2017年09月28日

「地域移行支援」って何?

そもそも、地域で暮らす当事者たちが障害を理由に地域から奪われない取り組みを担ってきた私としては、
「地域移行」という発想がない。
地域で暮らし続けるために当事者が幼い頃から長い年月をかけ、様々な出来事を共有し、関係を築き、地域の人たちの理解をも求め担ってきた。

昨今、「地域で暮らすための支援」の実績が買われてなのか?
精神科病院から「患者さんの退院に際して関わって欲しい」という依頼が舞い込んでくる。

私自身が担っている取り組みの現状さえ常に危うい状況なのに、
全く見ず知らずの人の地域での暮らしを支援するなんて到底できないと思う。

でも、
そもそも精神科病院で暮らす必然がない人たちの存在を思えば、なんとかしたいと思う。
それは、
社会的入院を強いてきたのは私自身であり、私たちの社会が変わらなければ永遠に入院を強いられている人たちは社会に戻れなくなると思うから。
そして、
その状況を許してしまうという事は、
今地域で辛うじて暮らし続けている当事者たちが、
一旦事が大きくなれば、すぐさま精神科病院に「収容」されてしまうという危機感を抱いているから。

なので、
なんとか応えたいと思う。
でも、なんともできない状況。
それでも、とにかく患者さん本人に会って、
どのような支援があれば良いか、
どのような支援や人とつなげれば良いか、
と言った、
これまでの経験の提供と地域でのつながりを提供するぐらいならと思って出かけていく。

私にとって「支援」とは、
「支援」という以前に、その人との関係を築く事から始めなければ意味がないと思っている。
ただ、
築いた関係の上に、様々な人や関係機関とのつながりを築いていかなければ、関係性だけでは担いきれないと思っているので、
全ての人が、「本人との関係性の上に立って」などと求めるつもりはない。
明らかになった本人が必要とする支援を四の五の言わず、仕事として担ってくれる人や事業所の存在はとても重要に思う。

でも・・・

地域移行に際して集まった方々。
16人もの「肩書」のある人たちと会議を開いた時、
本人と日常的なつながりのあるのは病院関係者のみで、
他の人は、日常的に本人とのやり取りがない。

そんな中で開かれる退院(地域移行)を巡る話。

過去の状態・今ある本人の状態・将来のリスク回避。
やってみなければ判らないことだらけなのに、
なぜか、支援計画は決めないと進められない。
それぞれの役割を明確にし、
こぼれ落ちるリスクは誰の責任で回避するのか?という確認。
何か起こった時の連絡体制や連携の方法。

そして、
計画案に盛り込まれる本人の意思と努力。

そんな会議に同席していて思うことは大きく2つ。

一つ目は、
障害当事者が地域で暮らせなくなる状況は、
どれほどの支援があっても、本人並びに支援者が気づかない想定外のところで常に起こるという事。
(想定されていれば退院もさせないでしょうが・・・)
それを地震予知に喩えると、
どれほど研究や実績や統計が集められたとしても、
いつ、どこで、どういった自身がどれぐらいの規模で起こるのかは誰も予知できない。
予知できないのに膨大なお金を注込んできた我が国の方策と同じ。
そして、
予知できずに起こった大きな災害は「想定外」の一言で済ませ、
取り組んできた事の責任を問わない。
それを地域移行支援なぞれば、
何がどのようになっていくかが解らない中で、
懸命に支援計画を立て、
可能な限りのリスクを回避し、
本人の努力を求めていく。
専門家たちにより計画は、地域の人には訳が分からず、
ただただ地震速報のごとく「退院しました」「このアパートで暮らしています」
という形でただただ示されるだけ。
そして、
支援の隙間で起こった事は、本人の責任として再び入院という形になっても、
支援の責任は問われない。
「想定外だった」
「どうしようもなかった」となるか。
「医師をはじめとする病院関係者の退院の判断」を責任とするという話になる。

もう一つは、
本人の事を書面程度にしか知らない人たちが、退院後の支援計画に関わるという話。
先の話、想定外の事が起こっても本人との関係が既にあれば、リカバリーは容易だと思う。
でも、本人との関係がない中で起こる想定外は、更なる想定外を想定し、出来事がトラウマになってその先の事に委縮し、どんどん当事者との関係を閉ざすという悪循環を生み出す。

ならば、
病院にいる間から関係を築いていく(せめて本人に何度もあって知り合いになる)事が保障されていかないと、地域で支援を担う事業所は恐ろしくて関わり切れない。
又、地域で支援を担っていた事業所は、まかりなりにも地域で暮らす支援の取り組みを積み重ねている。
その積み重ねとつなげていくには、本人を理解し事業所側が持つ者とつなげていくことにあると思う。

ただ、事業を担う側は手弁当でそんな事をしない。
そこに何らかの手立てが必要だと思う。
でも、
関係者会議に参加するだけがせめてものという状況で、
ますます、紙面のみで本人を把握することになってしまう。

事が起こった時の解決をともに担うという経験がない中で、
いきなり引き受け、事が起これば引き受けた事業所の責任にされるのだら、
どこの事業所も引き受けなくなる。

それを象徴するのが、
「退院日」という大きな一日。

病院を一歩外に出れば地域での暮しのスタート。
当事者本人は、希望が叶い喜びの瞬間でもあるが、
長年病院で暮らしてきた故に不安の方が膨大にあったりする。
「病院⇒地域」という日の「⇒」の時間と状況は、
とても重要で、そこに地域の人(事業所)が関わる事で
移行というものが実現していくように思う。

ところが、
行政は、退院日に現れる「病院⇒地域」は、「病院」の管轄で地域で暮らすための制度は支給しないという。
そして行政は、「次の日から使えるよう努力します」と、さも自分たちが頑張ってやってあげるみたいな雰囲気を醸し出す。
でもこれは、地域の側からすればいきなり「地域」での支援になり、本人の暮らしの変化にはつきあえず、
何がどう変化しているかもわからないままに、「いきなり」支援に関わる事になる。
これは正に、
荷物の受け渡しと同様で、送り手は相手に渡すまで責任があり、渡した後は受け取り手の責任。
荷物を運ぶ道中は送り手の責任。みたいな感じ。

こんな事で「地域移行」はどんどん実現されていくのだろうか?
本来歓迎すべき事柄で、みんなで意気揚々と取り組める事柄だと思うのだが、
現実は決してそうではなく、誰がどのように責任をとるのかみたいな話ばかり。

そして、
誰か一人、とにもかくにも「何があっても責任をとる」というキーパーソンが現れると、
実は話はどんどん進んだりする。
地域で暮らしている人たちが自立生活を始めようとする時、長い年月をかけてキーパーソンとなる人が現れともに育っている。
しかし、
地域移行という新たな人と新たな場での暮らしにおいて、キーパーソンとなる人がいないのが現実。
キーパーソンがいなければ、引き受けてくれる「場」探しに終始するしかなくなる。

「専門家や事業所等の連携」という話を良く耳にするが、
その方向性は、
肩書のある人たちがつながって、リスクを回避するみたいな話ばかり。
リスクが回避できたなら、余暇等の楽しみ等も含め本人にとって有益と判断された物や場を提供するみたいな話ばかり。
暮しのプラスアルファの提供は、リスクが伴わない事が前提。
すなわち、当事者の暮らしが拡がればリスクも高まる。連携先も増えるので大変になる。
本人が一人でやれないなら提供もない。
すなわち、提供するカードは常に支援の側が持っていて、
当事者の側が自ら追い求めていくという支援ではなく、
支援の側から提供されたカードの中で選択を迫られる。
それでも選択できるカードがあるなら良いが、
あれこれ条件を付かられたり、選択という名での強制だあったりする。

こんなこと以外にもあれこれ見えた事柄があるのだけど・・・

過去、精神科病院の閉鎖病棟に友人として入る事が許されなかった時代。
親御さんの依頼があっても医師が許可しなければ認められなかった。
又、辛うじて認められ本人と面会した後、本人の状態が悪化(と病院側が判断)すると、
それがたまたま出会ったり、何かを訴えている状態であったとしても、二度と面会が許されなかった。
又、精神鑑定等で措置入院が決まると移送先の病院さえ教えられないという事もあった。、

そんな時代を思うと、
様々な不十分さがあったとしても、地域に戻そうとする病院関係者の取り組みは凄い事だと思う。

そして、
本来、地域で暮らす人なのに入院という名の収容状態にある人の退院を巡り、地域の人が関われる機会が生まれているというのは地域の側としては歓迎すべき状況だと思う。
精神当事者を囲い込んできたのは病院関係者だと思う。
でも、
その病院に入院させた/入院せざるをない状況を作ってきたのは私たちだと思う。

いろんな不十分さはあるにせよ、
病院側が門を開こうとするなら、
「地域でともに」という行政の側は、そこに応えて取り組み、市民を巻き込んでいく事が「地域移行支援事業」だと思う。

ところが、
ようやく門を開き始めた精神科病院に対し、
「余計な事をするな」という雰囲気を醸す行政。
「本人の意思というなら本人の責任」「それを認めた病院の責任」「勝手にやるんだから行政に頼るな」みたいな対応で、地域で暮らす制度をどのように活用するかという発想ではなく、いかに地域で暮らす制度を使わせないかという発想に立っている人々。

行政がそのような態度であれば、
制度を引き受ける事業所は応えようもない。
日々の暮らしに関わる事業所が応えなければ、
周囲にいる人たちはどう関わって良いかさえ分からず、福祉という名の専門家たちに任せるしかない。
必要となる支援が十分でない故に起こる不具合は、全て本人の責任とされる。
すなわち、支援の提供の有無に関わらず、本人自身の努力がなし得なければ、
再び「入院」という話になってしまう。

そして、退院に向けた支援会議であるはずなのに、
「病状が悪化した際再び入院する時の同意は、保佐人がしてもらえますよね」等と聞くしまつ。

怒りがこみ上げてくるも、怒れば怒るほど私自身が引き受けるしかなくなる。
私だって既に飽和状態にある。

でも、
本来、入院している人ではないと思うから、
なんとかしたいと思う。

本来「地域移行」は、歓迎すべき事柄だと思う。

でも、
世の中はまだまだ「人に迷惑をかける輩は収容しろ」という感覚。
「やるなら勝手にやれ」という感覚。

それは、まさにこれまで関わってきた当事者達に向けられる社会の目。
この状況を見過ごせば、いづれ私が関わっている当事者たちお同様にどこかへ収容されていく。

なんとも自分の力量のなさを痛感している。

でも、
世の中には、私以上に様々な知恵と力量を兼ね備えた人たちがいると思う。
ほんの少し発想を変えれば、無理なく地域移行が実現できるように思う。

その一つが、
入院中から関係を築いていくという事に思う。
病気や障害を知る事よりも、
その人自身を知る事に努め、
それぞれがそれぞれに得意な分野を出し合い、
その事を持って地域の人たちにつなげていく。

世の中の人たちは、出会った事がない故に精神障害当事者に不安を抱く。
何か起こるのではないかと防衛的になる。
事業所の人たちも、実は出会う機会が少なく、専門的な研修を受けただけで、予防的になる。
病院関係者は、病棟という限られた空間でのみ当事者たちとたくさんあっているが、社会と病院との接点を築くのはまだまだこれから。

「地域移行」の「地域」には、精神障害者に対し強い偏見を持っている人たちもいるが、地域で暮らす事があたりまえと描く人もいる。でもそういう人たちはいづれもごく少数だと思う。
大多数の人は、ただただ出会ったことがなく、訳が分からないまま話だけが先行し不安を募らせているだけに思う。
ならば、
いかに、大多数の単に不安を抱いているだけの人との接点を求め、不安の解消に努めていけば、なんてことなく地域で暮らす事ができるように思う。
それを「〇〇家」や「〇〇事業」や「〇〇相談」等々で囲い込んだ上で「地域移行」を実現しようとするから互いに無理が生じる。

うだうだ書いてしまった私。
ますますレアなケースばかりに遭遇し、その解決をあれこれ余裕のない中で一人考えていると、
ますます事柄の一つ一つを共有して話し合える人が減っていく感がある。
つながりを一番求めているはずなのに、要望ばかりが舞い込み、一人ではどうしようもないのに一人で考えてしまっている。

そもそも素人の私にも担える事がたくさんあるのだから、
私以上に力のある人たちが、ほんのちょっとでも興味を抱き、ほんのちょっとでも当事者と出会い、ほんの著って力を出してくれれば、世の中は凄く変わると思うのだが・・・



posted by 岩ちゃん at 13:16| 東京 ☔| Comment(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

無くて七癖有って四十八癖

【意味】人は誰しも多かれ少なかれ癖があるということ。

癖というものは、自分ではなかなか気づかない。
人に言われて気づくことが多い。
それが人に評価される癖ならうれしいけど、
恥ずかしい癖だったり、周囲に嫌われる癖を指摘されると、
懸命に修正を図ったりする。でも、身についた癖はなかなか取れずに悩んだりする。

そんな「癖」というか自分では気づかない振る舞いについて。

自閉症の人は、事細かな点に気づくと言われている。
ならば、支援者や介助者の事細かな「癖」にも気づいていると想像する。
そして、支援者や介助者自身は気づかないままに当事者と向き合っている。
そのため、
何となく上手くいく人となんとも上手くいかない人の違いが、
実は支援者や介助者の側には気づかない振る舞いに当事者の側のみが気づき、それをみて当事者が判断しているのかもしれないと描いてみた。

でも、
自分の癖ってなかなか解らないので、
他の支援者や介助者が当事者とやり取りしている姿を見て、
自分が当事者とのやり取りしている時と比べてみる。
すると、ちょっとした違いが当事者にとって判り易かったり、判り難かったりする事に気づく機会もあるかもしれない。
posted by 岩ちゃん at 11:38| 東京 ☀| Comment(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

行動障害の原因は?

ガラスを割る。
壁を壊す。
人を殴る。
人に向かって突進する。
人の物を奪う。
大声で叫ぶ。
大暴れする。
等々。

いわゆる「行動障害」と評される障害当事者たちの行動や表現。

その原因をあれこれ探る。
目の前で起こる事柄に原因がある場合もあるが、
その後の事が気になって起こす事もある。
前に会った出来事を思い出しての事もある。

原因(理由)に対する行動であれば、
なかなか見えない原因(理由)であっても、やり取りを重ねる事で見えてくるものもある。

しかし・・・
積もり積もった事柄の中で起こっている事であれば、その原因(理由)はなかなか解らない。

コップに入った水に喩えてみる。
コップを本人の安心感。
水を本人にとってのストレス。

コップに水が半分も入っていなければ余裕で運べる。
コップに八分目ほど水が入っていたなら、ちょっと慎重に運ばないとこぼれる。
コップに摺り切り一杯の水が入っていたら、「お口でお迎え」しなければコップを動かす事ができない。

さらに、
水の表面張力によってさらにもう一サジ水を入れて大盛りの水が入ったコップ状態。
そこに、スポイトでほんの1滴水を足した途端に、たくさんの水がこぼれだす。

このこぼれる状態が「行動障害」と評されるものであったとしたら・・・

最後のスポイト1滴の水さえなければ「行動障害」と評される行動や表現にはならなかったあろう。
そもそも、ストレスとなる事柄が八分目や半分以下になっていたら、スポイトの1滴なんて全く気にも留めない。

私たちは、こぼれそうでもこぼれないコップの水に対し、慎重に扱い対処する。
でも、一旦こぼれてしまうと大騒ぎ。
もしかしたら、又こぼすのではないかとやり取りさせてもらえないかも。

原因(理由)が最後の1滴にあると思っていると、
「この1滴がなければ」となる。
でも、それも一つの原因(理由)かもしれないが、それ以上にたまりにたまった水(ストレス)の方を、ごっそり取り除けばだいじょうぶという事もあると思う。

コップを当事者の許容量。
水をストレスの量として見た時、
最後の1滴のストレスにのみ目を奪われる事なく、
当事者自身がため込んでいるストレスに対し、
本人自身で収められるようなやり取りに心掛けたいと思う。

posted by 岩ちゃん at 15:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

自閉症をともなう重度知的の当事者の行動の意味

朝、日中活動の場に出かけようとしない自閉症を伴う重度知的の当事者Mさん。
重度訪問介護で前日から入っているヘルパーさんは先週も出るのが遅かったので、
今週もまた遅くなるかもしれないと思っている。
幸い、日中活動を休んだ際には重度訪問介護で対応できることになっているし、
その日は、次の予定がないので本人に則した対応ができるので状況を見護ってた。

そこへ、Mさん。
「ピザ!!」と言ってきた。
彼は毎月最後の日の夜はピザを注文し食べるのを楽しみにしている。
普段は夜に注文するピザだが、本人の要望として受け取るヘルパーさん。
そして、なかなか出かけようとしない彼に、「今日は休み(にするの)?」と聞く。
「今日は休み!」と返事するMさん。
先週もお昼近くまで家を出る事ができず、日中活動の場に相談すると「もしかしたら有休を使いたいのかも」という話になり、先週は結局使えなかったけど日を改めて「今日は休みにすると言えた」と受け止めた。

ほどなく、ピザが届き
しばらくすると、
出かける用意を始めるMさん。
「あれ!?〇〇に行くの?」とヘルパーが聞けば、「行く!」と言って家を出たので後を追う事に。
そして、お昼前に到着。

いったいなんだったのだろう?
その後はなんの戸惑いもなく一日を過ごし、
夜のピザは朝に注文したため、改めて注文する事もなく、
翌日に至って、淡々と過ごす彼がいた。

私たちの流れから考えれば、
「今日は、仕事に行きたくないし、有休も残っているから、ピザでもとって休みにしよう」と思い描き、
でも、ピザを食べて満足すれば、
「やっぱり、休むと給料が減るから今からでも行って仕事をするか」と気が変わったとなる。

遅刻する事の是非は置いたとしても、
自分の要望を出せるMさんとそれに応えて臨機応変に対応するヘルパーさんの凄さを思う。
又、
自閉症ゆえに段取りにこだわるMが、淡々と予定を変更できる凄さを感じるし、
そのような関係を築いてきたヘルパーさんの凄さも感じる。

二人の関係の凄さを思うと感心するばかりなんだけど・・・

話を「ピザ!」と言った時点に巻き戻してみる。

「(今晩は)ピザ(の日だね)!」とか
「(今晩の介助者に介助者に)ピザ(を注文するように伝言して)!」という意味だったらどうだろうか?

Mさんは、今晩の予定の話をしているのに、
ヘルパーさんは今の要望として受け止め対応する。
対応されてしまったMさんは、目の前に現れたピザを食べるしかない。
そして、
予定を変更したというのではなく、そもそも予定を語っただけなのに、ピザが届いてしまい、
それを食した後、予定通りに日中活動の場に向かったとしたら・・・

そこには、Mさんとヘルパーさんのズレが生じている事になる。

そして、
予定を告げただけなのに誤解され、
ヘルパーの対応に、段取りがくるってしまったことにパニックにならず、
その後、自分の予定を誤解のままに淡々とこなすMさんの凄さが際立って思えてくる。

そして、
ヘルパーさんは、誤解に気づかなくても決して本人の不可解な行動を否定しない対応の凄さを思う。

そんな話を別のヘルパーさんに話すと、
「Mさんって、先の予定を要望するという事があるんですか?」と聞かれた。
「たぶん今まではそんなことはなかったと思う。いろいろ想定して段取りして自分が了解できる事を伝えるのに必死で、先々の事を思い描いて語るという余裕はなかったように思う。でも、最近予定を聞いて行動を決めるという事があるので、もしかしたら予定を告げるという事もあるかもしれない」と応えた。

そう自分で応えた刹那、
「できるようになったのではなく、そもそもやっていた事を私の方が気づけるようになったのかも」と頭をよぎる。

もしそうであるならば、
気づけるようになったのは、最近ヘルパーとして関わり始めた人たちとの関係によって、本人の表現が判り易くなったのかも。
そうであるならば、
長年Mさんと付き合い続けてきた私は、長年気づかないままに彼と過ごしていた事になり、何とも恥ずかしい想いがしてきた。

本当のところは解らない。
でも、
解らないままではやり取りは進まないし、
解らないと言いつつもどこか勝手な解釈で本人たちの行動を判断している私たち。

ならば、
思いついた事柄をお互いが「もしかしたら・・・」と言葉にだし、
それぞれが描く「もし」を寄せ集めれば、どこかに正解があるかもしれない。

又、常に周囲の勝手な解釈で受け止められている当事者たちは、それを前提として周囲にいかに合わせるかが大きな課題となる。
でも、周囲が言葉に出してあれこれ語っていく、
「それそれ!」という事も出てくるかもしれないし、
解ってもらえた経験が増えていけば、
私たちも勝手に解釈して当事者に接し、当事者も自らを表現する事で一人でパニックになるよりも、やり取りの先に想いが伝わるという経験につながり、
双方向の関係が生まれてくるのではないかと思う。

とは言っても、実際のところ何を考えているのか解らない方が圧倒的に多い。
解らない故に、当事者たちにはとてもつらい思いをさせているかもしれない。(かもではなくさせている)

当事者たちは決して一人で生きているわけではない。
場面としては、ヘルパーと一対一の関係が多いが、それだけではない。
様々な人や様々な経験を経て今に至る当事者。
ヘルパーという職はどうしても、目の前の人とのやり取りに終始しがちだけど、
お互いが想いを出し合い当事者とともに事柄と向き合っていきたいと願う。
posted by 岩ちゃん at 11:07| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月23日

やまゆり園の事件の前に

2016年7月26日に起こったやまゆり園の事件。
まもなく2ヶ月が経とうとしている。
「何かを書かなければ/何かを語らなければ」と思う。
「でも書けない/語れない」としか表せずにいる。

私の周りにいる人々や団体が声明として、記事として、集会という形で語っている。
事件が起こってから動き出したマスコミや公的機関とは違い、
日々の暮らしから、日々の取り組みから、
「何かを書かなければ/何かを語らなければ」と必死に絞り出すように表現する。
何かを書き、何かを語らなければ、これを機に私たちの意図は違う方向へ事を進める輩がたくさんいるから、
書かなければ、語らなければならず、何も事実が判らない中にあっても発信している。
そこに、敬意を持ちつつも、何かが違うと感じている。

昨日と一昨日。
ピープルファースト大会IN横浜が開かれた。
1日目の全体会が「追悼集会」に変更され、
多くのマスコミが駆けつけた。
翌日の報道を観れば、
「知的障害者たちもこの事件に対する想いやこれからの取組み」という形で報じられた。
でも、毎年開かれているピープルファースト大会の事は何も語られず、
この事件が起こらないために取り組んできたことは、全て抹殺され、
「知的障害者たちもこれから取り組む」課題かのように報じられる。

今、「書くこと/語ること」がその人の整理できない想いをまったく無視して、
あらぬ方向へと進める道具として扱われるように思うと、
今の今、何も書けない/語れない。

一昨日開かれたPF大会のパネルディスカッション。
パネラーとして立った小田島さんが自らの意見を述べる冒頭に感極まり言葉を詰まらせた。
その姿を見た私は、
彼が施設にいた時のことや
施設を出て一人暮らしを始めたことや
一人暮らしが決して順風満帆ではないことや
地域にいても常に「障害者」として扱われることや
常に、様々な不利益の中で暮らし続けることや
だからこそ長年ピープルファースト活動に取り組みつづけてきたことや
彼自身の暮らしさえ必至なのに、未だ施設にいる「仲間たち」が地域で暮らすことを求めてきたことや
懸命に訴え取り組んできたのに、何も変わらない今回の事件。
彼にとっての「仲間」は「匿名報道」という括りではなく、一人一人の存在を実感しての事だと思う。

彼の感極まりは、報道のどこにも現れない。
集まった報道陣には彼の感極まりは理解できないだろう。
(長年付き合ってきた私でさえその真意を理解できないので当然といえば当然だけど・・・)

わずか数分の発言だったけど、
理路整然とした語りではないけど、
小田島さんが言葉を詰まらせ懸命に語ったことは、
私たちに対し様々な事を懸命に伝えていると思う。

続く土本さんの発言の凄さを感じた。
パネルディスカッションの前にあった熊谷さんの話では、
「他者を見つけ出して、その他者の責任して問題を解決したことにすることではなく、我々全員が事件を起こしたと捉え、一緒に考える事が必要」という内容だった。
でも、土本さんはこの事件が起こったこと原因を「国や行政や親たちの責任」という。
そして「親が障害者を否定し、国や行政はその親達の声を聴く」という。
そういう実感の中で「私たちの声を聞け」と言っている。

熊谷さんの「全員がこの事件を起こした」という捉え方は理解できる。
私自身もその一人だと思う。
でも、
ただ漠然と「全員が」としてしまうと、問題が曖昧になるだけで、実は何も解決されない。
土本さんは、自らの立場から懸命に語り、その語りに立場の違う私自身がどう取り組めば良いのか?
実は、私達自身を厳しく追及する言葉だと思うが、
その言葉は、当事者対その他という対決構造をつくる。
以前の土本さんだと「敵を明らかにして取り組む」的な語りだったと思う。
しかし、今回の話は「親は当事者を否定する。その親の声を国や行政は聴く」という言葉が、
「知的当事者の声を聴くことで、それぞれの立場で改めるべきことを改めて欲しい」と訴えているように聞こえた。
土本さん自身も長年の取り組みの中で、変化しているように思う。

「相手の存在を否定するのではなく」ではなく「相手の存在と自らの存在の違いを明らかにすることが、互いを肯定し合うことに繋がる」という想いにいるように思う。

しかし、
「相手の存在を知ることなし」に表面に現れる事柄をもってでしか判断しない私たちに対する鋭い指摘だとも感じる。
「重度の知的障害者も参加しています」「参加できなかった障害者もいます」という土本さん。

二人に共通してることは、
長年ピープルファースト活動に懸命に取り組んできたということ。
「私たちは障害者である前に人間だ」というピープルファーストとその活動。
長年の活動に取り組んできたからこその二人の発言。

私たちは、今語られることの前に今語られていることの前にあることを知る必要があると思う。

今あることの前を知るためには、その人個人と関わらなければと思う。

同じくパネラーとして発言した中山さんと小西さん。
私は、お二人との関わりがない分その想いを知ることはかなわない。
でも、これを機にお二人と近づきたいと思う。

やまゆり園の事件は、衝撃的でその後の動きに対しても緊張感をもって意識的に関わらなければならないと思う。
しかし、既に風化が進んでいる。
「やまゆり園の事件」と言うのは、たぶんあと半年もすれば何処かに消えてしまうと思う。
新たな事件が起これば、人々の話題はそちらに移るだろうと思う。

何故なら、
これまでも、たくさんの虐待事件が報じられてきたし、今なお虐待は各地で起こっている。
どれほど多くの事件があったか?
多くの人は忘れていると思う。
かく言う私も、正直に言って忘れている。

でも、
自らが自らの場で取り組んできたことは忘れない/忘れられない。
「やまゆり園の事件」ではなく、私たちの身近に起こっている事柄に取り組むことでつながっていくように思う。

「やまゆり園の事件」は「何故起こったか」とか
「二度と起こさないように」という事を語るならば、
それ以前をもっと語らなければ、この件は何も語れない。

以前を語ることで今が現れ、
今が現れるからこそ、
将来につながる。

今は「書けない/語れない」私だけど、
自らの足下を改めて見つめ直すことが、
やまゆり園の事件を考え取り組むことにつながるように思う。
posted by 岩ちゃん at 10:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月02日

重度知的当事者と投票へ

先日の都知事選。
なんとも恐ろしい結果になってしまった。
これからどんな状況が襲ってくるのだろうか?
私の目の前で起こっている事に向き合うだけでは済まない状況が日に日に拡大しているように思う。

その都知事選。
障害者差別解消法が施行された後、初めて介助者として重度知的当事者の投票に同行した。
(これまでも、重度知的当事者の投票をあれこれ支援していたが、施行後どのように変わったかと思い描きつつ出向いた)

まずは、敵情視察ではないが、
私の投票会場に当事者と一緒に行き、
選挙管理委員の人に
「この方は、別の会場で投票するのだが、どのように投票するかをここで見ててもらっても良いか?」と尋ねた。

「投票人以外の入室禁止」とかつて言われているので、投票行為が見えるギリギリの位置に一人で立ってもらい見ててもらおうと考えた。
すると、
「わかりました。どうぞ一緒にお入りください」とあっさり言われて拍子抜け。

当事者を私の横に立たせつつ、本人確認のみならず、記入台のところも一緒に立ち、
「この中から候補者を選んでこの紙に書くんだよ」などと説明ができ、
投票用紙を投票箱に入れる時にも、私の横に立っていた。

何か対応が変わったの?
はたまた知らないだけなの?

狐に摘ままれた想いで、会場をでて続いて彼の投票会場へと向かった。

投票券を破って捨ててしまった彼。
その旨を入り口で伝え、愛の手帳(療育手帳)で本人確認。
いざ投票へ!
彼らはなんと対応するか?と身構える私。
先ほどの事も念頭に入れつつさあ!さあ!さあ!と内面バクバクしながら、
受付の方に「この人の投票をどのようにサポートすれば良いでしょうか?」と尋ねる。

以前なら、
そこから先はすべて選挙管理委員と職務担当者たちによって彼の投票が支援される。
それは、実際彼が誰をどのような形で選ぶのかを全て担当者たちに委ねる事になる。
以前、
期日前投票だと同じ会場で投票できるので、その様子を見た事があった。
明らかに本人が選んだとは言えない人を代筆する担当者たち。
その対応にあれこれ抗議したが認められなかった事もある。

「さあ!どう合理的配慮をするのか?」
と再び身構える私。

「了解しました」の後に続く担当者の言葉は、
「どうぞ付き添ってください」だった。

「えっ!本当に良いの?」と思いつつ、
投票用紙を受け取り、記入台の前に立つ。
私は横から「ここに書いてある人から選ぶんだよ」と。
ただ言い終わる前に、用紙に自分の名前を書く当事者。
「えっ!えっ!えっ!」と思ったけど、
見ず知らずの担当者たちに支援され、
あらぬ人(例えば偶然指さしした人を担当者が代筆するとか)の名前が書かれるよりも、無効票になった方が良いかと思い、その後の対応を彼に伝えて無事投票終了しました。

差別解消法が施行された。
被後見人の選挙権が回復した。

その事ですんなりと投票できたのだろうか?

彼は、被後見人ではないのでこれまでも何度も選挙に行っている。
たぶん自分の名前を書いているだろうと想像していたが、今日はっきりとした。
(てな事をこんな公の場で言って良いものなのだろうか?)

そして思う事は、
「重度知的当事者が投票するなんて無理」
「責任ある投票ができるのか?」
「判断能力のない人に投票させるのは、周囲に利用されるだけ」等々、
様々な理由で、権利はあってもまともに行使する事が許されなかった時代。

私の周囲にいる人たちにとにもかくにも「選挙に行って!」と言ってきたし、
そのための支援を担ってもきた。

もし、この日の出来事があたりまえになっているならば、
「とにかく選挙に行く事」でその存在を訴えるという課題は達成した事になる。
今回出会った投票所の関係者たちが「重度の知的障害があっても投票する権利がある」と普通に思い描いているなら幸いなことに思う。

そして次は、
「本人が誰をどのような形で選ぶのか?」という課題に移るという事になる。

これがなかなか難しい。
「選挙に行こう」
「選挙に行った」というのはいくらでも口にできる。
でも、
「誰に投票する?」
「誰に投票した?」という問いを投げかける事は、実は非常にややこしい。

「〇〇さんに入れたよ」「△△さんに入れました」という回答を耳にした時、
聞く側と異なる人を選んだ場合周囲はどうする?
「えぇ〜!」とか「何でぇ〜!」と言った軽いリアクションの経験から、
次は「誰に入れたか言わない」という当事者もいる。
すると周囲は「何で言わないの?」と責めたてる。

又、お互い誰に入れるかを語り合い選ぶ際の参考にするというのはありだと思う。
でも、それを語る事でその人の人格を評価する事になってしまう場合もあったりする。
「秘密選挙」というのはそういう事なのだが、
当事者たちが自らの想いや利益を願い投票するという事は非常に難しい。
又、
なぜ当事者だけがそこをはっきりしなければならないのかという意見もありややこしい。

この先何度も巡ってくる投票の機会。

投票に際して付き添いが認められたならとてもありがたい。
でも、
集団で当事者たちに特定候補使者の名前を書かせるという事も出来てしまう。

当事者自身が思う人に投票するという事。

あっけなく終わった今回の投票行動とその支援。
面喰いつつも、次は重度知的当事者の投票という自己決定の課題にに向かわねばと思う。

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posted by 岩ちゃん at 16:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

重度知的当事者に選択を迫る場面はどれほどあるか?その時私たちはどうしているだろうか?

地域で暮らす重度知的当事者たち。
本人の想いがなかなか周囲には理解されない当事者たちの自己選択と自己決定はいかに?

先日会った当事者Hさん。
同じ日程で別々のイベントの誘いがあり、
どちらを選ぶか?と訊ね、本人に決めてもらうことになった。

本人が明確に選び意思を発する事ができるなら本人の意向に依れば良い。
しかし、本人が明確に決定を示さない場合はどうだろうか?
明確に答えてくれない。
どちらに対しても「YES(又はNO)」と言う。
「どっちにする?」と何度聞いても本人の意思が見えてこない。
又は、誰が質問するかによって答えが変わったり、間に挟まれ答えようがなく、半ば問い詰めら得ている雰囲気になり固まったしまう等々。

地域で過ごす重度知的当事者は、家族と同居している場合が多いので、
イベントが重なってしまった時、大概はその家族が決めているように思う。

その理由としては、
@同居する家族が本人の事を一番解っていて、家族の判断が一番本人の想いに近いとされている
A明確でないに当事者の決定に対し誘う側が責任が持てない。
の二つだと思う。

Hさんの場合は、
一人暮らしをしているので、家族が判断するという事はできない。
なので、まずはそれぞれがそれぞれに誘う。
どちらにも「YES」という彼が現れたので、
どちらを選ぶかを明らかにしてもらわないと困る事になってしまう。

私たちは、「当日のノリで」という事も許されているのだが、
一人暮らしをしている彼の場合は、事前にヘルパーの手配が必要になるため許されない。

例えば、両方に「顔を出す」という手法も私たちならば取れるが、
それさえも、ヘルパーの手配が発生する。
一方に参加してつまらなければ他方に行くという事も私たちならできるが、そこでもさらに本人の意志の確認が生まれ、確認したことに対する支援の手配が生まれる。

本人にとっては、言葉で迫られてもそのイベントが何なのかを理解する術は乏しく、
実際のところ判断しかねるのだろうとも思う。

しかし、
決めてもらわなければヘルパー等の手配ができないという現実から、
まだ先の予定の選択を迫る周囲の人々。

「Aが良い?」⇒「うん!」
「Bが良い?」⇒「うん!」
「どっちなの?」⇒「・・・・・」

本人に選択を求める側は、どちらでも良いと思っている。
何が何でもこちらに来て欲しいという思いがどちらか一方にあれば、
周囲の協議に結果として決めるということもできる。
その場合は、とりあえず「本人の選択」としつつ選ばれた方は選ばれなかった方にその時の様子を伝え、
次回同様の場面が現れた時の参考にもできる。

しかし今回は、
「どちらでも良い」という事柄に対し、どちらか選んでもらわないと事が進まないと言う状況。
本人は、どちらにも参加したいと言う思いはある程度それぞれに了解されていると言う状況。

やり取りが長引けば長引くほど、
本人は「問いつめられている」と言う雰囲気で、口を開かなくなっていく。
でも、決めてもらわないと・・・

彼自身が判断する材料がどこにあるかも考える。
これまでの類似した事柄を出し合ってみたり、
その日の朝から夜までの流れを、選択いかんでどのように変わるかを説明したりする。
「どちらを選択してもよい」けど「こちらのイベントに参加して欲しい」と言う思いで「プレゼン」しつつも、「相手のイベントを選択する本人の道理」を誘う側それぞれに描きつつやり取りを繰り返す。

本人が口を開かななければ、誘ったものどうしで彼ならばどちらを選ぶだろうかを語り合い、
それに聞き耳を立てる本人を横目で見たりする。

そして、
Aを選べは、ヘルパーさんが必要ないのでキャンセルすることになる。
そのヘルパーさんに気を使っているという、イベントとは関係のない所に行き詰まっている事がわかると、
事はイベントの選択だけでなく、ヘルパーというものの存在がいかなるものかについても本人と考える必要が生まれてくる。
「あなたの暮らしにヘルパーは合わせる」という風に口にしてみれば、
実は、「ヘルパー」という職柄ではなくヘルパーの「◯◯さん」に会えないというのが嫌かもという思いも見えてくる。

ますます話は複雑になり、
本人が口を閉ざすように、誘いをかけていた私たちの方もどうやり取りすればこの事態を収集できるのか黙りこくってしまった。

そして・・・
私「そういえば、Oくんはそちらのイベントに参加するの?」と相手に聞いてみたら、
相手「ええ。参加すると思います」という。
それを聞いていたHさんは突然、
「Oくん?!イエェ〜イ!!」と笑顔になった。
私「そちらのイベントにOくんが参加するならそっちにしとく?」
Hさん「うん!」
と言う事で、今回の自己選択・自己決定は一件落着。
それならばと、ヘルパーの手配等々の段取りをして(その点については本人無関心のよう)、
この話は終わった。

その上で、
「いやぁ〜。Oくんの名前が出たら、絶対にこちらのイベントに参加すると思ったので口にしなかったんですよ」という相手方。
私も確かにと思った。

そこを口に出さずに本人の選択を迫るというのは、果たして意地悪なのか?そうでないのか?

そこに「本人の意思が明確にあるのに触れないのは」という視点で見れば、支援者の勝手に思える。
一方、
常に、そう言うパターンで過ごしてきた故に「それ以外の事を知らないまま選んでいたとしたら?」
別のイベントに参加することで「Oさん以外の人に出会える機会を奪っている」という事を考えたら?
この1時間余のやり取りの意味は大きく変わってくるように思う。

そもそも、
重度知的当事者たちに選択を迫る機会がどれほどあるだろうか?
選択する事に対しどれほどのやり取りがあるだろうか?
自らが決める/決めたという機会がどれほどあるだろうか?

本人のみが選択を迫るでもなく、
周囲が決めるでもなく、
それでも、どこかで決まっていくという経験。

それは、当事者本人のみならず、支援を担う側や本人の周囲にいる一人ひとりに様々な経験を与えていると思う。
それを「本人の事を一番知る家族が決める」としてしまっては、非常にもったいない。

今回のやり取りが決してベストなやり取りだとは思っていないけど、
本人を思い、本人と私の関係を思い、本人と相手やその環境や関係性を思い描きつつ、やり取りを重ねる。

そんなところに、
自己決定というものがあるように思う。

このようなやりとりをどこまで「成年後見制度促進法」を推進する人たちは考えているのだろうか?
今回のように、「どちらを選択しても良い」自己選択自己決定についてのやり取りなしに、
遺産相続やその管理・サービス利用における契約・医療同意等々という大きな選択を本人に求めれば、答えられないのは当然で、答えられないから短絡的に「被後見人」とすると言うのは全くもっておかしなことだと思う。
posted by 岩ちゃん at 11:09| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

支援された意思決定につきあう。〜若いヘルパーや新人職員の誤解から〜

昨今よく耳にする「障害者の意思決定支援」なるもの。
他人の「意思」を「決定」するための「支援」って何?
どこか支援する側の「意図」をもって「決定」を迫っているかのように感じてしまいます。

人は小さなことから大きなことまで、
何らかの「決定」をもって日々をつないでいる。
それが、漠然としたものであっても、他者に委ねる事であっても、
自らの日々を廻す/拡げるために何らかの「決定」をもっている。

その「決定」を奪われてきた「障害者」たちの現実を知れば、
「決定を支援する」等とは言えない。
人を足蹴にしておいて手を差し伸べる事を堂々と表明しているとさえ思う。

なので、
「意思決定支援」とかその手法とか制度と言ったものに躍起になるよりも、
他者である「障害者」が何をどのように想い描き、小さなことから大きなことまでどのように「決定」しているのかを知りたい。
そして、障害当事者自らが決定したことに対し、私たちと異なる世界観の中で暮らす障害当事者を意識し、私たちの反省も含め、その実現に向けた取り組み生み出していきたいと願っている。

しかし、
こと重度知的当事者たちの「意思」という時、非常に悩ましく思う。
言葉を発しない。「イエス/ノー」でしか答えられない。行動によって表現する当事者たちの意思は?
実のところわからないまま、日々付き合い続けている私。

それでも日々を廻さなければならないので、何をどのように想い描いているのかを知る努力を積み重ねる。
「こだわり」とか「問題行動」と言った私たちの側が受け入れがたい事であっても、そこに何らかの当事者の想いがあると考える。
彼らが語る事柄に対し「現実が理解できていない」と一蹴するのではなく、
なぜ、それが現実とかけ離れているのか?その現実は誰が生み出しているのかと、
当事者よりも、我が身の方を振り返り、関わり続ける。
「本人の意思は?」等とばかり考えていては、その人の暮らしが廻らないので、
とりあえず「本人の意思」としておく事も含めて日々当事者たちと付き合っている。

そんな事を30年もやり取りしていると、
いろんな事に気づけるようになる。
今想い描いているであろうことを想定し、それが数々の誤解を生み出していた事に気づき、その誤解を修正し、再びこちらの想定が本当に当事者自身思い描いている事なのかを確認する事を繰り返している。

いろんな障害当事者たちと付き合い続けていると、
相手の想いをなんとなく理解できる機会が増えてくる。
それは、
「もしかしたら、相手はこう思っているのではないか?」という想定が関係をつなげていく毎に拡がり、
数多の想定ができるようになれば、当事者の想いにフィットする確率が高まるからだと思う。

例えば、
長い年月とりくんでいる私は、
障害当事者が置かれている状況やその中で想い描く事柄を歳の分だけたくさん見聞きする。
又、自分自身が想い暮らしの中で実感として得たものと比較できるものも増えてくる。
又、数々の失敗や反省の繰り返し、さらには理解できなかったことが理解できた喜び等々を歳の分だけ数多く持てるようになる。

そんな自分は、「言葉を発しない/行動で想いを伝える」人たちが描いているであろう「意思」を想定すれば、
10や20の想定が立てられる。
そして、その想定から「明らかに違うであろう」と言うものをたくさん除外し、
相手が想い描く事に近づきやすくなる。

「もしかしたら彼の想いは・・・」と10個想定する事ができれば、
当たる確率は高まるのは当然。
そして、本人の「意思」を知る事ができれば、その対処もできるし、想いの実現に向けて一緒に取り組む事もできる。
そうなれば、当事者との信頼関係は深まり、ますますやり取りしやすくなれば、
10個の想定から本人の意思を汲み取る事もますます容易になってくる。

しかし!
いくらたくさんの想定ができたからと言って、
その想定の中に相手の「意思」があるとは限らない。
どれほど長年当事者たちと関わっていても、当事者の「意思」がまったく見えない事がある。
そうなれば、相手にとっては信頼関係が深ければ深いほど「なぜ気づいてもらえないのか?」と、
近親憎悪のごとくかえって「問題行動」と称される展開になっていく。
こちらも信頼関係が深いと思っていた分、「なぜ思うようにやり取りしてくれないのか?」と、
付き合いの浅い人以上に悩ましく思う。

でも、
10個の想定の中に、本人の「意思」がなければ、どれほど明らかにしようとしても「意思」は明らかにならない。
逆に「10個の想定のいづれかが相手の意思」と決めつけてしまうと、10個の想定の中にない本人の「意思」は、まったく理解できないばかりか、「この10個の想定の中からあなたの描く意思を選びなさい」等という本末転倒な関わり方になってしまう。

長年支援を担う側や障害の専門家達は、
「他者の意思」を理解できる「確率」は高まっても、
確実に本人の意思を理解する事は無理です。

それは、
私たちの日々の他者との関係を考えてみれば、他人の意思などと言うものは理解できないと言うのが当然なので、障害者だからと言って別とは言う事はないのです。

ただ、
私たちと知的障害当事者の違いは?

私たちの場合、
理解できない相手の想いは、それぞれが置かれている立場を想像で入れ替えたり、
対話する事で修正したり理解を深めたり、理解を深める中で「それが私の意思」と表明できたします。
又、どうしても理解してもらえなければ、理解してもらえる人を探すという事もできます。

知的障害当事者の場合は?
まったく異なる世界観を持つ相手と立場を想像で入れ替えるという事は容易ではありません。
対話して修正したり理解を深めたり、その上で当事者自身から明確に「それが私の意思」と表明されない。
そして、理解してもらえる相手を探そうにも探せない状況が、これらをより複雑にしていく。

そんな彼らとの違いの中で
本人が想い描く「意思」を明らかにするには、より多くの想定が必要になると思います。
しかし、どれほど多くの想定があったとしても、その中に本人の「意思」がなければ多くの想定は、その人との関係においては全く無意味なのです。(でも、数多想定する事は、他の当事者との関わりの役には立つので決して無駄ではないと思います)

そこで、
登場するのが、若いヘルパーや新人職員たち。
彼らは、人生経験もまだまだ乏しく、ある程度年齢がいってから新人職員となった人たちは障害当事者との付き合いがなかったりすると、相手が何を想い描いているかという想定できる数が非常に少なかったりします。
想定できる数が少ないと、当たる確率も低くなります。
なので、長年取り組んでいる人たちや専門性を持つ人たちが想い描くことに同調したり、それを「本人の意思」として決めつけたりしがちです。
それは、決して無責任に関わっているという事でもなく、実に謙虚な気持ちから生れているという事であったりします。

小さな「意思決定」から大きな「意思決定」は、本人自身によって明確にされない分、様々な意思について想定する必要があり、支援の側にはたとえ間違っていても想定の中からいづれが本人の意思かの「判断」をもって関わっています。常に正解を求めているだけでは当事者の暮らしは廻っていきません。

小さな判断という事では、
「今晩の食事メニューは何にするか?」という事も、
支援者は判断が求められます。
判断しないとなれば、誰かが1週間分のメニューを決めるという対応もありますが、
それは、本人の意思決定につきあうのではなく、周囲の意思に本人を従えているとも言えます。
でも、健康面や金銭面も含めて考えるとその判断は難しい。
でも、そこにつきあい続けていく必要があるように思いやってきました。

そんな状況下で、先輩ヘルパーが「彼は親もとにいた時、魚が好きで毎晩魚料理を食べていた」と一言言えば
、ヘルパーは「魚料理を作る」と大概はなってしまいます。
ところが、
魚料理が好きなのは、実は両親であって、毎晩魚料理が出されるから当事者もそれを食べていただけの事。
一人暮らしを始めると、たちまち肉料理がメインになっていく。

この「たちまち」というのは、
若いヘルパーたちの中には、「魚が苦手」「魚料理が作れない」という人がいて、
頑張って作っては見るものの、上手くできず、当事者も不味い魚料理には手をつけない。
飯を抜くという事はできない。
ヘルパーの料理の腕を棚に上げ、
「本当に魚料理が好きなの?」と疑うこともある。
そこで、
ある日肉料理を作ってみたら、当事者が勢いよくおいしそうに食べてくれた。
「魚料理しか食べない」としていた先輩ヘルパーたちの思い込みを打ち破る瞬間が訪れます。
そして、それを知った他のヘルパーたちも魚料理ではなく肉料理を提供すれば、同様においしそうに食べる。
魚料理よりも肉料理の方がどちらかといえば手軽でボリュームもあるので、魚と肉の割合がどんどん変わり、
たちまち肉料理になる。

そんな経験から思うことは、
たとえ長年の付き合いの中で10の想定が立てられ、その中から本人の意思に近づく術を持っていても、
10の想定の中に本人の意思がなければ全く無意味な想定になってしまう。
「魚料理」のレパートリーをどれほど持っていても、「肉料理が好き」とはわからない。
逆に、
若いヘルパーや新人職員の想定が、たとえ1個であったとしてもその1個が本人の意思であったなら、
彼らの存在はとても大きく貴重なものになっていくのです。

11個目の想定が加われば、当然ながら本人の「意思」を当てる確率は高まります。
なので、
古くから関わっている人や専門家たちが描く「本人の意思」と言うものは、決して絶対ではない。
想定できる事を増やしていくためには、様々な人の関わりが重要。
想定という事においては、古い人も新しい人も関係なく、当事者と向き合う事が重要。

私自身、ついつい数々の当たりをひいてきた分、自分の想定の正しさを押してしまいがちです。
でも、想定にないものはどれだけ探ってもない。
なので、新しく当事者たちと関わる人の存在はとても大きいと思います。
又、それはヘルパー等福祉に関わる人たちだけではなく、社会を構成する様々な立場の人たちの想定も加わっていけば、もっともっと拡がりを生むと思います。

但し、
1個の想定がどんぴしゃ当たったからと言って、その想定が他の当事者の意思とも合うと思ってつきあえば、そこは10個も1個も同じです。
逆に上手くいった1個目の想定のみで当事者と関わるという事は、「偏見」を生み出す事になります。

なので、大切なのはいかに想定できる数を増やしていくかという事であり、長年付き合い続け数多くの想定を持つ人たちと、それ以外の想定も対等に出し合い、互いに新たな想定も描いていく。

「意思決定支援」なるものの胡散臭さを思う一方で、
「支援された意思決定」なるものも、結局は周囲の意思が当事者の意思にされてしまわないかと常々思います。

人の数だけ想いの数もあるわけですが、
こと「障害者」となれば、その人が描く「意思」さえも一括りにされてしまう現実。

「支援された意思決定につきあう」というのは、
一人の障害当事者に対し様々な人が付き合い、
様々な角度から本人の意思を想定していく。
様々なやり取りをもって本人の意思に近づく。
そして、
「たぶん」という「?」つきの周囲の判断をもってつきあい続けていく。
又、つきあい続けら状況を生み出していく。
それは、昨日の判断が間違っていても今日のやり取りで修正し合える関係を容易にしていく。
そんな取り組みの中で「支援された意思決定」なるものが垣間見えてくるように思います。

長年取り組んでいれば、そのようなことも考えるのですが、
日々つきあう当事者の意思は、新しい人も古い人もそれぞれが個別の当事者を介してつながり語り合い、
ともに明らかにする取り組まなければ全く意味がない事だと思います。

更に、
ヘルパー等の福祉の仕事を担う人たちだけに留まらず、
様々な人を巻き込んでいくためには、地域という場の中で、出会える機会を増やし、
出会った人たち値も含めて本人の意思に近づくための想定を増やす事が必要なんだろうと思います。
posted by 岩ちゃん at 11:57| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

真夜中の依頼

24時間介助者をつけて自立生活を営む障害当事者たち。
当事者たちも大概は寝ているので、私も寝ることはできる。
しかし、
時折、当事者が目を覚まし、起こされて介助を担うということはある。

私が身体当事者の泊り介助に入っていた時、
本人の声に目を覚まし、言われたことをサクサクとこなして、私も本人も再び夢の中ということはあった。
大概は、「ちょっと、トイレ」とか「喉が渇いたので水を飲ませて」とか「体の向きを変えて」というもの。
私たちにとってはちょっとした事でも、身体障害の故にそのちょっとに介助が必要。
「それぐらい朝まで我慢してよ〜」という気はない。
また、夜中何ども体位交換する当事者の泊まりは、
そんなもんだと夜中起こされる事を覚悟して介助に入る。

これが、重度知的当事者の場合はどうだろうか?
どれほど強度行動障害があっても人は寝る。
ただ、寝るタイミングが当事者と私とでは違うので、
私が寝たい時には寝ていて欲しいと思う。
夜中ドタバタしている当事者のそばで寝ることはできないので、
寝ることは諦めて付き合うのは、それなりにできる。
寝ない覚悟で本人の様子を伺っていれば、
日中と同様に何を依頼したいのか?
何に困っているのかを想像することはある程度できる。

問題なのは、
夜中は、サクッと寝てしまう重度知的当事者の場合。

普段、一旦寝入ってしまえば朝まで寝ている当事者。
寝たのを確認して、こちらも寝ることはできる。
時折、夜遅くまで起きていることはある。
それは、いつもと変わらずやり取りして、
本人のタイミングで寝入ってしまえば、
私も寝ることはできる。

しかし、
そんな人でも一旦寝入ったからと言って、朝まで起きないとは限らない。
夜中に喉が渇くということもあるだろう。
夜中にトイレに行きたくなることもあるだろう。
そんな感じで、夜中に目を覚ますと介助者はすでに寝ている。
自分でやれることであれば介助者を起こさなくても良い。
でも、そればかりではないだろうし、
ある日夜中に目を覚ますと、普段とは異なる部屋の雰囲気に戸惑い、
どうして良いかわからないという事もあるかもしれない。

親もとにいた時は、夜中になにか食べようとすれば、
親御さんは健康を気遣い止めだろう。
でも、
一人暮らしを始めれば、夜中の不摂生は本人のもの。
介助者がダメとはいえない。
しかし、親御さんが健康を気遣っていていることであっても、
「夜中はダメ」と認識していたら、介助者に頼もうにも頼めない。

夜中に気分が悪くなっても、
介助者が寝ていて気づかなければ、
起こすこともできず、朝まで苦しむことになる。
(咳が激しいと介助者は目を覚ますだろうが、腹痛だと気づかないまま朝を迎える)

日中の介助の場面においても、
知的当事者たちは介助者に頼むという事が難しい。
ただ、本人と向き合う介助者はそれなりに本人の要望を察知して、
本人が頼めるように関わることができる。
しかし、
介助者が寝ている夜中だとそれは無理。

毎晩起きてくるならやりようもあるが、
たまに起きてくるという当事者の場合、
介助者は夜中の依頼があるとは想像もしない。

起きて何やらゴソゴソやっているのを察知するも、
単に「夜中に目が覚めただけ」と描き、黙って様子を伺うのみ。
逆に、「単に目が覚めただけ」なのに、あれこれやり取りすると睡眠の妨げになったりするのでややこしい。

大概は、何事も無く朝を迎える。
しかし、
時折、夜中に起きて何かをやった痕跡があったりする。
それが、思いもよらない状態だと、
つい、「夜中に何をやってたの!」と本人を責めたりする。
でも、
その痕跡は、自分なりの対処であり、
それを責めるならば、きちんと対処できるよう介助者に頼めば良い。
頼むことができないから、自分でやるしかなかったとも言える。

昨夜、ゴソゴソ夜中に起きて電灯をつけたり消したりしていた当事者。
朝私が起きた時には、普段通りに寝ていたので、単に夜中に目が覚めただけだと思った。
でも、その後次の介助者との交代時間になり、起きてきた当事者を見て、
夜中に目が覚めた理由が解った。
そして、
それをどうすれば良いか解らずに戸惑う彼を想像した。

真夜中の依頼。
日中ならさくっと頼めたり、
答えを求めたりできることも、
夜中、介助者が寝ている時にはできなかった当事者。

その痕跡から本人を責めるというのではなく、
頼むことができなかった=頼んでもらえなかった、
私と彼の関係を改めて考えなければならないと思った。
posted by 岩ちゃん at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月31日

「失敗は成功のもと」にならない当事者たち

「失敗は成功のもと」というのは、
どこか成功したものが、過去を振り返って言う言葉のように思う。
でも、
私たちは幼い頃から小さな失敗を積み重ねて今日に至っているというのも実際だと思う。

ところが、
これが障害者と呼ばれる人たちにとってはどうだろうか?
自閉症圏にある重度知的当事者たちに対しては、
「失敗よりも成功体験を」と言われる。
それも決して間違いとは思っていないけど、
これがこうじて、
「失敗させない支援」となってしまうと話が違ってくるように思う。

「失敗をする権利」という事を言う障害当事者もいる。
それも間違いではないと思う。
他の人たちと同様に、障害があっても失敗をする権利はあると言うのは、
「失敗から学ぶ権利」だと言っているのだろうと思う。

ところが、
一度の失敗が形となって同じことを繰り返し、事をどんどん大きくする人たちがいる。
一度の失敗が極端なトラウマとなり、私たちが思い描く以上に後々まで事を引きずってしまう人たちがいる。
だから、
「失敗させない支援」というのも解るような気がする。

でも、
なにか腑に落ちない。

過去、警察沙汰になるほどの大騒ぎとなった自閉症を伴う知的当事者は、それ以後その場所へはいけなくなった。又、大好きだった博物館には、騒ぎになるも出かけていたが、
繰り返される騒ぎに「出入り禁止」とされてしまった。

正しく、
「失敗が成功のもと」にはならず、
事が起こる毎に世界が狭められてしまう現実が彼の人生にはあった。

そんな彼は、年月を経る中で、
以前大騒動になった場所に行けるようになり、
「出入り禁止」となった博物館にも行けるようになった。

ガイドヘルパーを使い、おっかなびっくりで数年ぶりに訪ねて行った。
そして、
ガイドヘルパーとして同行してみると、
騒ぎの原因が、
本人が理解しているルールとそこでのルールが違っていて、
その違いに本人もそこにいる人たちも気づかないまま事を進めた結果騒動になったことに気づいた。
又、
文脈なく語る彼の話の内容が相手には理解できず、
なんとか理解してもらおうとする彼の語りがますます理解されず、
逆に「こだわり」「しつこさ」という評価になってしまう。
理解されない彼と理解しようとしない人との結果が「出入り禁止」という事態を生み出したようにも思えた。

原因が判れば、対処の仕様も変わってくる。
ルールが違うならばルールが違うことを本人に伝えれば良い。(単に言葉の上で伝えるのではなく、実際にやってみたり、ルール通りのお店とルール通りでないお店を利用するとか)
相手に内容が伝わらなければ、相手が理解できる程度の話を補足すれば、あとは本人との会話が成立し、
会話が成立すれば、なんてことない話と本人も相手も理解する。

この件においては、
たまたま原因が判ったから対処もできた。
原因を想定できたとしても、本人がトラウマとして二度といかなければ確かめようもないし、
相手の誤解も解きようがない。

その手前で様々な関わりを作った上で、本人が訪ねて行く気になったから実現したこと。

でも、その手前の関わりがなければ、
一度の失敗は二度と取り組むことはない。
「出入り禁止」というルールを自らが変更するための取り組みをすることもない。

結局、
自閉症圏にいる知的当事者にとって、
「失敗は成功のもと」といえるのは、
身体当事者たちが「私たちも失敗から学ぶ権利」を求める事の上に、
「学ぶ権利」を実行するための支援が必要なんだと思う。

そして、
「失敗しても、支援があれば大丈夫」という事があってこその「成功のもと」なんだろうと思う。

ただ、
そんなことを言っても、何が失敗で何が成功なのか?という問いが常にある。
支援者が考える成功を本人に導くことが支援だと誤解する人達は多い。
又、
そもそも、失敗は全て本人の責任なのか?
世の中には様々な人がいて、様々な人がいるから常におりあうことが必要なのに、
一方的な「世間の常識」を当事者に押し付け、それが守れない時に「失敗」としてしまう価値判断が歴然とあったりする。

「支援・支援」と偉そうにいう私の中にもそれはある。

「失敗」が「成功のもと」になるとは、
言うは易しく行うは難しということになり、
まだまだ、当事者たちに様々な事柄を押し付けている私がいるように思う。
posted by 岩ちゃん at 13:25| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 支援を模索する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする