2015年11月05日

「だいじょうぶね」と「いっけんらくちゃく」の間にあるもの

10月31日と11月1日の両日に、ピープルファースト大会が神戸で開かれた。
知的当事者の全国大会として毎年開かれている。

毎年各地持ち回りで開かれているため、地域地域でそれぞれに特徴がある。
去年は沖縄。今年は神戸。来年は横浜。

私自身この大会には、一介助者として例年参加している。(介助を必要とする当事者がいない年は不参加)
ここ最近は、毎年参加している。

あれこれ伝えたい事はあるが、
2日目に開かれた「言葉とコミュニケーション」という分科会に当事者とともに参加し、
全国から集まった当事者たちの話を聞いていていた。

その中で、
北海道から参加したIさんの話を聞き、
不覚にも涙が溢れ、
司会者から意見を求められたが、線が切れた私はその意味を十分に語れなかった。

Iさんは、大柄の人だがとても穏やか口調で話をする人。
何度も手を上げ発言するも、話の内容は同じ話の繰り返しでしかない。
何度も手をあげるので、司会者は当然ながら他の人の発言を優先する。
また、彼の語りは単語の羅列でその意味を理解することは容易ではない。

あれこれ話しをしている彼だが、
初めに聞き取れた言葉は、「だいじょうぶね〜」だった。
あれこれ語っていたが何を語っているかわからなかった私。
発言する人が他にいなかったので、
2度めの発言が許された。
「だいじょうぶね〜」という言葉しかその意味が理解できない。
あれこれ話す言葉に何を言いたいのかそれなりに聞き取ろうとしたが解らない。

しかし、彼が
「これで一件落着」と彼がいった瞬間。

「だいじょうぶね〜」の意味が私の中で弾け、
「これで一件落着」という言葉の意味が、実は凄いことであり、なんと私自身が無力であるかを思い知らされ、彼の凄さと自分の無力の中で、なんとも言えない想いでいっぱいになった。

「だいじょうぶね〜」と「これで一件落着」という言葉。
たぶん、その意味を理解した人は私以外にはいないと思う。
理解できなくても当然とも言える彼のその二言が、さらになんともいたたまれない想いにさせられた。

「だいじょうぶね〜」という言葉。
何に対して「大丈夫」と言っているのか?
彼の日常の中で起こっていることなのか?
それとも、この分科会で発言したいことなのか?
解らない。

でも、「これで一件落着」と語る彼の、
「これで」を知る私には、彼の言葉の意味を理解させてくれた。

実は、
去年の沖縄大会の分科会で、
Iさんは車いすに乗る当事者を殴ってしまったらしい。
私は分科会に遅れて行ったためその現場を見たわけではないが、
殴られた当事者のことを知っていたため状況を聞くことができた。
ただ、その人も知的当事者でもあり殴られたショックで事の詳細は理解できなかった。
(殴られたと言っても怪我をする程ではなかった)
一方、
私が分科会会場に入ろうとした時、
凄く興奮していた。
何かあったかもと想像できる。
普段おっとりしているのでなおのこと、何か了解不能な思いでいることは理解できた。

そして、彼はその時、
「だいじょうぶ」「だいじょうぶ」と何度も繰り返し口にしていた。
たぶんこの「だいじょうぶ」が「だいじょうぶね〜」につながっていたのだと思う。

そして、
「これで一件落着」という言葉。

彼の日常における「大丈夫」を語っているのではなく、
去年あった出来事に対しての「大丈夫」であることが理解できた。

「だいじょうぶ」と興奮していた去年の出来事。
それが、
穏やかに「だいじょうぶね〜」と語れるようになった彼。
そして、
「これで一件落着」と語る彼。

人を殴ってしまったことへの反省
興奮して分科会の邪魔をしたことへの反省
殴ってしまった人への謝罪
自分は事の次第をようやく理解できたという報告
こんな自分でも皆に認めて欲しい訴え

その他、
彼が何を思って「これで一件落着」となったかは解らない。
殴られた当事者は今回参加していなかった。

彼の言いたいことが何なのかは解らない。

でも、
1年経ったところで語る彼。
私の頭の中は、彼の1年がどんな1年だったかと一瞬で振り返る。
遠く離れた地から参加しているので、私の日常に彼はいない。
毎年大会で会うだけ。

彼は彼なりに様々なことを考えたのだろう。
そして、
今年の大会で語った。

しかし、
その言葉は、誰にも届かない。
去年起こったことを知る人がどれほどいただろうか?
いたとしても去年の出来事と今年の彼の発言が繋がっていると誰が想像できただろう。
日常彼と付き合う人たちは彼の想いをどのように受け止めただろうか?
彼の語に対する説明はなかった。
日常的にも「だいじょうぶ」と言い聞かせる場面はたぶんたくさんあるだろう。
なので、日常付き合い続けている人たちにとって、その日常に「だいじょうぶね〜」を埋没させてしまっているかもしれない。

そんなことを一瞬の内に思い起こすと、
結果、
彼のみが様々な想いを抱いて発言し、
様々な想いをその二言に込めて語っても、
周囲は誰も理解できない。
誰も受け止めてくれない中で、
彼はこの1年懸命に考えてきた。

そんなことをあれこれ思うと、
普段私自身が付き合っている知的当事者たちに対しても、同様のことを私自身がやっているのではないか?
彼らはすでに語り始めている。
しかし、
その語りを受け止めるどころか、
日常生活に埋没させてしまっているのではないか。

分科会では、
「ヘルパーに理解されない私達の思い」と
「ヘルパーが抱く常識とのズレ」について語られていた。

当事者から
理解されない現実が語られ、
理解してもらうための努力が語られる。
時間が余ったので、
ヘルパーをやっている側にも発言が求められると、
そのように描いている当事者に耳を傾ける。
想いに則した介助を担う。
といったことが語られる。

主体は当事者であり、
介助者は、当事者の支援に当たるものとしてそのスキルを磨く。

そのような図式で、
Iさんの語りを理解できるだろうか?
と思う。

「言葉」に関する分科会であれば、
いかに当事者が語る言葉を聞くかだと思う。

でも、
「言葉とコミュニケーション」の分科会であるならば、
「理解してもらえない/理解してもらうために頑張る」当事者から
「理解に努める」支援者という方向だけではなく、

なぜ理解できないのか?なぜ理解しようとしないのか?
どのようにすれば、互いの意識を一致させ一緒に考えていけるのかを考える必要があるように思う。

コミュニケーションという双方向の課題。
当事者の存在が否定されている状況に対して、
当事者たちはひたすら自らの存在を訴えるしかなかった。
しかし、
その存在を認める状況下でピープルファースト大会が開かれているのであれば、
次に、
当事者と支援者/介助者が一緒になって訴えていく事を求める必要がある。
そして、
何をどのように訴えるのか?
そこに、参加者がともに考え担う道を探る必要があるのではないか?

「だいじょうぶね〜」と「いっけんらくちゃく」の間にある、
Iさんの想いを受け、
私たちは間にあるものをそれぞれの現場の中で明らかにして、ともに担っていきたいと願う。

(数日経った今も、Iさんの言葉を私自身咀嚼できていない。でも、なにか書き留めておかないとと想い書いています。なので、余り突っ込まないでくださいね。)
posted by 岩ちゃん at 17:10| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月13日

知的当事者に連れられPF大会の情宣に

 本日、多摩市社協・多摩ボランティアセンターに行って2008年5月31日・6月1日に開かれるピープルファースト大会の情宣してきました。
 私の方から当事者Yさんを社協職員に紹介し、後はYさんが、屋台出店者の募集や大会参加の事を職員に話しました。

 知的当事者と言う立場で語るYさんの話は、さすがにインパクトが強い!職員もYさんの話を受け止めようとあれこれ質問してくる。
 ところが、今年初めてPF大会に関わったYさん。これまでの大会の事や組織のことなど聞かれると分からない事もある。そこは、私の方から説明する。
 
Yさん「調布の社協では、広報に載せてくれました」
と言えば、
職員「こちらでも取り上げるので、どのようなことを書けばよいでしょうか?」
Yさん「屋台出展者募集とピープルファースト大会の事。」
職員「支援者の募集とかは良いんですか?」
Yさん「屋台出展者募集とピープルファースト大会の事を載せてください」
職員「当日のボランティアさんとかは又別の担当者がいるのでしょうかね〜?」
Yさん「・・・・・」
岩橋「Yさんの要請と言う事では、大会の事と屋台の事なのだと思います。支援者募集については、当事者が必要とするし無いではなくて、支援の側の必要性と言う事で、Yさんからの要請とたこの木からの要請と言う二段構えはいかがでしょうか?」
Yさん「いいんじゃないですか」
職員「了解しました」
と言う事で、(2月号は既に出た後なので)3月初旬に発行される多摩ボランティア通信に載せてもらう事になりました。
只、それまで時間があるので状況の報告もお願いしますと言われました。
そして、各作業所に出店の呼びかけもしてもらえることになりました。続きを読む
posted by 岩ちゃん at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

ピープルファースト大会実行委員会にぜひ参加して〜

 先日の現地実行委員会に参加していたSさん。「今晩は泊らず2日目の朝にまた来る」と言っていたのに、姿を見せなかったため、少々気にはなっていた。
 午前中お母さんから「実行委員会に参加したため、引きこもりになってしまった」と電話が入った。
 彼女には「ぜひ実行委員会に参加してよ」と呼びかけた者としての責任と、この間の彼女の様子から少々気になる事もあって、すぐさま会って話をしたいと言うことで、実家に伺った。
 
 Sさんは、家族と特定の支援者以外には、話を(言葉に)しない人で、私は長年彼女と関わっているのだが、まだ数回しか言葉を交わした事がない。

 なので、「なぜ?」「どうして?」「どうしたら?」とあれこれ聞いても言葉としての返事が返ってこない。

 本人を目の前にして、お母さんが思うところを伺い「その通りなの?」と本人に確認しつつ話を伺うことに。

 その中で見えてきたこと(多分そうだろうと思う事)は、
彼女としては、実行委員会に参加したい。
実際の実行委員会と彼女が想像する実行委員会とが違う。
いろんな人に声かけされても、その場で即答できないでいると、自分は否定していると支援者に受け止められてしまう。
二次会など不測の誘いに参加したいと思っても、支援者の都合で参加できなかった。

a 特定の人としか話できない彼女にとっては、様々な想いがあっても会議の場で自らの話を出す事ができない。
b 自らの想いを出すための支援が充分受けられない中で戸惑いうつむいてしまうと乗り気でないと判断される。
c やる気がない人に対する支援者は何も支援できない。
a→b→c→aと言う循環の中で、結局は介助者の判断のみでつれまわされることなり、「もう行かない」という結果になったようだ。

 私は、彼女の参加の是非を問うつもりはない。私としては、ひたすら彼女が持つ経験や状況を彼女だけのものとしているのがもったいないくらいにその存在の大きさを感じている。
 故に、ぜひ参加して欲しいと願う立場にいる。
だから、彼女が参加すれば参加した中での支援を考える。参加しなければ、参加できないと言う現実の中で彼女の支援を考えるだけである。

 が、目の前に当事者がいるのといないのとでは、その思考のめぐらせ方も大きく変わる。
「もう行かない」と言う彼女に対しては、なんとしても参加して欲しい。と訴えた。

 そもそも、参加したいと思っている彼女としては、私の呼びかけてに、「じゃあ次回は参加する」と言う表情を見せる。
 参加の意思が確認されれば、後は何故「しない」と言ったのか?何をどのように支援すれば彼女は実感を持って参加できるのか?を考えなければならないと思う。

 今回の彼女とのやり取りの中で、
「当事者主体」と言う言葉があるが、知的当事者を支援していると、「当事者主体」が「当事者主義」に陥っているのではないかと反省する。

「当事者が決めること」と支援者が言った場合にどこまで支援の側が当事者が「決められる」支援を行っているだろうか?
「当事者が言っているから」と当事者を出汁にしていないだろうか?

たこの木は、常々「当事者団体ではなく、支援団体」と言っている。当事者のために何かをする団体ではなく、「支援」と言うものが何なのかを当事者との関係の中で常々展開している(つもり)。

 「当事者主義」になってしまっては、支援の側に立つ私の存在が当事者抜きには語れなくなる。
 当事者の主体と支援者の主体。そのぶつかり合いがあってこそ、それぞれが主体的な取り組みになると思う。

 が、「当事者主体」と「当事者主義」なんとなくその違いが見えているのだが、言葉にできない自分が情けない。

 これって、「トレビアの種」ならぬ「たこの木BBSのネタ」になりますかね〜
posted by 岩ちゃん at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

現地実行委員会合宿2日目

 先日のたこの木通信作業後の呑み会に参加したAさん。その折「実行委員会に参加してよ〜」と言う私の発破に応え、2日目の朝から参加してくれた。
 彼を知る私としては、彼が持つ経験を全国の当事者と共有する事ができればとても素晴らしい展開があると思っている。
 しかし、Aさん自身はそれは特段変わったことではなく、ごくあたりまえに過ごしてきた事柄。
 なので、実行委員会には来たものの何をどのように切り出せば良いのか戸惑っている。
 「Aさん。例えばこんな事、あんな事を展開してみては?」と伝えるが、「なぜ?」と戸惑いは増すばかり。
 さてどうしたものか?

 会議が始まると、当事者のNさんから電話「Yさんと一緒に今日の実行委員会に参加する」との事。
 Yさんははてなのたねのヘルパーだが、そんな段取りは組んでいない。別の事業所のヘルパーの間違いかもしれないと、彼に関わる支援者に連絡するも、誰も聞いていないとの事。
 ようするに、彼としては今日参加するつもりでいたのだが、参加するための支援の手配を誰もしていなかったと言うこと。

あちゃ〜!
またやってしまった!!

地域で様々な関係性の中で自立生活をするNさん。
事を誘う側・生活空間を支援する側・その日の支援を担う側。それぞれがそれぞれに関わる事で、彼は管理されることなく地域で過ごしている。しかし、時に彼の胸の内だけで決めている事柄を、エアーポケットのごとく、誰も確認せず本人のみがやる気満々になっている場合がある。
 決して、彼がうそをついているわけでも勝手に決めていたわけでもない。
 周囲の人の声を聞き自らが参加の意思を表明していたのにも関わらず、そのことを確認せずに「今回は参加しないんだ」と勝手に決め付けてしまった私の責任。
 一言確認し、一手間支援の手配をしていれば、彼もこの場にいたのに…
 Nさんには本当に申し訳ないことをした!
posted by 岩ちゃん at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月22日

疲れた〜現地実行委員会

 22・23日と東久留米にてピーピルファースト大会現地実行委員会が開かれた。
 来月の全国実行委員会に向けた準備と現地での準備を担う人たちとの交流を兼ねた合宿でした。
 
 初めて出会う当事者も含め、会議を重ねるごとに個々の当事者との距離感は縮まってきているように感じる。しかし一方で、距離が縮まるごとに一人一人の想いも見えてくる中、今度はその想いをどのように実現していくのか?そのための支援のあり方は?と想い描く自分がいる。
 しかし、まだまだお互いの背景が見えていない中で、当事者の語る言葉の中身が何なのか?本当に自らの想いを語っているのか?を考えると、何が何だか分からなくなってくる。その上での会議の進行。

 夜の交流会にてお酒を酌み交わしつつ当事者や支援者達と話をする。普段なら徹夜で呑んでも平気な自分が今日はドッと疲れが出て、元気な支援者についていけず、早々に床についてしまった。

 「お前の言っていることは違う!」と私を糾弾する当事者の発言。夢だか現実だか分からないほどリアリティーのある夢。
 朝起きて、わけも分からず反省してしまった。
posted by 岩ちゃん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

要望を待って動くか?  支援の側が仕掛けるか?

 来年のPF大会に向けたこの木としても個々の当事者が自らの想いを実現できるように日々様々な形で支援している。
 今日は、T市に住むYさんの支援をめぐりYさん自身と話をした。
 たこの木としては、団体の意向の前に当事者個々人が実行委員として活躍できるよう周囲の当事者に呼びかけをしてきた。
そんな想いに応え現在活躍中のYさん。
 現時点での実行委員会は、それぞれの想いを出し合う事が中心で、彼も自らの想いを事務局や会議の場に出している。
 想いを語る分には彼には支援はあまり必要ない。又会議等が開かれる会場にも一人で行けるとなれば、個人の支援は必要ない。

 しかし、この先具体的に動き始めた時、どこまでYさんだけで担えるだろうかと考える。
 あと半年間、やりきる可能性もあれば、具体的な準備をする段で行きづまることもあるかもしれない。
 やり切れれば良い何ら問題は無い。でも、行き詰った時誰がYさんの想いを受けてYさんを支援するか?
それを考えると、準備が進んだ先でいきなり支援者がついてもYさんの想いもその時の事態を飲み込めないだろう。又、その頃には今Yさんが頼りにしている事務局サイドの支援者達もそれぞれに動き回っているだろうから、Yさんと一緒に動くと言うのも難しくなっていると思う。

 なので、現時点からYさんと一緒に動き、大会を準備する支援者を確保しようかと提案した。
 
 でも、Yさん自身これから先のことについてはリアリティーが無いため、「僕には必要ない」との事。

 と言うことで、話はすぐに終わったのだが、こちらが支援者として予定していたMさんには、「個人で実行委員会につながる中で、Yさんが必要とした時のためにスタンバっておいて!」とお願いしたが…

 生活のかかっているヘルパーさんにとって、実際の派遣が無い中では賃金がもらえない。
 なので、こちらとしては頭を下げてお願いするしかないのだが…
 とりあえず、こちらの要望に応えてくれるMさんには感謝
posted by 岩ちゃん at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月18日

ピープルファースト大会IN東京第2回全国実行委員

 2007年9月30日に続き、第二回目の全国実行委員会が戸山サンライズで朝から夕方まで開かれた。
 当事者が開く会議をいかに支援するかと言う支援の側の課題は尽きない。それぞれが担う日常が違う当事者が全国から集まってきて開く会議では尚のことだ。

 前回全国実行委員会に参加した時には、数々の支援の課題を上げたが、今回その一つでも何らかの進展を得たかと言えば… 頭を抱えてしまう。

 私と同じ立場(フリーな立場で当事者が開く実行委員会を支援しようとする人)の人が、「当事者が開く会議を只々聞いているのは苦痛で…」と言っていた。確かに、当事者が語る言葉の意味やその言葉が発せられる背景を知らなければ、まったく意味不明のまま会議が進行していくだろう。

 でも、私自身は今回一昨日・昨日と会議に参加する当事者の方々と出会い話をできた事で少し受け止め方も変わってきたように思う。
 同じ会議での当事者の言葉を聞いていても、当事者が語る言葉の行間も感じつつ聞いていると、興味や関心が尽きなくなってくる。

 前回は、只会を代表し会の意見を持ってきただけに見えた人も、それぞれの理解や意見を持って望んでいること、又それぞれの地域での取り組みから出てきた意見である事も知れたことはとても大きい。
 
 まだまだ私自身が理解していない事柄がたくさんあるとは思うが、「ピープルファースト」と言う言葉どおり、まずはそこに集う当事者一人一人を理解しその一人一人が暮らす日常を理解する事から始めていく事が大事だと思った。

 そして、私自身大会の中身である「入所施設」の問題や差別・虐待等々の問題は、決して当事者の問題ではなく、そのような事柄を招いていしまっている社会の側すなわち私たち自身が当事者に負わせている事柄として、取り組んでいかなければならないと思っている。

 当事者たちが担う課題ではなく、私たち自身に突きつけられる問題として立てたとき、実行委員会に集まる一人一人の存在はさらに大きさ増す。
posted by 岩ちゃん at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

PFにもいろいろ

 東京には、3つのピープルファースト(PF)団体がある。
 一つは、日野市にあるPF東京。もう一つはPF東久留米。そして、最近誕生したPF八王子。
 PF東京とPF東久留米とは、普段から交流があり、団体としての活動にも連携している。
 最近できたPF八王子は、そこに集う個々の当事者とは、ガイヘル情報交換会等を通じて知り合いなのだが、会としての付き合ったことはなかった。
 
 今日は、その定例会があるというので参加させてもらった。
 明るく論客ぞろいの会で、みなさんいろいろ楽しく会議を進行していた。
 話の進め方や支援者の関わり方、物事の決め方等々、PF東京の会議とも違いPF東久留米とも違う。
 それぞれの会がそれぞれの当事者ともに作り上げ、そこに関わる支援者のスタンスも違う。
 
 PFの会と言っても様々であることを改めて知った。続きを読む
posted by 岩ちゃん at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月27日

明日は2008年PF大会現地実行委員会

 明日は、来年の大会予定地である潮風公園にて2008年PF大会現地実行委員会である。
 明日の実行委員会、Yさんは「仕事のために出席できない。」Rさんはとりあえず「行かない」といっていたが、もしかしたら「他の予定とごっちゃになっているかもしれない」と言う疑惑が浮上。さてさて、明日はどうするか?
そして、誘えば「行く!」というNさんは支援の手配がつかなくて会場までは私と一緒。会場では他の介助者と一緒に参加することになりました。
(参加してくれることを一番に喜んでいる私なのに)Nさんに「本当に行くの?」のと聞く私。
「近くにディズニーランドがあるけど、実行委員会に行かないでそちらに行っても良いよと言われたらどうする?」等と聞いても、実行委員会に参加すると言うNさん。
(こちらの意思がバレバレなのだろうけど)「行くと言った限りは、ぜひNさんの自立生活の事や他のいろんなことをみんなに伝えてね!」とお願いした。

さて、明日の実行委員会。
どんな課題を支援の側に提供されるか?
とても楽しみだ!!
posted by 岩ちゃん at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月30日

ピープルファースト大会IN東京 第1回全国実行委員会報告

とは言っても、当事者が開く委員会。私が報告する役でもないので、やはりここは支援者として参加する私の想いを報告します。

日時:2007年9月30日(日)10:00〜17:00
場所:東京ファッションタウンビル 会議室
内容:実行委員の紹介・昨年のヒロシマ大会の反省
   東京大会に向けての話 等

 私としては、初めて参加する全国実行委員会。兎にも角にも、支援と言う立場で支援と言うものに関する課題が次から次へと見えてきて「このブログのねたはむこう1年充分にありすぎる」と言う感覚を持って帰ってきました。(この先会が進むにつれて一体どうなるのだろうかと言う不安と感激が入り混じっています)
そこで、私が感じた課題を挙げてみたいと思います。

課題:情報を共有する
 それぞれの背景が違い、支援の状況が違い、まして当事者個々人が思い描く事柄が違う全国の仲間が集まった時、会議と言う言葉のやり取りの場で、情報をいかに共有していくのか?
 普段付き合っている当事者の発言の場合、言葉足らずの部分や言葉の使い方が間違っていても、本人が言いたいことを理解できる。
 しかし、普段あったことの無い人の発言を聞いていると本人の想いとは逆の意味で捉えたり、誤解をして議論が違う方向に行ったりする。
 情報を共有することにおける支援とは何だろう?又そのための手法は何かあるのだろうか?

課題:当事者自身が議論するための支援
 いろいろ議論が白熱すれば、既に用意してきた発言ではなく、その場で考えなければならない事柄が生まれてくる。しかし、白熱した議論を理解し自らの想いを語ると言う事は非常に難しい。当事者自身が議論の流れについていく支援・当事者が議論の流れの中で自らの意見を発するための支援はどのようにすればよいか?
 
課題:本人の意思?支援者の意思?
 支援者は本人の意思に則して支援をする。しかし、本人の意思がどこにあるのかがなかなか見えない時がある。
 事柄が理解できない。考えるのに時間が必要。意見がまとまらない。そんなことは私にもたくさんある。が、当事者自身がどのような思いにいるのかが見えない場合でも会議が進行する場合、支援者が必死の当事者支援をしていても、当事者はどこか支援者の価値観や考え方捉え方を持って判断する事もある。
 それも当事者がその支援者を選んで使っているから本人の意思と言える場合もある。しかし、そうともいえない場合もある。
 このテーマは常についてまわる事だと思うが、待ったの聞かない会議と言う場面。悩みは尽きない。

課題:意見をまとめる事・決める事
 個々の自己選択・自己決定の保障を常に考えてはいるが、その個々が集まる会議の場。個々に出される意見を集約し、事柄を決めて行くということは非常に難しい。特定の当事者の意見に流される場合もあれば、充分理解していない中で結論を求められ、とりあえず手を上げるということもある。
 司会者や議長の意思も大きく関わってくるだろう。又、判断する時に当事者の皆さんが気付いていないこともある。
「当事者が気付いていない事は、支援者が教えて」と言われるが、その支援者も気付いていない事や支援者間での意見の違いがあったりもする。
 当事者自身が意見をまとめる事・決める事、それについてどのように支援していけばよいのだろうか?

課題:実現する事
 「がんばります」「やりたい」と言う当事者の積極性はとても素晴らしいと思う。しかし、その具体的な場面に関わりを持ち始めると、それをどのように実現するか?と言う過程も課題になる。
 私たちは、当事者よりもいろいろ知っていることがある分、「それは無理」「難しさを理解して言ってるの?」と言う想いも持つ。又、当事者がやりたいと言う事に付きあえる状況がなければ、支援者はどこか後ろ向きになってしまう。(当然私も含めて)
 支援者は、意識的にマイナス要因ばかり並べて、当事者自身があきらめることを仕向けようとすればできなくない。
又、そのことに無自覚でも支援者の顔に現れるものを、当事者が感じブレーキがかかると言う事もある。
 「当事者がやると言った事に支援者はまずはやる。」「それが実現できない事であるかどうかを考えない。」「万一実現できなかったと言う結果がでても当事者が引き受けられる支援をする。」
なんて言葉では言えるが、実際はそんなに単純では無いだろうし、様々な人が集まり決めて行くことを実現するための過程には様々な課題が潜んでいるように思う。

課題:「みんなでやる」と言うけれど…
 時に、みんなでやれない場面がある。それでもみんなでやれるように考えて行くことがみんなでやることにつながると思う。しかし、そう考えようとしても支援の不足・支援者の価値観の違いから参加できない多くの当事者がいる。
 目の前で会議を開いている人どうし、日々あっているものどうしなら、一緒に考える事ができても、目の前にいない人のことや日々の暮らしで会う機会の無い人たちの事を当事者自身が想像し議論する事は非常に難しい。
「やりたいなら来れば良い」と言う発言があってもこれない状況をどうするかについての議論にはなかなか行き着かない。
 そんな時は、当事者たちの意思を越え支援の側がいろいろ提案し、動き回る事も必要かと思うがその範囲がどこまで許されるのだろうか?

 その他もろもろ、当事者支援を日々考えている私でさえ、私個人としての様々な意見は持っていて、賛同できる当事者の意見もあれば、賛同できない意見もある。賛同できないから関わらないでは、当事者は支援者の賛同を得られることしか決められなくなってしまうので、賛同できないことに対しても支援しなければならないと思う。(でも現実は・・・)

今回は会議の内容と言うよりも、支援者として支援とは何かをいろいろ考えさせられた。全国から集まる当事者の意見をただ会議の場で聞くだけでなく、昼食時や休憩時、「あの発言の意味を教えてください」と積極的に個々の当事者に接しもした。
 
 会議に参加していたMさんが「今日は誰の介助?フリー?」と聞いてきた。長年この「業界」で活動していると知り合う当事者も多く、全国レベルの集まりとなると、普段なかなか会えない人とのやり取りもたくさん生まれます。そんな中で、特定個人の介助で参加しているとどうしても、私個人と介助と言う立場に挟まれるので、今回はフリーな立場で同席させてもらいました。
 フリーであるからこそ、会が始まる前から昼食時そして会が終わった後でもいろんな人と話を交わすことができ、私にとってはとても有意義な一日でした。
 そんな幸福な立場を得た私が思うに、
支援者が介助者と言う立場や実行委員のお役を持って参加する事でいろいろ学ぶ事がたくさんあります。
 でも、そこに集う当事者との出会いを求める目的をもって、個人で参加することは、普段とは違った風景画見えると思います。
 「今回は介助者ではないから」と参加しないのではなく、「介助者ではないから参加しました」と多くの支援者が当事者活動に関心を寄せる事を願っています。
 特定の個人や団体を離れ、介助や支援者と言う立場を離れ、個人として当事者活動の場に関わる事で様々な事柄を感じる事ができると思います。
 ぜひ一度、自由な立場で同席されてみてはいかがでしょうか?

 そして、先に挙げた課題やまだ見ぬ課題をともに担っていける人が数多く現れる事を期待しています。続きを読む
posted by 岩ちゃん at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ピープルファースト大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする