2015年03月29日

「比べなくても、あなたの存在は大きい」というものの

「僕は103系に乗ったことがある」「妹と弟は乗ったことがない」というTさん。
103系とは、国鉄時代に作られた最後の通勤電車。
「昭和の終わり」を象徴する鉄道マニアにとってはそれなりに知られている電車。

彼がこの103系に「乗ったことがある」と言うのは大きな自慢で、
ガイヘル途中でも、すれ違う子ども達を捕まえては、
「あなたは乗ったことないよね」「僕は乗ったことあるよ!」と自慢気に話をするTさんです。

しかし、
この「乗った事ある自慢」何度も聞いているうちに少々鼻につく。
まして、20年も前に廃車になり、関東地方では走っていないので、
子どもならずとも、そのお母さんもまったく知らない車両。
興味がなければ、突然見ず知らずの人に声かけられ、
子どもが好きな電車の本を見せ嬉しそうに語るお兄さんに、
「ちょっとした楽しい出会い」と笑顔で答えてくれる人も、
どこか戸惑いがち。

私も同じ話を何度も聞かされると飽きてくるので、
「103系」から派生したいろんな話を振る。

「岩ちゃんは、101系にも乗ったよ」等と、彼が乗っていない電車の話をして、
乗っていない電車の話を見知らぬ人に振っても興味がない事を伝えようとする。
「子どもは、電車よりアンパンマンの方が好きみたいよ」等と、
相手の興味は別のところにある事を伝える。
「電車以外に興味のある話はないの?」と、
話題を変えようと試みもする。

でも、いつも「103系」の話に戻っていくので、こちらのネタもつきてしまう。

ならば、
「なぜ、103系なの?」と直球勝負で話を振る。
「乗った/乗らない」という択一の話よりも、
どのようにしたら質問に答えてもらえるか?
答えの表情から「なぜ彼は103系にこだわるのか?」を読み解く。
ただ、乗ったか乗らなかったかという答えを求められるよりも格段に楽しい。

そして、
明らかになったのは、
「103系に乗ったことのある人は昭和生まれの人」
「平成生まれの人は103系に乗ったことがない」という意味が明らかになる。

さらに、
「自分は昭和生まれで、妹と弟は平成生まれ」という事を具体的に示すのが103系に乗ったか乗っていないかという話だということが解る。

Tさんも私も103系の話にそういう意味があるということが意識化されると、
「昭和生まれ」「平成生まれ」という話が頻繁に始めるようになったTさん。

私は「元号」というものを普段使わないし、使いたいとも思わない。
まして、「昭和」という括りに込められた様々な想いや現実や自分の不甲斐なさも含め、まったくもってバランスを崩してしまう言葉なので、
「昭和」「昭和」と連呼し始めたTさんにだんだん苛つきもしてくる。

なので、懸命に「昭和生まれがどうしたのか?」と言うことを懸命に探る。
何か見いだせれば、話題はそちらに行くだろうから。

そして、
見えてきたことが、
妹や弟に対する自分の優位性。
幼い子どもや小中高校生たちに対する自らの優位性。

年齢という超えられない物を持って、他の人たちよりも自分が勝っている事を必死に彼は訴えていたということ。

年下の妹や弟が、自分よりいろんな事ができるようになっていく。
自分が行けなかった高校や大学に行くようになる。
就職する妹と自分。
自分にはない結婚・出産という話題。

兄として存在しながらも、歳を追うごとに「能力」という面で自分を追い抜いていく妹と弟。

それは、社会に出れば周囲は皆自分の事を「できない人」して扱う。
妹や弟だけの話ではない。

私たちは「若さ」を欲する。
「歳をとることを否定して、若い方を良しとする」
「若いわね〜」と言われれば喜び。
「老けてるわね〜」と言われれば相手が言えば怒る。

でも彼は、
「お兄さんとよばれるよりもおじさんの方が良い」
「早く年齢を重ねたい」
「僕が50歳の時、妹はまだ40才」「僕が60才なったら妹は50才」
と言う。

まさに、
自分の年齢だけは、あとからくる人には誰も超えられない。
そこまでの事が明らかになると、
なんとも切なくなる。

別に、誰かと比べて「すごい人」なんて思ったことはない。
誰かと比べることが何なの?と思う。

私の口から出る言葉は、
「昭和生まれだから凄いのではなく、あなた自身が凄いんだよ!」と、切なくなる自分の気持ちを抑えるように彼に伝える。
「そうだね。僕は凄いんだよね」と返し、しばらく103系の話も昭和の話もしなくなる。

そして、
「あなたの凄いところは・・・」とあれこれ語る私。

でも、
彼の凄さを語っているうちにふと気付いた。

「凄い」と言う言葉の意味。
私たちは何気に使うし、彼も何気に理解している。
自分を否定する言葉ではないとは理解している。
私もそのつもりで使っている。

でも、
観念的な言葉や感情的な言葉では理解し難い自閉症当事者。
「優しいよね」「積極的だよね」と言って見るも、
否定されているとは受け取らないけど、「だから何?」となるTさん。

103系は圧倒的に物理で来て具体的で現実的。

だから彼にはとても解りやすい。
周囲にも「乗った/乗ってない」と解りやすい。
だから、彼はそれを語り続ける。

親御さんにそのこと伝えると、
「家では褒めるようにしている」と言う。
確かにそれは大事だと思う。
でも、
それが「あなたの存在が凄い」と彼は受け取らない。

背が高いTさん。
「高いもところのものをとってもらえて助かる」と褒める家族。
でも、
高いところ物を取るのは自分だけではない。

「存在が凄い」と言葉ではいえる。
私は本当にそう思っている。

でも、
彼には、こちらの「想い」というものが具体的でない分届かない。

こちらの想いは届かなくても、
彼を否定する社会の言葉や出来事や人の存在は彼の周辺には溢れかえっている。

彼は、そんな中で今を生きている。
たぶん私には耐えられない。
でも、
彼は懸命に生きている。

それだけで凄いと思うけど、
そんなことは彼には理解できないかも。

なんとも悩ましい
posted by 岩ちゃん at 18:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月24日

いつかきた道へ

「障害児者は非国民」「非国民を産み育てる親や兄弟姉妹も非国民」
「天皇の赤子でもない者は、国家の一大事においては施設へ隔離」
そんな時代があったと聞くが、
今まさにその時代へと突き進んでいるように感じる。

「基本的人権が保障されている我が国がそんなことを考えるわけがない」
というが、保障の大元となる憲法が危うい。
「障害者権利条約を批准したのだから諸外国が許さない」と言っても、
先の戦争では、諸外国の声を無視して戦争へと突き進んだ。

「差別解消法」ができたけど、
「差別と区別は違う」と詭弁を駆使して、
個々の当事者の権利保障という名の下、「普通学級」と「支援学校」とに子ども達を分けていく。
この世の生きづらさを想うと「施設入所が本人にとって最善」という声がまことしやかに聞こえてくる。

権利といえば、
「ヘイトスピーチを垂れ流す側にも表現の自由/言論の自由がある」と
奪われたものを取り戻すための権利が、
何でも好き勝手にできることが権利として語られ、
事柄をごちゃまぜにして、
真に守るべきものを見えなくしていく。
そして、
それを後押しする国家。

話を元に戻すと、
障害当事者や家族やその人達と関わる人たちが長い年月をかけて築いてきたものが、
日に日に壊されていく感。
制度がなかった時代/金がなかった時代においては、とにかく想いを熱くして闘ってきた。
なので、金がなくてもいろんな事ができると思う。
しかし、
制度がある程度整い始めた後から関わるものは、
熱い想いで関わるわけではなく、
金の切れ目が縁の切れ目。

そう!
今、障害当事者の自立生活支援の現場を担う人たちは、
それなりにお金をもらって暮らせている。
でも、そのお金がなくなったら。
その額が年々減らされたら。
どれだけの人が残るのだろうか?

「障害者が地域で自立することには大賛成」
しかし、
「支援の担い手がいなければ、入所施設しかないだろう」

「長期入院なんてとんでもないと思う」
「支援の器がなければ、入院している方が本人にとって楽」

そんな声が聞こえてきそう。

嫌な夢を見た。でも、ゆめとは思えない昨今」で書いたけど、
「徴兵制には反対だけど、食うためには仕方ない」と自衛隊に入隊する若者がいる。

それと同様に、
「地域で暮らしたいけど、支援がなければ遠く離れた地域のGHで暮らすのも仕方がない」

当事者たちは支援の人材不足による入所や入院生活へ。

金のない時代は、訴える相手は行政であった。
それができたのはまかりなりにも平和が保たれていたから。

これが戦時下になれば、
当事者は非国民。
支援者も非国民となる。

戦争という国家の一大事に、個人の介助保障などは認められない。
それを行政ではなく、同じ地域の住民から言われたなら・・・
それでも戦う相手は国家や行政と思っていても、
日々の暮らしの場面では、地域住民の目と闘わなければならない。

あと2つ3つ角を曲がれば、
「いつかきた道」へと舞い戻る。
その道を歩んだ経験のない私たちは、
「同じ道」とは気づかないまま歩み続けるだろう。

否、
「いつかきた道」をすでに歩み始めていて、
気づいていないだけかも。

そして、
気づいた時には焼け野原と化しているだろう。

火の粉が上がった時、
自分はこの場で何をどのように取り組めるか?
取り組もうとするのだろうか?

一目散に逃げるだけではないだろうか?

日々不安は募るばかり。
posted by 岩ちゃん at 07:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月22日

木の芽時の当事者の変調に・・・

毎年、3月の声が聞こえてくるとわけも分からず落ち着かなくなる当事者が増える。

普段、余裕で出来ていることができなくなったり、
突然大声で叫んだり暴れたり。
こだわりの行動が激しくなる人もいる。
普段はなんてことない事柄が、
何かをきっかけとしてどんどん悪い方向へと進んでいく。

本人に聞いても応えてもらえない重度知的当事者の人たち。
応えてもらえる人でも、なんと応えてよいかわからないワサワサ感。
多くを語る人も、辻褄が合わない語りが増えて、
周囲を混乱させる。

自らの中に起こる訳の分からない感情を懸命に何とかしようとしていると感じるも、
その行動は、周囲にとっては大迷惑と捉えられる。

自分でもわけがわからない状態に、
周囲を遠ざけたり、
逆に多弁になったり、
自らの内面に起こっていることの対処をそれなりに収めようとするも結果は逆の方向へと進み、
事態は悪化。

抑えられない感情によって招いたことを責められると、
ますます「問題行動」へと発展する。
長年、当事者たちの自立生活に付き合っていると、
これらのことが、単に季節的なものであると思えてくる。

すなわち、「木の芽時」という話。

当事者たちだけでなく、
私たちの中にもあるわさわさするもの。
そして、
この季節が過ぎればなんてことないものとして思えてくる。

なので、
起こる事柄にとらわれす、
ひたすらやり過ごすことに努め、
私の側は私の側として淡々と振る舞う。

キーワードは、
 「やり過ごす」

起こっている事を何とかしようと努力すればするほど、
本人を混乱へと導き、事柄が大きくなるので、
毎年やってくるこの時季は、ひたすら事柄に動じないで
「やりすごす」
当事者の状態と向きあえば向き合うほど、
自体は悪化するので、
本人が安心してこの時季をやり過ごせるように、
私たちの側も、
やり過ごす。
やり過ごせるように、
この時季限定で多めに見るとか、
新たな事をやりとししないよう努めてきた。

「木の芽時」にあるワサワサ感。
春になり木の芽が出ることで何らかの化学物質が出てきて、
それ故に人をワサワサさせるという話を聞く。
昨今の花粉症などはその最たるもので、
ワサワサ以上につらいものにしている。

自然界の状態がそうさせているならば、
やり過ごす事を支援するということもありだと思う。

でも、
本当にそれだけだろうか?
と思いだしたのがここ数年。

「本人がやり過ごせるように支援する」というのであれば、
「やり過ごせない人」への対応ということになる。

本当にそれだけだろうか?

私たちの中にもあるワサワサ感。
そこから生まれる余裕の無さを、
当事者に被せてしまっているのではないかと振り返る。

そして、
この時季は、
年度かわりの時期と重なる。

「別れと出会い」の季節と言えば美しいかもしれないが、
「人がいなくなる」「新たな人が現れる」事を了解するのに時間を要する当事者たち。
また、
人の変化は、様々な体制の変化が生まれる。
また、
年度を締める作業と新たな年度に向けた作業とが、
普段の月にはないものとして現れる。

私たちは、
普段と変わらない暮らしをしているようで、
実は普段と違う暮らしや作業等を行っている。

日々余裕なくいると、
普段にない事柄は、様々なストレスを生む。時間も取られる。
その中で、
いつもと同じように当事者とやりとりできない。
自分はできていたとしても、
誰か一人でもできていないと、
全体としてできていることにならない。
そして、
私たちにとってはほんの些細な事柄でも、
当事者にとっては、まったく違う世界に放り込まれた事態になり、
混乱し、普段と違う状態へ陥っていく。

そう考えていくと、
木の芽時の生理的な面は、誰しも同じく引き受けやり過ごすしかないことかもしれないが、
そこから生まれる状況や年度変わりという時期的なものから生まれる変化を、
私達自身が意識していないとそのつけは当事者が負うことになってしまう。

だからといって、
「普段通りに付き合う」ということはできない。
なぜなら、
私たちが思う以上に、
当事者たちはその違いに気づくから。
その違いの大きさや複雑さを私たち以上に受け止めるから。
決して「普段通りに」とはいかないと思う。

ならば、
当事者が落ち着かない理由をあれこれ相手の側に求める事をせずに、
「木の芽時」という一時季の事として
「やり過ごす」という事を描きつつ、
この時季と普段とは何が違うのかを意識し、
普段それなりに廻っている事柄について、
なぜ廻っているのかを知る時季にするという手が良いのではないかと思う。

例えば、
「担当が代わったから」という違いを見る時、
「その人担当者と新しい担当者とは何が違うのか?」を見る。
「グループが代わった」という違いを見る時、
「普段は誰とでも接することができている人」の変化から、
「なぜ誰とでも接することができているように見えているのか」を考えてみる。

自閉症の当事者に対して、
「統一した支援」の必要性が語られるが、
実は、
「統一した支援」などというものは、人が関わるため絶対にできないと思う。
もし出来ているとしたら、
「統一された枠内に当事者を置く」でしかないと思う。

そう思いつつ、
百歩譲って、「統一された支援」があるとしたら、
それが、本人にとってどのようなものなのかを、
この時季に確認してみるのもありかと思う。
posted by 岩ちゃん at 15:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

相手にとって私の立場は?

重度知的当事者のHさん。
平場で出会う人に対しては、その人がヘルパーとして関わっても「相手の名前」で呼ぶ。
ところが、ヘルパーという仕事で関わった人を「ヘルパーさん」という。
自立生活の場に複数の居宅介護/移動支援事業所が入っているので、
最近は「ヘルパーさん」ではなく「事業所名〈略称)」でヘルパーを呼んだりしている。

各事業所複数のヘルパーが派遣されているため、誰の話をしているかがわからないため、
名前で読んでもらおうとあれこれやりとりするも、
名前では呼ばない。
一方、以前から付き合いのある人も介助の場面においては「同じくヘルパーさん」と言ってもなかなか了解してくれない。

私は、彼が幼い頃から関わっているので名前で呼ぶのが当然なんだけど、
彼が他者に私を紹介する時、
名前で紹介するときもあれば、「ヘルパーさんです」と紹介するときもある。

そういうことから見て、
彼には何らかの基準を持って人を分けている事が伺える。
〈ちなみに、ヘルパー以外の人たちに対しては皆名前で呼んでいる/呼ぼうとしている)

自立生活を始める前、
当然のごとく名前で呼び合っている仲。
ただ、自立生活を始めた時、そういう間柄だけでなく、
職務として関わる人たちが現われ、
誰も彼もが友人のごとくに付き合っていては、
本人がつかれるだろうと、
私は、場面場面において「私」であり「ヘルパー」であることを伝えてきた。

「今日はヘルパーだから」
「今日はヘルパーじゃないから」

これまで彼の前に現れる人たちは、
彼と「仲良く」なりたい人たちばかり。
自立生活を始めて以降は、そういう人たちばかりでは生活は廻っていかない。
だから、
「ヘルパーは仕事で来ている」事を強調してきた。

見ず知らずの人や不仲な人が暮らしの場に現れるよりも、
お互いが気心知れて、気さくに気兼ねなく暮らしの場に存在する方が何かと楽だと思う。

よって、
時折「あなたと私は友だちだよね!」というヘルパーを見かける。

でも、
そういう人に限って、ヘルパーの職を離れると付き合いもなくなる。
残された当事者は、ヘルパーが交代したのではなく、
「友を失った」と落ち込む。

なので、
早々に「親しくなる」のではなく、まずは利用者と担い手という形から入って、
信頼関係を築いていく必要がある。

でも、
当事者は、これまで「友人」としてしか人が登場しなかったためにその区別がない。
区別がない中での「親しさ」は、当事者のみに負わせることになってしまう。

よって、
名前で呼ぶ人とヘルパーさんと呼ぶ人が彼の中に存在することを願ってきたし、
その区別ができているなら凄いことだと思う。

区別され、
「ヘルパーさん」と呼ばれる人たちが、自分の名前で読んでくれる日を求め関わり続けるなら、
それは凄いことだと思う。

でも、
私ヲタ者に対して、ヘルパーさんと紹介したり名前で紹介する彼。
彼は私のことをどう想っているのだろうか?

私は彼とこの先どのような関係を築けば良いのか?

少なくとも、
日常の暮らしを廻す場面で人がいれば、私は用なし。
廻らず困ったときには、馴れ馴れしく声をかけてくる彼。

それはそれで、
「まっ良いか!」とも思うけど・・・
posted by 岩ちゃん at 13:13| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月31日

「昼飯をどうするか」から「自己選択」「自己決定」「自己実現」を考えてみる

事務所で仕事をしている時に抱える大きな悩みは、
「昼飯をどうするか?」と言う事。

かつて、弁当を作っていた時期もあるのだが、
子ども達が自立し、忙しさの中で時折弁当を食べずに持ち帰る〈食べずに事務所に忘れてくる)事が多くなったため最近は作っていない。

よって、
お金でなんとか解決するという状況にいる。
(「なんとか」というのは、弁当を買うとか飲食店に入るとか)

「自己実現」という点では、
昼飯代ぐらいのお金は持っているので、贅沢をしなければ食べることはできる。

問題は、
事務所周辺に食に関するお店があまりにも少ないということ。

すなわち、
「自己選択」しようにも「選択肢がない」という状況ということ。

昼飯を抜くというか忙しさの中で、「昼飯を摂る」という事を忘れるということはしばしばあるが、
一旦「飯にしよう」と思うと結構こらえ性がない私。

「食べたい」と思った瞬間から
「早くご飯が食べたい」と結構焦るタイプ。

そこで、
一番近くのコンビニで弁当にするか、
駅前の飲食店街に行って、弁当にするかお店に入るかと悩みつつ、
私の場合は、
費用対効果や昨日食べたものやこの後の予定を思い浮かべ腹持ちを考えたりと、
「自己決定」に至る判断基準をそれなりに持って、ウロウロして決める。

「お弁当にする」と決めても「お店に入る」と決めても、
自分が思うようなお店がなく、
「早く食べたい」と思う私は、
自らの判断基準や決定へのプロセスを持ちながらも、
「仕方ない」と「自己決定」する。

当然ながら、食べ終わった後に後悔する私。
ならば、「弁当をつくれば良いではないか」と自己嫌悪に陥ったりもする。
もっとお金をかけて美味しい店に入るとか、
ケータリングサービスを利用すれば良いではないか、
という選択肢もあるが、
そんなお金があるわけでもなく、
鬱々としてしまう。

「自己実現」という点では、
「昼飯が食えた」ということだし、
「昼飯さえ食えない人」たちを知る私としては、
自分が置かれている状況に文句を言わず、
「感謝しなければならない」とも思い描く。

先日、関西系のうどん屋がオープンして、
最近ココに通っている。
「こういう店が欲しい」と願い「できたらきっと流行るだろう」と思っていた私。
実際にオープンして、案の定めちゃくちゃ混んでいる。
その混み具合に貢献している私だが・・・

慣れない、行列をさばくために店員たちは懸命に働いてはいるが、
非常に雑。
汁の量が少なかったり、
具材が器からはみ出ていたり、
トレーが汚かったり。

そういうことの一つ一つに文句を言っても、
解消されない〈解消できない)
「こんな店なんかに二度と来るもんか」と、
行かなくなった店もあるけど、
他の店と比べ、他に入れる店がないと
この店を選ぶしかない。
この店に決めて、
お金を払って腹を満たすしかない。

「自己選択」「自己決定」「自己実現」の後に残る「後悔」の二文字。

日々起こる出来事に「後悔」しても始まらない。
「嫌なら行かなければ良い」と言われればそれまで。
でも、お腹は空くし、他に手立てがないとなれば、
「後悔」という結果があっても、
いづれかの店に入る私。

もし、もっとお金があったなら、
もし、他の店ができたなら、
もし、事務所の冷蔵庫に食材がいっぱい入っていたら、

などという別の手立てはあると思う。
でも、別の手立てを知っていても
叶わないこともあり、
できないこともあったりする。

ようするに、
選択肢が少ない中で自己選択を迫られ、
選択肢が少なくともその中で自己の基準を持って自己決定し、
とりあえずの「自己実現」へと至る。

「自己実現できたのだから良いではないか!」と思う。

でも、それを「自己実現」と言っていいのだろうか?

最近は、「自己実現」ではなく「自己責任」を問われる状況。

「自己責任」って自らが自らを振り返り自らに対し責任をとるというものだろうが、
それが他者から「それは自己責任だろう」と言われる。

そんなの事は他者に言われなくても解っている。
逆に、
他者に対し「自己責任」という言葉を吐く時、
その前にある、
「自己選択」「自己決定」「自己実現」に至る事柄全てが私の「責任」になってしまう。

選択肢一つとってみても、選択肢がなければ選択せざる負えない状況ではやむを得ず選択している。
にも関わらず、「責任」を問われる。

そして、
「責任」のすべてを私に帰すれば、
他者は、
「もっと金を稼げ」
「自分で店を開け」
「弁当作れ」と責め立てる。

「自己責任」が他者から責め立てられれば、すでに「自己責任」ではない。
でも、他者の声に自分の否にのみ目が向いていく。

こんなことが、
障害当事者たちは日々負っているのだろうと思う。
日々負わされている障害当事者に対し、私は責め立てているのだろうと思う。

そして、
昨今は、障害当事者のみならず様々な人に対して同様のことがなされているように思う。

たかが「昼飯」
 されど「昼飯」

我が身の日常で、あれこれ考え、今日も駅前飲食店街をウロウロするのだろう。
posted by 岩ちゃん at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月29日

当事者のこだわりについて考える

自閉症を伴う重度知的当事者たちと日々付き合いのある私。
個々の当事者たちの「こだわり」が半端ない事をあれこれ思う。

社会で暮らす彼らの「こだわり」は、時に他者を巻き込む。
独自の「ルール」を阻害されると、半端ない騒動に発展する。
又、時に誰も気づかないところで実行され、後々とんでもない事態を招くこともある。

その現われは、他者に危害が及ぶ場合もあれば自らを傷つける場合もある。

そんな彼らのこだわり。
私は常々「程度」と「他者の関与」の事柄だと思っている。

なぜなら「こだわり」は私の中にもある。
「こだわり続けるもの」はあるが、ある程度やれば終えることができる。
とりあえず、他の事柄を優先して再びこだわりに戻るということもできる。
他者に迷惑がかからない程度というものもある。
周囲が許してくれればいくらでもこだわり続けるが、
周囲の許しがなければ、諦めたり別の機会にする事もある。

私の中にある「こだわり」は、
周囲の許容範囲の中で保障されているものと考えていて、
周囲との関係に困難さを抱える当事者たちは、その「程度」が理解できないのだろうと思う。

当事者も周囲も「自分の程度」や「相手の程度」が理解できない中、
私たちが思い描く程度によって、判断するから止めさせようとする。

なので、
とことんやってみれば、とことん付き合ってみれば、意外と了解し合える場面が出てくる。

でも、当事者の程度が解らない私。
私が相手の「こだわり」と向き合う支援を担っている時に思い描いていることは、
「あの角を曲がれば目的地が見える」という想い。
角の手前では何も見えないけど、曲がった瞬間に目的の建物が見えたという感覚。
時に、見えるはずの建物が見えなかったら不安になるけど、
「次の角を曲がれば」「その次の角を曲がれば」と私自身に言い聞かせつつ当事者とやりとりしていると、
実際に「こだわり」が「こだわり」で「なくなっていた」という感じになる。

たぶん、若い頃は「次の角」まで数メートルという感覚でいたかもしれない。
「角を曲がれば見える」という経験を重ねていくと、
「次の角までの距離」がどんどん伸びているように思う。

それでも、
どれだけ「あの角を曲がれば」と思っていても、耐え切れないこともある。
私は支援という立場で、ある場面だけの話なのでまだ耐えられる。
しかし、当事者の暮らしのベースを担う家族にとっては、
日々待ったの効かない状況がある。

待ったの効かない状況だと、
「早く目的の建物を見たい」と、
手当たりしだいに角を曲がっていく。
それが、どんどん迷いの元になると思っても、
あの角の先に、その角の先に、この角の先に何かが見えると思い描き曲がり続け、
そのすべての角で、「見えなかった」という結果を生み出していく。

「見えなかった」では済まされない家族の状況。

それは時に、角を曲がることを諦める。
すなわち、
入所施設という建物に子どもを投げ入れる。
時に、「子殺し」という悲惨な状況を招くことさえある。

でも、
「こだわり」は程度の問題だと思う。
程度であるならばいつかは収まる。

でも、それがいつなのかが解らないから迷う。
迷えば、間違った角を曲がってしまう。

程度の問題であるならば、
当事者の「こだわり」にとことん付き合えば良い。
とことん付き合う中で、「こだわり」の程度が解る。
程度が判れば、「そこまで我慢すれば良い」という気持ちが生まれる。
「我慢のしどころ」が判れば、我慢しなくても良いことがわかり、その余裕が次を生み出すこともある。

そして、
そのとことん付き合うという事を、
「家族だから担える」とは思わない。
確かに「我が子」を思う気持ちは誰にも代えられない。
しかし、当事者の「こだわり」に「付き合う」と言う事は、
何も、家族でなければならないということではない。

だからといって、
家族と同様に私ができるかといえば、それも無理。
それほどまでに当事者が持つ「こだわり」は半端無かったりする。

よって、
当事者が抱く「こだわり」に対しては、
「こだわり」の度合いが高ければ高いほど、
様々な人と担うことが重要になってくると思う。
とことん「こだわり」にこだわる当事者と、
当事者のこだわりにとことん付き合う人々。

それが、ご近所の関係性の中で担われることもあるだろう。
ヘルパー等の制度を使い「こだわり」に付き合う人を確保することもあるだろう。

決して、「こだわり」を解消するために本人を何とかするのではなく、
当事者本人の「こだわり」ととことん付き合う環境や関係をいかに生み出すかという周囲の取り組みの結果、
「こだわり」が私たちと同様周囲の許容範囲の中で認められていくように思う。
posted by 岩ちゃん at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

「療育」というものを考える

世の中「発達障害」ブーム?
「発達障害」というものが社会に認知されてきたというよりも、
社会から取り残されないために早期に発見し早期に「治療・改善」することが認知されてきたように感じる。

よって、当該家族やその疑いがある家族にとって、又教育界等子ども達と接する立場にある者にとっては、
「個別のニーズ」「個別の支援」という言葉で、当事者たちを取り出し対応に努める。
一方、残された側である当該でない家族や疑うことがない家族や取り出した後の教育界にとって、
実は「どうでも良い」という話しになっているように感じる。

療育とは?
「障害児が医療的配慮のもとで育成されること。(大辞林 第三版)」
「障害をもつ子供が社会的に自立することを目的として行われる医療と保育。(デジタル大辞泉)」
という意味らしい。

医療という素人には手が出せないものの下で育成や保育がなされると言う事なので、
「個別ニーズ」や「個別の支援」というものも当然の事と言えば当然何だろう。

この「療育」
個々の当事者〈子ども)にとって必要な面はあると思う。

成人した身体当事者が
「幼いころ母親に無理くり訓練させられた事はとても嫌だった。でも、そのおかげで現状の状態が保てているので、感謝している」と言っていた。
一方、別の当事者は
「無理な訓練で二次障害を招き、親の言うなりに受けていたものの結果と思うと、訓練はよくないと思う」とも言う。

身体当事者にとっては、身体という目に見える物や状況から、過去の取り組みを振り返ることができる。
「難しい」の一言では済まされないとは思うが、
将来に向けて取り組んだ結果がどのように現れるかは別にして、
後者のようにならないためにその内容の向上や改善を図ることは可能だと思う。

ところが、
これが知的や発達と言った目には見えない、本人の世界観と周囲との関係によって現れる「障害」については、その成果がハッキリしない。

「過去行動障害が激しかったが、今は落ち着いた暮らしをしている」
という現実があるとして、
それが、
療育によってもたらされたのか?
単に年令による体力的なものなのか?
療育という場面ではなく、他の人たちとの関わりによってもたらされたのか?
たまたま、現時点で行動障害を起す状況がないというだけなのか?

「今は落ち着いている」ということだけで、療育の成果を評価できないと思う。

成果を評価できないとなれば、
「今も落ち着いていない」=「大人になっても行動障害が収まらない」という現実を前に、
療育方法が間違っていたとも言える。
逆に療育されてきたからこれで収まっているとも言える。

結果が評価できなければ、
結果が現れるまで療育し続けることになってしまうような気がする。

でも、
何をもって結果とするか?
そこに療育がいかに関与しているか?
などということは解らない。

でも、
身体当事者たちが言うように、
それなりの効果があった人
逆の効果を招いた人たちが、
知的・発達の当事者たちにもいると思う。

なので、
療育という、専門性の中で保育されるということ事態はとりあえず否定しない。
又、
最近では発達障害を巡る療育について、
「関係性の故に起こっている事柄は、単にその子を取り出し教育するだけでなく、
他の子ども達の中で育てることが望ましい」という取り組み方もあると聞く。
すなわち、
「特別支援学級や特別支援学校という場に子ども達を取り出して行うよりも、普通学級の中で他の子ども達とともに過ごす中で学ぶことが良い」というもの。

子ども達どうしの関係を奪われないという点では、
そういう専門家もいるのかと感心する。

でも、
上手くいっている時には良しとされ、
上手くいかなければいつでも他の場所へと移される状況。
又、クラスという場を担う教員の力量が問われ、
力量がないとなれば、やはり他の場所へと移される。

そんなことも思いつつ、
様々な療育法が実際には、どのような成果が現れているかが実のところ不明な中、
結局は、
「療育」が「子供が社会的に自立することを目的」にしているという点で、
「社会的に自立する」まで続けられてしまうという事が問題だと思う。

「社会的に」という点において、
昨今の「発達障害ブーム」が当事者やその家族又その疑いのある人やその家族のブームではなく、
そうでない人のブームとなり、「障害」という他者との関係の中に起こる事柄として、
様々な人たちが社会の中に存在していて、私たちは常に関わっているという状況が生み出されなければならないと思う。

そして、
「療育」は、そのような社会が変わる事と同程度に個人が受ければ良いと思ったりする。
〈逆に言えば、社会が変わらず当事者を排除するなら、療育よりも排除されない事に向かうということになる)

さらに、
身体当事者たちが過去を振り返り今を語るのは、
「療育」という場を終えて、今の自らの状況がある中で語っている。
それと同様に、
知的・発達の当事者においては、自らが「終える」という事ができない分、
周囲が「療育」という場の期限を設け、
期限がすぎれば、後はその時点での状態を周囲は受け止め、
社会の中で暮らせる「支援」を考えなければならないと思う。

成果が明確でない知的・発達の当事者に対する「療育」

今、親御さんたちは懸命にその必要性を高めている。
それを決して他人事にせず、
いづれは、社会全体がそこをくぐり抜けてきた人とやりとりする事を前提にする必要がある。
それは「療育」に期限を設けることで、
私たちが期限切れになる前に取り組まなければならないことを明らかにしてくれるように思う。
posted by 岩ちゃん at 07:00| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月25日

なぜ出会いは生まれるか?

参加者14名。
もちつき大会と呼ぶにあまりにも少ないおもちつきいべんと。
「大きい杵でお餅つきできる?」と繰り返し聞いてくる当事者の声に応える形で始まった「もちつき大会」。
参加者のほとんどは「お餅つきがしたい」ではなく「餅が食べたい」という思いで参加しているので、
結局は、言い出しっぺの当事者がせっせと餅をつく状況。

ところが、
今年は参加者14名のはずが、実はその倍以上の人たちとの交流の場になった。
それは・・・

「ザ・行きずりの人々」

市が管理している古民家で、団体貸切ができるも、古民家を見に来る人達は団体利用中でも訪れる。
「団体利用中付き、利用団体にお声をかけてください」という張り紙があるものの、
そんなことはお構いなく、道行く人たちを呼びこむ人々。

「お餅つきやってるよ〜」と呼びこむ当事者。
「お餅があまりそうなので、どうぞどうぞ」と振る舞う人々。

小春日和のこの日。
散策途中の親子連れがたくさん交ざってきた。

かつて、
「イベントの時は休んでください」とまで言われていた当事者は、
1年目は企画者としての達成感に浸り、
2年目は慣れたものと楽しみ、
3年目の今回は、人を呼び込むまでバージョンアップ。

街中では明らかに「変な人」にしか映らない彼の行動と言動。
でも、こういう場だと何故か違和感がない。
子ども達に向かいやりとりすると、
子ども達は(たぶん)「変なおじさん」と思いつつも、
「変なおじさんは楽しい人」という価値観が生まれていく様子。

入れ替わり立ち代わり現れる人たちを、こちらの世界へと引き釣りこむ。

3回目となるこのイベント。
決して、地域との交流とか出会いを求めてやっているわけではない。
決して、事前の準備がされているわけではない。
仲間たちと「もちつき(もちを食べる)」事を楽しむ企画。

でも、
毎度いろんな人が交ざってくる。

たぶん、そこには常に社会との接点を求めている人たちの集まりだから。
障害当事者のみを取り出すことや当事者にとってのイベントなどという発想がなく、
参加者一人一人が楽しみ、その楽しみを見知らぬ人とも共有したいと普段から無自覚に願っていて、
こういう機会に現れるのだろうと思う。

無自覚の想いや無自覚に現れる状況。

出会いそのものは偶然だと思うが、
その偶然が生まれる状況は、たぶん必然なんだろうと思った今日のイベントでした。
posted by 岩ちゃん at 15:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月24日

本人の要望に応える時

「〜をして欲しい」と言う当事者からの要望。
その要望が、障害の故に閉ざされている事や本人が抱く障害の故に行き詰まった結果としてあるものに対して、
懸命に応えたいと思う。
しかし、それが障害の故なのか否かについてはなかなか見極めができない。
見極めができないからといって「本人の性格」などとして要望に応えず本人の努力に求めるのも違うように思う。
それは、時に「わがまま」などという評価をもって当事者と向き合ってしまう私がいたりする。

「障害の故なのか?」「わがままなのか?」等とあれこれ考えていてもきりがない。

なので私は、本人の要望にとにかく応えることにしている。
(とは言っても、私の身は一つしかないのでやれないこともあるけど)
私自身が対応することもあるが、私ではなく対応できる人を探したりつなげたりすることも含めてとにかく何らかの形で要望に対し応えるようにしている。

それと同時に、
私が応えようとする分、当事者に対しても要望の実現に際して担ってもらうことを考える。
それは、要望に対してそれぞれが担えるものが何かであったり、
要望に応える代わりに私の要望を代わって担ってもらったりする。

それがうまくいく場合もあれば行かない場合もある。
うまく行けばそれで良いが、
うまくいかない時には、再び互いが担うことを改めて考える。
「私はあなたの要望に応えたんだから、あなたもこちらの要望に応えて」と言う事もあるが、
大概は、改めて互いが応えることを考える治すことにしている。

なぜそのようなことを思っているかといえば、
一つには、本当にその要望が相手の要望なのか?と言う疑問が常にある。
何かを表現するためのものであったなら、単に要望に応えるだけでは、本当の訴えが見えなくなる。
もう一つは、常に要望に応えられるとは限らないということ。
「それぐらいなら」と気易く応えるも、時に当事者は「応えてもらえた」と言う想いから「もっと応えて」となる場合がある。
「加減を知らない」当事者と「加減を知らない当事者を知らない」支援者。
気安く応えた事でその後、際限ない要望が当事者から出され、結果「これ以上無理」となる支援者。
しかし「加減を知らない」当事者と「加減を知らない当事者を知らない」支援者の間においては、「無理難題をいう当事者」と言う評価につながり、要望に応える努力が大きければ大きいほど当事者を悪く評価してしまう場合もある。
もう一つは、「応えてくれる人が今までいなかった」と言う現実から、何でもかんでも依存されてしまう状況が生まれるという事を防ぐという点。
私たちにとってはちょっとした要望であっても、誰にも要望できなかった現実を抱える当事者。
それが、「応えてくれる人が現れた」となれば、必至にその人を捕まえようとするだろう。
その捕まえ方という点でも私たちとは違う感覚を抱いているのに、そこにも気づかず「それぐらいなら」と答えていると、当事者本人の中に「この人がいなければ」と言う想いが膨らんでいくように思う。

そんなことを思いつつ、
こちらが相手の要望に応える時には、相手にもこちらの要望を応えてもらうように努める。
こちらが求めた要望に応えられなかったら、改めて互いが応え合う方法を考える。

そのことにより、
要望そのものはどれだけあっても良い。
要望は実現される。
要望を実現するためには、自分と相手とが存在する。
要望はあくまでも自身が他者との関係の中で実現される。
自分が要望した相手の要望に応える事で、自らができることを見出す。
(自らはできないことも見出す)

そんなことを意識しつつ、
当事者からの要望には応えようとしている私です。
posted by 岩ちゃん at 07:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月23日

成年後見制度の利用を考える前に

「自分の歳のことを考えたら、(成年)後見人のことを考えるようになって、最近勉強を始めたんだけど、難しくて解らない。今度相談させて」と軽度知的当事者のお母さんに言われた。

最近成年後見制度の事を巡る相談が増えているように思う。

私は、当事者と小学生の時に出会いかれこれ30年近い付き合いになる。
よって、お母さんとも同じ長さの付き合い。
彼女は、子どもが幼いころ本人の障害を巡り懸命に駆けまわっていた。
学校選択においても、養護学校は否定し障害に理解のある私学の中学に通わせた。
卒業後は、就職を巡り駆けまわる。現実就職が難しい中で、作業所に通わせるも諦めず、
特例子会社の枠を見つけて就職させた。
親子の関係は可もなく不可もなく過ごしているので、お母さんとは久しぶりに会う機会となったが、
いきなりの成年後見制度の話しに。

「後見制度の勉強会に3回も言ったけど解らなくて」という彼女の言葉から、子どもの将来を懸命に考えていることが伺えた。

私は、ざっくりと成年後見制度の話をしつつ、
それ以外にも、権利擁護事業の話や相談支援事業所や他の人たちの状況の話をする。
すると、
「まだまだ知らないことがある」「もっと勉強しなければ」という目を私に向けてくる。

なので、
「制度って本当に難しいですよね。でも、お母さんがいなくなった後、本人に必要な支援ってなんでしょうかね?そこから制度について考えていく方が解りやすいと思いますよ」と応えた。

すると、
「本人に必要な支援?」と首をかしげる。
そして、そこは考えてこなかった事を改めて考えてみるとすぐには出てこないことに気づいてもらえた。

「制度の事は何でも相談に乗りますが、今家族と過ごしていて、本人にとって必要な支援や本人自身が必要としている支援は、お母さんや家族が一番知っていると思いますよ」
「まずは、そこを本人と家族とで考えてみてください」
「それがある程度明らかになれば、制度上の事はさほど問題ないと思いますし、もしかしたら使わなくてもやっていける事もあるかもしれないので」等と伝え、又の機会としました。

決して闇雲に「親亡き後」を考えているわけではなく、淡々と時の状況の中で親として考えておられる方です。
でも、そんな方であっても「制度を勉強しなければ」ということから入っていく。
子どもにとって何らかの「支援が必要」と言う事から制度に結びついていると思う。

でも、支援が必要なのは成人した息子の方。
そして時に、息子自身は将来というまだ見ぬ世界を想像できず、この先何が必要かを理解できていない面もあると思う。
なので、一緒に考え「漠然とした支援」ではなく「漠然とした事から後見制度の必要性」を思う前に、まずは「必要な支援」が何かを考える必要があると思う。
そして、それを考えることは何も将来に備えてではなく、現状の暮らしにおいても様々な事が見えてくるだろうし、当事者を取り巻く人とのつながりも変わっていくように思えた。
posted by 岩ちゃん at 11:41| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする