパーさんには、その時の本人の状態を知ることはできない。
でも、交代を待つヘルパーさんの方は今の当事者と関わっているから、
例えば、
ベルを鳴らした方が良い場合は鍵をかけておく、
鳴らさなくても良い場合は、鍵を開けておくと言う手もありかもと思った。
ただ、そうは思いつつも、
訪ねてくる人は、何もヘルパーさんだけではないので、
昨今の状況からすれば、鍵を開けておくというのも不用心かもとも思う。
posted by 岩ちゃん at 10:51| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月02日

意思決定支援の様々な場面について

「意思決定支援」という言葉を最近よく耳にする。
それに付随する形で「成年後見制度」という言葉も耳にする。

よく耳にするから使っている私だけど、
そもそも重度知的当事者たちの自立生活を支援する上では、
この「意思決定」と言うものは常に支援の内に入っていた。

よく耳にするから使うのは、それを使う事で自分たちが担っている事を認識する事や振り返る事でこれまで担っている事や煮詰まっている事を次へと展開するだけの話だと思っている。

でも、
言葉としては耳にしても、その言葉を語る人たちはどうやらこれから取り組むらしい。
なので、場末でちまちまとながらも考え続けてきた私たちの取り組みに興味を抱いてくれるのだろうと感じている。
逆に言えば、こんな弱小団体を訪ねてくるぐらいだから、ほとんど意識の中に上っていなかったのだろうと思う。

とは言うものの、
様々な立場から関心を抱いて、一緒に考える機会が増える事はとてもありがたい。
たとえこれから取り組もうとする人であっても、
これからのためにこれまでの事を聞いてくれる事は歓迎すべきことだと思う。

そして、
あれこれ聞かれる中で、私自身も只々漠然と描き、日々ひたすら感覚で担ってきた事が、
言葉で語る機会になり、聞かれた事に応える事で私自身の為にもなっている。

そんな中での一つの事を書き留めておこうと思う。

「意思決定支援と言うが、いろんなレベルでの意思決定の手法が違うと思うがどのように考えるか?」

そう聞かれて、「レベル?」と頭をひねった。
たぶん質問者の意図とは違うのだろうが、
私は「レベル」という分け方に対し、
「空間や時間や回数」と言ったものの広さや経過をあれこれ考えた。

そして、
「上・中・下」ではなく、「大・中・小」という感覚で考えてみた。

順番は逆になるが、
意思決定支援の「小」=日々繰り返し現れる事柄。(例えば、今日の夕食メニュー・休日の過ごし方等)
意思決定支援の「中」=何年かに1度・生涯1度現れる事柄(例えば、大きな物の買い物・旅行・就職・アパート探し等)
意思決定支援の「大」=社会全体のスタンダードを巡る話(普通学級への就学・高校進学・自立生活等)

意思決定支援の「小」は、
繰り返し現れる中で、当事者が選択するための選択肢の提供や選択するためのプロセスの支援、決定された事についての意識化やその上で一つ一つの選択が繰り返される中で日々検証する機会とする。
例えば、夕食メニューを当事者が決めるという事は、好きなものを食べるという事に始まるも、選択肢がなければ選べないし、本当に本人が選んだことなのか?選んだ結果もしかしたら次は別のものを選択するかもしれないし、好きになって何度も選ぶかもしれない。
選択肢の提供・選択するためのプロセス(選択肢に対する実感・本人の選択基準・選択した際の本人が引き受ける面と支援者が引き受ける面・それらにまつわる個々の支援者の価値観や常識等々の影響等等の検討)・選択したものに対する評価等。
そして、自らが選んだという実感に基づき次を選んだ時に、それが容易に実現できる体制をつくる。
まさに、自己選択・自己決定・自己実現そして再び自己選択が日々の暮らしの中で循環していくための支援。
それは、間違った選択も本人の実感として次に向けて修正する事や逆により確かな選択とできるような支援も日々の暮らしの中での事柄ゆえに、支援の側は様々な事柄を意識する事で、当事者との信頼関係や長年の経験を積み重ねていく中で生み出されていくものと考える。

意思決定支援の「中」は、
例えば、「小」の延長線上で言えば冷蔵庫を買うと言った場合、それなりにお金があれば選択肢は増える。
選択肢が増えても本人が決めることに難儀したり、本人がどのように欲しているかが解らない場合。
結局は、支援者間で決めるしかないのだけど、「小」の所で日々の意思決定支援を担っていれば、自ずとそれぞれの支援者たちが当事者との関係の中で意見を出し合い、協議する中で決めていく事もできる。
自立生活を始める際のアパートの選択(実際は重度知的当事者に貸してくれる大家さんは限られているため選べないけど)は、本人を良く知る中で私たちがアパートを決める際に検討する事柄の一つ一つを、様々な支援者とともに協議して選んでいく。
又、どのような仕事につくかという点でも、本人は実際にやってみないと実感を抱けないけど、本人を知る人がたくさんいれば、様々な意見を出し合う中で、本人により近いところでの決定がなされるように思う・
ただ、これは障害故に閉ざされている面が多い故に、失敗が許されないという事が多々ある。
一度決めた事を実現するだけでも非常に厳しい状況があり、その点も考慮する事はあると思う。
そうして決めた事を実現するまでの苦労が多ければ多いほど、一度なされた自己決定が絶対的なものとして襲ってきて収拾が不可能になってしまうという事もある。
例えば、高校進学を目指す知的当事者が、確実に入学できる専門校に入学した。
確実に入学できると言っても知的当事者故に、高校側は拒否をする。
それに対し、本人が決めた事として高校側に本人を受け止めるよう強く要望する。
支援体制を作り様々な人の支援の下で実際に入学してみると、
専門校故に実習等が多く、その実習がとても苦手で興味もなく、学校に行きたがらなくなった。
多くの人の手を借りて実現した事ゆえに、周囲は学校に行くよう懸命に勧める。
でも、1年後再度普通校を受検しその後は嬉々として学校に通ったという事がある。
「中」の意思決定支援においては、本人や周囲によって決定された事は、あくまでも「とりあえず」の決定であり、それが本当に当事者自らの決定というには、その後具体的に事が進んだところでしか判断できないという想いが大切だと考える。

意思決定支援の「大」は、
高校進学もそうだが、アパートでの一人暮らしや一般就労と言った、私たちにとっては普通に起こる事が、障害を理由に閉ざされてしまっている現実に対し、私たちはどのように向き合うかという点。
例えば、本人の意思を確認すると言うが、
障害児が「支援学校」を選択する際には、「何故、支援学校なのか?」を問わず、「普通学級」や「公立高校」に就学/進学する時には、なぜ「普通学級なのか?」「高校進学が本人の為か?」等と聞かれる。
困難な状況にある自閉症を伴う知的当事者に対して、「どうして施設に入れないのか?」とは聞くが「どうして自立生活をさせないのか?」とは聞かない。
「聞く」という事の中に、実は障害者に対する私たちの価値観や偏見がたくさんあり、「障害者は」という思い込みの中で、当事者の意思決定を求めている。
これは、本人や家族や周囲の支援者たちを巡る意思や意思決定やその支援というよりも、
社会が何をスタンダードとし、障害者故に当事者やその周辺に社会の価値観や常識に「決定させられている」という事に目を向ける必要がある。

私たちは、
意思決定支援を考える時「大」の場面で何を当事者たちに求められているかを考えなければならない。
でも、それを考えていくには「小」の場面で当事者と常に向き合い、日々失敗も成功も繰り返しつつ、常に意識化し、修正を恐れず、日々をつないでいく事が大事だと思う。

意思決定支援が何なのかはいまだ一言では語られないが、
とりあえず、そんな区分けの中であれこれ考えてみた。
posted by 岩ちゃん at 17:38| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

介助を使って暮らす

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者のお宅に介助者として入る。
24時間何らかの形で介助/支援者がいて成り立つ彼の暮らしの一場面。

泊まり介助者との引き継ぎ。
前の介助者は交代直前に食事作りを頼まれたらしく、
私は作りかけの調理も引き継いだ。
前の介助者が帰り、あらかた出来上がっていた食事の仕上げをする私。
出来上がったので家主に伝える。
台所にやってきた家主は、
「入れるの!!」「お皿!」という。
普段盛り付けは家主自身がやっていたように記憶しているが、
言われるままに進め、盛りつけたものの確認をとる。
依頼通り事が完成したのだろう。
盛りつけた食事をすぐさま自室に持って行って食べ始めた。

いつもの場面ではやらない介助ではあるが、
依頼された事に応える私。
なんてことない風景だと思う。

一人暮らしを始めて10年が過ぎた当事者。
介助者を使い自らの暮らしを作っている。
そんな場面でしかない。

しかし・・・
こんな状況になるまでに10年以上かかっている。

なぜなら、自閉症を伴う重度知的当事者にとって、
事を他人に頼む事の難しさ故に、
大パニックを頻繁に起こしていた彼。

自立生活を始めた当初、私は頻繁に介助に入っていたので今朝の風景は、「普段通り」と思える。
しかし、他の人に介助の場面を委ねるにつれ、彼の側には新たに表れる人に対し、
「依頼する」という事が生まれてくる。
言葉できちんと説明できれば良いが、
相手に伝わるように依頼できず、
依頼できないゆえにストレスが溜まる。
溜まったストレス故に、余裕を無くしますます伝わるように依頼できない。

依頼できなければ依頼しないという時期もあった。
何でもかんでも自分でやる。でも、できない事も何とかやろうとすればストレスが溜まる。

「できない事はヘルパーに頼めば良いよ」と言っても、
「頼む」という事ができない彼。

そんな彼が、ここ数年変化してきた。

10年前。
(彼にとっては)突然現れる人がヘルパーという人であると認識するのに必死だった。
そこから始まり、
ヘルパーは家事をやってくれる人と認識し、
自分の暮らしのためにやっていると認識し、
自分の要望を聞いてくれる人と認識し、
伝わればやってくれる人と認識する。

頼む事柄とやる人とがセットで存在していた彼。
やってくれる人が帰る前にやってもらわないとと必死になる彼。
でも、食べたい時間ではないので頼みたくない。
でも、今頼んでおかないと次の人はやってくれる人ではない。

頼む事とそれをやる人とがセットになって依頼できるようになってきた。
定期的にやってくるヘルパーに対し、
セットとなっている人の所ではまとめていろんな事を頼めるようになってきた。
しかし、ヘルパーなんだから誰に頼んでも良いとはならず、
頼めないヘルパーの時は頼まず、ご飯も食べず、頼めるヘルパーが現れる時まで待つ。
という事も彼の中にあると思う。

そんな事を日々繰り返しつつ、一人暮らしが10年過ぎる。

そして、
今朝のサクサクこなしている状況。
そこだけを取り上げればなんてことない出来事だけど、
私にとってはまったくの奇跡に思える。

そして、彼が歩んできたその軌跡をたどれば、
私たちが当然と思うことが彼らの世界観の中では決して当然ではないという事に気づく。
又、異なる世界観を持ちつつ私たち多数の側の世界観の中で彼は必至に自らの暮らしを組み立ててきた凄い人に想えてくる。

「介助を使って生きる」という事。

使って生きるのは私ではなく彼の側であり、
「介助を使って生きる」という事が、
彼の世界観の中でなされなければ、

「生きる」という事にはならないと思った。

又、
そうなるために私たちはまだまだ何も取り組めていない。
取り組めていない中で、彼の側が懸命に生きる中で築いてきたものであると感じる。
posted by 岩ちゃん at 12:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月27日

手話通訳や要約筆記は誰のため?

統一地方選:手話の訴え、聴覚障害持つ母当選…明石市議選」という毎日新聞のネット記事を読んだ。

「母当選」というところは余分だと思うが、
「耳が聞こえず、声も出ない議員は国政も含めて全国で初めてという」という状況を生み出せたことはとても喜ばしいこと。
ぜひぜひ任期いっぱい頑張って欲しいと願う。

でも、
全国初という事は、他の議員も彼女のような人とともに議場(それ以外でも)で議論する事が初めてという話しになる。

議員の中には、日頃から付き合いのある人もいるだろう。
又、福祉の充実を掲げて当選した人たちもいるだろう。
しかし、議場という特殊な場で生まれつ初体験は、今後数多く出てくると思う。

記事の中に、
「耳が聞こえず声も出ない議員は過去に例がなく、明石市議会事務局は本会議での手話通訳者や要約筆記者の配置を検討している。」と書かれている。
それは、最低限保障されるべきことだと思う。
最低限と言うのは、
生まれながらにして、「耳が聞こえす声も出せない」人たちの世界観は、私たちが単に耳栓をして音のない空間に身を置かれるのとは違い、音のない世界で暮らし続けることで生まれる私たちとはまったく異なる世界観をもっていて、「手話」という「言語」その物にも現れる私たちと異なる世界の人と同じ空間で議論を積み重ねるという事は、単に「手話通訳者」や「要約筆記者」を配置すれば済むという話ではないように思う。
その辺りのことも含めると、1対多数の中で彼女が活動し続けることの困難さは相当なものだと思う。
しかし、
一方で他の議員たちがその一人の存在を認めともに議会をつくろうとするならば、
単に彼女だけの困難さではなく、多数の議員にとっても困難な状況を皆さんが頑張って乗り越えていって欲しいと願う。

その最低限の「手話通訳者や要約筆記者の配置を検討」と議会事務今日は言う。
ぜひぜひ、事務局の皆さんにも頑張ってもらいたいところだ。
ただ、
その配置の必要性は、
議員となった彼女のためのものではないという認識に立って欲しい。

そもそも、
「通訳」というものは、お互いの言語が異なる者を繋ぐ役割を持っている。
「英語しか話せない人」と「日本語しか話せない人」の間に「英語と日本語が話せる人」いる人が通訳者。

その通訳者は、決して前者のためだけにいるのでもないし、後者のためだけにいるのではない。
双方をつなぐという役割を持って、双方に必要な人。

それと同様に
「手話通訳者」は、「手話で話をする人」と「手話で話ができない人」の間に立ち、
双方を繋ぐ役割の人。
よって双方に必要な人。

要約筆記についても、
もし、その人の存在がなければ、ともに議会を運営する他の議員は、音によって得られる情報について、
音によって得られない情報をその都度伝えていかなければならない。
そうでなければ、対等な議論ができない。
その都度彼女に伝わっているかの確認を取っていては非常に大変なことで、
要約筆記者の存在は、他の議員の手間を少しでも軽減するために不可欠な存在だと思う。

すなわち。
手話通訳者にしても、要約筆記者にしても、
「耳が聞こえない」「言葉が話せない」人のためだけにあるのではなく、
「耳が聞こえて、言葉を話せる」人のためにもある。

もし、議会事務局が彼女のためだけにあると考えたなら、
彼女のためだけに必要な予算と発想するだろう。
次回の選挙で同様の人がいなくなれば、予算削減で配置しなくなるだろう。
でも、全ての議員のために必要と発想すれば、
全ての人に必要な予算となる。
又、常に手話通訳者と要約筆記者がいる議場は、
耳が聞こえない人に取っての傍聴の機会を保障することにもなる。

さらに、
全ての人に必要なこととしてその経験を積み重ねて行く中で、
「通訳」を「支援」と置き換えたなら?
「支援」は障害当事者のためだけにあるのではなく、
様々な人とつながるためにあるものとなるように思う。

障害者世界では、とかく障害種別によって制度やサービスが異なり、
個々の障害に応じた専門性が語られる。
しかし、
「支援」が双方をつなぐものとして位置するならば、
何も障害種別で切り分けることではなく、
様々な人が存在するため事を保障するため、
全ての人にとって必要なものとして位置づけられていくように思う。

今回当選した彼女が、
どのような公約や想いを持って議員となったかは判らない。
もしかしたら、「聴覚障害者の権利」のみで展開するかもしれない。
もしかしたら、「他の障害については取り合わない」かもしれない。
(たぶんそんなことはないと思うけど)

彼女がどのような思いで議員となったかについては、
もっとどうしようもない議員が多数当選しているので現段階で問題にすることではないと思う。

今回のことを通じて押さえておきたいことは、
議会という場が、これまでとても面倒な人の存在が排除してきた歴史を想いつつ
その歴史に風穴を開けたという点で凄いと思う。
そして、開けた穴を維持し続ける彼女の困難さは容易に想像できる。

しかし、その困難さは双方向と言うものとし、
「手話通訳者」や「要約筆記者」等の配置が、
彼女に対する保障ではなく、
全ての議員に対する保障という発想で、
今後を展開して欲しいと願います。


 
posted by 岩ちゃん at 11:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月24日

当事者の伝え方・介助者の受け止め方

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者。
いつも同じズボンを履いているため、
職場から着替えるように言われる。
日々の介助を担う介助者達は、
ズボンを着替えてもらい、洗濯しようと当事者とやりとり。

ところがまったく着替えてくれない。
お気に入りなのは理解できるから、洗濯だけはさせてもらえるよう懸命に方法を考える。

もしかしたら、
着替えるズボンがないのかもしれない。
着替えるズボンがなければ着替えられないのは当然と描く。
これはしばしば起こることだが、
着れなくなったズボンを介助者は処分する。
その旨をノートに記し、次の介助者にズボンの購入を引き継ぐ。
ところがその後すぐに買いに行けると良いが、伝言したことが途切れて、それっきりになる場合がある。
一気に失くなるわけではないので、気づかぬまま時が過ぎ、着替える物がなくなっていて着替えられない。
本人が語れない分、介助者間で連絡をみつにする必要があるが、
気づいたなら、確実に買いにいける人に確認をしてもらい購入してもらう。

それでも、ズボンを履かない当事者。
(もしかしたら、着替えなかった期間が長くなってもとに戻すことが困難になったかもと想像する)

着替えるということに困難さを抱えているのではないかと考える。
そもそも着替えるという行為には、
ズボンを脱ぐ⇒脱いだものを置く⇒新しいズボンを選ぶ⇒ズボンを履くという流れと
洗濯する⇒乾かす⇒しまうという流れがあって、
後者は介助者が担うのだが、
その流れがどこか途切れてしまい着れなくなったのではないかと考える。
〈以前、タグがついていたことで切れなかったこともあった)

あれこれ考えるも着替えてもらえない。

その内、ズボンを洗濯に出さなくなった。
いよいよ先の「着替える」行程のどこかが断線したのではないかと考え、
各介助者から事細かに様子を聴く。
でも解らない。

その内に、洗濯をさせてもらえなくなった。
どうやら、「洗濯した物を着る」と言われると「着なければならない」と思うのか?
ズボンを洗濯に出さなくなった。

汚れて匂いが出てきたズボンを履き続ける当事者。
あの手この手で洗濯をさせてもらえるように努める。

ズボンがないから洗濯するズボンもないと思っていたら、
実は何着も買って、家のどこかにあるはずということになる。

家の中を探してみると、出てくる出てくる新しいズボン。
彼は、「洗濯をさせない」「されたくない」とズボンを隠しているのだと解釈し、
自閉症特有のこだわり故に、着替えない・洗濯させないと凝り固まっているのだろうとあれこれ考える。

まったく洗濯させてもらえない介助者。
一度に何本も着ていないズボンを出される介助者。
数あるズボンの中で何着かは着るが、
そのほとんどは手付かずで、洗濯だけをさせられる。

それが本人の流儀だから、とりあえずその流儀に従い、洗濯を続ける。
その内、何かをきっかけに、新しいズボンを切るだろうと根気強く付き合う。

さらに進んで、
まとめて出すことにも躊躇して、
数あるズボンを部屋の奥の方へ隠しだしてもらえなくなる。
懸命に、説得する介助者。
隠したズボンを見つけて洗濯する介助者との攻防が繰り広げられる。

それから数ヶ月・・・

ある日、介助に入っている新人ヘルパーが、
「もしかして、ズボンのサイズが小さくて切れないのではないだろうか?」という。

「まさか」と思ったけど、思い当たる節もある。
私とは一緒にズボンを買いに行き試着して購入するが、
他のヘルパーは、自宅にあるズボンのサイズを測り購入している。
(一緒に買いに行けないから)

最近、歳とともにお腹が出てきた当事者。
以前着ていたサイズのズボンが何本あっても着れないだろう。

その線からやり取りしてもらえるようヘルパーに頼む。
例えば、大きめのサイズの物を買って着てもらう。
例えば、着ている物と切れない物のサイズを本人の前で比べてみる。
例えば、「サイズが合わないと切れないよね」とかまをかけてやり取りして見る。

そこからどういうやりとりがあったかは私は知らない。

しかし、
「九分九里そうかもしれません」というヘルパーの報告。
そして、
なぜだかいつも以上にゴキゲンで現れた当事者。

「残り一里」
次の日の介助者が「たぶんそれが正解ですね」と言ってきた。

その段階で本人は、「小さいサイズのズボンを履かなくて良い」という事がわかった風。
「サイズの合ったズボンを買ってもらえる」というところまでは至っていない。

ただ、
「ズボンを履かない」ではなく「ズボンが履けない」ではまるで違う事がわかったのは大きな収穫。

逆に、
そのことに気づかないまま、
履こうとしない理由を懸命に考え、
履いてもらうことに頭をめぐらし、
懸命に彼とのやりとりに頑張る介助者たち。

そのことに気づかないまま、
洗濯させてもらえない理由を懸命に考え、
洗濯させてもらうことに頭をめぐらし、
懸命に彼とのやりとりに頑張る介助者たち。

私は私で、
長年の付き合いの中で、何らかの理由があることはよくよく知っているのだけど、
「着替えという一連の行程が断線した」とか、
「介助者の声のかけ方がまずくて、誤解を与えている」とか、
「彼流のこだわりだから見守るしかない」とか。

まったく頓珍漢な事を考えていた。

そして、彼は彼で、
「着替えない」「洗濯に出さない」「ズボンを隠す」といった行動を持って、
「このズボンは履けない」事を懸命に伝えようとしていた。

なんとも、彼に対し恥ずかしく「穴があったら入りたい」心境。
介助者の皆さんには、的はずれなことに付き合ってもらい、いろんなことを試してもらっていた。
彼が一旦パニックを起こすと大騒動になる中、慎重にかつ確実な線を懸命に探りつつ、私が想定したことの確認に努めてもらっていたことをあれこれ振り返る。

結局は「サイズが小さくて履けない」という事。

それを当事者は、
「着ない」「洗濯させない」という行動で示した。

そして、
介助者達は、示された行動からあれこれ考え対応してきたわけだが、
「もしや」と思う一ヘルパーの目。
それがあったから理解できたこと。

もし、専門性の観点ばかりで考えていたなら、
新人ヘルパーとして、ふと想ったことを口にすることはできなかっただろう。
でも、専門性ではなく本人と懸命に付き合うことを求め介助に入っている彼は、
自らの目線で、懸命に彼の暮らしを考える中で行き詰まりの理由を懸命に考えてくれた。
そして、出された一つの想定。

そして、
一つの想定であっても、
もしかしたらそうかもしれないと思うヘルパーたちがいて、
想い描いたことの中で本人とやり取りして確認していく。

私たちは、当事者に対し何も理解できていないともう。
どれほど専門性を重ねたとしても、
本人の日常の中で、本人の想いを知るということは専門性だけではわからない。
私はいわゆる専門性を持ち合わせいないが、
彼との長年の付き合いの中で描いた思い込みにどこか囚われていたと反省する。

そして、
懸命に伝えてきた当事者には対しては言えることではないと思うが、
懸命に伝えようとしていた事が伝わった時に生まれる、当事者と介助者との信頼関係がある。

伝えられない期間が長ければ長いほど、伝えることが困難であればあるほど、
伝わった時の安心感と受け止めてくれた人への安心感。

伝えればいつか伝わると想い描く当事者は、
一人暮らしを続けていく中で、
切れることなく懸命に伝えようとしている。
それは、私たちが想う以上の困難さであり、
その中で、懸命に生きている人だと改めて思う。

そして、
私たちは、そんな当事者と付き合っている事のありがたさを思い描きつつ、
異なる世界観を持つ当事者をほんの少しでも理解するためには、
様々な人の異なる視点で、当事者と懸命に向き合い、
支援者間の想いや情報に優劣をつけるのではなく、共有する。

そうすることで、当事者は私たちと付き合い続けてくれるのだろうと思った。

〈かなり、私の甘い見方で、本来ならば「なぜ、そんなことに気づかないのか!」と本人から糾弾されても仕方ないだろう。でも、それは次に繋げることで本人の責めに応えたいと思う)
posted by 岩ちゃん at 17:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月19日

当事者たちからのメールに

二人の発達障害の当事者からそれぞれにメールが届く。

1通目の人は、たぶん一人で過ごしている時間に思いついた事をそのままメールしたのだろう。
もう1通の人は、遠くから「○日に行きます」という連絡メール。

前の人は、思いつくままにメールしている事を知ったのは数ヶ月前。
それまでは、「なぜ突然このようなメールを送ってくるのか?」と悩み、その理由を探るべくあの手この手でやりとりしていた。
メールでやりとりを重ねると、プツンと話が途切れ答えが返ってこなかったり、話の途中なのに話題がコロッと変わる。
「問い詰めてしまったか?」「触れられたくないのか?」等と、心配になる。
なので、実際にあった時に「あのメールは何だの?」と聞けば、何も答えてくれなかったりするとますます不安になったりする。
でも、思いつくままにメールを打っていると知った時、
思いつきに「なぜ?」と言われたら戸惑うのも当然。
それ以降、「相手は今そんなことをひらめいたんだ」程度に読んで、必要なことだけ返信するようにしている。

もう一方は、初めて「今度行きます」と言わた時には、まだ本人のことをよく知らず「本当に一人で来れるのだろうか?」と心配した。
一人でどのように来て、どのように滞在するかを失礼のないように聞くも要領を得ず、助けを求めているのか一人で大丈夫と言っているのかメールから読み取れず、到着するまではやきもきした。
どのような事態になったとしても対応できるように、体制を整えたりもした。
又、到着した後もその後の宿や食事をどうするのかが解らず、宿泊場所をこちらに求めているのか?自分で何とかするつもりでいるのかが解らなかった。
なので、いろんな選択肢とその実現に向けて本人とやりとりしながら進めるも、単独でやれるのにおせっかいをかましているのかもしれない。いや、言えなくて困っているかもしれないと大いに戸惑った。
でも、何度かそのようなことが繰り返される内に、その人自身がその場で何とかするという事がわかったので、「いつでもどうぞ」等と気軽にこちらも応えられるようになった。

そんな二人からのメール。
初めの人から今日届いたメールは、
たぶん思いついた事をそのまま送っているという事を知りつつも、
私の癇に障るような内容だったので、受け流せなかった。
たぶん、そのメールは思いつきであり、その思いつきは世の中の価値観から出される言葉を何の咀嚼もなくただ「言葉」として使っているのだと思う。
「みんなが言っている事」を「自分も言ってみたい」ということなんだろう。
でも、本当にそう思って送ってきているのかもしれない。
私に対して重要な事だと思って意見しているのかもしれない。
その辺りがメールではよく解らない。
でも、その「みんな」の価値観がその人自身を縛り付けていると感じる私は、単純に受け流せない。
なので、「それってどういう意味?」「なぜ、あなたがそういうの?」とやりとりする。
何度かメールを交換しあうと、突然話題が変わり、やはり「これは思いついたことをただ送っただけ」と確認できたので、メールのやり取りはおしまい。

もう一人の人とは、
自分のペースで来れることは知りつつも、せっかく来るならゆっくりやり取りしたいと願う。
「◯日に行きます」というその日は、夜に予定が入っているためゆっくり対応できない。
事情を伝え「別の日にしてください。例えば△日とか◇日とかはどうですか?」と返信する。
果たしてやり取りできるか?
「では、△日に行きます」とあっさり変更。
あっさりだけどこれって凄いことだと思う。
でも、本当に△日に来るのかは解らない。
◯日に突然現れるかもしれない。
△日にこないかもしれない。
たぶん「言ってみただけ」ではないと思う。
だから余計にやきもきする。
やきもきしている私は、相手の事をみくびっているのかも知れないと自己嫌悪にもなる。
でも、実際どうなるのかわからないから、いろんなことを想定する。

四肢麻痺とか目が見えないとか耳が聞こえないと言った事は、
その事自体の困難さはある程度想像できる。
そのような状態で何を思うかについては、やりとりを重ねる内に見えてくるものもある。
〈全てではないけど)

でも、知的や発達の当事者たちが描いているものを想像するのは非常に難しい。
それは、本人たちの障害云々というのではなく、
その人が暮らしている環境や周囲との関係性等も深く関わっているから。
地元で、いつでもあってやりとりしていてもわからないことだらけ。
相手の世界を思い込んで対応し、数々の行き違いや失敗をした私。
いろんなことが想定される分、ますますややこしい。

それが、「対人相互作用の困難さ」というものなんだろうと思う。
しかし、
「相互作用」という点においては、二人と付き合いが長くなる中で、こちらも相手も双方にいろんなことがわかってくる。
決して当事者が劣っていてこちらが導く側にいるなんて思わない。
「相互」の関係が見えず戸惑っているだけの話。
その戸惑いをもって、やり取りする中で決して一方に押し付けてしまうのではなく、
いろんな事態に備えつつ、相手を見くびるでもなく、こちらの想定を押し付けるでもなく対応に努めていけば、たぶん今は見えていないことも見えてくるのだろうと思う。

現時点で見えている事は、決して十分ではない。
どちらかと言えば、相手に多大な負担を欠けていると思う。

でも、そんな不十分な私にメールを送ってくる二人。
懸命に自らを伝えようとし、なんとか次につないでくれる二人。

「相手の事が解る」と言うのは、現時点での話。
その中には「わかったつもり」もたくさん含まれていると思う。

でも、
付き合い続けることで見えてくるものはある。
気づきは常に後からやってくる。
それに付き合い続けてくれる二人に感謝しつつ、
この先互いの十分さ不十分さを出し合いながら、
やりとりが続いてくれることを願う。


posted by 岩ちゃん at 17:46| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月12日

支援による当事者の変化というけれど

私が日々付き合う当事者たちは、彼らの幼い頃から付き合い続けてきた人で、良きも悪しきも様々な場面や出来事を共有し続けてきた人たちである。
いわゆる「行動障害」と呼ばれる行動や言動も、過去の出来事や経験の共有から本人なりの表現であり、何が表現されているのかをなんとなく知ることができる。
又、なんとなく知ることができれば私と同様に幼い頃から付き合い続けてきた人たちとその意味を考えたり、又本人を知る軸のようなものがあるので、新たに関わり始めたヘルパー等の支援者とのやり取りにおいても、私だけでは気づかない面を気づかせてもらえる。

ところが近年、
活動が拡がるにつれ、幼い頃を知らない当事者たちと出会う機会が増えている。
目に映る行動や言動が意味するものが解らず、
彼らの想いを知るヒントさえ見いだせないまま、
兎にも角にも目の前の状態の中で、本人を支援する事に努めなければならない。

何ら専門性は持ち合わせていないが、
30年近く当事者たちと築いてきた私の経験は、
新たな人に対しても有効に働くことはたくさんある。
若いヘルパーさんたちよりもそれなりのとらえどころを持っているので、
私が関与すればそこそこ「うまく廻っている」状態も確かにあったりする。

でも、
本当のところ、
廻っているのではなく、支援という立場を利用して廻しているのかもしれない。
自らの想いを発しているのか?それとも私に気を使ってくれているのか?
その違いは長年付き合いのある当事者たちだとある程度感じる事はできるし、間違って捉えていても修正する術もあったりする。
しかし、おとなになった後に初めて出会う当事者には、それを察知する術もなければ修正する術もない。
又、私の知らないところで受けた社会からの責めをもって私を同様に見ているかもしれない。
逆に、「こいつは、これまでの人と違うぞ!」と見てくれているかもしれない。

いづれにしても、私にはそれを知る術がなく、
自らが行う「支援」というものが果たして本人にとって必要な支援になっているのだろうか?
という疑問は常に描いている。

そんな想いを常に抱きつつ、
大人になって以降に付き合い始め数年の月日が過ぎた当事者がいる。

初めて出会った時、彼の言動や行動の意味が解らず、
只々、私は彼の何処までを許容できるかを考えていた。
そして、許容できないならそれはなぜか?
どうすれば許容できるのか?
等と描き、ガイヘル等で一緒に出かける時かなりの緊張感をもって過ごしていた。

たぶん彼を理解するというよりもどこか彼をどのように理解しているかという私自身を理解するための関わりだったように思う。

そんな風に思う私が彼と付き合い続ける中、
この1年においては、ガイヘルで出かける度に変化している彼を感じている。
否、変化しているのではなく、出せなかったものが出せるようになったと感じる。

常に否定し続けられてきた彼。
それでも、懸命に自分自身を認めて欲しいと想い描く彼。
しかし、その想いは表現すればするほど否定されてしまう現実。
それでも諦めない彼がそこにいると感じた私。
そして、
叩かれても叩かれても訴え続けていた彼に気づいた時、
ようやく彼の「訴え」の内容を知る機会を得たように思う。

そんな私の想いが彼に理解された時、
「訴えなければ聞いてもらえない」から「語れば聞いてもらえる」「聞いてもらえたなら理解してもらえる」と変化し、
この変化が彼自身や周囲に余裕を与え、益々いろんな事を伝えてくれるようになったのだろうと想像している。

自らを語り始めた事の内容がある程度理解できるようになってきた時、
彼は、私を他の人と別の存在として認め、
「この人とならば」と思い描いたのだろう。
いろんな所に一緒に出かけられるようになった。

でもその出かけ先は、
以前トラブルに発展した場所と解ったのはその後の話。

曰くつきの場所であると知れば、
トラブルに発展した原因がどこにあったのかを一緒に考えるようになった。
その当初、彼にとってその場所に行くということは、自分が「トラブルの種」であることへ反省である一方で、「種にされてしまう」ことへの抵抗だったように思う。
その時の私の役割は、周囲との盾としてあったかもしれない。

盾の役割を果たす私に安心感を得た彼は、
盾の隙間から顔を出し、自らが前に立とうとする。

彼がトラブルの種だとは決して思わない私は、
盾の隙間から顔を出そうとする彼を全面に押し出し、
さらされる彼と周囲との関係の中で折り合いを見出そうと努めた。

トラブルに発展した場を何度も訪ねる中で、
彼は、相手に私を紹介するようになり、
私は、相手に「また来てください」と言わせる仕掛けを思考していた。

「また来てください」という言葉が彼のトラウマを解消するキーワードとなっていく。
トラウマを解消するために訪ねている彼は、
「また来てください」と相手が本当に思って言っていると感じたら、
その場に行くことはなくなった。
(次の場を訪ねた時、その実感があやふやに感じると再び行くことはあるけど)

先日のガイヘルの時、
この間毎回訪ねている場所にこの日も行くと思ったけど行かなかった。
その場所は彼にとって上位に位置するトラウマの場所。
行きたいけど行けなかった。
行ったらどうなるかが不安だった。
過去に挑戦したけどやっぱりダメだった場所。

その場所に私と行くようになり、
「また来てください」という言葉を受け取り、
今回は行かなかった。

これでまた一つ、彼のトラウマが解消されたのだろうと描いた私は、どこか悦になっていた。

でも、
そんな私の気分をぶち破る彼の話。

「僕は蒸気機関車に乗ったことがある」「運転席で写真を撮ってもらった」という一見自慢話に思える彼の唐突な話。

突然の話しだったけど、これまでの経験上何かあると思った私は、
「いつ」「誰と」「どのように」という具体的に話を質問していた。

そこに現れたのは・・・。

これまで彼は、自分の劣勢やトラブルの種として見られていることに対して、なんとか自分を取り戻そうとしていた。
しかし、「蒸気機関車の話」は彼の負の経験ではなく、
幼いころにお父さんや家族と一緒に出かけた楽しい想い出話であったことを知った。

「今度一緒に行こうよ」という彼の要望は、
これまでのトラウマ解消のためのガイヘルではなく、
自分にもある「良き想い出」を共有するための依頼だと感じた。

そう感じた時、
これまで私自身が担ってきた支援なるものが、
どこか彼の辛さを解消するためのものでしかなく、支援者として年上として「〜してあげる」ものでしなかったのではなったかと言葉に詰まった。

彼の中にあるそもそも持っているものに気づかず、
出てくる現象にのみ目を向け、
彼の中にあるものに行き着かない支援を私は担っていたと思った瞬間、
それを語り始めた彼を嬉しく思う反面、申し訳ない思いの方が膨らんでしまった。

「今度は、釣りにも行きたいね」ともいう彼。

それもまた、幼いころお父さんが何度も連れて行ってくれた場所。

もっともっと彼の中に、素敵な思い出があるのかもしれない。
もしかしたら数少ない想い出かもしれない。

でも、決して表面に現れるものだけの彼の存在。

「支援によって当事者が変化する」という話をよく耳にする。
「支援の結果としての本人」が語られ、
その「支援」について評価され、専門性が高められていくこともしばしばある。

でも、私はどれほど
表面に現れない彼と付き合っていたのだろうか?
相手を理解しないまま「支援」等と言う私自身が恥ずかしくなる。

そんな至らない私に付き合ってくれている彼がいると思うと、
彼の凄さをひしひしと感じる。

せめて、もっともっと学ばせてもらえるよう努めなければならないと思う。

別れ際、
「もっと長くやってね」とボソリとつぶやく彼。
その一言に、
彼の信頼を得ているという実感を抱く。
しかし、
一方で、
私だけでは、結局は再び誰にも理解されない世界へと引き釣り戻される現実がある。

なので、
「長くやれたらいいね。でも、あなたがあなたであるためには、いろんな人が関われるようにしたいね」と伝える私。
まだまだ、彼と一緒に出かけられるヘルパーは限られている。
私も含めこれまで支援を担ってきた人達がこの先も担い続けられるとは限らない。

その人たちによって今の彼の変化と言うか取り戻せた世界はあると思う。
しかし、この先その人達がいなくなった時に、再び以前の世界に戻されてしまってはならない。

まだまだ、見えていない当事者ではあるが、
無理解な支援者に付き合い続けてくれる彼を理解し、
この先を互いに築いていきたいと願う。

そして、
私たちが担う支援によって当事者が変化するという事が、
実は、私たちの手柄ではなく、
それまでの不十分さに気づかせてもらえる機会としていきたいと思った。
posted by 岩ちゃん at 13:58| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

「楽しくやってるよ〜」という当事者からの電話に

久しぶりに遠方で一人暮らしをしている当事者から電話があった。
何か伝えたい事があったのかなかったのかは不明。
でも、様子伺いの電話としては互いの近況を報告し合った。

私「最近どうよ?」
Kさん「楽しくやってるよ〜」

「一人暮らしを楽しんでいるなら何より」と言ってしまえばそれだけの事。

でも、
Kさんが一人暮らしを始めた頃は、
「自立生活、頑張ってるって、言って〜」と、懸命に一人暮らしをしている事を励まして欲しいという要望だった。
その度に「自立生活は頑張るもんではないよ」「頑張るのは介助者の方だよね」とKさんの要望をどこかずらす形で応えていた私。

今回も、「頑張ってるって言って〜」という言葉はある。
でもそれは、今取り組んでいる事柄についての話で、「自立生活」自体の話ではない。
なので、「それは凄いね〜。がんばってなぁ〜」と素直に応えた。

カラオケに行ったり、仕事に行ったり、買い物に行ったり。

それを楽しそうに語るKさん。

たぶん、日常は楽しい事ばかりではないだろうし、
今日はたまたま気分が良かっただけかもしれない。

「自立生活をしている」事がまだまだ障害当事者に対する話題になってしまう。
たぶん、障害当事者にとって「一人暮らし」は私たちが思う以上に過酷な状況かもしれない。

でも、
そこを知りつつ「頑張る」Kさんを励ますというを私はできない。

なぜなら、その苛酷さを押し付けているのは私たちだと思うから。

なので、
「楽しくやってるよ〜」と言われた時、本当にうれしく思った。
たぶん介助者も含めこの間いろんな事をともに経験していたのだろうと想像する。
その経験の積み重ねの表現が
「楽しくやってるよ〜」だと思う。

遠方故に、日常の関わりはまったくない。
でも、歳を重ねるごとに「自立生活」ではなく、
「自らのくらし」を伝えてくるKさんの存在をとてもうれしく想った。
posted by 岩ちゃん at 14:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする