2011年02月12日

今日からいよいよ自立生活獲得プログラム

本日午後、当事者宅に伺い本人と身の回りの荷物を持ってかぼちゃ畑に入る。
これからどんなやり取りが生まれるか?期待と緊張が高まる。

午前中スタッフYさんと打ち合わせ。

本人が自立生活獲得プログラムを受けてこの先自立生活を実現していくという実感がどこまであるかも定かでない中で始まるプログラム。
本人の実感がどこにあるかは全く分からないけど、このまま家族とは住んでいてはこの先益々暮らしが成り立たなくなる現実。

とにかく始めるしかない。
でも何も確かなものはない。
でも、始める。

今はそんな状態です。

でも、打ち合わせをしていて思ったことは、
いろいろ想定される事柄が、支援者の側にあると言う事。

すなわち、
他にすでに自立生活をしている人が何人もいて、彼らがくぐってきた歴史や現状どのように支援しているかを、支援の側も実感していると言う事。

例えば、お金の管理方法のを見ると、
ある人は日々の生活費を本人が持っている。
別の人は自由に使えるだけを本人が持っている。
ある人はすべて介助者が持っている。

例えば、支援者間の連絡方法を見ると
ある人は本人から伝え不明な点は支援者間で連絡を取り合う。
ある人は連絡ノートを使いやり取りする。
ある人はMLでやり取りする。

人それぞれの支援と言っても、どのようなそれぞれがあるかがイメージできないと支援の組み立て用もない。
でも、先人たちが作ってきた事柄を参考にしつつ、これから組み立てようとする当事者に向き合うのは、とてもやりやすい。

先人たちのアイデアを拝借する。
先人たちのアイデアを修正しつつ作る。
新たなアイデアを生み出す。


今日から始まる彼にあった支援がすでにあるわけではなく、これから新たに作るうえで、
スタッフと話をしている事は、まだ見ぬ当事者のこれからではなくすでにくぐってきた当事者の話の方が多いように思いました。

さあ〜!
昼飯食ったらスタートです。
posted by 岩ちゃん at 12:13| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

自立生活獲得プログラム開始前日

いよいよ明日から自立生活獲得プログラムが始まる。

重度知的当事者の自立生活支援。
何をどのように準備すれば実現できるのか?をあれこれ考える。

が、
この10数年一度たりとも、こちらが用意した支援内容にはまる当事者はいなかった。
「何事も事前準備が肝心」と言われるが、
その「事前準備」に当事者がはまらなかったら、準備にかけた分修正するのが大変になると言う事もある。

なので、まずは当事者と向き合い当事者とのやり取りの中から考えて行く方がやり取りしやすい。

一番初めに自立生活を始めた人の場合は、その彼と関わる人々すべてが当事者と一緒に向き合い、一緒に自立生活に向けたやり取りを重ねてきた。
なぜなら、今のようにヘルパー制度もほとんどなく、みんなで目の前にいる人の状況を何とかしなければならないからだった。

ここ数年すでに仕事として当事者と関わる人たちの手も借りて自立生活に向けた取り組みを行っている。
すると、ヘルパーはどこか指示されたことはできても支持されないことはやれなかったりする。
知的当事者の支援の難しさは、その場での判断をその場にいる人が判断しなければならないという点。
しかし、その判断は様々な事柄を勘案し判断するので、結局スポットでしか関わっていない人には判断できなかったりする。

そんなわけで、あるところこちら側がヘルパー等スポットで関わる人たちに対しある程度の判断を伝え動いてもらうという事も準備しなければならない。

しかし、判断する役の人が当事者のすべてをわかっているわけではない。
たとえ自分と当事者との間でできた事であっても、それは事柄を本人が理解して行っているとは限らず、その人との関係の中で成立している事だったりする。

その点も含め、自立生活獲得プログラム前夜。
可能な限りの準備を行いつつも、それはあくまでもこちら側から見た当事者を想定したてた準備であり、
準備したことが「はまらないかも」と言う気持ちを一方でもちつつ明日からの取り組みに入っていきたい。
posted by 岩ちゃん at 22:53| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

とりあえず支援マニュアル

いよいよ明後日から自立生活獲得プログラムが始まる。

かぼちゃ畑と言うアパートの一室で重度の知的当事者が介助者とともに暮らし、自らの暮らしをイメージしていくとともに、支援者はその人が必要とする支援やその人に必要な支援を日々の暮らしの中で明らかにしつつその形を生み出していく。

時には理想を求め、時には超現実の中で、本人を中心に選択肢とそこから生まれる自己決定と自己実現を求めていく。

ただ、実際の生活を始めつつこれからを描くためには、とにかく実際の生活を回さなければならない。

自らが介助者にあれもこれも求める事の出来ない知的当事者の場合。
本人の要望を待っていては生活が回らない事が多々ある。
又、本人の要望通りに介助していたら生活が回らないと言う事もあるだろう。
だからと言って、支援者が仕切り支援者が本人の自立生活を作るというわけではない。

とりあえず、生活は回さなければならない。
そして、生活を実際に本人とともに回す中で、本人も言葉でのやり取りではない具体的な要望を出していくだろう。

そんなわけで、
現段階で想像できる本人の暮らしとそれに伴う支援のマニュアルを作成し、
マニュアルにある面則りながらも、本人と向き合う中で次々に書き換えられていくことを願っている。


※やる気先行で始まる自立生活獲得プログラム。
日々の支援を埋める介助者もままならない状態です。
お手伝いいただける方・一緒に考えてくれる方は、ぜひたこの木までご連絡ください。

連絡先:たこのき@s7.dion.ne.jp
        ↑
     takonokiに置き換えてね
ちなみに・・・
posted by 岩ちゃん at 19:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月08日

初めてだからという理由はいかがなものか?

自立生活を始めようとしている当事者の支援を巡り行政とやり取り。
先月、本人や家族の意向を市行政に伝え、自立生活に向けて市としても理解と支援を担って欲しいと話をした。

具体的には、
市外の自立体験室(たこの木のかぼちゃ畑)で体験中に、ヘルパーの派遣を認めて欲しい。と言うもの。

わが市においては、すでに実績のあることで、認める理由としては
ヘルパー派遣は本人に対するもの。
本人の生活はどこにいても支援を必要とする。
入所施設には地域移行費と言うものが支給されるが、地域で育ち親元を離れて生活を始めようとする時の手立てがなく、本人と家族は0か100と言うリスクを負わされている等々。

今、現実に何の支援もない中で家族が本人を抱えると何が起こるかわからない状態であり、一日も早く家族の単位を分ける必要があり、その手立てが自立生活である。
しかし、私たち自身も本人に立った支援を担う上で、何をどのように支援してよいかわからない中で、いきなり自立生活を始めるよりも、支援者もまた練習期間を設けることで、今後の支援が容易になる。(その結果、支給量の削減にもつながる)

よって、自立生活上必要な支給量を求めるものではなく、行政も事業所も新たな取り組みに対し歩み寄れる量を支給してほしいと伝えてあった。

その結果は・・・
「市としては初めてのケースであり、たこの木の支援についても存じていないので支給できないと言う事になった」との事。

おいおい!!
たこの木が考えこれまでになってきたことを知らないならしっかり聞いてくれれば何ぼでも説明します。
初めてのケースと言うが、何事も初めてというケースはあるが、市として知的当事者の自立をどのように考えているのか?初めてだからを理由にしたら何も始まらない。
と、すぐさま反論。と言うかまったく回答になっていない!!

たこの木としては、居宅介護が支給されたとしてもそのお金は支援を担う各事業所に渡すことになっている。
各事業所にとってこの取り組みは赤字でしかないが、当事者の自立を願い手を挙げてくれている。

なのに、行政はまったくもって何も担おうとしない。

「私たちは、結局のところ当事者が自立生活を実現できれば良いのであって、その方法を行政が見出してくれるならば、なんでもお手伝いしますよ」「初めてのケースならば、なおの事どうすれば住民の暮らしが守られるのか真剣に考えて欲しい」

結局は、再度課内で検討すると言う事になった。
ていの良いリップサービスを聞きたいわけではない。
自立支援法で定められている福祉計画の中に、地域移行する当事者の人数が盛られている。
しかし、一方でそれを上回る施設入所希望者がいる。
施設入所を希望しているのは、決して本人ではない。
家族が抱えきれなくなった先の選択肢がそれだけしかないからだ。

ならば、地域で育ち地域であたりまえに暮らそうとする人を支援することで、施設入所を希望する人は減るだろう。
地域であたりまえに暮らす当事者が増えれば、その担い手も増えるし、街を歩く当事者が増えればそれだけ社会全体が良しとできる事も増えるだろう。
私としては、行政も事業所も私たちもそして本人自身もそれぞれが持ち出し懸命に「自立生活の獲得」に向け担っていくものだと思う。

その一番初めでとん挫しようとする行政。

ならば、実際アパートを借り、実際の生活を始めたら、当然ながら居宅介護の支給はしなければならないし、後戻りできない抜き差しならない状況の中では、本人の命を守るという観点から必要以上の時間数を交渉しなければならないし、交渉するならそれこそお互いが大事にもなるし消耗もする。

当該市も身体当事者の自立にあたってはそのような消耗戦も経験しているわけで、お互いが消耗するよりもお互いが力を出し合い次を生み出す手立てをともに考えて欲しいと願う。

「初めてのケースだから支給できない」と言う理由は、決して事例があればOKと言う話ではなく、そもそもは関わりたくないという理由。

さてさて、
今後どのように展開するか?
今日は時間切れとなったのでまた明日行こうやり取りをすることに・・・・




posted by 岩ちゃん at 21:28| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

他の事業所からも…

とあるお母さんと街でばったり会った際の会話。

私「お久しぶりです。お噂聞いていますよ。今度息子さん自立生活を始めるんですよね〜」
母「そうなのよ〜。20歳になって年金が降りたら家を出ると言う事で準備してて…」
私「それはそれは、うれしいですね〜」
母「今日も事業所の代表が市役所に話に行ってくれたのよ〜」

私「この先いろいろあるでしょうけど、周囲の人に委ねていくしかないですね〜!」
母「これも、たこの木さんがあったからで…」
私「いえいえ、お母さん自身が様々なつながりを作ってきたからですよ」

久しぶりにうれしい話を聞いた感じ。
子どもはヘルパー派遣事業所に委ね、自らは他の派遣事業所に勤めるお母さん。

とかく、わが子の事では頑張れる親は多いが、わが子は人に委ね、自分は他の人の支援に回る。

私自身親に対して、「人に委ねなさい」とよく言うが、
委ねた後に残された親の事まで手が回らないのが現実。
(それ故に、委ねられないと言う事もあるだろうが)

今後の展開がとても楽しみです。 
posted by 岩ちゃん at 00:00| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

やるっきゃないぞ!自立生活獲得プログラム開始日決定!

まずは、介助シフトを埋めるべく四苦八苦してきたスタッフYさん。
「埋まらなかったら自分が入るしかないでしょう」という意気込みで、
2011年2月12日(土)から始めることに決定しました!

重度知的当事者が自立生活獲得するには様々な課題があります。
しかし、その課題のすべてを解決してから始めるとなればいつまでたっても始められません。
又、自立生活を始めるのはまさに当事者本人で、具体的な場面で当事者自身が実感を持って取り組むには、実際生活を始めてみないとその実感も湧きません。

昨日のすいいち企画で当事者に
「12日から自立生活の練習を始めるよ」
「かぼちゃ畑で泊まるよ」「生活するよ」「暮らすよ」
「12日に家を出るんだよ」
「かぼちゃ畑で介助者と一緒に住むんだよ」
等々話をする。

本人は言葉に反応しているようで、大声で笑ったりうつむいたりするも、それはあくまでも言葉に反応している様子。
実際、かぼちゃ畑に住んで始めてみないとその答えはわからない。

ただ、「嫌だと言っても始めるからね」という私。

当事者が自立生活を始めるのって、決して「バラ色の人生」ではないし、もしかしたら「イバラの道」かもしれない。
ただ、言えるのは親も年を取り親が当事者の暮らしを支えていくと言う事は無理だし、体力や精神力が衰える親のもとで暮らすと言う事は、当事者自らも衰えていく親の範囲内でしか暮らしが回せなくなる。

親の限界と本人の限界とは全く別物。

なので、30才を過ぎた彼は彼自身の暮らしは暮らしとしてあってよいと思います。

そして、その実現が難しいのは決して本人や家族の力量の問題ではなく、支援の側の問題。

なので、「自立生活プログラム」ではなく「自立生活『獲得』プログラム」
プログラムを開始すると言う事はすでに自立生活を獲得するという前提。
そして、獲得できない様々な課題は支援者の課題。
なので「自立生活獲得プログラム」は当事者が自立生活を獲得していくためのプログラムではなく、当事者が自立生活をするにあたって何をどのように支援すればよいかという「支援者プログラム」なのです。

そして、その中身は・・・
実際に始めてみないとまるで分らない。
経験上想定できることはあってもあくまで想定でしかない。

なので、
2月12日にプログラムが始まるというところからあれこれ様々な人とともにこれから自立生活を始めようとする当事者に対する支援考えていきたいと思います。
posted by 岩ちゃん at 11:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

親から引き継ぐものは・・・

これから自立生活を始めようとする知的当事者の親と電話でやりとりした。
話の内容は、「本人の今(まで)の暮らしについていろいろ聞かせて欲しい」という申し入れ。

基本本人に聞いてやり取りすればよい話なのだが、なぜ親に話を伺うかと言えば、本人が今までの暮らしぶりを自らが語れないから。
そして、親から聞くのはあくまでも「今までの暮らし」についてであって、これからの希望を聞くわけではない。

そもそも、それさえ本人とやり取りし本人なりの暮らしのルールというものを本人と一つ一つ確認したり、一つ一つ作っていけばよいのだが、
言葉でやり取りできない人なので、
例えば、事柄の進行に固まってしまった時、
「今までとやり方が違う」という意味なのか?
「新たな事柄なので判断がつかない」なのか?
それによっては声のかけ方も違えば本人とのやり取りの方法も違ってくる。

まるっきり情報がないところではそれさえもわからないので、とにかく「今まではどうだったか?」という点を聞いておきたいというのがこちらの趣旨である。

ところが、
今日のアポ取りの電話においても、
「今日も自立生活を始めたらどんな生活がしたい?」「食事とかはどうするの?」「ひげはヘルパーさんに剃ってもらえるの?」
等と本人とこの先のやり取りをしたらしい。
親ごころとしてはわからなくもない。

でも、それを聞いた私は、
「まだ、本人にとって実感のないやり取りをお母さんとすることで、実際これからの場面で彼にとってはお母さんとのやり取りだけが残り、実際これからヘルパーさんたちとやり取りすることが、ややこしくなるかもしれないよ。それよりも、今までの暮らしを一緒に振り返り、一人の大人として出ていくんだね。とでも励ますのはどうだろうか」という話をした。

かぼちゃ畑(たこの木所有の体験室)での実際の暮らしを通じて、本人と支援者とでやり取りがこれから始まる。
その直前にあって、今親から伺うのは、「今までの暮らし」
「自立生活への取り組み」は新たな取り組みではあるが、本人にあっては連続性の中にある。
それ連続性を知ることが今親から伺いたいことだと思っている。

逆に、支援者の側にありがちなのは、「ご自宅でそうしていたなら同じようにしましょう」という対応。
それだと、心機一転本人がこれからの歩みを始めるのではなく、親の子育てを引き継ぐことになってしまう。

本人が親から引き継ぐものもあるだろし、親から離れることで試してみたいこともある。
新たな環境や新たな出会いの中で、混乱することもあるだろう。

それでも、新たな暮らしに向け、本人は一歩ふみ出ようとしている。

親は子育てを終え、私たちは支援を担い始める。
その狭間の今。
今引き継ぐことは、支援の中身ではなく親や家族とやり取りしてきた事の「情報」だと思う。
そしてその「情報」は「情報通り」ではなく、今後を作るために活用する一つのアイテムでしかないと思う。

ちなみに・・・
posted by 岩ちゃん at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月01日

親からは言えないでしょう・・・

昨日の記事:http://takonoki-p.seesaa.net/article/183301405.html
これって、私自身は支援者の立場であり、同じく支援者の立場の人たちに向けての話。

同様の事を親が言ったらどうだろう?
「自立は本人のものだから、親は口出ししません。支援の方々と本人とですべてやってください」と言ったら?

私は大いに喜ぶのだが、現実はそうではない。

「そんなことを言う親は無責任」
「親にだって役割はある」
「本人も親を求めている」等々。

多くの人は本人の自立にあたって親の関わりを求める。
又、親自身も自分自身に何か果たすことはないか?
支援の皆さんの大変さを解消するために
親としての務めは?
等々。

子どもが自立生活するにあたって様々な想いを抱くだろう。
又、様々な想いを抱く故に、子どもを自立させる事に躊躇する人もいる。

又、介護といえば介護保険がメジャーで、この介護保険が家族支援をベースとしているために、知的当事者の支援についても同様の感覚で見ているように思う。

しかし、重度身体の人たちは「自らの意思」というものを持って自立生活を始めた。
それと同様に重度知的当事者も「自らの意思」によって自立生活を始めたらよいと思う。

しかし、
知的当事者の場合「意思」という「知」の面で障がいを負わされているが故に、重度身体当事者同様にはいかない。

それ故に、「本人の意思が確認できなければ親の意向・判断が大事」という風にも言われる。

でも、なぜ「親の意向・判断が大事」なのか?

そもそも、私自身が自立生活を始める時に親の想いは聞いても、その判断通りにしてきたわけではない。
重度身体当事者も周囲の意向や判断の中で生きるしかないなかった歴史から「自らの意思」というものが出されてきたわけで、
大切なのは「自らの意思」以上に「周囲の意向や判断の中で生きない」という点だと思う。

ならば、親は昨日の記事と同様に求め、子どもを送り出せばよいと思う。

しかし、それが言えないのはまだまだそのような事例が少ないから。

「自立生活をさせたい」という親の想いも本来はおかしなことで、
「させる」ものではなく「するもの」という風に、親も支援の側もまだまだ至っていない。
さらには、どういう道筋で自立生活が実現するのか?
自立生活にあたっての介助保障等まだまだ不十分。
という中で、親も不安だし支援の側も不安なんだと思う。

だからと言って、
親に何とかしてもらうというのは支援の側としてどうだろうか?
確かにまだまだ支援の力量が不足している面がたくさんある。(私も含めて)

でも、親元にいれば身近な親が支援の主体とならざるを得ないが、自立生活を始めれば支援の主体は本人を取り巻く周囲が主体となる。

そう考えると、
昨日の記事と同様の事を親が言えば、大いに歓迎されることである。

そして昨日の記事と同様に支援の側は、
「親ができる事」
「親が担う事」
等とあれこれ考えるよりも、すっぱりと「支援の側でやります」という方が単純でやりやすい。

その上で、実際本人が親に求める事はあるだろう。
でも、それは「親に支援を求める」ということではなく、
私たちと同様に「親は親として」の求めでしかないと思う。
posted by 岩ちゃん at 08:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月31日

まずは支援がすべて担う。でも・・・

昨夜。
これから自立生活を始めようとする知的当事者のお母さんから電話があった。
「今週の総会のガイヘルはどうなっていますか?」と。

2月から自立生活に向けての支援を始めていくことになっているが、
その狭間での支援についてこちらは「まだ、親元にいるから親が担う」と考え、
親は「2月からという話だから、支援の側が担う」と考えている。

なので、親は当然こちらが手配するものと思っているし、こちらも当然親が手配しているものと思っていた。

でも、本来は本人が手配するもの。

しかし、彼はそれができずたぶん身近にいる親から「どうするの?」と聞かれ「行くよ!」と答え、「ならば」と親がこちらに行ってきたのだと想像する。

私としては、「まだ、始まっているわけではないので親の方で手配してください」とは言わず、「了解しました。こちらで何とかします」と答える。

その上で考えたことは・・・

知的当事者の自立生活を考える時、
多くの人はまず「何ができて、何ができないか?」
そして、
「できない事」に対して「どのように支援するか?」を考える。
「なんでも支援が担うというのはおかしい」と考える人は多いと思う。

しかし、
知的当事者の場合。
単に本人能力だけではなく、周囲との関係性や置かれた状況によってできたりできなかったりすることは多々ある。
それを微にいり細にいり確認していては、それだけで一生を終えてしまう(笑)

できないと思っていた事は、環境が変わったり対応する人が変わればできるということをたくさん見てきた。
(例えば、家族との生活においては、「この子にはできない」と思い込む親がいつしか「この子にはさせられない」に変わっていたりする)
又、できていたことも環境が変わり対応する人が変わればできなくなるということもたくさん見てきた。
(例えば、食器の片づけなどは本人の役割でできていたことも、新たな環境で食器の配置が変わるとまったくできなくなったり)

親元での生活とは違い、自立生活は日々支援者が変わるし日々様々な事柄が起こる。
そして、当事者は常に応用問題のごとくに判断を求められ日々の暮らしを回していかなければならない。
そんな中で、何ができてとか、何ができるようになれば良いとか、できるようになる支援とかを考えていては、逆に「その人の生活」ではなくなってしまうように思う。

「できる/できない」に依拠しない自立生活を求めるならば、
私としては、その人の暮らしにおける支援はまず、すべて支援者が担うという立場で臨む方がよいと思っている。
(本人が確実にできると思えることも)

なぜならば、「できる事/できない事」の選別をしている段階で本人が自立しているということではないから。
本人を一人の人格者として見た時、その選別以外のものを本人が持っているし、私たちが気づきえない事柄を本人は抱えていたり望んでいたりするから。

だから、「まずは支援者がすべてを担う」というところから始める方が単純でやり取りしやすい。

その上で、
「すべてを支援者が担う」とは言っても、限られた時間や限りなくある事柄のすべてを支援の側が担えるわけではない。

支援者が100の支援をどこに使うかを考えると、
それを暮らしを回す事(例えば家事)にすべてかけていたら、本人はつまらないだろう。
100の支援の内、20本人がやれることを見いだせたなら、支援はその20を別の形で使える。

本人から見てすべてをやってもらうということは、とても大変なことで自分でやれることは自分でやった方が楽なのだと思う。
(ややこしいのは「自分のことは自分でやらなければならない」とすりこまれてきた環境)

そして、
本音の本音を言えば、
「すべての事柄を支援の側が担う」と言いつつ、「それって結構めんどう」と思う私がいて、
「面倒だから」本人にもやってもらう。本人がやれる方法見出し、暮らしにおける事柄を本人と支援とでシェアしていく。
本人がやれる方法を見いだせれば、私自身が楽になり更なる暮らしの充実へと向える。

さて、今回の親からの問い合わせ。
本来は本人がやるもの。という前提を持ちさらには今親元にいるから親が担うものと思わないのは、
その手配を自分が担うことで、彼にとって必要な支援が一つ実感として得られるからで、又、親元と自立生活の狭間にあって、親が担うということは、「こんな時支援者はどうするのか?本人はどうなるのか?」という疑問を抱かせ、親元を離れた後の親の不安の種を植え付けることになり、その解決の方がはるかに手がかかるということを経験上知っているから。

ということで、
これから土曜日のガイドヘルパーを探します。


posted by 岩ちゃん at 10:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月27日

頼もしい事業所のみなさん

これまで、ガイヘル等個別に当事者と付き合って来た事業所の皆さんが集まり、これから自立生活に向けての会議を開いた。

今日のメインテーマは「とにかく1週間の介助シフトをどの事業所が担うか?」ということ。

私の団体も含め4つの事業所が集まり介助シフトを埋めていく。

「うちは、曜日と時間を決めてもらった方がやりやすい」
「うちは、〇曜日は厳しいけど、〇曜日ならOK」
「うちはイレギュラーな依頼の方が埋めやすい」

「とにかく人はいるけど、本人との相性を考えるとどうなのか?」
「家の中の支援なら大丈夫」
「家事はやったことがない介助者が多い」

「埋まらない曜日は、いろんな事業所が交代で担った方がお互いいろいろ見えるのでは?」
「各事業所が泊りや日中や休日などいろんな場面で介助に入る方がよい」
「埋まらなければ、もっと他の事業所にも関わってもらう方がよい」

等々。

本人の生活や本人の想いや本人との関係はさておき、
(と言うか)それらを一つ一つ確かめていくためにも、まずは人を配置し、とにかく始めていく。

「誰でも良ければうちでシフトの枠だけは埋められるけど、それだと不安(ヘルパーにとっても本人にとっても)」

私自身これまで少なくない知的当事者の自立生活に関わってきたので、この後起こる様々な事柄はある程度想像できる。
しかし、不安は常にある。

なぜなら、どれだけ多くの人の自立生活に関わってきても、その人の自立についてはすべて未知数。
未知なるものに取り組むことは、初めて取り組む事業所も私も大差がない。
(だた、予測のもとに回避したり事前に準備したり心構えを持ったりすることはできるだろうが)

なので、同様に不安は不安。

でも、
4つの事業所の皆さんが集まり、自らの不十分さは不十分さとしながらも「とにかくやっていくしかない」というがあって、実際始めていく中で一緒に考えていくスタンスはとても心強い。

「来月第2週か第3週あたりから始めます」という宣言に、

「2週?3週?厳しいなぁ〜」とはいうものの、誰もそれを否定しない。
「それをめどに準備するしかない」という雰囲気。

本当に心強い!

本人も同席しての会議。
終始ご機嫌でみんなの会話を聞いている。
時々話を振ると、わかっているかわかっていないかわからないけど、ご機嫌で答える本人。
最近のガイヘル等での本人の様子を聞くと、日に日に調子が上がってきている様子。

「たぶん実際に始まれば本人の様子も変わるよね」
という声は、わからなさの不安もあろうが期待も大きい。

ということで、
やるっきゃないで始める自立生活支援。

頼もしい・心強い事業所やヘルパーさんたちととりあえずそれぞれが担当する介助シフトの枠を作り、実際これから各事業所でヘルパーさんを手配。

また一歩進んだように思う。一方・・・
posted by 岩ちゃん at 17:26| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 自立生活企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする