2010年02月03日

干し柿食べませんか?

 石川お土産の干し柿を持ってやってきた客人のMさん。
私としては立派な干し柿を二つもいただいたのだが、すいいち企画に参加した当事者にはなぜか不評。

 Nさんは、いつもひろばに来ると「何かない?」と聞いてくるのに、テーブルの上にあるお土産(干し柿)を「これ何?」と聞き、干し柿だとわかると「いらない」とその後は見向きもしない。
 Mさんは、「食べますか?」の声に「いらない!!」と瞬殺!でも、そばにいたヘルパーさんが食べるのを見て「食べる!!」と言っておいしそうに食べました。
 Kさんも「何ですか?」と聞いてくるも、干し柿とわかるとなぜか「いりません」との事。普段好きなものは、他人を差し置いて食べるのに・・・

 干し柿が嫌いなのか?
 干し柿が何か分からないのか?
 見た目が気に入らないのか?
 食べた事がないのか?

 さてさて、干し柿と言うものを実際に見て、ヘルパーさんが食べているのを見て「食べる!」といったMさん。
 単に干し柿が嫌いだから「いらない」と言う事ではないかも知れない、知的当事者の何かがあるように思いました。
posted by 岩ちゃん at 17:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

あなたの事ではないですよ

今日介助に入った知的当事者は、なかなかコミュニケーションがとりにくい人。
ひたすら見護り、タイミングを見計らってあれこれやり取りすると辛うじて話が通じる(かな?という)人。

 今日たまたま迎えに行った先で、たこの木のスタッフYさんに会った。
先日の介助の報告をSNS上で読んでいてので、気になり様子を直接伺った。
 ところが、その話を始めた途端にドタバタしだす当事者。
ドタバタはいつもの事なので、さほど気に止めず一通りの報告を受けた。

 それから今日は通院につき合うと言う事で一緒に受診した。
待合室にいる時からトイレに行きたくなった当事者はひたすら我慢していた。決まった場所でしかトイレができず、さりとて今日の段取りを変更することもできない。必死にこらえる当事者の番になり診察室へと入った。
 モジモジ・ドタバタ落ち着きのない彼に対し医師は「だいぶん、待たされたからね〜。」と優しく声をかける。「いやいや、そうではなくて只トイレに行きたいだけで・・・」と説明した途端。「もうちょっと!」「ダメ!!」とドタバタが激しくなるので、「そうだね」「急いで話をするから」と言うと益々激しさが増す。

 どうやら、「トイレに行ってくれば」といわれるのが嫌だった見たい。
別にトイレの話をしたいわけではないのだが、まずは彼の誤解を解かないと話にならない。

 もしかして、さっきYさんと話をしていた時も、自分の話と誤解したかな?
別に彼の話をしてたわけではないが、彼が自分の話をしていると誤解したならそのドタバタも納得がいく。

 一言、「〇〇さんの話」といえれば良いのだが、他の人の手前そうもいかず、「だったら、そんな場所で聞くなよ!」と自分ひとり反省。

posted by 岩ちゃん at 19:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月29日

みんなに・いろんな人に・新しい人

 私の場合、活動に行き詰ったり、考えが煮詰まったりすると、たこの木通信でその想いを書いたり、周囲の人たちに相談したり、それでも解決できなければ、持っている情報を素に新しい人や団体と出会い事柄を解決する。(結局解決できない事も多いが・・・)

 当然知的当事者も日常生活の様々な事で同様に行き詰る事がある。
 今日も二人の当事者から生活の事や今後の事の相談を受けた。

 私の側に何か妙案があって、「例えばこんな風にしてみれば・・・」とアドバイスできる事もあるのだが、その人の悩みや行き詰まりに対し私自身何ともできないこともある。

 一人は、どうして良いかわからず電話をかけてきたが、私の出した案には納得できず、あれこれ一緒に考える。
 もう一人は、会って話をするも将来に向けての相談で、将来どのようになっていくかは実のところ私自身もわからず、二人してうなっていた。

 それでも、真剣に相談してくる二人に、何とか解決の糸口はないかとあれこれ話すも当事者が納得できる答えが出てこない。

 ならば、「私以外の人にも相談すれば良いのでは?」と提案する。

 たぶんそれぞれに出された事柄は、
「みんな心配しているよ」
「いろんな人に相談すると違った解決方法があるよ」
「私よりも詳しい人がいるから新しい人を紹介するよ」
等と提案した。

 ところが、それぞれの当事者は
「?????」

「みんなって?」
「いろんな人って?」
「新しい人って誰ですか?」

聞き方は違うがそれぞれにみんなとかいろんな人とか新しい人と言う「人」が誰を指すのか分からない。

それならば具体的にと
「ヘルパーさん」「日中活動で付き合っている人」「古くから付き合いのある人」「毎週会っている人」等と個別の名前を出してみる。

一人の人は「そっか〜!」となんとなく納得した様子。
でも、私に相談する事と他の人に相談する事とがつながっていない。
もう一人は、具体的に名前を出すも、「いつ・どのように」相談すれば良いかがわからず、
何度も
「みんなって?」
「いろんな人って?」
「新しい人って誰ですか?」
と繰り返し聞いてくる。

物事を人に相談すると言うのは知的当事者でなくても難しいことだと思う。
相手にこちらの悩みやそこに至る状況を説明し、相手から何らかの解答を引き出す作業。

いろいろ話をしてくれる人たちで、こちらの話もある程度理解できる人たち。

でも、自らの行き詰まり自体わからず悶々としている様子。
釈然としないけど解決したいとは思っている。
でも何をどのように相談すれば良いか分からない。
何とか私に対しては話ができる。
私も長年の付き合いから彼らの行き詰まり感もなんとなく理解できるので、何に悩んでいるかを本人が明らかにできるような話し方もそれなりにする。

 その上で、事柄をどう解決へとつなげていくかについては、到底私一人に相談したからと言って解決できるものではない。
 だから、いろんな人に相談すればと想うのだが・・・

 
posted by 岩ちゃん at 22:33| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月26日

気持ちと言う形

気持ちと言うものは目に見えないが、私たちは感じる事はできる。
言葉づかいや顔の表情やしぐさ、又普段の様子との違いやその人の背景など、実は様々な情報を持って総合的に感じていると思う。

しかし、感じ取れないと言う人がいる。
「KY=空気の読めない人」と言う言葉が一時期はやっていたらしいが、私たちの間でも多少の気持ちの読めなさはあるが、それ以上に読めない人がいる。

なぜ、読めないのか?なぜ感じないのか?
と言う疑問を持ち、時にそのような人たちを「発達障がい」とか「〇〇〇症」とかでくくってしまう。

でもよくよく考えてみれば、そういわれてしまう側も「どうして自分の気持ちが読めないのか?」「どうして理解してもらえないのか?」と私たちが描くのと同じように思っていると思う。

 お互いに読めていない・感じられないのだが、読めている・感じ取れているものどうしの多数決で社会の価値観が決まり、少数派は否定される。

 ところが多数派どうしが本当に了解しあっているかと言えば実はそうでもなかったりする。
だから、KYなどと言う言葉が流行る。
 自らがどこか理解できないものを排除しているから、自らも少数派にはいらないように皆懸命に努力する事を強いられる。

 気持ちと言う形にならないものは、実はお互いの暗黙の了解があって成り立っていると思う。
場違いな所に行くとどうして良いのか戸惑う事は誰しもあるだろう。それはたぶん暗黙の了解が取れないから。どうして良いか分からないから。

 たぶん、障がい当事者は日常がそういう場でありそういう場に常にさらされているのかもしれない。
私たちが場違いな所に行けば、退席すれば済む。
しかし、日常の場がそうであったら退席もできず、その中で必死になって本人は成り立たせていかなければならない。それってとても大変なことだと思う。

 多数を構成している私たちは、彼らに対しこちらの気持ちが伝わらないと言うだけでなく、彼らの気持ちも私たち自身が理解していないという対等な関係で物事をお互いが理解していくことに努めないと、まったく持ってフェアではないように思う。

 でも、相手を理解して行くのとても大変なこと。暗黙の了解なるものを使わずお互いが了解していくことってとても大変。
 だから世の中の人は、その事を「専門家」に任せようとしたり、自分たちの場から見えなくしたりする。

 でも、その結果私たちの中でも、排除されないための努力をしていくと言うのも実は大変なこと。
同じ大変なことなら、様々な人とともに歩む事の方が楽だと思うがさてどうだろうか?

posted by 岩ちゃん at 20:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月15日

何をやれば良いか分からないだけ?

昨夜と今朝二人の当事者と話をした。
 一人は、ピープルファースト運動に長年関わってきた人で、もう一人は大失敗をしてしまい今後の対応を一緒に考えている人。

 最初の当事者は、電話で「差別禁止法とか権利条約なんかできてもどうにもならない」「施設だって地域だって同じだ!」と言う。
 長年頑張って運動に関わってきた人の発言とは思えない言葉。
 又、あとの人は会って話をしたのだが、自分が招いた失敗を周囲に追及された事についてはいろいろ語るものの、では自らの失敗を今後どのようにしていくかについての話にはなかなか行きつかない。

 いろいろ語る二人に対して、私なりの意見を言うも聞き入れなられないのか?私の意見が伝わらないのか?どうにもやり取りが進まず私はただそれぞれの言葉に耳を傾けるしかなかった。

 いろいろ話を聞くうちに二人の共通点が見えてきた。

 それは、二人とも長年その人なりに頑張ってきた歴史があると言う事。
運動の担い手としての当事者は、周囲から長年プラスに評価され、方や大失敗をした当事者は、周囲からマイナスに評価されると言う違いはある。
 しかし、二人は周囲の評価にさらされつつひたすら自分なりに頑張ってきた人たち。
評価は、あくまでも周囲のもの。

 それ故に、私があれこれわたしなりに意見を言ってはみるものの、それも他の人と同様に評価でしかなく、さらには「やりなさい!」と受け取ってしまうから聞き入れないのだと思う。
 
 そして、二人ともこれから先の事が見えていないと言う点でも共通しているとも思った。
その事を伝えてみても、自分自身が実感を持ってその先を見出せなければ、これもやはり「やれと言われた」としか受け止められない。

 支援の側としては、「あ〜しろ。こ〜しろ。」ではなく、又この先の取り組み方を提案するでもなく。彼ら自身が実感を持って、自らの先の取り組みを自らが見つけるための支援が必要なのだろうと思った。

 でも、そうは思っても、
知的当事者でなくても物事に行き詰った時、人の言葉が聞けなくなってしまう事はある。
周囲からいろいろアドバイスをもらっても、結局何をどのようにして良いか判断不能に陥る事もある。

 「支援の側」と偉そうに言っても何もできない自分がいる。
それでも、「その先にある何か」を求め関わり続けるしかないと思っている。
posted by 岩ちゃん at 21:14| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月14日

なぜか砂糖だけ持参

 コーヒー好きの彼は、毎週水曜日と木曜日たこの木ひろばにやってきて、コーヒーを飲んで帰る。

 たこの木のスタッフは皆、ブラックのコーヒーを飲むためひろばには砂糖がない。
なので、いつ頃からか自宅から砂糖の壷を持ってひろばにやってきて、コーヒーはたこの木・砂糖は自分の物を使い飲んでいる。

 このコーヒー。以前はたこの木で買って来て飲む人から20円もらっていた。その折には当事者であろうが支援者であろうが一律20円を払って飲んでいたが、お金の管理は結構面倒で、消費量も激しくそういう方式はいつしかなくなった。
 
 そんなこちらの都合はおかまいなしの当事者は、相変わらず砂糖持参でコーヒーがいつのも場所にないと「コーヒー!!」と催促してくる。
 たこの木のコーヒーはなくなったが、スタッフが個人的にキープしているコーヒーをもらって飲んでいた。

 年末、たこの木にコーヒーの差し入れがあり、それを再びたこの木コーヒーとするのも良かったのだが、コーヒー好きの当事者に売ってひろばに来た時、好きなように飲めば良いだろうと提案した。
 そして、お金とコーヒーを交換した。その日はコーヒーをひろばにおいていったので、こちらの提案を了解してもらえたと思った。

 ところが、先週それを「持って帰る」と言って持って帰った。
「まあ自分のコーヒーだからこちらがとやかく言うものではない」

そして今日、
砂糖とコーヒーを持参してくるのかと思いきや
いつものように砂糖だけを持ってひろばにやってきた彼。
その上、
ひろばにあったコーヒーを見つけ、それを飲んでいるではないか!!

「おいおい、前に買っていったコーヒーは?」と聞けば、
「ハイ!」とだけ応える。
「それを飲むなら20円払ってね!」と言えば、
「ハイ!」と応え、20円を払っていった。

「だったら、コーヒーを買うといわなければ良いのに・・・」と思う。
「買っていったコーヒーはどうしたのだろう?」とも思う。
相変わらず砂糖持参の彼に対して、
「砂糖を売るよ」と言えば、ひろばにキープするのか?やはり持ち帰るのか?

そんな疑問を持ちつつ、
コーヒー代20円を払ってくれるので、
「まっ!いいか〜」
posted by 岩ちゃん at 17:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 当事者の不思議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする