2010年08月26日

はぁ〜・・・。思いっきり誤解では?

超ご機嫌でたこの木やってきた当事者。
機嫌よくひろばでうろうろ動き回っている。

そのうち、自分でお湯を沸かしいつものティータイムの準備を勝手に始める。
沸かしたお湯にお茶っ葉を入れる。
その後、熱いお茶を冷ますのに水道の蛇口を全開!!

私「お〜い!お水出すのもっと少なくしてくれる?」と離れたところから声をかけた。

すぐさま、蛇口をしめ、突然大声出して暴れだす!!

私「いや!止めなくて良いんだよ」と言えば、余計に暴れる当事者。

再び全開にする。再び蛇口をしめる。を繰り返す。

たぶん、「水を出してお茶を冷ますのはいけません!」と言われたと誤解しているのだろう。
「でも、お茶を冷まして飲みたい」
そんな想いで混乱し葛藤する当事者。

そもそもは、「いけません」なんて私は言っていない。本人の誤解。
でも彼は自らの誤解と自らのやりたい事の中で混乱し葛藤する。そして、その表現が暴れるという姿。

言葉でやり取りしても埒が明かないと流しに立って私が水量を調整するも、
「あけて!」「しめて!」と険しい顔で迫ってくる。

「はい。はい。」「ダメって一言も言ってないよ」「こんな感じでやってくれれば良いんだよ」とやってみせる。

すったもんだとやり取りが続き、ようやく理解してくれたのだろうか?
こちらが示した適量の水でお茶を冷まし、飲んでいった。

ご機嫌だったし、昨日もそんなやり取りをしていたので、サクサクと言葉でやり取りしようとしたが、本人にしてみればこちらの意図とは違った意味で受け取った様子。

ドタバタする当事者にめげずにサクサク事を伝え理解してもらおうと努める私。
でも、彼の事をよく知らないヘルパーさん達だったらと思うと・・・

すさまじく険しい当事者を見て、
「機嫌よくやっているんだから」と横から口を出さずそのまま大量の水でお茶を冷ましているのを見守るという対応が多いのだろうと考える。
それだと、結果家の水道代はかさむし、本人は何も気づかぬままにいるだろう。自分の家の水道ならまだしも他所に行って同じ事をすればその時さらに混乱するだろう。

でも、適量の水量というのは実はとてもわかりにくい。
全開か止めるかの二者択一の本人に対し、適量の水で冷ますことを教えると言う事ではない。

情報として伝えること。本人がどう受け止めたかを知ること。本人の理解の中で提案すること。本人の思いと支援者の提案の中でお互いの一致点を見出すこと。

当事者と支援者とが相談し一緒に考えるという経験。
とても難しいことなのかもしれないし、そうそううまくいくわけでもない。

でも、今回の水量の問題だけでなく、又たとえ本人が誤解しても大した事のない場面も多々あるだろうから、日々の中で当事者とヘルパーとのやり取りを積み重ねて欲しいと願うのだが・・・。

あまりの激しさに、そうもいえない状況があり、
なんともなんともです。
posted by 岩ちゃん at 18:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

何がなんだか・・・

朝、一人暮らしをしている知的当事者が勤める職場からメールが入った。
「ここ最近の様子は、もしかして痛風かもしれない。病院に行った方がよいと思う」との事。

そこで、痛風経験者に話を伺いツイッターで情報を集めた上で、ここ最近彼と関わった人たちに様子を聞いて回った。

「かなりきつそうにしている」
「腰をかがめて仕事していた」
「歩くのが遅い」
「仕事に覇気がない」
「いつもとなんとなく違う」
「消極的な感じ」等々。

さらに、夏休み期間中親元に帰っていたため親からの情報を聞く。

どうやら毎晩父親とビールを飲んでいたらしい。さらには、親戚が集まった場で調子に乗ってしこたまビールを飲んだという。
一応、両親も本人の尿酸値が高い事は知っていながらの所業。
こちらとしては、単に親元にいた時に情報を聞きたかったのだが、いろいろ言い訳ぽく話をするので聞きだしたい情報が得られない。

自立生活をしていてヘルパー等が何らか失敗するとすぐさま親は苦情を言う。
その苦情がどれだけヘルパーに影響を与えるかいろいろ気を使う。
今回は逆の立場だからと言って親を責めようとはまったく思わない。
でも、自分で自分を責める親。
その気持ちがなんとなくわかるから辛い。
とにかく聞きたい情報に行き着くまでに様々なやり取りをしてとりあえず電話を切る。

そして、本人にあってみれば本人はいたって元気。
元気なので通院の必要なしと思うが、周囲の声も間違っているとは思えない。
なので、職場に一緒に行き彼と関わる人たちに彼と一緒に話を聞く。

すると、私と二人っきりの時とは違う表情や表現をする彼。
ますますわけがわからなくなってくる。

痛風の可能性も残しつつもしかして整形外科関係?
ということで内科と整形外科をやっているクリニックへと行く。
そして、診察。

結果は、
「本人は痛いのだろうけど、既に回復傾向にある。肉離れと軽い捻挫」という診断。

想いの外大した事がなくてよかったという結論なんだろうが、本当にその結論で良いのか疑問は残る。

言葉を発しない当事者。
様々な形で表現しているのだろうけど・・・
相手の表情を見て発する表現。

みんなが心配そうにすれば暗い顔を見せ、大丈夫だよと接すればそのように表現する。
でも、何らか痛みもある中で自らの症状を自らが表現できず、何とも分からない。

さて、どうしたものか・・・
posted by 岩ちゃん at 17:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月07日

サマーランドに本当に行きたいの?

ここ最近たこの木のイベントにすべて参加する当事者。
その雰囲気を見ていると本当に参加したくてしているのか?と疑問を抱く。

誘えば必ず参加。
誘わなければ、家で一人悶々とする当事者。

出かけるためにはガイヘルを使う当事者。
「ガイヘルが横にいるのだから何もこちらのイベントに参加しなくても、ガイヘルさんとどこかに出かける事はできるよ」と提案。

すると、「お出かけする」と答える当事者。(それさえもこちらの提案に応えているだけのようにも思える)
ならばと、出掛け先をガイヘルさんと相談することになった。

ガイヘル「どこに行きますか?」
当事者「サマーランド」
ガイヘル「ではサマーランドに行きましょう」
と言うことで計画する事となる。

当事者とガイヘルさんのやり取りを横で聞いていて湧いてくる疑問は、
「なぜ、サマーランド?」と言う事。

お金もかかるし、ヘルパー時間の調整も必要となる要望。
「本人が言っているんだからその通りにすれば良い」と言う考え方もある。
なので、実現に向けての手配もする。

しかし・・・
この間、体調や前後の予定の都合で先送りになり、他の所に出かけたりしている。
その様子を見ていると必ずしもサマーランドではないような気がしてくる。

でも、本人に聞けば「サマーランド」と言う。
本当に行きたい場所かどうかは、実際行って見なければわからない。

しかし、お金もかかるので本人が言ったからと言う理由だけで実際行き、実は行きたい場所でなかったらその後のリスクはすべて本人が負うことになる。
例えば、数千円以上かかる費用を本人が負担して、本当は行きたくない場所だとわかったら?
それはそれで価値のあることだと思う反面、そのお金を違うところにかければもっと暮らしが楽しくなるだろうと思ったりもする。

なぜ、サマーランドか?
本当に行きたい場所かもしれない。
「以前行った事がある場所」と言いたいだけかもしれない。
「別の人が行ったよ」と言いたいだけかもしれない。
ヘルパーさんに聞かれて思いつきで出た場所かもしれない。
何か別の事を言い表しているかもしれない。

結局は、行くしかわからない。

でも、ただ「本人が言ったから」と言うだけで本人の要望としてしまっては、もし本当に行きたい場所でなかったら、お金と時間のリスク以外にヘルパーさんとの関係性のリスクも本人が負うことになるように思う。

posted by 岩ちゃん at 17:58| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

悪い事=悪い人

発達障がいの当事者が、
「僕は悪い人のままで良い」と言う意味深な事を語りだした。

私「悪い人のままだと世の中の人と一緒にやっていく事ができないのでは?」
彼「だって、もっと悪い人がいるんだから僕も悪い人で良いんです」

突然の話に私は彼の言いたい事がよく解らなかった。
でもよくよく話を聞いて行くと・・・、

彼は、自分のやることなす事のすべてが否定されてきた。
その中には、私だって否定したくなる事があるが決してすべてを否定するものではないと思う。
しかし、彼はすべて否定されるなら「僕は悪い人のままで良い」と言う結論を導き出し、周囲が自分の事を「悪い人」とするなら、「もっと(自分より)悪い人がいる」という「自分より悪い人」を見つけることで自分自身を肯定しようとしているように思いました。

そんな彼に対し、
@「悪い事と悪い人とは違う」
A「あなたも悪い事は悪い事だけど、悪いことをするあなたは悪い人ではない」
B「あなたの事を悪い人として付き合おうとしない人は確かにたくさんいるけど、私も同じようにあなたを悪い人だと思っていたら、あなたとは会わない。でも会っていると言う事は悪い人ではない」
C「あなたと会いたいし、あなたがやった悪い事が何なのかを一緒に考えるために会っている」
D「あなたが言うもっと悪い人も、悪い事をやったのかもしれないが悪い人ではない」「その事をその人と考えたいと思えば会いに行く」
と言う話をした。

そして、改めて
@「あなたは悪い人ではない」
A「あなたにとって悪い事=悪い人と言うのはよく分かるが、決して悪い事ばかりしている人ではない」
A「なので、悪い事は何が悪かったかを考える」
B「他の人も悪い人ではなく、悪い事をした人」
C「他の人とではなく、あなたと一緒に悪かった事を考えたい。考えて欲しい」

そんな話としてまとめました。

彼に言い聞かせるようで、実は自分自身に言い聞かせているような気持ちになりとても切ない思いがしました。

彼に限らず、発達障がいを持つ人たちの言葉や行動は、周囲から理解されずやる事なす事が否定される。確かに社会生活上成り立たない行動もあるのですが、そればかりではなくほんの些細な行動であっても周囲と違うことで否定され続け人生を歩んでいると思うと、彼が「悪い事=悪い人」となってしまうのも納得がいきます。

そして、そのような目で見ている私自身がそこに存在し、私が持つ世界を一方的に彼に押し付けている事を思わされました。
posted by 岩ちゃん at 10:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

一つ状況が変わると・・・

第3木曜日の今日。毎月たこの木通信の発行作業日。
早朝から版下仕上げの作業をしていると1本の電話が・・・
「昨日の夕方に印刷機が壊れて、業者に修理の手配をしましたが、いつ直るかわかりません」といつも利用しているボランティアセンターからの連絡でした。

ギョエ〜!!!!!!
どうすんのよ〜!!!!!

第3木曜日は近くの公民館も休館日で使えない。
ならば・・・

実は、印刷機自体の手配はそれなりにできる。多摩やってきてから30年近く経つ私の頭の中にはいろんな情報が詰まっている。

ギョエ〜と叫んだのは、たこの木通信を手伝いに来てくれる人たちのこと。

多くの人は、いつも来てくれる人に電話やメールでお知らせすれば良い。
突然やってきた人に対しては、ボラセンから電話をもらえれば対応できる。

しかし・・・・

作業を手伝いに来てくれる人たちの多くが知的当事者。

まずは、場所が変った事をどのように伝えようか?
伝えたところで、どのように来てもらえるか?
こちらで何らかの手配をするか?
利用しているガイヘル派遣事業所に伝え、今日のヘルパーさんにやり取りしてもらおうか?
と言う事が生まれる。

そして、
場所が変わることで本人たちはどんな状態になるか?
落ち着かなくなる人もいるかもしれない。
混乱して作業ができなくなる人がいるかもしれない。
それらは、彼らの責任ではないがどのような展開になるか分からないので様々な事を想定する。
例えば、昼食はどうしようか?(食べてから来るか?こちらに来て食べるか?)等。

又、慣れない場所だからトイレの事やタバコを吸いに行く場所や途中で帰りたくなったときの対応なども考える。

その上で、作業開始時間が遅れているので、どのように段取りすればスムーズに作業が進むかも考える。

私自身も慣れない機会に戸惑う。当事者の皆さんもいつもと違う場所に、座る位置にも悩む。
いつもはサクサク作業をしてくれる当事者も、「こっちの作業がいい」と突然言い出し、こちらが立てた段取りを無視。
作業所の指導員なら、「あなたの仕事はこれです」等といえるのだろうが、皆さんボランティアで手伝いに来てもらっている訳で、とりあえず「こうして欲しい・あ〜して欲しい」と頼みはするが、断わられれば断わられないよう段取りを組みなおす。

そんなことを頭に描きつつ印刷や紙折作業をしていると、私の方がミスる。
ページを間違えたり、裏表で上下が逆になったり、折り方が反対だったり。
あれこれ頭の中で段取りしていると、突然質問してくる当事者に答え、それを見た当事者が「忙しくやってるんだからやめときな!」といわれのない静止をかける当事者に、「そんな事はないよ」とやり取りする。

電話を受けた時の「ギョエ〜」はそんな状況になるだろうと言う想定もあり、まったくその通りの状況。
そう解っているのに、実際の現場で私の頭は大混乱。

さらに、場所が変わったことでいつも参加の人がこなかったりして、今日に限って人手が少ない。

作業が遅れる。会場の閉館時間が迫る中で、一人あせる私。
周りは意に介せずマイペース。

それでも、何とかなるもので、5時過ぎには終了。
いつもの郵便局はもうしまっているが、会場の近くに本局があるのでこちらは夜まで開いている。
一部の人は先にファミレスへ
数人は郵便局へ

そして、
郵便局でも「低料三種でお願いします」と職員に言うとアタフタする。
なぜなら、わが町の郵便局管内で低料三種郵便を利用しているのはたこの木クラブだけ。
いつも差し出す郵便局は、毎月の事なのでそれなりに慣れているが、本局と言えども取り扱った事がない人たちは、3人ほどの職員が集まりあれやこれやと相談する。
こちらでもアタフタ。
「人間誰しも、突然の対応にはアタフタするのだ」と妙に冷静になれた私でした。

そんなこんなと、最近16時ごろにはのんびりとお茶にしていたのに、今日は形ばかりのファミレスへ。
腰を落ち着けるまもなく「もう帰る」コール。
ふぅ〜〜疲れる一日でした。

そして今想う事は、
知的/自閉の当事者たちは、毎日こんな状態がつづいているのだろうなぁ〜と言うこと。

今日の話で言えば、単に場所が変わっただけなのにすべてにおいて段取りを組みなおさなければならないと言う事。そして、組み直すには様々な想定と様々な実際とがあって、刻々と変わる予期せぬ状況に対応を迫られると言う事。

私は、それでも「どうしようか?」と周囲に相談できるけど、彼らの多くはその相談もできず、ひたすら自らで解決しようとする。本当に大変な世界で生きているのだろうなぁ〜と想像する。

そんなこんなの通信発行作業風景でした。 

posted by 岩ちゃん at 20:37| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

ただ、一緒に分かち合いたいだけなのに・・・

すいいち企画にやってきた重度自閉の当事者。
今日は、非常に落ち着きがない。
玄関の扉を思いっきり開け、ドスンと扉が外の壁にぶちあてている。

何かが原因でそうしているのだろう。
何かに混乱してそうしているのだろう。
自らでどうにか落ち着けようとしているのだろう。

しかし、
玄関の外はいろんな人が行き交うエレベーター前。
突然扉が開けばびっくりするだけでは済まない。

彼のそうしてしまう原因や混乱やそして、自らが引き受けようとする気持ちはすごく分かる。
しかし、何が原因か?何に混乱しているのか?どうして自分だけで解決しようとするのか?

「ねぇ〜ねぇ〜」と声をかける。
「ハイ!!」と応えるもさらに顔つきが厳しくなる。

「ハイって何だろうか?」
「ハイ!」
「そのさぁ〜。扉だけどさぁ〜。」
「ハイ!ハイ!ハイ!」とさらに厳しい顔つきになり、私から逃げようとする。
でも逃げる場はない。
トイレに駆け込む。
トイレの扉越しに、「玄関の扉を思いっきり扉を開けると外に人にぶつかるから」

と言えば、トイレからでてきて、
「あっち!(あっちの部屋に行っての意)」
「はいはい。」

一瞬収まるような雰囲気も感じたが収まらずさらに激しく扉を開け閉めする。
いよいよヤバイと思い、近づけば更に激しさは増し、ドアを壊して逃げていった。(彼としては、一旦その場を離れて落ち着こうとする意)

そして、丁度みんな帰る段になって戻ってきて、多少の不安さは持ちつつも、前の激しさはなく、微妙な雰囲気を持ちつつ、しばらくして帰って行った。

さてさて、
私は只、
彼自身の「何か」を知り、一人で解決するのではなく、一緒に考え解決したいと思っていた。
でも、彼の側はたぶん私に「怒られる」と思ったのかもしれない。
彼自身落ち着きを取り戻し、事柄の整理をしようと思っての行動と私は思っている。
でも、私の声かけは彼にとって「止めさせられる」と受け取ったのかもしれない。

彼自身、周囲からの声かけは常に「怒られる」「止められる」と言う場面ばかりだった事もよく知っている。
でも、その行為自体は止めないとさらに彼はリスクを負う。
でも、彼の混乱事態は本当に心苦しく、一緒に考える事ができればどれだけすごい事かと思う。

しかし、20数年付き合ってきてもそうはならない。
時折、彼が語らずとも傍で見ていて彼の混乱が理解できる時は、その事を口に出せば自然と落ち着く。
でも、いつもいつも彼の想いを理解できるわけではない。

なので、
彼とともに考え、ともに整理し、ともに解決していきたいと願う。
しかし、それは彼とだけで解決できるものではない。
彼は彼の歴史や背景や経験があっての事。
私と彼との関係はほんの一部分でしかない。

そう思うと、なかなか一緒に分かち合う事ができず、彼のみが辛い想いを引き受け、分かち合おうとすればするほど、ますます彼自身が辛くなる。

しかし・でもとあれこれ悩まされる一場面であった。
posted by 岩ちゃん at 20:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

いいよ・いいよという当事者

知的当事者のヘルパー派遣をコーディネートするのは非常に難しい。
それは、言葉を発しないとかいわゆる「問題行動」があるというだけではない。

 軽度の知的当事者は、言葉でいろいろやりとりできるし、ヘルパーを派遣した評価を本人から伺うこともできる。本人の置かれている状況を受け止め信頼関係を築き、その分事業所の置かれている状況にも理解を示してくれることもある。

 今日のガイヘルの依頼は9時〜17時。しかし、ヘルパーの手配ができず9時〜16時の派遣にしてもらった。
 先々週同じ依頼を受けた時、16時にはすでに「移動」自体は終わっていて、その日のやりとりをめぐってお茶にしていた。
 本人の目的としては16時までで十分だとも思ったので、
本人に「今回は申し訳ないけど16時までに自宅ではなく〇〇駅前で終了で良いでしょうか?」とお願いした。

 すると、「16時?いいよ・いいよ」と即決の返答をもらった。
私はその返答に了解を得たと安心したのだが、実はそうではなかった。

 その日の様子やその後の様子、又さかのぼって本人とやり取りしていた時の様子を知るにつれ、
「いいよ、いいよ」は「仕方がない・我慢するしかない」であったり、「次回はどうなるのだろうか?」という不安を抱かせた様子。

 軽度の知的障害ゆえに、いろんなことを考えられる。こちらに気を使ってもくれる。しかし、いろいろ考え思いついたことを整理して考えられないと、思いついたことがたくさんあればある程不安になったりする。

 「いいよ・いいよ」とこちらの状況に了解してくれる当事者。

 しかし、それは決して言葉通りではない想いがたくさんあることを決して忘れてはいけないと思った。
posted by 岩ちゃん at 20:52| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月08日

良い事もつらい事もあるはずなのに・・・

 たこの木周辺でつきあっている知的当事者の多くは、幼い頃から長年付き合い続けている人たちが多い。
 子ども会やキャンプといったたこの木の行事に参加していたと言うだけではなく、普通学級に通うこと・就労の事・自立生活の事・諸制度の事など支援についてのやり取りを続けていたと言う事もある。
 又、子ども時代からの付き合いは、当然の如く家族との付き合いもあり、その人の様々な生活全般に渡り見てきたし関わりつづけてきたと言う人たちである。

そんな当事者たちの一人と話をした。
 彼の口から出てくる事は、ひたすら否定形の話ばかり。
「仕事の時、お客さんに断わられた」
「来るなといわれた」
「お前なんかが来るところではない(と言うマンガの話)」
又、
「やられたらやり返すしかない」
「やられないように強くならなければいけない」
「男は泣いてはいけない」と言う話も。

その話そのものと言うよりも、彼の頭の中を支配しているの自らを否定されてきたと言う記憶。

確かにそういう経験をくぐってきた人であることを私は知っている。

でも、それだけではない。
キャンプで活躍した話。自分より年下の子ども達の世話が好きな事。仕事仲間とやり遂げた経験等、たくさんのプラスの体験も持っている。

そんなプラスの経験を伝えると、一瞬思い出したかのようにうれしそうな顔をする。
でも、すぐさま「そんなことばっかりではない」と再び否定形の話になる。

「辛い経験をたくさんしてきたんだね」と認めるしかない。
「良い経験はなかったのかな?」と彼自身に思い出してもらうしかない。

彼の言葉から知的当事者が置かれている状況がよく分かる。
でも、その一方でそのような状況を何とかしたいと長年つきあってきた私がいる。

 まだまだ、彼らの世界には程遠い所で私はやり取りしているのだろうと感じた。
posted by 岩ちゃん at 13:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月03日

知的/自閉の人たちの世界

知的当事者の子ども達や人たちに意識的に出会い初めてかれこれ30年。
彼らの持つ世界に見せられ、彼らが持つ世界をもっと知りたくて、出会いを求めてきた私がいる。

 彼らと出会いたいと思う私の気持ちの一番の根っこには、幼い頃に彼らと出会えなかった自分がいる。
「三つ子の魂百まで」と言うが、幼い頃に私の周りに彼らのような人はいなかった。
大人になって彼らと出会ったとき、彼らとの距離感を「ごくあたりまえ」にに持つ事ができない自分に気づく。

彼らを上に見たり下に見たり。
彼らのために何かをしなければと思ったり、
「〜ために」ではなく「ともに」と叫んだり、
「介護」なのか「介助」なのか「支援」なのかと悩み、
それらすべてが常に意識的に考えなければならない自分に嫌気をさしたり。

それでも、30年と言う出会いの中で、彼らの持つ世界や彼らの感覚をとにかく理解することに努め、様々な当事者たちと出会ってきた。

「入所施設」と言う場に行けば、あっという間に100人からの当事者に出会えるだろうが、「入所施設」を否定し、「地域」と言う自分が生きている場で200人近くの当事者たちと出会ってきた。

 出会ってこなかった時間よりも出会っている時間の方が圧倒的に長くなった。日々密度の濃い出会いがたくさんある。
 又、あたりまえに出会い、ともに地域の中に存在し続けるための課題を数多く担ってきた。

 そうこうしている内に、彼らの持つ世界が何なのか?どこかなんとなくではあるがほんの少し見えてきたような気がする。(あくまでもほんの少し)

 ほんの少しの事を見るためにかけてきたエネルギーは計り知れない。
それでも、ほんの一瞬の共感。普段は近寄りもしないのに、切羽詰れば根っこのところで当事者に信頼されている感を得る事もある。

 それが何かといえば、たぶん言葉にならない思い。止めようもない・周囲から否定もされる行動の奥にある彼らの想いのような気がする。

 そして、そこに触れると今度は私自身も同様に世間一般から理解されない存在になってしまっている事に気づく。

 「普通」とか「常識」とか空気のように何の疑問も持たずに回る世間にあって、独自の「普通」独自の「常識」を持つ彼らの感覚は、そのほとんどを否定されるものとなる。
 
 そうではないと思うが、何とも説明のしようのない彼らの世界。

 本来当事者と世の中との橋渡しをしなければならない存在なのだろうが、向こう岸にいる当事者たちを知らなければどのような橋渡しができるかが分からない。
 そう思って付き合ってきたら、彼らの岸に立ち世の中の岸にどこか戻れなくなってしまった感がある。

 とはいっても自分は当事者ではない。
彼らが負わされてきた(私自身が負わしてきた)事を考えると、当事者の視点で等と言う事もいえない。

 にっちもさっちもいかない今日。

 それでも、彼らが地域の中に存在し続けるための取り組みを続けていかなければならないと想うのだが、何をどのようにすれば良いか迷っている。

 と言うことで、
この1週間ブログの更新どころではない、日々の課題に埋没していた。

ブログの更新がなかったのに、毎日おとづれてくれる方々。
「ブログの更新がないですが、大丈夫ですか?」と心配してくれる方。

今の今。落ち込み状態の私で、周囲にもっと助けを求めなければと思いつつ、何をどのようにもとめれば良いか分からない状態がまさに当事者の世界だろうと、あれこれ考えています。
 

 
posted by 岩ちゃん at 20:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

今日のすいいち企画にて

 明らかに、玄関扉にやつあたりの当事者。その原因はここ最近行われているたこの木ひろば前の道路工事。ガガガガ・ドドドドと彼でなくても、ベランダ越しから聞こえてくる音にヘキヘキしている。

 とは言っても、彼がその音を嫌っているにしてはそんなに長時間滞在していないし、ベランダ殻は一番離れた台所に陣取る彼には、その音も聞こえないだろう。

でも、あきらなかやつあたり状態。

 彼にしてみれば、普段とは違う状態にイラついているのだろうとある程度想像していた。

 今日のすいいち企画、私は当事者の会のビラ編集委員会があって私は途中でひろばを出る。

 当然ながら工事現場の横を通る。

 今日は、マンションのエントランスホールを出たまん前が工事現場。

 警備員の人が「申し訳ありません。こちらからお通り下さい」と言う。私ははがされたアスファルトの上をピョンと飛び越え駅へと向かった。

 そして、ピンとひらめいた!!

 この「申し訳ありません。こちらからお通り下さい」と言う丁寧な警備員の声かけ。工事がうざったく思っていた私としてはその丁寧な対応に不満が消える。

 でも、その当事者にしてみれば、制服を着たいかつい人から声をかけられ、時間が立つごとに通れる場所が変わる「お通り下さい」といわれても、彼の耳には「こっちから通れ!!」という命令言葉として受け取ってしまうのだろう。

 いつものパターンでひろばにはいる事ができず、その上命令されてしまっては、たこの木の玄関扉に奴上がりする気持ちもとても分かる。

 だからと言って、そんなに思いっきり扉を開け閉めすれば壊れてしまう。何か声をかけなければならないと思ッたのだが、今日のところは彼とやり取りする時間もなく、次回彼と同じシュチエーションの時の彼とのやり取りのために書き留めておこうと思った。
posted by 岩ちゃん at 19:39| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする