2015年06月02日

意思決定支援の様々な場面について

「意思決定支援」という言葉を最近よく耳にする。
それに付随する形で「成年後見制度」という言葉も耳にする。

よく耳にするから使っている私だけど、
そもそも重度知的当事者たちの自立生活を支援する上では、
この「意思決定」と言うものは常に支援の内に入っていた。

よく耳にするから使うのは、それを使う事で自分たちが担っている事を認識する事や振り返る事でこれまで担っている事や煮詰まっている事を次へと展開するだけの話だと思っている。

でも、
言葉としては耳にしても、その言葉を語る人たちはどうやらこれから取り組むらしい。
なので、場末でちまちまとながらも考え続けてきた私たちの取り組みに興味を抱いてくれるのだろうと感じている。
逆に言えば、こんな弱小団体を訪ねてくるぐらいだから、ほとんど意識の中に上っていなかったのだろうと思う。

とは言うものの、
様々な立場から関心を抱いて、一緒に考える機会が増える事はとてもありがたい。
たとえこれから取り組もうとする人であっても、
これからのためにこれまでの事を聞いてくれる事は歓迎すべきことだと思う。

そして、
あれこれ聞かれる中で、私自身も只々漠然と描き、日々ひたすら感覚で担ってきた事が、
言葉で語る機会になり、聞かれた事に応える事で私自身の為にもなっている。

そんな中での一つの事を書き留めておこうと思う。

「意思決定支援と言うが、いろんなレベルでの意思決定の手法が違うと思うがどのように考えるか?」

そう聞かれて、「レベル?」と頭をひねった。
たぶん質問者の意図とは違うのだろうが、
私は「レベル」という分け方に対し、
「空間や時間や回数」と言ったものの広さや経過をあれこれ考えた。

そして、
「上・中・下」ではなく、「大・中・小」という感覚で考えてみた。

順番は逆になるが、
意思決定支援の「小」=日々繰り返し現れる事柄。(例えば、今日の夕食メニュー・休日の過ごし方等)
意思決定支援の「中」=何年かに1度・生涯1度現れる事柄(例えば、大きな物の買い物・旅行・就職・アパート探し等)
意思決定支援の「大」=社会全体のスタンダードを巡る話(普通学級への就学・高校進学・自立生活等)

意思決定支援の「小」は、
繰り返し現れる中で、当事者が選択するための選択肢の提供や選択するためのプロセスの支援、決定された事についての意識化やその上で一つ一つの選択が繰り返される中で日々検証する機会とする。
例えば、夕食メニューを当事者が決めるという事は、好きなものを食べるという事に始まるも、選択肢がなければ選べないし、本当に本人が選んだことなのか?選んだ結果もしかしたら次は別のものを選択するかもしれないし、好きになって何度も選ぶかもしれない。
選択肢の提供・選択するためのプロセス(選択肢に対する実感・本人の選択基準・選択した際の本人が引き受ける面と支援者が引き受ける面・それらにまつわる個々の支援者の価値観や常識等々の影響等等の検討)・選択したものに対する評価等。
そして、自らが選んだという実感に基づき次を選んだ時に、それが容易に実現できる体制をつくる。
まさに、自己選択・自己決定・自己実現そして再び自己選択が日々の暮らしの中で循環していくための支援。
それは、間違った選択も本人の実感として次に向けて修正する事や逆により確かな選択とできるような支援も日々の暮らしの中での事柄ゆえに、支援の側は様々な事柄を意識する事で、当事者との信頼関係や長年の経験を積み重ねていく中で生み出されていくものと考える。

意思決定支援の「中」は、
例えば、「小」の延長線上で言えば冷蔵庫を買うと言った場合、それなりにお金があれば選択肢は増える。
選択肢が増えても本人が決めることに難儀したり、本人がどのように欲しているかが解らない場合。
結局は、支援者間で決めるしかないのだけど、「小」の所で日々の意思決定支援を担っていれば、自ずとそれぞれの支援者たちが当事者との関係の中で意見を出し合い、協議する中で決めていく事もできる。
自立生活を始める際のアパートの選択(実際は重度知的当事者に貸してくれる大家さんは限られているため選べないけど)は、本人を良く知る中で私たちがアパートを決める際に検討する事柄の一つ一つを、様々な支援者とともに協議して選んでいく。
又、どのような仕事につくかという点でも、本人は実際にやってみないと実感を抱けないけど、本人を知る人がたくさんいれば、様々な意見を出し合う中で、本人により近いところでの決定がなされるように思う・
ただ、これは障害故に閉ざされている面が多い故に、失敗が許されないという事が多々ある。
一度決めた事を実現するだけでも非常に厳しい状況があり、その点も考慮する事はあると思う。
そうして決めた事を実現するまでの苦労が多ければ多いほど、一度なされた自己決定が絶対的なものとして襲ってきて収拾が不可能になってしまうという事もある。
例えば、高校進学を目指す知的当事者が、確実に入学できる専門校に入学した。
確実に入学できると言っても知的当事者故に、高校側は拒否をする。
それに対し、本人が決めた事として高校側に本人を受け止めるよう強く要望する。
支援体制を作り様々な人の支援の下で実際に入学してみると、
専門校故に実習等が多く、その実習がとても苦手で興味もなく、学校に行きたがらなくなった。
多くの人の手を借りて実現した事ゆえに、周囲は学校に行くよう懸命に勧める。
でも、1年後再度普通校を受検しその後は嬉々として学校に通ったという事がある。
「中」の意思決定支援においては、本人や周囲によって決定された事は、あくまでも「とりあえず」の決定であり、それが本当に当事者自らの決定というには、その後具体的に事が進んだところでしか判断できないという想いが大切だと考える。

意思決定支援の「大」は、
高校進学もそうだが、アパートでの一人暮らしや一般就労と言った、私たちにとっては普通に起こる事が、障害を理由に閉ざされてしまっている現実に対し、私たちはどのように向き合うかという点。
例えば、本人の意思を確認すると言うが、
障害児が「支援学校」を選択する際には、「何故、支援学校なのか?」を問わず、「普通学級」や「公立高校」に就学/進学する時には、なぜ「普通学級なのか?」「高校進学が本人の為か?」等と聞かれる。
困難な状況にある自閉症を伴う知的当事者に対して、「どうして施設に入れないのか?」とは聞くが「どうして自立生活をさせないのか?」とは聞かない。
「聞く」という事の中に、実は障害者に対する私たちの価値観や偏見がたくさんあり、「障害者は」という思い込みの中で、当事者の意思決定を求めている。
これは、本人や家族や周囲の支援者たちを巡る意思や意思決定やその支援というよりも、
社会が何をスタンダードとし、障害者故に当事者やその周辺に社会の価値観や常識に「決定させられている」という事に目を向ける必要がある。

私たちは、
意思決定支援を考える時「大」の場面で何を当事者たちに求められているかを考えなければならない。
でも、それを考えていくには「小」の場面で当事者と常に向き合い、日々失敗も成功も繰り返しつつ、常に意識化し、修正を恐れず、日々をつないでいく事が大事だと思う。

意思決定支援が何なのかはいまだ一言では語られないが、
とりあえず、そんな区分けの中であれこれ考えてみた。
posted by 岩ちゃん at 17:38| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

介助を使って暮らす

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者のお宅に介助者として入る。
24時間何らかの形で介助/支援者がいて成り立つ彼の暮らしの一場面。

泊まり介助者との引き継ぎ。
前の介助者は交代直前に食事作りを頼まれたらしく、
私は作りかけの調理も引き継いだ。
前の介助者が帰り、あらかた出来上がっていた食事の仕上げをする私。
出来上がったので家主に伝える。
台所にやってきた家主は、
「入れるの!!」「お皿!」という。
普段盛り付けは家主自身がやっていたように記憶しているが、
言われるままに進め、盛りつけたものの確認をとる。
依頼通り事が完成したのだろう。
盛りつけた食事をすぐさま自室に持って行って食べ始めた。

いつもの場面ではやらない介助ではあるが、
依頼された事に応える私。
なんてことない風景だと思う。

一人暮らしを始めて10年が過ぎた当事者。
介助者を使い自らの暮らしを作っている。
そんな場面でしかない。

しかし・・・
こんな状況になるまでに10年以上かかっている。

なぜなら、自閉症を伴う重度知的当事者にとって、
事を他人に頼む事の難しさ故に、
大パニックを頻繁に起こしていた彼。

自立生活を始めた当初、私は頻繁に介助に入っていたので今朝の風景は、「普段通り」と思える。
しかし、他の人に介助の場面を委ねるにつれ、彼の側には新たに表れる人に対し、
「依頼する」という事が生まれてくる。
言葉できちんと説明できれば良いが、
相手に伝わるように依頼できず、
依頼できないゆえにストレスが溜まる。
溜まったストレス故に、余裕を無くしますます伝わるように依頼できない。

依頼できなければ依頼しないという時期もあった。
何でもかんでも自分でやる。でも、できない事も何とかやろうとすればストレスが溜まる。

「できない事はヘルパーに頼めば良いよ」と言っても、
「頼む」という事ができない彼。

そんな彼が、ここ数年変化してきた。

10年前。
(彼にとっては)突然現れる人がヘルパーという人であると認識するのに必死だった。
そこから始まり、
ヘルパーは家事をやってくれる人と認識し、
自分の暮らしのためにやっていると認識し、
自分の要望を聞いてくれる人と認識し、
伝わればやってくれる人と認識する。

頼む事柄とやる人とがセットで存在していた彼。
やってくれる人が帰る前にやってもらわないとと必死になる彼。
でも、食べたい時間ではないので頼みたくない。
でも、今頼んでおかないと次の人はやってくれる人ではない。

頼む事とそれをやる人とがセットになって依頼できるようになってきた。
定期的にやってくるヘルパーに対し、
セットとなっている人の所ではまとめていろんな事を頼めるようになってきた。
しかし、ヘルパーなんだから誰に頼んでも良いとはならず、
頼めないヘルパーの時は頼まず、ご飯も食べず、頼めるヘルパーが現れる時まで待つ。
という事も彼の中にあると思う。

そんな事を日々繰り返しつつ、一人暮らしが10年過ぎる。

そして、
今朝のサクサクこなしている状況。
そこだけを取り上げればなんてことない出来事だけど、
私にとってはまったくの奇跡に思える。

そして、彼が歩んできたその軌跡をたどれば、
私たちが当然と思うことが彼らの世界観の中では決して当然ではないという事に気づく。
又、異なる世界観を持ちつつ私たち多数の側の世界観の中で彼は必至に自らの暮らしを組み立ててきた凄い人に想えてくる。

「介助を使って生きる」という事。

使って生きるのは私ではなく彼の側であり、
「介助を使って生きる」という事が、
彼の世界観の中でなされなければ、

「生きる」という事にはならないと思った。

又、
そうなるために私たちはまだまだ何も取り組めていない。
取り組めていない中で、彼の側が懸命に生きる中で築いてきたものであると感じる。
posted by 岩ちゃん at 12:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月27日

手話通訳や要約筆記は誰のため?

統一地方選:手話の訴え、聴覚障害持つ母当選…明石市議選」という毎日新聞のネット記事を読んだ。

「母当選」というところは余分だと思うが、
「耳が聞こえず、声も出ない議員は国政も含めて全国で初めてという」という状況を生み出せたことはとても喜ばしいこと。
ぜひぜひ任期いっぱい頑張って欲しいと願う。

でも、
全国初という事は、他の議員も彼女のような人とともに議場(それ以外でも)で議論する事が初めてという話しになる。

議員の中には、日頃から付き合いのある人もいるだろう。
又、福祉の充実を掲げて当選した人たちもいるだろう。
しかし、議場という特殊な場で生まれつ初体験は、今後数多く出てくると思う。

記事の中に、
「耳が聞こえず声も出ない議員は過去に例がなく、明石市議会事務局は本会議での手話通訳者や要約筆記者の配置を検討している。」と書かれている。
それは、最低限保障されるべきことだと思う。
最低限と言うのは、
生まれながらにして、「耳が聞こえす声も出せない」人たちの世界観は、私たちが単に耳栓をして音のない空間に身を置かれるのとは違い、音のない世界で暮らし続けることで生まれる私たちとはまったく異なる世界観をもっていて、「手話」という「言語」その物にも現れる私たちと異なる世界の人と同じ空間で議論を積み重ねるという事は、単に「手話通訳者」や「要約筆記者」を配置すれば済むという話ではないように思う。
その辺りのことも含めると、1対多数の中で彼女が活動し続けることの困難さは相当なものだと思う。
しかし、
一方で他の議員たちがその一人の存在を認めともに議会をつくろうとするならば、
単に彼女だけの困難さではなく、多数の議員にとっても困難な状況を皆さんが頑張って乗り越えていって欲しいと願う。

その最低限の「手話通訳者や要約筆記者の配置を検討」と議会事務今日は言う。
ぜひぜひ、事務局の皆さんにも頑張ってもらいたいところだ。
ただ、
その配置の必要性は、
議員となった彼女のためのものではないという認識に立って欲しい。

そもそも、
「通訳」というものは、お互いの言語が異なる者を繋ぐ役割を持っている。
「英語しか話せない人」と「日本語しか話せない人」の間に「英語と日本語が話せる人」いる人が通訳者。

その通訳者は、決して前者のためだけにいるのでもないし、後者のためだけにいるのではない。
双方をつなぐという役割を持って、双方に必要な人。

それと同様に
「手話通訳者」は、「手話で話をする人」と「手話で話ができない人」の間に立ち、
双方を繋ぐ役割の人。
よって双方に必要な人。

要約筆記についても、
もし、その人の存在がなければ、ともに議会を運営する他の議員は、音によって得られる情報について、
音によって得られない情報をその都度伝えていかなければならない。
そうでなければ、対等な議論ができない。
その都度彼女に伝わっているかの確認を取っていては非常に大変なことで、
要約筆記者の存在は、他の議員の手間を少しでも軽減するために不可欠な存在だと思う。

すなわち。
手話通訳者にしても、要約筆記者にしても、
「耳が聞こえない」「言葉が話せない」人のためだけにあるのではなく、
「耳が聞こえて、言葉を話せる」人のためにもある。

もし、議会事務局が彼女のためだけにあると考えたなら、
彼女のためだけに必要な予算と発想するだろう。
次回の選挙で同様の人がいなくなれば、予算削減で配置しなくなるだろう。
でも、全ての議員のために必要と発想すれば、
全ての人に必要な予算となる。
又、常に手話通訳者と要約筆記者がいる議場は、
耳が聞こえない人に取っての傍聴の機会を保障することにもなる。

さらに、
全ての人に必要なこととしてその経験を積み重ねて行く中で、
「通訳」を「支援」と置き換えたなら?
「支援」は障害当事者のためだけにあるのではなく、
様々な人とつながるためにあるものとなるように思う。

障害者世界では、とかく障害種別によって制度やサービスが異なり、
個々の障害に応じた専門性が語られる。
しかし、
「支援」が双方をつなぐものとして位置するならば、
何も障害種別で切り分けることではなく、
様々な人が存在するため事を保障するため、
全ての人にとって必要なものとして位置づけられていくように思う。

今回当選した彼女が、
どのような公約や想いを持って議員となったかは判らない。
もしかしたら、「聴覚障害者の権利」のみで展開するかもしれない。
もしかしたら、「他の障害については取り合わない」かもしれない。
(たぶんそんなことはないと思うけど)

彼女がどのような思いで議員となったかについては、
もっとどうしようもない議員が多数当選しているので現段階で問題にすることではないと思う。

今回のことを通じて押さえておきたいことは、
議会という場が、これまでとても面倒な人の存在が排除してきた歴史を想いつつ
その歴史に風穴を開けたという点で凄いと思う。
そして、開けた穴を維持し続ける彼女の困難さは容易に想像できる。

しかし、その困難さは双方向と言うものとし、
「手話通訳者」や「要約筆記者」等の配置が、
彼女に対する保障ではなく、
全ての議員に対する保障という発想で、
今後を展開して欲しいと願います。


 
posted by 岩ちゃん at 11:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月24日

当事者の伝え方・介助者の受け止め方

一人暮らしをしている自閉症を伴う重度知的当事者。
いつも同じズボンを履いているため、
職場から着替えるように言われる。
日々の介助を担う介助者達は、
ズボンを着替えてもらい、洗濯しようと当事者とやりとり。

ところがまったく着替えてくれない。
お気に入りなのは理解できるから、洗濯だけはさせてもらえるよう懸命に方法を考える。

もしかしたら、
着替えるズボンがないのかもしれない。
着替えるズボンがなければ着替えられないのは当然と描く。
これはしばしば起こることだが、
着れなくなったズボンを介助者は処分する。
その旨をノートに記し、次の介助者にズボンの購入を引き継ぐ。
ところがその後すぐに買いに行けると良いが、伝言したことが途切れて、それっきりになる場合がある。
一気に失くなるわけではないので、気づかぬまま時が過ぎ、着替える物がなくなっていて着替えられない。
本人が語れない分、介助者間で連絡をみつにする必要があるが、
気づいたなら、確実に買いにいける人に確認をしてもらい購入してもらう。

それでも、ズボンを履かない当事者。
(もしかしたら、着替えなかった期間が長くなってもとに戻すことが困難になったかもと想像する)

着替えるということに困難さを抱えているのではないかと考える。
そもそも着替えるという行為には、
ズボンを脱ぐ⇒脱いだものを置く⇒新しいズボンを選ぶ⇒ズボンを履くという流れと
洗濯する⇒乾かす⇒しまうという流れがあって、
後者は介助者が担うのだが、
その流れがどこか途切れてしまい着れなくなったのではないかと考える。
〈以前、タグがついていたことで切れなかったこともあった)

あれこれ考えるも着替えてもらえない。

その内、ズボンを洗濯に出さなくなった。
いよいよ先の「着替える」行程のどこかが断線したのではないかと考え、
各介助者から事細かに様子を聴く。
でも解らない。

その内に、洗濯をさせてもらえなくなった。
どうやら、「洗濯した物を着る」と言われると「着なければならない」と思うのか?
ズボンを洗濯に出さなくなった。

汚れて匂いが出てきたズボンを履き続ける当事者。
あの手この手で洗濯をさせてもらえるように努める。

ズボンがないから洗濯するズボンもないと思っていたら、
実は何着も買って、家のどこかにあるはずということになる。

家の中を探してみると、出てくる出てくる新しいズボン。
彼は、「洗濯をさせない」「されたくない」とズボンを隠しているのだと解釈し、
自閉症特有のこだわり故に、着替えない・洗濯させないと凝り固まっているのだろうとあれこれ考える。

まったく洗濯させてもらえない介助者。
一度に何本も着ていないズボンを出される介助者。
数あるズボンの中で何着かは着るが、
そのほとんどは手付かずで、洗濯だけをさせられる。

それが本人の流儀だから、とりあえずその流儀に従い、洗濯を続ける。
その内、何かをきっかけに、新しいズボンを切るだろうと根気強く付き合う。

さらに進んで、
まとめて出すことにも躊躇して、
数あるズボンを部屋の奥の方へ隠しだしてもらえなくなる。
懸命に、説得する介助者。
隠したズボンを見つけて洗濯する介助者との攻防が繰り広げられる。

それから数ヶ月・・・

ある日、介助に入っている新人ヘルパーが、
「もしかして、ズボンのサイズが小さくて切れないのではないだろうか?」という。

「まさか」と思ったけど、思い当たる節もある。
私とは一緒にズボンを買いに行き試着して購入するが、
他のヘルパーは、自宅にあるズボンのサイズを測り購入している。
(一緒に買いに行けないから)

最近、歳とともにお腹が出てきた当事者。
以前着ていたサイズのズボンが何本あっても着れないだろう。

その線からやり取りしてもらえるようヘルパーに頼む。
例えば、大きめのサイズの物を買って着てもらう。
例えば、着ている物と切れない物のサイズを本人の前で比べてみる。
例えば、「サイズが合わないと切れないよね」とかまをかけてやり取りして見る。

そこからどういうやりとりがあったかは私は知らない。

しかし、
「九分九里そうかもしれません」というヘルパーの報告。
そして、
なぜだかいつも以上にゴキゲンで現れた当事者。

「残り一里」
次の日の介助者が「たぶんそれが正解ですね」と言ってきた。

その段階で本人は、「小さいサイズのズボンを履かなくて良い」という事がわかった風。
「サイズの合ったズボンを買ってもらえる」というところまでは至っていない。

ただ、
「ズボンを履かない」ではなく「ズボンが履けない」ではまるで違う事がわかったのは大きな収穫。

逆に、
そのことに気づかないまま、
履こうとしない理由を懸命に考え、
履いてもらうことに頭をめぐらし、
懸命に彼とのやりとりに頑張る介助者たち。

そのことに気づかないまま、
洗濯させてもらえない理由を懸命に考え、
洗濯させてもらうことに頭をめぐらし、
懸命に彼とのやりとりに頑張る介助者たち。

私は私で、
長年の付き合いの中で、何らかの理由があることはよくよく知っているのだけど、
「着替えという一連の行程が断線した」とか、
「介助者の声のかけ方がまずくて、誤解を与えている」とか、
「彼流のこだわりだから見守るしかない」とか。

まったく頓珍漢な事を考えていた。

そして、彼は彼で、
「着替えない」「洗濯に出さない」「ズボンを隠す」といった行動を持って、
「このズボンは履けない」事を懸命に伝えようとしていた。

なんとも、彼に対し恥ずかしく「穴があったら入りたい」心境。
介助者の皆さんには、的はずれなことに付き合ってもらい、いろんなことを試してもらっていた。
彼が一旦パニックを起こすと大騒動になる中、慎重にかつ確実な線を懸命に探りつつ、私が想定したことの確認に努めてもらっていたことをあれこれ振り返る。

結局は「サイズが小さくて履けない」という事。

それを当事者は、
「着ない」「洗濯させない」という行動で示した。

そして、
介助者達は、示された行動からあれこれ考え対応してきたわけだが、
「もしや」と思う一ヘルパーの目。
それがあったから理解できたこと。

もし、専門性の観点ばかりで考えていたなら、
新人ヘルパーとして、ふと想ったことを口にすることはできなかっただろう。
でも、専門性ではなく本人と懸命に付き合うことを求め介助に入っている彼は、
自らの目線で、懸命に彼の暮らしを考える中で行き詰まりの理由を懸命に考えてくれた。
そして、出された一つの想定。

そして、
一つの想定であっても、
もしかしたらそうかもしれないと思うヘルパーたちがいて、
想い描いたことの中で本人とやり取りして確認していく。

私たちは、当事者に対し何も理解できていないともう。
どれほど専門性を重ねたとしても、
本人の日常の中で、本人の想いを知るということは専門性だけではわからない。
私はいわゆる専門性を持ち合わせいないが、
彼との長年の付き合いの中で描いた思い込みにどこか囚われていたと反省する。

そして、
懸命に伝えてきた当事者には対しては言えることではないと思うが、
懸命に伝えようとしていた事が伝わった時に生まれる、当事者と介助者との信頼関係がある。

伝えられない期間が長ければ長いほど、伝えることが困難であればあるほど、
伝わった時の安心感と受け止めてくれた人への安心感。

伝えればいつか伝わると想い描く当事者は、
一人暮らしを続けていく中で、
切れることなく懸命に伝えようとしている。
それは、私たちが想う以上の困難さであり、
その中で、懸命に生きている人だと改めて思う。

そして、
私たちは、そんな当事者と付き合っている事のありがたさを思い描きつつ、
異なる世界観を持つ当事者をほんの少しでも理解するためには、
様々な人の異なる視点で、当事者と懸命に向き合い、
支援者間の想いや情報に優劣をつけるのではなく、共有する。

そうすることで、当事者は私たちと付き合い続けてくれるのだろうと思った。

〈かなり、私の甘い見方で、本来ならば「なぜ、そんなことに気づかないのか!」と本人から糾弾されても仕方ないだろう。でも、それは次に繋げることで本人の責めに応えたいと思う)
posted by 岩ちゃん at 17:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月19日

当事者たちからのメールに

二人の発達障害の当事者からそれぞれにメールが届く。

1通目の人は、たぶん一人で過ごしている時間に思いついた事をそのままメールしたのだろう。
もう1通の人は、遠くから「○日に行きます」という連絡メール。

前の人は、思いつくままにメールしている事を知ったのは数ヶ月前。
それまでは、「なぜ突然このようなメールを送ってくるのか?」と悩み、その理由を探るべくあの手この手でやりとりしていた。
メールでやりとりを重ねると、プツンと話が途切れ答えが返ってこなかったり、話の途中なのに話題がコロッと変わる。
「問い詰めてしまったか?」「触れられたくないのか?」等と、心配になる。
なので、実際にあった時に「あのメールは何だの?」と聞けば、何も答えてくれなかったりするとますます不安になったりする。
でも、思いつくままにメールを打っていると知った時、
思いつきに「なぜ?」と言われたら戸惑うのも当然。
それ以降、「相手は今そんなことをひらめいたんだ」程度に読んで、必要なことだけ返信するようにしている。

もう一方は、初めて「今度行きます」と言わた時には、まだ本人のことをよく知らず「本当に一人で来れるのだろうか?」と心配した。
一人でどのように来て、どのように滞在するかを失礼のないように聞くも要領を得ず、助けを求めているのか一人で大丈夫と言っているのかメールから読み取れず、到着するまではやきもきした。
どのような事態になったとしても対応できるように、体制を整えたりもした。
又、到着した後もその後の宿や食事をどうするのかが解らず、宿泊場所をこちらに求めているのか?自分で何とかするつもりでいるのかが解らなかった。
なので、いろんな選択肢とその実現に向けて本人とやりとりしながら進めるも、単独でやれるのにおせっかいをかましているのかもしれない。いや、言えなくて困っているかもしれないと大いに戸惑った。
でも、何度かそのようなことが繰り返される内に、その人自身がその場で何とかするという事がわかったので、「いつでもどうぞ」等と気軽にこちらも応えられるようになった。

そんな二人からのメール。
初めの人から今日届いたメールは、
たぶん思いついた事をそのまま送っているという事を知りつつも、
私の癇に障るような内容だったので、受け流せなかった。
たぶん、そのメールは思いつきであり、その思いつきは世の中の価値観から出される言葉を何の咀嚼もなくただ「言葉」として使っているのだと思う。
「みんなが言っている事」を「自分も言ってみたい」ということなんだろう。
でも、本当にそう思って送ってきているのかもしれない。
私に対して重要な事だと思って意見しているのかもしれない。
その辺りがメールではよく解らない。
でも、その「みんな」の価値観がその人自身を縛り付けていると感じる私は、単純に受け流せない。
なので、「それってどういう意味?」「なぜ、あなたがそういうの?」とやりとりする。
何度かメールを交換しあうと、突然話題が変わり、やはり「これは思いついたことをただ送っただけ」と確認できたので、メールのやり取りはおしまい。

もう一人の人とは、
自分のペースで来れることは知りつつも、せっかく来るならゆっくりやり取りしたいと願う。
「◯日に行きます」というその日は、夜に予定が入っているためゆっくり対応できない。
事情を伝え「別の日にしてください。例えば△日とか◇日とかはどうですか?」と返信する。
果たしてやり取りできるか?
「では、△日に行きます」とあっさり変更。
あっさりだけどこれって凄いことだと思う。
でも、本当に△日に来るのかは解らない。
◯日に突然現れるかもしれない。
△日にこないかもしれない。
たぶん「言ってみただけ」ではないと思う。
だから余計にやきもきする。
やきもきしている私は、相手の事をみくびっているのかも知れないと自己嫌悪にもなる。
でも、実際どうなるのかわからないから、いろんなことを想定する。

四肢麻痺とか目が見えないとか耳が聞こえないと言った事は、
その事自体の困難さはある程度想像できる。
そのような状態で何を思うかについては、やりとりを重ねる内に見えてくるものもある。
〈全てではないけど)

でも、知的や発達の当事者たちが描いているものを想像するのは非常に難しい。
それは、本人たちの障害云々というのではなく、
その人が暮らしている環境や周囲との関係性等も深く関わっているから。
地元で、いつでもあってやりとりしていてもわからないことだらけ。
相手の世界を思い込んで対応し、数々の行き違いや失敗をした私。
いろんなことが想定される分、ますますややこしい。

それが、「対人相互作用の困難さ」というものなんだろうと思う。
しかし、
「相互作用」という点においては、二人と付き合いが長くなる中で、こちらも相手も双方にいろんなことがわかってくる。
決して当事者が劣っていてこちらが導く側にいるなんて思わない。
「相互」の関係が見えず戸惑っているだけの話。
その戸惑いをもって、やり取りする中で決して一方に押し付けてしまうのではなく、
いろんな事態に備えつつ、相手を見くびるでもなく、こちらの想定を押し付けるでもなく対応に努めていけば、たぶん今は見えていないことも見えてくるのだろうと思う。

現時点で見えている事は、決して十分ではない。
どちらかと言えば、相手に多大な負担を欠けていると思う。

でも、そんな不十分な私にメールを送ってくる二人。
懸命に自らを伝えようとし、なんとか次につないでくれる二人。

「相手の事が解る」と言うのは、現時点での話。
その中には「わかったつもり」もたくさん含まれていると思う。

でも、
付き合い続けることで見えてくるものはある。
気づきは常に後からやってくる。
それに付き合い続けてくれる二人に感謝しつつ、
この先互いの十分さ不十分さを出し合いながら、
やりとりが続いてくれることを願う。


posted by 岩ちゃん at 17:46| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月12日

支援による当事者の変化というけれど

私が日々付き合う当事者たちは、彼らの幼い頃から付き合い続けてきた人で、良きも悪しきも様々な場面や出来事を共有し続けてきた人たちである。
いわゆる「行動障害」と呼ばれる行動や言動も、過去の出来事や経験の共有から本人なりの表現であり、何が表現されているのかをなんとなく知ることができる。
又、なんとなく知ることができれば私と同様に幼い頃から付き合い続けてきた人たちとその意味を考えたり、又本人を知る軸のようなものがあるので、新たに関わり始めたヘルパー等の支援者とのやり取りにおいても、私だけでは気づかない面を気づかせてもらえる。

ところが近年、
活動が拡がるにつれ、幼い頃を知らない当事者たちと出会う機会が増えている。
目に映る行動や言動が意味するものが解らず、
彼らの想いを知るヒントさえ見いだせないまま、
兎にも角にも目の前の状態の中で、本人を支援する事に努めなければならない。

何ら専門性は持ち合わせていないが、
30年近く当事者たちと築いてきた私の経験は、
新たな人に対しても有効に働くことはたくさんある。
若いヘルパーさんたちよりもそれなりのとらえどころを持っているので、
私が関与すればそこそこ「うまく廻っている」状態も確かにあったりする。

でも、
本当のところ、
廻っているのではなく、支援という立場を利用して廻しているのかもしれない。
自らの想いを発しているのか?それとも私に気を使ってくれているのか?
その違いは長年付き合いのある当事者たちだとある程度感じる事はできるし、間違って捉えていても修正する術もあったりする。
しかし、おとなになった後に初めて出会う当事者には、それを察知する術もなければ修正する術もない。
又、私の知らないところで受けた社会からの責めをもって私を同様に見ているかもしれない。
逆に、「こいつは、これまでの人と違うぞ!」と見てくれているかもしれない。

いづれにしても、私にはそれを知る術がなく、
自らが行う「支援」というものが果たして本人にとって必要な支援になっているのだろうか?
という疑問は常に描いている。

そんな想いを常に抱きつつ、
大人になって以降に付き合い始め数年の月日が過ぎた当事者がいる。

初めて出会った時、彼の言動や行動の意味が解らず、
只々、私は彼の何処までを許容できるかを考えていた。
そして、許容できないならそれはなぜか?
どうすれば許容できるのか?
等と描き、ガイヘル等で一緒に出かける時かなりの緊張感をもって過ごしていた。

たぶん彼を理解するというよりもどこか彼をどのように理解しているかという私自身を理解するための関わりだったように思う。

そんな風に思う私が彼と付き合い続ける中、
この1年においては、ガイヘルで出かける度に変化している彼を感じている。
否、変化しているのではなく、出せなかったものが出せるようになったと感じる。

常に否定し続けられてきた彼。
それでも、懸命に自分自身を認めて欲しいと想い描く彼。
しかし、その想いは表現すればするほど否定されてしまう現実。
それでも諦めない彼がそこにいると感じた私。
そして、
叩かれても叩かれても訴え続けていた彼に気づいた時、
ようやく彼の「訴え」の内容を知る機会を得たように思う。

そんな私の想いが彼に理解された時、
「訴えなければ聞いてもらえない」から「語れば聞いてもらえる」「聞いてもらえたなら理解してもらえる」と変化し、
この変化が彼自身や周囲に余裕を与え、益々いろんな事を伝えてくれるようになったのだろうと想像している。

自らを語り始めた事の内容がある程度理解できるようになってきた時、
彼は、私を他の人と別の存在として認め、
「この人とならば」と思い描いたのだろう。
いろんな所に一緒に出かけられるようになった。

でもその出かけ先は、
以前トラブルに発展した場所と解ったのはその後の話。

曰くつきの場所であると知れば、
トラブルに発展した原因がどこにあったのかを一緒に考えるようになった。
その当初、彼にとってその場所に行くということは、自分が「トラブルの種」であることへ反省である一方で、「種にされてしまう」ことへの抵抗だったように思う。
その時の私の役割は、周囲との盾としてあったかもしれない。

盾の役割を果たす私に安心感を得た彼は、
盾の隙間から顔を出し、自らが前に立とうとする。

彼がトラブルの種だとは決して思わない私は、
盾の隙間から顔を出そうとする彼を全面に押し出し、
さらされる彼と周囲との関係の中で折り合いを見出そうと努めた。

トラブルに発展した場を何度も訪ねる中で、
彼は、相手に私を紹介するようになり、
私は、相手に「また来てください」と言わせる仕掛けを思考していた。

「また来てください」という言葉が彼のトラウマを解消するキーワードとなっていく。
トラウマを解消するために訪ねている彼は、
「また来てください」と相手が本当に思って言っていると感じたら、
その場に行くことはなくなった。
(次の場を訪ねた時、その実感があやふやに感じると再び行くことはあるけど)

先日のガイヘルの時、
この間毎回訪ねている場所にこの日も行くと思ったけど行かなかった。
その場所は彼にとって上位に位置するトラウマの場所。
行きたいけど行けなかった。
行ったらどうなるかが不安だった。
過去に挑戦したけどやっぱりダメだった場所。

その場所に私と行くようになり、
「また来てください」という言葉を受け取り、
今回は行かなかった。

これでまた一つ、彼のトラウマが解消されたのだろうと描いた私は、どこか悦になっていた。

でも、
そんな私の気分をぶち破る彼の話。

「僕は蒸気機関車に乗ったことがある」「運転席で写真を撮ってもらった」という一見自慢話に思える彼の唐突な話。

突然の話しだったけど、これまでの経験上何かあると思った私は、
「いつ」「誰と」「どのように」という具体的に話を質問していた。

そこに現れたのは・・・。

これまで彼は、自分の劣勢やトラブルの種として見られていることに対して、なんとか自分を取り戻そうとしていた。
しかし、「蒸気機関車の話」は彼の負の経験ではなく、
幼いころにお父さんや家族と一緒に出かけた楽しい想い出話であったことを知った。

「今度一緒に行こうよ」という彼の要望は、
これまでのトラウマ解消のためのガイヘルではなく、
自分にもある「良き想い出」を共有するための依頼だと感じた。

そう感じた時、
これまで私自身が担ってきた支援なるものが、
どこか彼の辛さを解消するためのものでしかなく、支援者として年上として「〜してあげる」ものでしなかったのではなったかと言葉に詰まった。

彼の中にあるそもそも持っているものに気づかず、
出てくる現象にのみ目を向け、
彼の中にあるものに行き着かない支援を私は担っていたと思った瞬間、
それを語り始めた彼を嬉しく思う反面、申し訳ない思いの方が膨らんでしまった。

「今度は、釣りにも行きたいね」ともいう彼。

それもまた、幼いころお父さんが何度も連れて行ってくれた場所。

もっともっと彼の中に、素敵な思い出があるのかもしれない。
もしかしたら数少ない想い出かもしれない。

でも、決して表面に現れるものだけの彼の存在。

「支援によって当事者が変化する」という話をよく耳にする。
「支援の結果としての本人」が語られ、
その「支援」について評価され、専門性が高められていくこともしばしばある。

でも、私はどれほど
表面に現れない彼と付き合っていたのだろうか?
相手を理解しないまま「支援」等と言う私自身が恥ずかしくなる。

そんな至らない私に付き合ってくれている彼がいると思うと、
彼の凄さをひしひしと感じる。

せめて、もっともっと学ばせてもらえるよう努めなければならないと思う。

別れ際、
「もっと長くやってね」とボソリとつぶやく彼。
その一言に、
彼の信頼を得ているという実感を抱く。
しかし、
一方で、
私だけでは、結局は再び誰にも理解されない世界へと引き釣り戻される現実がある。

なので、
「長くやれたらいいね。でも、あなたがあなたであるためには、いろんな人が関われるようにしたいね」と伝える私。
まだまだ、彼と一緒に出かけられるヘルパーは限られている。
私も含めこれまで支援を担ってきた人達がこの先も担い続けられるとは限らない。

その人たちによって今の彼の変化と言うか取り戻せた世界はあると思う。
しかし、この先その人達がいなくなった時に、再び以前の世界に戻されてしまってはならない。

まだまだ、見えていない当事者ではあるが、
無理解な支援者に付き合い続けてくれる彼を理解し、
この先を互いに築いていきたいと願う。

そして、
私たちが担う支援によって当事者が変化するという事が、
実は、私たちの手柄ではなく、
それまでの不十分さに気づかせてもらえる機会としていきたいと思った。
posted by 岩ちゃん at 13:58| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

「楽しくやってるよ〜」という当事者からの電話に

久しぶりに遠方で一人暮らしをしている当事者から電話があった。
何か伝えたい事があったのかなかったのかは不明。
でも、様子伺いの電話としては互いの近況を報告し合った。

私「最近どうよ?」
Kさん「楽しくやってるよ〜」

「一人暮らしを楽しんでいるなら何より」と言ってしまえばそれだけの事。

でも、
Kさんが一人暮らしを始めた頃は、
「自立生活、頑張ってるって、言って〜」と、懸命に一人暮らしをしている事を励まして欲しいという要望だった。
その度に「自立生活は頑張るもんではないよ」「頑張るのは介助者の方だよね」とKさんの要望をどこかずらす形で応えていた私。

今回も、「頑張ってるって言って〜」という言葉はある。
でもそれは、今取り組んでいる事柄についての話で、「自立生活」自体の話ではない。
なので、「それは凄いね〜。がんばってなぁ〜」と素直に応えた。

カラオケに行ったり、仕事に行ったり、買い物に行ったり。

それを楽しそうに語るKさん。

たぶん、日常は楽しい事ばかりではないだろうし、
今日はたまたま気分が良かっただけかもしれない。

「自立生活をしている」事がまだまだ障害当事者に対する話題になってしまう。
たぶん、障害当事者にとって「一人暮らし」は私たちが思う以上に過酷な状況かもしれない。

でも、
そこを知りつつ「頑張る」Kさんを励ますというを私はできない。

なぜなら、その苛酷さを押し付けているのは私たちだと思うから。

なので、
「楽しくやってるよ〜」と言われた時、本当にうれしく思った。
たぶん介助者も含めこの間いろんな事をともに経験していたのだろうと想像する。
その経験の積み重ねの表現が
「楽しくやってるよ〜」だと思う。

遠方故に、日常の関わりはまったくない。
でも、歳を重ねるごとに「自立生活」ではなく、
「自らのくらし」を伝えてくるKさんの存在をとてもうれしく想った。
posted by 岩ちゃん at 14:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月30日

どこまでいっても不明瞭な重度知的当事者の意思に

以前書いた記事。

「当事者の意思」を「支援者が決める」という事

ここでは、「支援の側(私)が決め」その後「本人の状態」との差異を確認する事を重ねることで本人の意思に近づいて旨を書いた。

その「(支援の側の)私が決める」ことにおいての実際を、
意思決定の支援 考えされられた昨日の出来事

「今日は何を食べる?」の中に知的当事者の自己選択・自己決定・自己実現の諸課題があったりする
で書いた。

これらの事を介助のたびに考えていたら身がもたないけど、
たまには意識して関わってみるのも一計かと思う。

とは言っても、結局のところ本人の意思というものはなかなかはっきりしない。
「たぶん」と言う事で進めていくしかないと思う。
そして、日常生活においてはこの「たぶん」を大事にし、
毎度巡ってくる「たぶん」の場の中で、以前の「たぶん」を修正したり、
新たな「たぶん」を見出しつつ、暮らしの支援を廻しているように思う。

で、
そういった日常生活における意思決定ではなく、
人生に対する意思決定という場面において、
同じく本人の意思が明確でない重度知的当事者たち。

例えば、
ある人は「本人は入所施設を望んでいる」と言い、
ある人は「グループホームでの共同生活を望んでいる」と言い、
ある人は「アパートでの一人暮らしを望んでいる」と言う。

例えば、
ある人は「仕事が生きがいになっている」と言い、
ある人は「本当は仕事なんてしたくなく、やらされている」と言い、
ある人は「仕事の意味はわからないけど、みんなと一緒が良いと思っているだけ」と言う。

例えば、
ある人は「中学まで学校で嫌な想いをしたから、高校は支援学校が良いと思っている」と言い、
ある人は「中学を卒業したらもう学校に行きたくないと思っている」と言い、
ある人は「クラスメイト達が全日制高校を目指す中で、同じく全日制高校に行きたいと望んでいる」と言う。

実際にそれぞれをやってみてから決めるというのが一番本人にとっては解りやすいことだと思う。
将来の事を思い浮かべ様々な事を想定しこれから先のことを選択する事が難しい当事者たち。
「事柄の一つ一つを実際試して見てから決める」方が解りやすいと思うけども、後戻りできない選択もある。
当事者だけを見ていたら、「やり直し」というのは全然ありだけど、
「やり直した場」は、必ずしも同じ環境ではない。

例えば、
クラスメイトと同様に高校進学した後、他の高校を選ぶといった場合、そこにはクラスメイトはいないし、一年ダブリと言う新たな状況が生まれる)

例えば、
仕事に関しても、潤沢に求人があるわけではない。
今目の前にある選択しを取らなければ、次はいつ現れるかわからないということもある。
トライアル雇用と言う枠組みはできたけども、ある一定期間お試しで働くのと、
働き続けるのとではまるで違う。

例えば、自らの暮らしの場においても
宿泊体験と実際の一人暮らしは違う。
グループホームにしても、グループホームの形態自体がダメなのか?そのグループホームを利用する他の利用者との関係がまずいのか解らない。
又、初対面は最悪でも、その後良好になることもあれば、
初対面は良好でも後々最悪になることだってある。
それをどの段階でどのように「やり直しする」か?「やり直ししない」か?
その判断は非常に難しい。

家族という単位が成り立たなくなって、
入所施設や精神科病院に入れられようとする当事者に対しては、
兎にも角にも「自立生活」として家族との単位を分け、
支援者とともに歩む道を選択するしかないと言う場面はある。
その場合は、何が何でも「地域から奪われない」ための取り組みに邁進「するしかない」

昨今知的障害者の意思決定支援なるものが取り上げられ、
たとえ、知的障害があっても本人の意思を尊重し、
自らの選択を保障していく制度の整備等々も語られる。

でも、
そこで取り上げられるのは、
「成年後見制度の充実」
「権利擁護事業の活用」
「サービス等利用計画の作成」を
いかに制度として機能させるか?
いかに充実するか?
というもの。

又、各サービス提供事業所においても、
支援計画案の作成が義務づけられ、
先日、東京都の事業所説明会で聞いた話では、
「相談支援事業所との連携」を行った事業所については「加算」をつけるとまで言われていた。

本当にそれで重度知的当事者の意思に則した支援ができるのだろうか?

後見人にしても権利擁護事業の担い手にしても、
時に、入所施設を選択する。
特定相談支援事業所の相談支援員は、
「一人暮らしをすることが本当に本人のためになるなのか?」
「施設入所と言う選択はないのか?」と言う。

確かに、
様々な状況の中で選択肢は限られている場合がある。
しかし、限られた選択肢の中で選んだことが本人の意思といえるのだろうか?

サービス等利用計画を作成するに辺り、相談支援員は本人の希望を聴く。
でも、本人が体験していないことや実感を伴わないことは希望として出せない。
又、サービスとして枠付されていない事柄を希望として出せば、
その実現に相談支援員が動くかといえばなかなかそうはならない。

そんな中で、決められていく本人の意思。
その意思に基づいて、周囲が支援を担う。

でも、
そもそもの出発点が間違っていたら、
当事者が受ける支援は、受ければ受けるほど管理であったり強制であったりする。
又、
人の意思は常に変化するもの。
まだまだ当事者の権利が保障されていない中、
とりあえず、サービスとして受ける支援であっても、
そのサービスを確保するだけでも相当苦労する。
なので「実際利用してみたら自分が求めたものと違います」と本人の意思が変化しても、
それを生み出すまでの周囲の労力は、当事者の意思の変更の方を責める事につながっている。

そんなことをあれこれ思いつつ、
当事者の意思を尊重したいと切に願う。
しかし、どこまでいっても不明瞭な重度知的当事者の意思。

ところが現実の社会は、
意思決定支援を充実すれば、当事者の意思に基づいた支援ができると思い描いている。
その声が大きくなればなるほど、本人の意思は周囲の価値観や世界観によって決められてしまうように思う。

では、
何が必要なのか?
私は、意思決定支援の制度化や枠付等々よりも、
「これが当事者の意思」となったものを常に検証する枠組みの充実だと思う。

すなわち、
「意思決定支援」ではなく、
「意思検証支援」常に検証し続ける/続けられる事を、
様々な状況やサービスや人との関わりの中で検証し続けることだと思う。

日々の取り組みは、ヘルパーや日中系活動やグループホーム等の支援者たちが連携し、それぞれの立場から本人が思い描いている意思を想定し合い、いづれの想定が本人の石により近いところにあるかを検証する。

相談支援員は、
本人と日常の支援を取り組む現場を知り、俯瞰的に本人の暮らしを知って支援のあり様を見守る中で、
当初立てたサービス利用計画が妥当なものであるかをモニタリングする。
又、事業所等によって当事者が囲い込まれないよう事業所等を監視する。
更には、「サービス等利用計画」の「等」に込められたインフォーマルな支援をフォーマルな支援の中にいかに埋め込んでいくか?当事者にフォーマル以外の関わりをいかに紹介し、当事者の選択肢を増やしていくかというのも大きな役割だと思う。

成年後見制度については、
特定個人が成年後見人となるよりも法人後見人として複数で総体を見る。
願わくば、成年後見人という個人でも法人でもなく
市内後見」と言う、地域全体で支える仕組みになって欲しいと願う。

そして、
地域という様々な人が暮らす場において、
様々な発想や出来事や数々の経験の積み重ねを共有し、本人の意思に近づき、
とりあえず進めた事柄を、事あるごとに気軽に話し合って、検証できる環境があればと願う。

そして、
そういう状況を生み出すこと目指し、サービス提供事業所も相談支援員も自らの役割をになったとしたら、いろんな事が見えてくるだろうと思う。
逆に、それらはこれまで取り組んでいないことなので、そのことがあたりまえになる事自体多くの労力が必要になる。
面倒なことなので、
今厚労省を始め福祉の制度は、細分化して個別に支援ではなく個別サービス化している。
総合と言いつつも、互いが連携する余裕さえない。

でも、
互いがほんの少しでものりしろを持って支援を担い、
本人の意思に近づく努力をしたなら、
本人に取ってもそこにある支援は決して管理ではなく、常に自らの想いを明らかにしてくれるものであり、明らかになったものに応えてくれる人たちであると認知するだろう。
そうなると、互いの信頼感の中で、本人も支援を担う側も楽に取り組んでいけるように思う。

意思決定支援と言うどこか「支援をしたから決めなさい」と当事者に迫るものを追い求めるのではなく、
「人の意思は常に変化するから、常に確認しあっていきましょう」と言う「検証支援」を考えていきたいと願う。


posted by 岩ちゃん at 10:44| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

「比べなくても、あなたの存在は大きい」というものの

「僕は103系に乗ったことがある」「妹と弟は乗ったことがない」というTさん。
103系とは、国鉄時代に作られた最後の通勤電車。
「昭和の終わり」を象徴する鉄道マニアにとってはそれなりに知られている電車。

彼がこの103系に「乗ったことがある」と言うのは大きな自慢で、
ガイヘル途中でも、すれ違う子ども達を捕まえては、
「あなたは乗ったことないよね」「僕は乗ったことあるよ!」と自慢気に話をするTさんです。

しかし、
この「乗った事ある自慢」何度も聞いているうちに少々鼻につく。
まして、20年も前に廃車になり、関東地方では走っていないので、
子どもならずとも、そのお母さんもまったく知らない車両。
興味がなければ、突然見ず知らずの人に声かけられ、
子どもが好きな電車の本を見せ嬉しそうに語るお兄さんに、
「ちょっとした楽しい出会い」と笑顔で答えてくれる人も、
どこか戸惑いがち。

私も同じ話を何度も聞かされると飽きてくるので、
「103系」から派生したいろんな話を振る。

「岩ちゃんは、101系にも乗ったよ」等と、彼が乗っていない電車の話をして、
乗っていない電車の話を見知らぬ人に振っても興味がない事を伝えようとする。
「子どもは、電車よりアンパンマンの方が好きみたいよ」等と、
相手の興味は別のところにある事を伝える。
「電車以外に興味のある話はないの?」と、
話題を変えようと試みもする。

でも、いつも「103系」の話に戻っていくので、こちらのネタもつきてしまう。

ならば、
「なぜ、103系なの?」と直球勝負で話を振る。
「乗った/乗らない」という択一の話よりも、
どのようにしたら質問に答えてもらえるか?
答えの表情から「なぜ彼は103系にこだわるのか?」を読み解く。
ただ、乗ったか乗らなかったかという答えを求められるよりも格段に楽しい。

そして、
明らかになったのは、
「103系に乗ったことのある人は昭和生まれの人」
「平成生まれの人は103系に乗ったことがない」という意味が明らかになる。

さらに、
「自分は昭和生まれで、妹と弟は平成生まれ」という事を具体的に示すのが103系に乗ったか乗っていないかという話だということが解る。

Tさんも私も103系の話にそういう意味があるということが意識化されると、
「昭和生まれ」「平成生まれ」という話が頻繁に始めるようになったTさん。

私は「元号」というものを普段使わないし、使いたいとも思わない。
まして、「昭和」という括りに込められた様々な想いや現実や自分の不甲斐なさも含め、まったくもってバランスを崩してしまう言葉なので、
「昭和」「昭和」と連呼し始めたTさんにだんだん苛つきもしてくる。

なので、懸命に「昭和生まれがどうしたのか?」と言うことを懸命に探る。
何か見いだせれば、話題はそちらに行くだろうから。

そして、
見えてきたことが、
妹や弟に対する自分の優位性。
幼い子どもや小中高校生たちに対する自らの優位性。

年齢という超えられない物を持って、他の人たちよりも自分が勝っている事を必死に彼は訴えていたということ。

年下の妹や弟が、自分よりいろんな事ができるようになっていく。
自分が行けなかった高校や大学に行くようになる。
就職する妹と自分。
自分にはない結婚・出産という話題。

兄として存在しながらも、歳を追うごとに「能力」という面で自分を追い抜いていく妹と弟。

それは、社会に出れば周囲は皆自分の事を「できない人」して扱う。
妹や弟だけの話ではない。

私たちは「若さ」を欲する。
「歳をとることを否定して、若い方を良しとする」
「若いわね〜」と言われれば喜び。
「老けてるわね〜」と言われれば相手が言えば怒る。

でも彼は、
「お兄さんとよばれるよりもおじさんの方が良い」
「早く年齢を重ねたい」
「僕が50歳の時、妹はまだ40才」「僕が60才なったら妹は50才」
と言う。

まさに、
自分の年齢だけは、あとからくる人には誰も超えられない。
そこまでの事が明らかになると、
なんとも切なくなる。

別に、誰かと比べて「すごい人」なんて思ったことはない。
誰かと比べることが何なの?と思う。

私の口から出る言葉は、
「昭和生まれだから凄いのではなく、あなた自身が凄いんだよ!」と、切なくなる自分の気持ちを抑えるように彼に伝える。
「そうだね。僕は凄いんだよね」と返し、しばらく103系の話も昭和の話もしなくなる。

そして、
「あなたの凄いところは・・・」とあれこれ語る私。

でも、
彼の凄さを語っているうちにふと気付いた。

「凄い」と言う言葉の意味。
私たちは何気に使うし、彼も何気に理解している。
自分を否定する言葉ではないとは理解している。
私もそのつもりで使っている。

でも、
観念的な言葉や感情的な言葉では理解し難い自閉症当事者。
「優しいよね」「積極的だよね」と言って見るも、
否定されているとは受け取らないけど、「だから何?」となるTさん。

103系は圧倒的に物理で来て具体的で現実的。

だから彼にはとても解りやすい。
周囲にも「乗った/乗ってない」と解りやすい。
だから、彼はそれを語り続ける。

親御さんにそのこと伝えると、
「家では褒めるようにしている」と言う。
確かにそれは大事だと思う。
でも、
それが「あなたの存在が凄い」と彼は受け取らない。

背が高いTさん。
「高いもところのものをとってもらえて助かる」と褒める家族。
でも、
高いところ物を取るのは自分だけではない。

「存在が凄い」と言葉ではいえる。
私は本当にそう思っている。

でも、
彼には、こちらの「想い」というものが具体的でない分届かない。

こちらの想いは届かなくても、
彼を否定する社会の言葉や出来事や人の存在は彼の周辺には溢れかえっている。

彼は、そんな中で今を生きている。
たぶん私には耐えられない。
でも、
彼は懸命に生きている。

それだけで凄いと思うけど、
そんなことは彼には理解できないかも。

なんとも悩ましい
posted by 岩ちゃん at 18:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月24日

いつかきた道へ

「障害児者は非国民」「非国民を産み育てる親や兄弟姉妹も非国民」
「天皇の赤子でもない者は、国家の一大事においては施設へ隔離」
そんな時代があったと聞くが、
今まさにその時代へと突き進んでいるように感じる。

「基本的人権が保障されている我が国がそんなことを考えるわけがない」
というが、保障の大元となる憲法が危うい。
「障害者権利条約を批准したのだから諸外国が許さない」と言っても、
先の戦争では、諸外国の声を無視して戦争へと突き進んだ。

「差別解消法」ができたけど、
「差別と区別は違う」と詭弁を駆使して、
個々の当事者の権利保障という名の下、「普通学級」と「支援学校」とに子ども達を分けていく。
この世の生きづらさを想うと「施設入所が本人にとって最善」という声がまことしやかに聞こえてくる。

権利といえば、
「ヘイトスピーチを垂れ流す側にも表現の自由/言論の自由がある」と
奪われたものを取り戻すための権利が、
何でも好き勝手にできることが権利として語られ、
事柄をごちゃまぜにして、
真に守るべきものを見えなくしていく。
そして、
それを後押しする国家。

話を元に戻すと、
障害当事者や家族やその人達と関わる人たちが長い年月をかけて築いてきたものが、
日に日に壊されていく感。
制度がなかった時代/金がなかった時代においては、とにかく想いを熱くして闘ってきた。
なので、金がなくてもいろんな事ができると思う。
しかし、
制度がある程度整い始めた後から関わるものは、
熱い想いで関わるわけではなく、
金の切れ目が縁の切れ目。

そう!
今、障害当事者の自立生活支援の現場を担う人たちは、
それなりにお金をもらって暮らせている。
でも、そのお金がなくなったら。
その額が年々減らされたら。
どれだけの人が残るのだろうか?

「障害者が地域で自立することには大賛成」
しかし、
「支援の担い手がいなければ、入所施設しかないだろう」

「長期入院なんてとんでもないと思う」
「支援の器がなければ、入院している方が本人にとって楽」

そんな声が聞こえてきそう。

嫌な夢を見た。でも、ゆめとは思えない昨今」で書いたけど、
「徴兵制には反対だけど、食うためには仕方ない」と自衛隊に入隊する若者がいる。

それと同様に、
「地域で暮らしたいけど、支援がなければ遠く離れた地域のGHで暮らすのも仕方がない」

当事者たちは支援の人材不足による入所や入院生活へ。

金のない時代は、訴える相手は行政であった。
それができたのはまかりなりにも平和が保たれていたから。

これが戦時下になれば、
当事者は非国民。
支援者も非国民となる。

戦争という国家の一大事に、個人の介助保障などは認められない。
それを行政ではなく、同じ地域の住民から言われたなら・・・
それでも戦う相手は国家や行政と思っていても、
日々の暮らしの場面では、地域住民の目と闘わなければならない。

あと2つ3つ角を曲がれば、
「いつかきた道」へと舞い戻る。
その道を歩んだ経験のない私たちは、
「同じ道」とは気づかないまま歩み続けるだろう。

否、
「いつかきた道」をすでに歩み始めていて、
気づいていないだけかも。

そして、
気づいた時には焼け野原と化しているだろう。

火の粉が上がった時、
自分はこの場で何をどのように取り組めるか?
取り組もうとするのだろうか?

一目散に逃げるだけではないだろうか?

日々不安は募るばかり。
posted by 岩ちゃん at 07:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする